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2017-04-13 01:14:08

未来の自分が過去の自分を変える

テーマ:ブログ

今日、ある音源を仕上げていた。20年前はプレゼンの声がかかる度に猛烈に作曲していた。しかし、2000年を越えたあたりからあまりやらなくなり、レコーディング業界がProtoolsにほぼ完全移行してからは全くやらなくなってしまった。面倒だった。色々とインターフェイスを覚え、ソフトを覚え、毎年プラグインやコンピューターを新調して湯水のようにお金を使い続けるこの方法がどうしても理解出来なかった。アナログ時代は気に入った良い機材があればあとは録音すれば良かった。でもPCベースになった今、機材を覚え、ソフトの使い方を覚え、どんどんアップデートして、正直第一線で頑張る人以外には消耗レースに参加するような厳しさになってしまった。

 

いつしか通常の音楽制作がつまらなくなり、俺は真空管式のテープレコーダーに直接録音するやりかたに傾倒していった。録音をするまでに練習してセッティングして、始まるまでは大変だけどいざ録音すればそれで終了だ。このやり方はやりたい事が決まれば圧倒的に早いし、音楽そのものに集中出来るのでとても気に入っていたが、やれるジャンルも限られてくるので仕事にはならない。

 

商業音楽のあり方も全く変わってしまった。俺のようなスタイルはもはやマスでは必要とはされていない。手に入れた技術はそれは貴重なものばかりで、個人的には満足しているが正直金にはならないし、一部の超マニア以外には必要とされていない。あとはレコードをカッティング出来れば自分としては音楽制作人生は終了しても良いと思っていた。

 

 

 

しかし、どうしたわけか本当に時々声がかかる。俺が本当に諦めようとしたその矢先に、まるで辞めるなと言わんばかりのタイミングで。なのでその声には素直に従う事にした。

 

俺は言い訳していたのだ、自分に。

『もう、いいじゃないか。商業音楽の世界に戻らなくても。自分は音楽の道で生きると決めたが、いつまでもそれにしがみつかなくてもいいのではないか。』

 

人間、誰しもそうだと思うが、自分の為には一生懸命になれないものだ。他人の為、頼まれたから、そういう理由は十分なモチベーションになる。しかしそれが自分個人の為となるとついつい後回しでいつしか歳を取って自分の夢が本当に夢のまま人生を閉じることになっているのが大半の人の本当の事情なのではないかと。自分の夢を自分の為に叶えるというのは本当にエネルギーの要る事なのだと今更ながらに思い知る。

 

家族がいる、子供がいる、助けなければいけない仲間がいる、介護しなければならない親がいる、そういう理由は人を奮い立たせるものだ。人は他人に生かされているとはまさにこの事だと俺は思っている。

 

でも敢えて今、自分の為に自分の夢を叶えるのだ。それはなぜか?

 

実は最近確信した事がある。それは今、もしくは未来に行っている行動が過去の自分に作用しているという事象だ。過去の自分はこう考えていた。

 

『将来の自分はきっと音楽で或る程度の成功を収め、豊かなくらしを送り、幸せになっているだろう』と。そしてその絵図を叶えるために今まで選択肢を絞り、道を選んで進んできたはずなのだ。つまり今の俺の状態が過去の俺の脳裏に見えれば見える程それは現実に近づく。という事は未来の自分が成功していれば今の自分も過去の自分もそれを信じられるという事だ。そして未来の自分は過去の自分の延長にある。つまり過去の自分が強烈な意志で未来の自分を統制していれば未来の自分は過去の自分を奮い立たせるという事になる。

 

時間とは過去から未来に向って現在を通して一直線に進んでいるものではなく、現在を中心として過去と未来が同時進行しているのではないかと最近思うようになった。もちろん肌身で感じられるのは現在だけなのだが。という事は少なくとも『現在の俺』がやらなければ過去の俺も未来の俺も挫折してしまう。自分の歴史を否定する事になる。

 

ブレずに物事をやってきた人がある時点で『成功』を収めるケースが多いのはそのためだ。だからブレてはいけないのだ。間違いは訂正すべきだし、より良い方法が見つかった時には乗り換えるべきと思うが、その根本のモチベーションはブレてはいけない。俺はいま止めたらブレてしまう。人生そのものがブレてしまう。

 

だからあと数年、結果が見えるまでまずはやる事にした。数年だ。十分我慢出来る年月だ。この時間軸の理屈を理解せずして成功した人はそのあと必ず挫折する。そこで気がついて取り戻せれば良いのだが、一発で終わる人は取り戻せなかった人達だ。

 

人は自分の脳内時空に限って、未来も過去も変える事が出来る、今の自分の在り方次第で。それが俺の確信した事だ。これは屁理屈でもなんでもない、リアルな時間軸の事実だと俺は思っている。

 

この時間軸の事象について近いうちに別途書く。これはとても大事な事なので、別の例を上げながらもっと入り込んで書く。この時間軸に音楽や絵画、映画、芸術は非常に重要な役割を果たしているのだ。その事にやっと気がついた。まだまだ一部に違いないが、それでもその片鱗を触る事が出来たと思う。

 

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2017-03-25 04:09:06

良い音(その1)

テーマ:音楽

音に関わる仕事をしてはや30年以上が過ぎた。最初はタレントのバックバンドを結成してイキナリ仕事デビュー。直前まではディープパープルやクイーンのコピーバンドをやってた。当時の俺は後ろを振り向く事など一切しなかったため、穏健派の人間はどんどん俺から離れていった。今思えば当然だと思う。こんな勢いだけのキツイ人間について行こうとは今の俺なら思わない。それでも必ず成功出来ると信じて疑わずに突進んでいた。ぶつかりも多く、時々親身になって俺に忠告してくれる友人もいたが、どうにも心に響かずに生返事していた。

 

そういう性格だったから、良い音というこの『漠然とした概念』に対しても自分の価値観を信じて疑わなかった。今ならそれが使う機材や環境、その人の歴史的バックグラウンド、人種(これは言語という意味)、そして一番の要因(音を聴いているその瞬間の精神状態)によっては1000%を超える振り幅があるという事をかろうじて理解出来そうになっているものの、当時はただのイノシシだった。

 

でもそれで良かったのだと思う。自分ではない人、つまり他人はなにか確信的な意思の力に惹かれるのであって、万人のことを考えて悩んでいるような玉虫色の物を望んではいないのだ。ただ、そうは言っても他者を切り捨ててはいけない。他者に対するリスペクトあってこそ、自分の主義主張が存在意義を獲得できるのではないかと思う様になった。

 

分かり易く言うと、他者を慈愛するオーラあってこそ、我が道を突進む姿勢が評価されるのではないかと。最近、特にそう思う様になった。昔はあまり好きになれなかった人や音、実は時間をかけて向き合ってみると好きになったりする事が良くある。逆に良いなと思っていた音源でもよくよく聴いて、そのバックグラウントを理解するにつれだんだん気持ちが離れていく事も多くなった。

 

つまり良い音とは、単に周波数特性的に優れている物の事ではなくて、あくまでその個人の脳内で咀嚼された結果だという事だ。

 

だとすれば、現在の俺のやっている『機材の修理』や『良い音にして欲しい』という要望に応えるための作業はあくまでその相手の脳内の価値観に問いかける作業であって、俺の独自の理論の追求という作業ではないと思う様になった。しかしながら人によっては俺の独自の価値観を所望する人もいる。そこをちゃんと見極めないとトンチンカンな修理だったり改造だったりする事になる。

 

良い音、今の俺の考えでは2つの評価側面があると思う。

 

一つ目:

万人が納得し、一番好きかどうかはさておき、品質的には間違いなく良い音だと思われる音。

 

二つ目:

聴いた本人が納得し、本人の思う琴線に触れる音。

 

一つ目に関しては測定器や性能表などが或る程度指針に対して役立つだろう。二つ目に関しては聴いた本人、もしくはその本人の音の価値観を理解した人間にしか理解出来ないだろう。

 

俺は経験的にいわゆる『プロ』と『一般消費者』の違いは理解している。上記の2項目についてどっちがどうかは80%くらいの確率で振り分けることが出来る。残り20%は例外になってしまうのだけれど…。

 

つまり良い音とは聴いた本人にしか分からないというのが究極の答えだ。でも、その個人を理解すればある程度『その本人に於ける良い音』の範囲を想定する事は可能だ。そうやって機材をチューニングしたり、はたまた音源をマスタリングしていく。つまりは人間理解力というのが最終的な音の仕事のキメになるというのが今の俺の考えだ。これも10年後に違う事を言っているかもしれないけど(苦笑)。

 

今回はそんな話。

 

 

 

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2017-03-21 00:21:42

分岐して再び合流する

テーマ:ブログ

戻って来た人。

小沢健二の事だ。どういう理由があっての活動再開なのか分からない。

でもその理由はあまり重要ではない気がする。

 

彼はかつて日本を出て行った時、新天地に夢希望を抱いて飛び立ったというよりも日本の現状にある意味訣別をする為に出て行ったような気がしていた。それは『ある光り』を聞き続けて感じていた事だった。その後執筆していた文章なども深い部分で悩んでいたような、そんな憂いを感じさせる風合いだった。

 

それが2010年にコンサート再開。観に行かなかったが、行った人によればとても良かったという。そうだろう。彼の音楽はなにか技巧を聴かせるものではなく、音響を聴かせるものでもない。作品を押し付けるものでもない。その楽曲が存在する次元を同じ時間軸で共有するとでも言えばいいのだろうか、そういう種類の音楽のような気がする。歌い方も歌詞が脳に届くように発音を選んで計算している。カバーすればわかるが、同じ旋律を普通に歌ったのではパっとしない。計算しているだろうというのは毎回同じ部分のある音にかならず同じフックや同じイントネーションが重なる様に歌っているからだ。

 

全部分ってやっているという事だ。少なくとも俺はそういう風に受け取っている。その『受け取り』すら聞き手の勝手な『それそれの誤解』なのかもしれないが、その『それぞれの誤解』すら計算されているような気がしてならない。最新作ではパラレルワールドに触れる部分がある。

 

なにか思ったのは間違いないと思う。今世の残り時間を測り始めたのかもしれない。自分の人生の時間を可逆性を含めて考え始めたからこそ、あんな歌詞の歌を作ったのだろう。彼は間違いなく時間を気にし始めたのだと思う。

 

このタイミングで帰ってきてくれた事は嬉しかった。正直、俺はもう時間に対する希望を失いかけていた。いくらどんな希望を持とうが最後はこの身体は消えてなくなるからだ。意思は受け継がれるとか、魂は残るとか色々言うが、現実としては年老いて劣化して消滅する事には変わりない。俺はその事実を受け入れる事が出来ていない。いずれは出来ようが出来まいがその日は来るのだけど、それまでに出来たはずの事、自らが存在する最低限の意味、それは常に『やる』方向の選択する事かもしれない。

 

チャックベリーも旅立った。とにかく慣れ親しんだ夢と希望を与えてくれた人々が次々にこの世からいなくなる。これは当たり前の現象だから仕方ないのだけど、人はその時空を共有した過去の記憶で成立している生体だから共有者が居なくなるという事はその部分に於いては『消滅=死』と同じだ。やれる事をやらなかったら、後悔する。後悔するという事はやれたはずの事だからかもしれない。本当に出来ない事はやれなくても後悔はしないものだ。例えば今のこの時代に宇宙船で一番近い地球型の惑星に移住するとかだ。これは残念ながら今はまだ出来ない。だからやれなくても後悔はしない。でも自らが動いて出来る事でやらない選択をした時、それが自らの運命線上にある事象だったらおそらく後悔する。どうでも良い事でやらない事を選んだとしてもそれもまた後悔にはならないだろう。

 

有限である人生と、未来も過去もない『現在』という量子の概念が交差する今、なにかをやらないといけない気がする。その『なにか』は分からない。今まで『これだ』と思ってやってきた事は世の中の価値観が凄まじく変化するのに伴い脆くも崩れ去る。それでも残るなにかがある。もう考えて悩む時期は終わった、少なくともそういう事にしないとこれ以上無駄な時間は過ごせない。

 

俺はあとひとつやりたいと思っている音楽制作がある。前にも書いた『フィルスペクターの音』だ。これはやろうと思えば出来るし、その為に今までの年月を割いてきた。技術も、情報もある。やろうと思えば十分に出来る範囲にある。それをまずはやるのだ。その後の事は出来てから考える。まだ暫くは時間があるはずなので、やらないと。

 

続く(次回以降に)

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