上ぶ ろぐ ろうかさんざん躊躇した挙句ええいままよとあげよう。

 

今は内想の自由とか、気を散らすまいとか、手の内をただでみせてよいのかとか、こんなことかいてバカにされるのではないかとか・・・・・・いろいろ思案する季節でもある。

 

そしてそれ以上に懸念しているのが、この私のブログを見て、私の真似をして私と同じように偉人になられてライバルを増やしては、やっぱりよせばよかったと後悔しないだろうかという健全な若きウエルテルの悩みである。 いやいや偉人を増産するのはいいが偉人は手、足の親指ほど5分の1。2割の確率でいい。

 

それに偉人になるとつらいよ。孤高を続けられるかという葛藤と闘わねばならず、また周囲からはいわれなき妬心やひがみ、ねたみ憎悪など標的にされかねないのでとても間尺に合わないから普通の人は避けた方が無難。

 

ただ、好きなひとのためにとか、みんなの為にという犠牲的精神から不惜身命で義を建て功徳を奉ずる。ということはとても普通ではできない。 こういう人は後に偉人と尊ばれる。ただそれには二宮尊徳さんのように日頃からの精進が肝要だ。

 

現代では何が偉人かというと、超人とまではいかなくとも、せめて文武両道、つまり口も、腕もたつ。といえば大抵の人は一目置くのではないだろうか。

たとえばスポーツ庁の鈴木大地長官であるとか、プロ野球なら広島カープの緒方孝市監督であったり、日ハムファイターズの栗山英樹監督なんかがそうである。

勿論現役時代はあまりパットしなかったがそういう人が名監督になっている例は野球界だけでなく映画界にもある。

 

それではどこが違うのか。

その一つに人心掌握術がある。人望を得られるように考えてものを言ってる。言うことが抑揚の利いた人心を鼓舞する、ようしやってやろうかという気にさせるくすぐり屋さんでもある。口説くのも巧いかもしれない。セールスマンになっても成功したろう。いや政治家になってもいいかもしれない。緊迫した場面で部下に起死回生のヒットを打たせればいいのである。

 

こういうリーダーはタイミング、ツボを心得ているものである。

 

別にそういう訳ではないがなぜか花金のこのタイミングでアップしたくなった。いやさせられた。のかもしれない。

 

 

あれは忘れもしない1600年、関ヶ原の戦いでのこと。

西軍に布陣した小早川秀秋が内応通り東軍に翻ってくれて早期に決着がついた。

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