徒手空拳で猪突猛進

雑談一般、身の程知らずに考えたことを好き勝手に書いてます。


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こちらを読んでいるのだが

アメリカのデモクラシー (第1巻上) (岩波文庫)/トクヴィル
¥945
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ピューリタンが米国への移住によって求めたものは
この3つだとトクヴィルはまとめている

・精神的財産: あの世の天国→救済されること(永遠の命)
・物質的富: この世での繁栄(お金で計れる財産)
・精神的喜び: この世での自由

救済とお金についてはウェーバーも『プロ倫』で指摘するので
違和感なく「なるほど」と読んでいられるが
自由となると話は別だ

そりゃ、ピューリタンが好き勝手な政教一致神権政治を行えば
自分たちにとっては自由だろうが
ここで言われている自由とはどうやら
後に政教分離として制度化される良心の自由であるとか
あるいはそれをも包含する政治的な自由一般のようなのだ
だとすれば、ピューリタンの政教一致とどのように両立するのか?

という訳で、トクヴィルの話を続けて愚直に読んでみる

p.70-71
 彼らの手にあっては、政治の原理も法律や人間の諸制度も、意のままに方向を変え、組み替えられる可塑的なもののように思われる。
 彼らの生まれた社会の周囲に張りめぐらされていた障壁は、彼らの前で崩れ去る。何世紀もの間世界を導いてきた古い意見は消えてなくなる。そこにはほとんど限りのない道、果てしない土地が姿を現す。人間精神がそこへ突進し、あらゆる方向に走り回る。だが、政治の世界の極限に達すると、精神はひとりでに立ち止まる。精神は恐れおののき、自らのもつもっとも恐るべき力を行使することをやめる。懐疑を捨て、改革の必要を放棄する。聖域のヴェールを剥がすことさえ自制し、敬虔にも真理の前に身を屈して、議論なしにこれを崇める。

冒頭はなんてこともない話だ
アメリカは新しい国だ
原住民を蹴散らして強引に建国したのだから
一から何でも組み立てることができた
当然、「彼らの生まれた社会」、つまり
イギリスで国教会が牛耳っていた社会と違って
それまでの文化・慣習・法律を無視して
「制度も、意のままに方向を変え、組み替えられる」し
まだ歴史が浅いため、なにか不都合があれば
ガラガラポンするのもそれほど苦がないという意味で
「可塑的」と言えただろう
(ただし、飽くまでトクヴィルの時代のことだ
現代ではガラガラポンするのはまず無理だろう
それでも、ウォール街への反発など、格差問題から
何らかの暴動が起こってもおかしくはないが
せいぜい法律を通す程度で終わるのではなかろうか?)

ピューリタンはイギリスを捨てたので
本国で自分たちをがんじがらめにしてきた
「障壁は」、アメリカでは「彼らの前で崩れ去る」
国教会が「何世紀もの間世界を導いてきた古い意見は消えてなくなる」
アメリカ原住民を蹴散らして自分たちの国を作り
一から好きなように制度設計するのだから
残るは広大な土地だ
「そこにはほとんど限りのない道、果てしない土地が姿を現す」
入植当初こそ過酷な自然に手を焼いたにせよ
「人間精神がそこへ突進し、あらゆる方向に走り回る」
どんどん開拓していったわけだ

ここまでは分かり易い
ところが、この後がピンと来ない

「だが、政治の世界の極限に達すると、精神はひとりでに立ち止まる。」

「政治の世界の極限」って何だ??

まぁ、目の前に手付かずの広大な土地が広がっている分には
「人間精神がそこへ突進」できたのだろうが
その土地の延長、行き着いた末、ということなのかな?
「政治の世界の極限に達すると、精神はひとりでに立ち止まる」

土地の果て、つまり、西海岸までたどり着くってことなら
まだ分かるんだが辿り着いた先が「政治の世界の極限」って
なんのこっちゃ??
しかも、そのような極限にたどり着くと
「精神はひとりでに立ち止まる」だって??

さっぱり訳がわからないが、先を読んでみよう

「精神は恐れおののき、自らのもつもっとも恐るべき力を行使することをやめる。」

目の前に広大な北米大陸が広がっている分には
精神は「突進した」のに
「政治の世界の極限」に達した途端、立ち止まり
「恐れおのの」くってんだから
ピューリタンがそうやって恐れるのは、やっぱり神なんだろうなぁ?

となると、天国が神の国、すなわち神が君主の君主国体なんだから
これが「政治の世界の極限」ってことになるのか??
そういう天国を前にすると、つまり、とりあえずこの世で死ぬと
最後の審判をいずれ迎えることになると連中は信じている
当然、裁く神の前で借りてきた猫状態になるわな
そういう話か??
東海岸から西海岸に向かって北米大陸を開拓していた話が
いきなり何の話になってるんだ??

トクヴィルの書き方は、むちゃくちゃだっ

まぁ、それでも続きを読んでみよう

「懐疑を捨て、改革の必要を放棄する。」

この世にあっては国教会が牛耳るイギリスを
ピューリタンは端的にダメだと思ったからこそ
イギリスとは根本的に異なる国家を
アメリカに一から建国したわけだから
当然本国イギリスとその国の政治制度や国教会に対しては
「懐疑」を抱き、ホントだったら国教会にとって代わり
イギリスを「改革」したかったんだろうが
そうする代わりにアメリカを作った
そうやってこの世でやることをやって
いよいよ死ぬと、ピューリタンは
自分たちこそ正しく信仰しており、神の意に沿っていると
信じて疑っていないわけだから、当然天国で復活し
永遠の命が手に入るものと信じている
国教会には懐疑の念を抱いていただろうが
天国や神を疑うなんて恐れ多いことをピューリタンがするはずもなく
「懐疑を捨て、改革の必要を放棄する。」
天国こそは理想郷に違いなく、神御自ら統治なさるので(笑)
天国の統治のあり方を改革する必要なんてあるはずがない

「聖域のヴェールを剥がすことさえ自制し」

天国を覆うヴェールがあるのかどうか
そういう描写が聖書のどこかでなされているのかどうかは知らないが
まぁ、あるんだろうな、カトリックのトクヴィルが言うんだから
で、そのヴェールを剥がさないと

ふむ

「敬虔にも真理の前に身を屈して、議論なしにこれを崇める。」

どうやら、「天国ってどうしてこんなに問題なく運営されるんだ?」
などと疑問に思うことも、「その秘密を解明しよう」とも
「解明したら地上に残る子孫に伝えよう」とも思うことなく
(あ、最後の審判を迎えているなら地上は滅んでるのか)
ただただ、神に従う訳ね

……という話でいいのか?
そう考えれば一応分かる気がするが
話の展開が唐突だな、オイ

だが、どうやらこういう理解で良さそうだ
こう考えれば、続きもなんとか理解できる

p.71
 かくして、道徳の世界ではすべてが予め整理、調整され、予見され、決定されている。政治の世界ではすべてが揺らぎ、何事にも異論が挟まれ、不安定である。一方には自発的だが受動的な服従があり、他方には独立心があり、経験の無視とあらゆる権威に対する疑念が存在する。

「道徳の世界」と「政治の世界」が対比されているが
どうやら「政治の世界」とはこの世のことで
その極限、あの世、天国が「道徳の世界」ってことのようだ
だったら政治の世界には道徳はないのか? とか
色々気になるにせよ、それでもこのように考えれば
なんとか筋は通る

・道徳の世界(天国): 神が万事管理。人間は自発的に服従。
・政治の世界(この世): 既存の国教会など反キリストがはびこるので「すべてが揺らぎ」喧々諤々。反キリストである既存権力から独立し、これまでの経験を無視し、権威を疑う。

ということだな

まぁ、なんとかそういう話として理解するのは良いが
これと「自由」の話はどう絡むんだ??

p.71
 この二つの傾向は外見上どんなに対立するようでも、決して互いに害し合うことなく、一致して歩み、助けあっているように思われる。

ここにも自由の話は出てこないが
とりあえずは、天国で神の言うことに自発的に従うためには
この世では反キリストに疑義を挟み、反キリストから独立しなきゃならない
という話だろうな

p.71
 宗教は市民的自由に人間の能力の高貴な実践を見出す。政治の世界は造物主が知性の努力に委ねた場所とみなすのである。宗教は自らの領分では自由にして強力である。だからこそそれは、政治の援けを借りずに宗教自身の力で人の心を支配すればするほど、その力が確立されることを知っているのである。

そうか、ようやく政教分離の話になった訳だ!

「市民的自由」ってのは、手前の箇所で言えば
既存の反キリスト(と勝手に見なしている権力)に従わず
むしろ対抗し、独立することで、そのような既存の権威から「自由」である
ということなんだろうな
なので、政治における自由とは、反キリストから逃れ
正しく信仰するために必要なこと、ということになるんだろう
すると、政治の世界における人権の主張など
国王などの圧政に抵抗するということは
そのような圧政がそれこそ反キリストの振る舞いと見なされているので
まさに神意に適う行為ってことになる
つまり、政治社会で市民である個人としての自由を求めることは
まさに神の意図に適う宗教的に敬虔な行為ってことになるわけだ
そして、ピューリタンはこれを実践してイギリスを後にし
アメリカに行った訳だ
そのためだったら原住民をどうしようが気にしないのだな
これ、シオニズムによるイスラエル建国と全く同じ構図だな

だが、どうして地上、この世はそういう面倒な状態になっているのか?
「政治の世界は造物主が知性の努力に委ねた場所とみなす」
つまり、神が一から十まで何でも手取り足取り命じていたんじゃ
人間が堕落するから、「可愛い子には旅をさせろ」というか
まぁ、そういうことだな

で、いよいよ政教分離だ
「宗教は自らの領分では自由にして強力である。」

宗教が、「自らの領域」つまり聖なる事柄
天国を目指してなされる精神的な事柄においては
「自由にして強力」、それこそ長髪を自主的に防止する結社を作ったり
そういうこと??
法律がなくたって、信仰に照らして好ましくないことは
やらないようにする、そういう判断を各自が下すような影響力が
宗教から及ぶ、ということか?

「だからこそそれは、政治の援けを借りずに宗教自身の力で人の心を支配すればするほど、その力が確立されることを知っているのである。」

つまり、法律がなくても、「政治の援けを借りずに」
宗教的な生活を送るよう各自の心を導く、という訳だ

すると、建国当初はそれこそ好き勝手にできるもんだから
聖書の文言を法律に取り込むなんて政教一致ぶりが見られたが
イギリス本国での既存権力、国教会との対抗を通じて
市民的自由を求めることが神意に適うとの発想も定着し
政治が法律によって生活に口出ししなくても
むしろ宗教が心を導き、信仰に適った生活を送るようになるのだから
政教一致の必要はもはやないどころか
宗教が十分に機能するためにも、政治から独立していたほうが良い
という話になるのか??

おいおい、随分重要な話じゃないか
こんな重要な話を、どうしてこんなに分かり辛い書き方で紹介するんだ??

で、ついに「自由」の話だ

p.71
 自由は宗教のなかに、手を携えて戦い、勝利を共にした盟友を見出し、自らを育てた揺り籠、自らの権利の神聖なる源とこれをみなす。宗教こそ習俗の保護者であり、習俗が法律を裏付け、自由それ自身の永続を保証すると考えるのである。

無生物主語がそのまま訳されているようだし
誤訳ではないとしても日本語としては変な言い回しが使われている
原文は見ていないが、無生物主語をそのままにするにしても
冒頭の「自由は宗教のなかに、手を携えて戦い、勝利を共にした盟友を見出し」は
むしろ「自由は宗教が、手を携えて戦い、勝利を共にした盟友であることを見出し」
ということではなかろうか?
宗教のなかに盟友を見出すのであれば
クジラの腹のなかに飲み込まれた人間を見出すような話になりそうだが
ここで言われているのはそうではなくて
フランス革命など大陸では自由にとって宗教が敵だと目されているのに対して
アメリカでは逆に、宗教こそが自由の盟友であり
自由を勝ち取る際に、自由は宗教と手を携えた同盟関係にある
という話だろ??

それだけではない、自由にとって宗教とは「自らを育てた揺り籠」だ
上の話にあるように、国教会と対立する形で市民的自由を求める発想は
そもそもピューリタンという宗教がなければ生じなかったのだ

更に、自由から見れば、「自らの権利の神聖なる源」こそ宗教なのだ
市民的自由自体、ピューリタンが自由な信仰を求めるからこそ得られたのなら
そのような自由は宗教を通じて得られた神聖なものであり
その神聖な自由の神聖な源は、それこそ神聖な宗教なのだ、というわけだな

すると、むしろこういうことになりそうだ
見掛けが政教一致な法律制定にしても
そもそも自由な市民がほぼ均質なピューリタンなのだから
自由な投票で可決される法律の文言が
ピューリタン信仰に基づいて聖書を踏まえたものとなったって
不思議はない
だからこそ、法律は習俗に比べればむしろ緩いのであって
習俗は法律の規制がないにもかかわらず
市民が自主的に厳しくしている
法律が安息日を定めなくたって市民がピューリタンなら
安息日が守られて当たり前!

なので、実は最初から政教分離だったのだ!
むしろ、分離していると考えるからこそ
国教会の抑圧に抗して自由な信仰を求めたのだし
その結果アメリカに辿り着いたのだし
政治でどうこうされなくとも自主的に信仰篤く暮らすことで
救済を期待するのだ
ただ、その前提は、飽くまで政教分離に基づく自由だ
だからこそ、救済を求めるなら自由も同じように求めることになる
その自由が実現する場がアメリカなのだっっ

どうも、こういう話のようだな


総体革命を目指す創価学会が泣いて羨ましがる状態だな


しかし、とんでもない逆説だな、これ
イギリスにピューリタンの居場所がなかったからアメリカに行ったにせよ
当初はイギリス国内で良心の自由を求めて活動していたのだから
本国に残った残党というか、そういう人たちもいただろうし
ロックの寛容論も絡んでくるだろうから
政教分離によってむしろ宗教が保護された英米で
ファシズムが起こらなかった、というポランニーの話に繋がってくるな

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