今度は立場を変えて



今までは、国民の立場で投票することを念頭に考えてきたが、もし仮に私に出馬要請が来たらどうするか。


まず来ないとは思うが裁判員選任同様どこから白羽の矢が飛んでくるか分からないご時世。



あらゆる覚悟だけはしておかねば。後述するような気後れをし後手に回って主導権を確保できなければ後世の歴史に名を残せないだろう。




しかし万が一、いざ出馬となれば


まず立候補の動機、テーマを明確に絞る事でしょうな。


私利私欲を排除、金儲けの手段として政治を考えるな。純粋で健全な人道(弱者救済も含む)。


ボランティアの一環だと理解し、すべてその方針に則り、徳を積んで世界の誰からも日本の政治は貧困だなどと言わせないように、無気力、無責任、無関心などあらゆる貧困に陥らせないよう皆の心に弾力性に富んだ人間的、人道的バランス、バネを取り戻していただくように努力する。



ボランティアを慈善や偽善だなどと距離を置こうとする気持ちに対して、それぞれ思い起こしてもらいたい。人は誰でも社会や人の為に無償で立派ではなくとも少しは褒められるような行為をしたことや経験があるはず。



その時の気持ちはどうでした? (以下の○に適当な文言を入れてください。)



○○○○○○○○のために働くことができたという充実感と爽快感があり、そういう気持ちをまた味わいたいから矢面に立つ。


というのではありませんか。


打算ではなく人間としてすべきことをした、即ち「いいことをした」という気持ちになれたのではありませんか。




先日私は人間としてすべき事をしないでスルーしたことを恥として、返す返すも悔やんでおります。


それは、ウォーキングしていた折、前後に子供を乗せたママチャリが追い抜いて行ったとき、丁度後ろの子供のヘルメットが取れて歩道に落ちたのを目の当たりに見ながら、しかとして通り過ぎた不親切。


あのとき、ママさんに「はい、メットは私が拾うからママさんは、チャリのスタンドかけて、しっかり支えててね」とどうして言えなかったのか。


ママさんに親切の押し売りとか恐縮させてはいけないという迷いが一瞬よぎった。事なかれ主義に支配されていたのか、ただ親子の無事を祈って見守っていた自分が後になって私らしくないとチラチラ火灯りに苛まれる昨今。



確かに私はシャイで奥ゆかしい、慎重な性格だが、後悔するぐらいならその時勇気モードに点火しておけばよかったと。


今度見かけたら躊躇なく一連の声掛け親切運動ができるはず。何の代償も求めず。さりげなく。



その純な気持ちを任期中持ち続けられる自信ができたら私は立候補しても悔いはないと思っています。


この豊かな国に大きな貧困があることからまず認識しなければなりません。


再び無気力な無意味な生活に戻る前に。


人々のリーダーたるもの、加速助走し、飛び立ち、上昇するためには風当りが強くなろうが、風圧や中傷などにビクともしてはなりません。


人民のためにそのぐらいの覚悟がなくては、供託金なんぞ積んで徒に人の心をもてあそぶものではありません。


ただし上昇気流に乗ったら心地よい言葉ばかりでなく、耳障りな諫言にも耳を傾けなくてはなりません。


そう、傾聴と振り返り、気づきを忘れてはなりません。




以上、何年後かに私が立候補する時の忘れてはならない心構えをここに記しておきます。












模範解答例


○○○○○○○○に入れる8文字は 「困っている人たち」「愛する弱い人たち」











独自の文章であり著作権を有します









AD