i am aki-nyam. ( art + science + life.... )-smt

国立デザイン美術館をつくる会シンポ。最初の中村勇吾さんのプレゼンはワクワクした!
一般からの提案の紹介も「”国立”じゃダメ!」とか、若者の怖いもの知らずな意見も面白かったし。

ただ、たぶん私の期待と違っていたせいだと思うけど、もっと「デザイン美術館をつくる」こと
そのものについての話が展開されると良かったなぁ~と。
個々人のお仕事の歴史についてあまり多くの時間を使う必要は無かったんじゃないかなーとか。

それと、もちろん大事なことだけども、そんなに「東北」とか「復興」に絡んで話をしなくてもいいよって
正直思った。
smtでいろいろな催しが開かれるけど、全部同じ展開になっていって同じ話に落ちてくんだよね。。

(同じ展開っていうのは、意図的にそう持って行ってるんじゃなく、震災の話に触れられれば
 それに反応して、言わずにいられなくなる人が出て、話がそっちにしか展開しなくなるってこと。
 そうなると、私みたいな、切り離してデザイン美術館について議論を!ってつもりの人は、
 もう黙るしか無くなるんだよね…)

でもこの会も始まったばかりでシンポも2回目。
おまけに開催場所が違うので1回目にどういう展開があったか知らないので、
今日だけで判断はしたりはいたしませぬ。

最初、私側から見て、なんでもっとグローバルな方向に広がった話をしないの?と感じた。
「国立」で作ることを考えるのに、ちまちましすぎてない?と思ったのだけど、いや、
あれだけの人たちがそういうこと解ってないはずないよね~?と。

そこでちょっと想像してみた。世界を相手にしてきた著名デザイナー・建築家たちは、
震災をきっかけにして国内、内側を強く意識して、方向を変えた。
こっちに向かってきているところである。
しかし、私側はデザイン美術館に対してとてもワクワクして、より外へとエネルギーが向かっている。
ところが彼らにとっては知っている世界、一周して来てるので、今私側が知りたい展開について話を
端折ってしまうのでズレが生じる。。のじゃないかとか。

ここでふと、ギャラリー間の「ここに、建築は、可能か」展を見ておいて良かったな~と思う。
あの、みんなの家ができるまでの過程において作られた大量の模型。
最初のほうの、まともなカタチにすらなっていない数々の模型を経て、あのみんなの家ができていく。
それを考えると、今日のシンポも今後にどういうふうに繋がっていくのか楽しみになる。
西洋美術館の青柳さんのお話はとても明快で聞きやすかったです。

五十嵐太郎氏の「日本の建築やデザインはこれだけ世界で評価されているにも関わらず、
未だに(国立が)無いってことのほうがおかしいんですよね」も、大きく頷いた。

・・なんか、文句みたいになってるけど(w)あっという間の7時間で、楽しかったですよ!




*