除霊していて人が死んだそうだ
創価学会によって
死には至らなくても似たような理由で監禁されたり
統合失調症と診断が下されたり
なんて事例もあるようだ
カトリックによる悪魔祓いは有名だし
病気が宗教的な意味合いで罪の現れとされ
日本は古くはだからこそ加持祈祷で祓うとか
禊として滝行だなんだとやったようだが
キリスト教圏、というかユダヤ教だと
病気の人はよって罪人とみなしていたようだ
女性が生理になった時も汚れているとかいって
要は小学生が「エンガチョ」といじめるようなことを
教義に基づいて組織的に行っていたわけだ
もちろん、イエスはそういう考え方はおかしいと
ユダヤ教改革を目論んで殺されたわけだが
真偽不明の継承でペテロだかペトロだか
英語だとピーターだかがカトリックの初代法王となり
以後どれだけ血なまぐさいことが行われてきたかは
言うまでもない
好意的に考えればこれは個別宗教が悪いのではなく
宗教を設定してしまう人間自体の後進性によるものだが
にもかかわらず宗教を積極的に信じたり
ましてや人様に布教しようとする者も存在する
リスク計算できないプラス思考の権化として
宗教を捉えることができそうだ
まぁ、人が死ぬような極端な事例は稀だと
言ってしまえばその通りだし
霊の概念が相当曖昧で、特定宗教が直接絡んだとは
言えない状況だったのだとしても
カルトはその手の「霊感商法」で信者獲得するなら
報道には含まれていないにせよ、今回の殺人も
いや、過失致死だったとしたところで
殺された人物の挙動に疑念を抱いた親族が
たとえ善意に基づいていたとしても
解決のために運悪く何らかの宗教や占いに救いを求め
教えられたことを実行した結果なのではないか?
個々人が何らかの信念に基づいて行動することと
宗教として、例え曖昧にであっても教義を設定し
組織を結成することとは、明確に違う
フランス革命などを理由にルソーを毛嫌いする人は多いし
ルソー自身市民宗教を巡って怪しい議論を展開していたが
近代的共和国体の成立によって宗教は憲法の下位に位置づけられた
信教の自由なり何なりとして容認されたのだ
聖が俗の下位に位置づけられたことは重い
国家秩序に反逆する宗教は認められないからこそ
オウムに破防法は適用されたのだ
民俗学や文化人類学などの研究対象として
宗教を捉えることは良いとしても
文化慣習としてなんとなく従っていたつもりが
気がついたらこの手の殺人ないし致死に巻き込まれる
なんてことがあり得るってことは
考えておくべきことだろう
それこそ『ひぐらし』のように
おやしろさまの祟りが隠れ蓑になることもあるだろうし
はっきり言うが、何らかの宗教が道徳や倫理の原理だというのは
オイラに言わせれば端的に嘘っぱちだ
宗教ほど非人道的なものはない
プラス思考はここでも必要ない
宗教を否定すればよいだけの話だ
宗教に代わる何かを求める必要はない
黙ってたって人間、何かを自明視しているものなのだから
人とのやり取りなどでそのような信念が
批判的検討の対象となることもある
信念は信念なだけに端的には信じられていても
原理的に疑い得るものだ
そうやって疑うことを禁じると簡単にファシズムになる
信念の存在を認めることと
自分の信念を他人にゴリ押しすること
ましてやそのために集団を組織することとは全く別だ
十字軍から人間は進歩していない


