ポランニー『自由の論理』を英語で読んでいたのだが
「自然法」の概念が登場したり
西側における科学研究のあり方が科学者の「共和国」として
まぁ、もちろん比喩なんだろうけど、説明されたりで
これってもしかしてルソーを意識してるのか??
なんて気になり出したことから
ルソーを読むようにもなったのはよいのだが
ルソーはルソーで厄介なため
そのまま『自由の論理』も続きを読めなくなってしまった
そこで、ポランニーの"Science, Faith and Society"を
読んでみることにした
実は、ポランニーの一部著書は
確か同志社大学のグループの人たちが訳したのだが
学部生のときにこの邦訳を読んだものの
正直言ってピンと来なかったのだな
また、学部生の時は『暗黙知の次元』『個人的知識』
この2冊を中心に読んだため(『個人的知識』は部分的)
"Science, Faith and Society"もまともに読んだことがない
だったら、『自由の論理』にもなかなか戻れないし
この際"Science, Faith and Society"を読もう!
と思った次第
ところがやっぱりオイラの英語力では
ポランニーの英語は手強い
それでも、もはやオイラは院生でもないし
学会に打って出るつもりもないので
自分が分かったつもりになれればいいや
という気楽さもあるので
タームの一貫性だとか、細かいことは気にしなくていい
他方、英語を読んで英語で理解できた気になっても
実際に訳文を書いてみると、自分で訳して書いたくせに
「おお、そういうことだったのか!」と改めて気づくこともある
なので、結局こちらも自分で訳すことにした
そうした方がオイラ自身はるかに分かった気になれるってもんだ
タームの一貫性を気にしないとは言っても
自分の理解が混乱するのは避けるべきなので
ある程度は訳語に気を配らなければならない
で、困ったのがタイトルにある faith の訳し方だ
"Science, Faith and Society"の邦訳は
『科学・信念・社会』なのだが
「信念」では belief と区別がつかない
区別の必要がないのかもしれないが
宗教の文脈で「信仰」と訳されることもある語だけに
信念とはやはり区別したい
で、「信頼」と訳すことにした
というのは、ロングマンにこんな語義があるからだ
a strong feeling of trust or confidence in someone or something
誰かあるいは何かに対する信用ないし確信の強い感情
信用よりも強いというなら、信頼だろうからね
安直??
ともかく"Science, Faith and Society"に
こんな言い回しが出てくる
To hold a natural law to be true is to believe that its presence will manifest itself in an indeterminate range of yet unknown and perhaps yet unthinkable consequences. It is to regard the law as a real feature of nature which, as such, exists beyond our control.後ろに a real feature of nature とあることから
"Science, Faith and Society", p.10
「自然」を問題にしているので
natural law は「自然法則」と捉えます
(まぁ、中身を見れば「自然法」とは捉えようがないし)
To hold a natural law to be true
専門的に訳すなら「自然法則を真だと捉えること」
となるのかな?
他方、意味を重視するなら
ある自然法則が正しいと思うなら
とでも訳した方がわかりやすいだろうな
is to believe that
次のように信じることになる。(それは……)
its presence will manifest itself in an indeterminate range
its の中身は自然法則だろうなぁ?
妙に訳し辛いのだが、will があるので未来の話
its presence: 自然法則の存在
manifest itself: 自らを現す
in an indeterminate range: 不確定な範囲において
自然法則の存在は、不確定な範囲において自らを表すことになる
無生物主語だから一工夫いるだろうなぁ
(もちろん無生物主語でも自然な日本語はあるけどね)
訳としてはまずいだろうが、言ってることは
「自然法則がどこで姿を見せるか分かったもんじゃない」
ってことだな
つまり……法則ってくらいだから見ることも触ることもないだろうね
美しいものは見ることが出来ても美そのものって見ようがないでしょ?
そういうものこそが実在なんだってのがプラトンの考えだが、ともかく
法則が当てはまる現象は見ることができるにしても
法則自体を見るのは無理だ
だからこそ、そのような現象にこそ自然法則は現れることになる
変な話、万有引力の法則なら、リンゴの落下に限らず
色んな物理現象の中に現れるわけだから
自然法則一般になればなおのこと、そういう法則が
どこに現れるか分かったもんじゃない
考えてみればごく当たり前な話なのだが、こういうことを
分かりやすい日本語で言おうと思うと、結構途方に暮れる
が、中身はそういうことだろう
問題は自然法則が姿を見せる場所なのだが……
ただの「不確定な範囲」ではないのだな
限定がある
それでも上の話を踏まえれば見当は付くし
むしろ補足説明だな
of yet unknown and perhaps yet unthinkable consequences.
未知の、恐らくまだ考えられないような帰結の
不確定な範囲というのは、まだ誰も知らなかったり
考えもつかないような帰結だったりするぞ
ということだな
つまり、それこそ証明済みの法則だったら信じるもなにもないが
まだ証明されていないような自然法則について
「こいつは正しいに違いない」と信じるなら
その法則が当てはまっている現象が突拍子もないところで
見られるに違いないと信じることにもなるわけだ
というわけで、ここまでの範囲、こんな風に訳してみた
ある自然法則が正しいと思うなら、次のように信じることになる。未知なる帰結、それも恐らく未だ考えられないような帰結は、不確定な範囲に及ぶものである。自然法則の存在は、このような帰結にこそ現れるものなのだ。自然法則が正しいと思うことは、このような帰結に自然法則が現れると信じることなのである。
原文の語順を守っていないが
この際贅沢は言ってられない
節の切れ目を示す都合もあるので
主節なんぞ2度訳したが、まぁ、いいだろう
It is to regard the law as a real feature of nature which, as such, exists beyond our control.
It の中身は今見た手前の文全体だな
どうしてももっと限定するなら To hold a natural law to be true だろうな
the law は当然自然法則
こう信じるなら、自然法則を as以下のように見なすことになる
a real feature: 実在する特徴
as such は訳し辛いが、「そもそもそういうもの」とか??
which の先行詞は nature なので
自然は人間の制御を越えて存在する
通して訳そう
この様に信じると、自然には実在する特徴があり、自然法則はこの特徴のことだと見なすことになる。そしてそもそも自然とは、人間の制御を越えた存在なのである。
結局どういう話なのかというと
- ある自然法則が正しいと信じるなら、予想もしなかったとんでもないところでその法則が成り立つことになると信じることにもなる。
- つまり、信じた自然法則とは、自然の特徴だったことになるわけだ。
- そういう自然というものは、人間がどうこうしようとしたところで、どうにもできない。
ということになる
それこそ自然法則が分かっていれば
事業仕分けで問題になったスパコンでシミュレートすれば
何だって予想がつくような気もしてくる訳だが
そのスパコンを使っても天気予報の的中率は100%にならない
自然法則は確かに自然の特徴で
その法則で説明のつくような振る舞いを自然は見せても
それが自然のすべてではない
自然はなにか突拍子のないことをしでかす
それこそ地震、噴火、洪水、大雨なんか身近で嫌な例ではないか
とはいえ、そういった災害がなぜ起こったのかについては
後出しじゃんけん的に色々説明するよね?
チェスタトンは「魔法」だというかも知れないし
キリスト教徒はハルマゲドンの到来だというかも知れないが
自然法則を信じる科学者なら、もちっとマシな説明をするだろう
自然法則を色々組み合わせることで
つまり、 シミュレートできないからといって
それは自然法則(と目されたもの)が間違っていることを示すんじゃなくて
むしろ自然法則がどこで当てはまるか、分かったもんじゃないから
シミュレートしきれないのだ
そういうものだと受け入れることこそがむしろ
自然法則が正しいと信じることなのだし
予想も付かない姿を見せるのが、自然なのだ
そうそうついでなので
the law as a real feature: 実在する特徴としての自然法則
上で述べたように、これはプラトニズムの証左に違いない
オイラはポランニーがプラトン主義的実在論者だと信じている
しかし、越前の提示する英文にすっかりだまされたまま
なぜだまされたのかが分からない ようなオイラが
こんな具合に読んだところで、誤解の可能性がぬぐえないってのが
無性に腹立たしかったりもする
一部プロの哲学者には
「スコラ学やっておもしろいのか??」と言われそうだが
オイラはおもしろいよ


