腕の良い職人さんの作品を買うのは楽しい。現代の作家でも、アンティークでも・・・。
しかし、最も楽しいのは現代の職人さんにお願いして、一緒に考えながら物づくりに参加させてもらうこと・・・。
こちらが素人だからこそ、かえってそれまでは職人さんの経験では今まで作ったことがないというものをお願いする事もあります。最初は職人さんも、え?なんで私が?という顔をするが、こちらも必死で真剣に頼むと一時間くらい話すと理解していただけ、そしてものすごい情熱を傾けて作品作りをしてくれる。そして、そうやって出来上がったものは、美しい。
今回の先生は生駒暉夫先生。東京友禅の作家で、日本工芸会正会員でもあります。
この度先生にお願いしたもの・・・。それは、羽織の裏(羽裏)です。
羽織の裏は華美な装いを禁じた故に、江戸時代より裏に贅を尽くすようになったことから美しいものがたくさん作られてきました。しかし、今ではなかなかこれはいい!と思えるものが少なくなりました。いつかは作家の先生にお願いして美しいものを・・・と、思っておりましたが、やっとその機会がきました。
さかのぼること7年前・・・2004年4月にフランスの友人、Pierre de La Rochefoucauld 男爵(「箴言集」で有名なロシュフーコー公爵家の分家で、伯爵の長子なので男爵を名乗っています)の結婚式に参加した時に色紋付きを着て式に出ました。その日の為に、昔から親戚が頼んでいた京都の呉服店で紫の色紋付きを染めてもらいました。しかし、染物は難しく、うまく渋い色が出ず、派手なものになってしまいました。
それ以降あんまり着る気がしなくてしまっておいたのですが、もったいないので、今年の頭に日頃から懇意にさせていただいている呉服店『銀座もとじ』さん(http://www.motoji.co.jp/
)に持ち込み、染め直しをお願いして黒の正式な五つ紋の紋付にしてもらうことになりました。
しかし、問題は羽裏でした。正装は遊びが許されません。黒紋付きは冠婚葬祭の正礼装だからなおさらです。ならば羽裏に凝ってみたいのだけれども、既製品ではなかなか良い物がありません。『銀座もとじ』でいつも相談に乗っていただいている、秋永氏に相談に乗っていただきました。秋永氏は戦後ずっとこの業界に携わるプロ中のプロ。白生地から男ものを染めるという事があまりなくなってしまった現代でも、色を夢にまで見るという工房と顧客の橋渡しをしてくださるプロ中のプロフェッショナルです。
あれは、1月23日だったか、たまたま秋永氏とお話していると、その時東京友禅の作家である、生駒先生が作品展をなさっておられました。先生にお目にかかり羽裏を描いていただきたい旨、説明したのですが、最初は何でわざわざ、というような怪訝なお顔をされてました。
しかし、まじめな先生は作品(すべて女性物)をひとつひとつ見せてくださり、その中で灰色に若松が描かれている袋帯に目が留まりました。
松の枝の荒々しいぼかしから、瑞々しい緑の葉が描かれております。そして、松ぼっくりには刺繍のアクセントで立体感が表現されています。これをこのまま羽織の裏にしたら見事ではないかと。そう思った瞬間、秋永氏が「このデザインは良いのでは~」と相槌を打ってくれ、先生もその場でその若松をもとにイメージ画をさらさらと描いてくださいました。
その間に、楽しい話をしながら時間がたったのですが、それはまた今度。
ちょうど4か月が経った昨日5月22日、先生が銀座にわざわざお越しになり、作品の途中経過を見てもらいたいと、羽裏を持ってきてくださいました。
地色は帯よりも深く渋く染め上げてくださり、松の色は瑞々しく、ルーペで見なくとも沢山の色を重ねているのが分かりました。京や加賀の友禅よりも渋い東京友禅らしい、落ち着きと趣ある『絵』でした。
そこにもうひとつの美術品が加わりました。
以前に少しだけ拝見したのですが、これはあまりにも立派すぎて黒紋付きにしかつかえないですね~などと話していた佐賀錦の帯です。佐賀錦というのは金属の箔を和紙の紙縒りに巻いて、絹糸と一緒に織られる織物です。幕末に鍋島直彬公が御殿女中に作らせ、幕府にも献上された逸品ですが、あまりにも手間がかかるために一時は衰退し、現代ではまがい物が多く、本物でもバックなどの小物でしか見ることができません。
こちらの角帯は1996年に毛利百合子先生が日本工芸展に出品された作品だそうです。
生駒先生の羽裏にあまりにも合いそうなので、お願いして再び出していただきました。そして隣に合わせると、地色のなじみ具合も、中央の柄行きの色合いも若松の羽裏にぴったりと合います。あまりにも美しい組み合わせに、生駒先生もびっくりされておられました。
もちろん黒紋付きを着るときは袴ですので、羽織の裏と同じように袴の下になってしまう帯は脇からしか見えません。しかし、黒紋付きというもの自体がめったに着ない晴れ着であって、座敷に上がることを想定した着物です。座敷では羽織は脱ぎます。脱いだ時に、羽裏は人目にさらされます。その羽裏が重要なのはその瞬間です。そして、羽裏を脱いで預けた後、袴の下にある帯が少し覗きます。
谷崎潤一郎の『陰影禮讃』には能衣装の美について書かれております。それがともし火の中でどれだけ凛々しく厳かであったであろうかと、谷崎は想像します。また、漆器の美について、蒔絵についても語っています。『金蒔絵は(中略)暗い所でいろいろの部分が時々少しずつ底光りするのを見るようにできているのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、云いしれぬ余情を催すのである』と。
江戸期の蒔絵を愉しむ時には、必ず蠟燭の明かりでなくてはならない。それは実際に体験してみると分かることで、暗がりの中で、香道具や椀の蓋の裏などにともし火のちらちらとした炎が反映する時、あまりの美しさに息をのむことがあります。
それ同じように、漆黒の紋付きに箔を巻いた帯が、初釜の茶室の薄暗がりでどのような表情を見せるのか・・・しばしその様を想像しておりました。
(続く)