帰国→鎌倉旅行

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皆さまこんにちは!ご無沙汰しております。

 

昨年の12/25にベルギーより日本に帰国しました。

 

先日友人と北鎌倉に散歩に行ってきました。

 

 

 

円覚寺

 

 

 

葉祥明美術館のある通りの入り口に、「あじさいサンプル」という、食品サンプルの手作り体験ができるお店ができていました。昨年11月にオープンしたばかりなのだとか。上はそちらのお店で作ったタルトの食品サンプルです。

作るのとても楽しかった!

 

 

 

別の日には、家族と東京都写真美術館に「ゴッホ最期の手紙」という洋画を観に行きました。

 

ゴッホの絵を基に、百人以上のアーティストを集めて油絵でアニメーションを作ったという、ゴッホの死の真相をめぐるサスペンス映画。

 

ベルギーにいた頃に、ヨーロッパ、日本、アメリカなどでこの映画の上映が始まったことをSNSの宣伝で知り、以来ずーーーっと観に行きたかったのです!

 

お話は少し暗かったけれど、熱くて、とても面白い映画でした。絵画好き、ゴッホの絵を好きな方にはぜひお勧めします!

 

参考:

BuzzFeed "世界がドン引き! 6万枚の油絵で作られたアニメーションが美しすぎるから見てくれ!"

 

 

 

 

 

昨年1学期間のベルギー留学を振り返ると、楽しいこともたくさんあったのですが、基本的にはものすごくキツかったです。

 

要因はたくさんあったのですが、一番大きな理由は、私が誰なのか分からなくなってしまったから。

 

ベルギーは今まで滞在した国の中で一番、多言語の国でした。

 

ニューヨークなど、行っても基本的には英語がドーミナントな印象ですが、

 

ベルギーのあの小さな国土の中にはオランダ語圏、フランス語圏、ドイツ語圏があって、

 

人々は日常的にオランダ語、フランス語、英語を使い分け、更にスペイン語、韓国語、日本語なんかを勉強してる子もいたりして。

 

向こうで知り合った学生たちの中で、5ヶ国語を使いこなせるという子は珍しくありませんでした。

 

そんな環境で、私は人生で初めて、日常的に日本語と英語どちらも使うという生活をしました。

 

そこで気づいたのは、日本語を話すときの私と、英語を話すときの私の間には、大きなギャップが存在していたということ。

 

ドメドメの日本人で、19歳まで日本で育ったけど、大学の3年間、日本語を話せない場所でみっちり英語だけを使って毎日勉強、生活していたから、

私は自分の大学、アメリカのハノーバー大学生で、ハノーバーのコミュニティ、文化に適応する人格を次第に形成していったようです。

 

やけに明るくて、やけに人懐こく、やけに自信ありげに振る舞う私。

 

それはハノーバー大学の文化に浸かり、アメリカ英語を話す自分が作り上げた自分の側面。そしてそんな自分の一面は、アメリカ英語で話すとき前面に現れてくる。

 

反対に、日本語で話す時の私は、あそこまで自信ありげに自分を表現したりはしない。高校まで育ってきた自分の日本での環境では、謙虚であることを美徳とされ求められてきたから。

 

加えて、私にはルーベン大学で出会う日本の大学生の文化が、最後までよく分からなかった。

 

アメリカから来ている大学生と話す方が全体的にギャップは少ないくせに、自分の無意識下にある根本的な価値観は日本的だから(大麻はぜったいに吸わない、など)、自分が結局何者なのか、よく分からなくなりました。

 

アイデンティティークラッシュ…

本当にきつかった。

 

それでも留学して良かったといま思えるのは、英語を話す自分と、日本語を話す自分との間の擦り合わせがベルギー滞在中にできたからです。

 

「言語は文化であり、アイデンティティーである」と以前、友人がわたしにポツリと言ったことがあります。

本当にそれが正しかったと、この留学を通して初めて痛感しました。

 

私は英語で話している時の自分の方が好きなので、生活の大半は日本人と日本語で会話しなければならない日本には、将来的には長期滞在したくない、と思っていました。どこでもいいから日本国外のどこかに住みたいと。

 

そしてベルギー留学中、日本語を話す日本人的な自分を、いっそ消してしまえたらとさえ思いました。

(まあ自分がそんな風に思ってることなどつゆしらず、周りにいた大半の人は私を当たり前のように「日本人」として見てくるので、それも辛かった。)

 

でも今回ヨーロッパのいろんな都市に行ってみた結果、その幾つかは確実に自分の肌に合わないということが分かったことで、

自分が将来、世界のどこに住んで、何語を喋ろうが、特には気にしなくなると思います。

それが日本で日本語になってしまうとしても、もうそれを厭わない。

自分に合う環境、コミュニティがあるかどうかの方が、自分にとっては使用言語よりも大事なこと。

 

どの言葉を話していても自分は自分だと、思えるようになるまでには2ヶ月以上かかりましたが…

喉元過ぎればケロっとしたものです。

 

 

人生に起こることは全て、自分の人生に必要だから起こること。だから絶対的に安心していていい。

ただ、その出来事に早尚に意味付けをしようとしない方がいい。考えても仕方のないことを考えすぎることになるから。何年後かに、それが起きたことの意味が突然分かる時が来る。

 

と、14週間のベルギー留学を通じてなんとなく学びました。なんだか、達観的…。

 

 

明日、アメリカに戻り、大学の最終学期が始まります。本年もどうぞ、このブログをよろしくお願いいたします!!

 

 

 

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