徒手空拳で猪突猛進

雑談一般、身の程知らずに考えたことを好き勝手に書いてます。


テーマ:
図書館から借りた『M/D』は
貸出期間延長もしたが
結局読みきれなかった
元々は音楽に関する話を期待していたのだが
マイルスが黒人にしては裕福な家に生まれたとか
音楽の趣味も当時の白人に感化されていたとか
他の黒人から「お前は白人だ」と言われてショックを受けたとか
母親の影響でファッションに凝っていたとか
うーん、好きな人には面白いんだろうけど
オイラにはどーでもいい話が多くて
(もちろん、音楽と関連するんだけどね)
イマイチ読み進めづらかった

あと、マイルスにはアンビバレントな面がある
ということが、ことあるごとに強調されたし
読んだときには「ふんふん」と思っていたはずだが
今振り返って例えばどういうアンビバレントがあったか?
と思いだそうとしても
全然思い出せないんだよね


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ただ、面白いと思えつつよく分からない話として
「Solar」と「Decoy」の分析がある
リディクロによる分析は、こちらに知識がないので
何が書かれていたのかさっぱり理解できなかったものの
濱瀬元彦による分析は、全部は分からなかったものの
読んでいて面白かった

オイラは機能和声をまともに理解していないので
(そもそも機能って何なのかが分からないし)
何が言われているのかはよく分からなかったのだが
チャーリー・パーカーがメジャー・スケールにおける
Ⅱ-ⅤをⅣに「還元」する手法を生み出したのに対して
マイルスはこれをマイナーに拡張した、という話が出てきて
「むむむ???」
となってしまった

繰り返すが、オイラは機能和声を理解していない
なので、ナッシュヴィル・ナンバリング・システムも
ピンとこない

それでも、Ⅱがサブドミナント、Ⅴがドミナント
ということは、丸暗記している
また、クラシックでは、サブドミナントは元々Ⅳだ
むしろ、Ⅳの代理として使われたIIが
今ではむしろサブドミナントの典型とされている

そういう意味では、Ⅱ-ⅤがⅣにまとまるっていうのは
サブドミナントからドミナントへの動きを
別なサブドミナントでまとめてしまうって話になる

注意すべきなのは、まとめられたⅣにおける
第5音が減音程となること
(本来のⅣの第5音は完全音程)

なので、メジャーであれば

Ⅱm7→Ⅴ7が、ⅣM7(b5)にまとめられることになる
って、M7(b5)なんてコード・クォリティは一般に通用する??

やはりローマ数字はピンとこないので
階名で考える

メジャーで考えるなら、当然Ⅰはdだ
スケール自体は当然

d r m f s l t



なので、ⅡとⅤのコード・ノートはこうなる

Ⅱ: r f l d
Ⅴ: s t r f

同様に

Ⅳ: f l d m

だが、第5音は半音下がるので

f l t m

と捉えることになる

他方、ⅡとⅤのベースをfに転回して、つなげるわけだ

Ⅱ/f: f l d r
Ⅴ/f: f s t r
→Ⅱ/f + Ⅴ/f: f s l t d r 

コードとして考えようとするとヤヤコシイが
ⅡのコードとⅤのコードのコード・ノートを合わせて
fから並べると、m以外はスケール・ノートが全部揃うわたげな
そのmを補えば、結局はfのモード、リディアンを使える、という話になる

このリディアンを含意するコードとしてⅣM7(b5)が使える
というわけだ
ただ、Ⅳの5thがフラットすると強調されているのは
Ⅴのドミナント由来のf-tを揃える必要がある、ということだろう

なお、こう考える場合
ドミナントをsus4で捉えることになる、なんて話も
濱瀬はしており、例としてG7をF/Gと捉えることになる
としているのだが
F/GはG/Fの誤植に違いない
G7の7thであるFを下に転回して分母にするってことだろう

G7: G B D F

を、まずはsus4にして

G7sus4: G C D F

7thのFを分母にすると

G7sus4/F: F G C D

なんだけど、Fをコード・ノートと捉えずGsus4/Fとしても

Gsus4: G C D

なので、分母にFを置けば中身は一緒
つまり、Key CのⅡ→ⅤをⅣ(ただしb5)にした場合
Ⅴをsus4にして分母をⅣにしたことになる
ということだろう

とりあえず、以上がバードについての濱瀬解釈だ

で、やはり濱瀬によると
マイルスがこれをマイナーにも拡張したって言うわけだ

そこで、また階名で考える
マイナーだと、l(ラ)がⅠ(1)になるので

Ⅱm7(b5): t r f l → r f l t
Ⅴ7: m s# t r → r m s# t

同様に

Ⅳ: r f l d

となるけど、5thをフラットさせるので

r f lb d

異名同音処理して

r f s# d

すると、ⅡとⅤを合わせた上でⅣから考えると
要はハーモニック・マイナーをrから並べることになるわけだ

r m f s# l t d

マイナーだとlがトニックなので、半音下のs#が導音だ
ナチュラル・マイナーの7th(s)を導音にすればハーモニック
更に6th(f)を半音上げればメロディックだからな

濱瀬はメロディック・マイナーと述べているが
「ハーモニック」の誤植だろう、きっと

ともかく、Ⅳのb5はメジャーの時同様
トライトーンを形成するr-s#を揃えるためだろう

……と、分かった気になっているが
実は、Solarって曲、まともに聞いたことがないんだよな(^_^;)



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まぁいいや

長短どちらにしても
Ⅱ-ⅤをⅣに還元するってことは
サブドミナント(Ⅱ)→ドミナント(Ⅴ)の動きを
サブドミナント(Ⅳ)にまとめることになるな


Decoyの分析は結局まともに読めなかったな
CDで聞いたのは高校生の頃で
当時はまだ自分で音楽をやっていなかった
響きはカッコイイと思っていたものの
色々ひねった音が使われているとまでは
当時考えなかったし
なまじ若いうちからそういう音楽を聞いたせいか
それが当たり前だとすら今でも思っている
そのCDも昨年部屋の補修に伴う荷物の処理で
ブックオフに売っちゃったからなぁ。。。



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まぁ、折を見てまた本を借りよう

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流れを振り返っておく

そもそもトクヴィルは民主制を良いと思っているのか?
思っている、としかオイラには読めない

中川八洋はバークと並べて
トクヴィルも保守思想扱いしているようだが
オイラが『アメリカのデモクラシー』を読む限り
トクヴィルは民主制を良いと思っている
だからこそ、フランス革命で失脚した
貴族やカトリック教会なんかが革命を苦々しく思っているのに対して
トクヴィルは民主制の浸透、つまり平等化の進展が
神意なんだから、下手に抵抗せずにむしろ受け入れることで
民主制のメリットを享受する方法を考えるべきだ
と主張する
『アメリカのデモクラシー』は、このようなスタンスから
「アメリカで民主主義がこんな具合にうまく機能してるんだぜ」
とフランス国民、特に貴族・聖職者層に紹介する体裁で書かれている

なので、中川がどう考えてトクヴィルを保守に位置づけているのかが
オイラにはさっぱり理解できないのだが
強いて言えば、こういうことになるようだ

中川はかつての絶対王政もそんなひどいものではなくて
むしろ各種中間団体が防波堤となることで
個々人に直接国王の権力が及ばないようにしていたのに対して
特にフランス共和制ではルソーの影響もあって
一般意志という得体の知れない考え方を持ち出すことで
(確かにこれは『社会契約論』だけではまるっきり謎)
下手に中間団体を持ち出せば、意志の一般性が損なわれる
と主張した影響から
むしろ立法者の権力が直接個々人に及ぶようになり
共和制の行く末としての社会主義国では露骨な独裁が展開
ナチも国民「社会主義」なんだから同断
としていた
何の本に書いてあったかは忘れたが
中川どの本でも似たような議論を展開しているので
どれを読んでも確認できると思う

対してトクヴィル『アメリカのデモクラシー』では
個人が重視され、その個人のDIY精神の延長に
地方自治を位置づけ、その基礎的自治体がタウンだとする
タウンから郡が、郡から州が、州から連邦国家が構成される
連邦国家の一番偉い人は当然大統領だが
こうした自治体の階層構造によって大統領の権力が
直接個人に及ぶことはない
つまり、アメリカの民主制はフランス型とは異質であり
自治体の構成は君主制にはあった個人を守る中間団体を
別途再生していることになる
そのような民主制を貴族・聖職者に薦めているのは
むしろルソー・フランス型の民主制を否定し
保守にも受け入れられるものに作り変えることを
トクヴィルは意図したに違いない
――とまぁ、こんなことを中川は考えたのではないか??

これについては、ルソーの言う一般意志が
確かによく分からない概念であるって問題はあるのだが
トクヴィルを「バークのような」との留保付きにせよ
やはり保守の一形態だとは、オイラには思えないし
中間団体の話にしたって中川が言うような
防波堤だったとは「完全には」言えない

以前、前提知識なしに読もうとして挫折した
『旧体制と大革命』の出だしを読んだ時に
中川が言う中間団体の話が確かに出てきた

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それでも、トクヴィルはそういう側面もある
という話をしているのだ
つまり、自由を求めてなされたフランス革命で
ギロチン粛清恐怖政治が展開して
かえって不自由になった側面もあれば
旧体制における中間団体がむしろ防波堤となり
個人を守った側面もある、という形で
なかなか珍妙なねじれ現象が見られた
という話をしているだけであって
だから昔は良かった、保守バンザイ、なんて話は
これっぽっちもしていない
まぁ、ひょっとしたらまともに通読すれば
そういう話がそのうち出てきたのかも知れないが

ともかく、トクヴィルの関心は
フランス革命後の王政復古、更に共和制、と
革命後なかなか安定しなかったことを踏まえつつ
アメリカはどうしてそれなりにうまく行ったのか
ということを基本的には考えているんだと思う

そりゃ、アメリカは、先住民を蹴散らして作った更地に
一から国家を築き上げたのだから
旧制度の柵(しがらみ)のない状態だった
とはいえ、社会主義を考えれば明らかだが
計画通りに国家が建設されて破綻なく進むなんて
どう考えたってありうる筈がない
じゃあ、どうしてアメリカ建国はそれなりにうまく行ったのか
だいたい、建国にあたって重要な役割を果たしている政教分離にしたって
たまたま建国にあたって基本的にピューリタンばっかりだったことと
イギリスでの下克上失敗が祟ったことから
むしろ国教を上から押し付けるよりも
各自が自由に信仰したほうが宗教にとっても都合が良かった
というだけの話なのだ
結界的に確かに政教分離は進歩的な概念になったとしても
そうなったのは怪我の功名でしかない

それでも、そういった偶然が、どういうわけか都合よく働いた
となら言えるだろうし、それをむしろ逆手にとって
うまく使えるところは取り入れよう、と考えるのは
むしろ当然の発想だろう

そういう意味では、フランスでの当時の状況を
決して好ましいとは思っていなかっただろうこと
アメリカでうまくいったことがそのままフランスでも
うまくいくとまでは恐らく考えていなかったにせよ
参考にできることは参考にしよう、という意識は
間違いなくあったはずだし
その前提は、民主制を受け入れること
平等化の進展は覆し得ないと信じたことだ

もちろん、だからこそ、そこにトクヴィルの限界もある
現実に、アメリカでも日本同様に格差が問題となっている
そういう意味では、平等化の進展を神意とみなしたトクヴィルは
完全に間違っている
ある種の歴史法則主義として平等化を捉えることは
間違いだったと言わざるを得ないだろう

それでも、

・個人の重視→自分のことは自分でやるDIY精神
・自由な個人の平等化

という形で、少なくとも当時のアメリカから
自由と平等が両立した状態を見出した上で
カトリックが神の前での平等を謳うなら
民主制をむしろ受け入れたっていいだろ、と述べているのだ

まぁいいや

おさらいのつもりが「そもそも論」として
長大になってしまった

ともかく、そういう問題意識のトクヴィルの議論だが
現在確認しているのはタウンのあり方だ

繰り返しだが、個人を重視するというのが
まず根底にある
戦時中の日本と違って「お国のため」なんて発想は
トクヴィルの時点では観察されていない
まぁ、その後のCIAの活動やケネディ暗殺を巡る
様々なトンデモも含めた陰謀論の数々を見ると
当時トクヴィルが見出した好ましい状態からは
相当外れてしまっているのは明らかだが
家とか、何らかの集団よりは
個人を重視している
これ、ルソーのように、積極的に
中間団体を排除するのとは違うが
個人の重視自体はルソーと共通している

で、そのような自由な個人が暮らす上で
力を合わせたほうがうまくいくことなら協力し合う
という形で、地方自治が成立する
この単位がタウンだ
よって、自分のことは自分でやるように
タウンのことはタウンがやって当たり前、となる
もちろん、タウンには荷が勝ちすぎる場合には郡が手出しするが
基本はタウンだ
これ、ルソー『人間不平等起源論』の展開を
まるでなぞったかのような話に思えるんだけどね

また、みんながみんな好き勝手に動くんじゃなくて
社会としてうまく統合されるのは
公務員の領分をきっちり法律で定めることで
その領分の中では好き勝手に任せるにせよ
領分の越境を許さないこと
その上で、公務員の間に上下関係を認めないこと
そうすることで、下手な階層構造から逃れること
これが、自由と平等を両立させているポイントとなる
また、立法の機能という意味では
行政よりは政治(それこそ立法)が重視されている

ただ、それでも、公務員の越境がどうして起こらないのか?
ここに、司法が絡んでいる

ただ、ここでいうむ公務員は、政治家を含む
というより、むしろ、公務員は政治家同様
任期もあれば選挙で選ばれるので
同じ仕事に同じ人がずーっと就くことで
その仕事についてはその人に逆らえない
なんてことがそもそも起こらないようにもなっている

だとしても、任期の間は好き勝手にできるなら
その気になれば汚職やなんかもできることになる
それを防ぐ上で、司法が重要な位置を占めるのだ

しかも、ここでもなまじ「お国のため」なんていう
集団重視の姿勢ではなく
各自の得になるかどうか、という意味で
個人の重視がまたまた出てくることになる

……が、おさらいが長くなりすぎた
公務員と司法の話は、また今度

テーマ:
かつては週1で通院した歯の治療も
1月にさしあたり終了したが
「お掃除」のために月1通院するよう言われ
2月、3月と従ったが
昨日通院した際医師から
状態が良いので当面通院不要
頃合いを見てはがきを出すので
はがきを受け取ったらまた来るように
と言われた
もちろん、気になることがあればいつでも
とも言われたが
これで要治療箇所は完全になくなった
ということになるな

後は、この状態をどれだけ維持できるか
という問題になるな

テーマ:
風呂場の排水口
オイラの生活パターンだと
2週間に1度は掃除が必要だ
排水口には金網があり
この金網に毛髪などが貯まる
こいつを取り除くのだが
100円ショップで買ったネットをかぶせ
取り除きやすくして入るのだが
垢、なんだろうなぁ??
そういったものは金網に付いたままなので
洗浄剤を使う必要がある

家庭の主婦はもっと短いサイクルで
こういったことを当たり前のように行うのだろうが
オイラには妙に面倒に思える

火事を当たり前にこなすのは面倒だと
改めて実感する次第

テーマ:
今夜は職場の飲み会だ
夜勤明けなので、一旦帰宅したら
少し休んですぐ出かけることになる

それでも私用なら苦にならないが
職場の飲み会はなぁ。。。

まぁ、でも、退職する方の送別会だし
こういうのって欠席したらしたで角が立つからなぁ

テーマ:
いつの間にか読まなくなっていた
「ぼくちゅう」を最近また読むようになった

メインのブラウザをFirefoxからChomiumに替えたからだ

LinuxではChromiumだが
WinなどではChrome、というか
まぁ、厳密には微妙に違うようだが
大筋はそうなっている
Chrome/ChromiumはGoogleアカウントでログインすることで
各種設定情報をクラウドにアップロードした上で
異なる環境で利用するChrome/Chromiumに
設定情報をダウンロードできる
初めてChromiumを使った頃にこの設定情報をバックアップしたもの
その後これをダウンロードしなかった
それを、最近になって
Chromiumを設定していてログイン画面が出てきて
ログインしたら設定情報がダウンロードされたため
「ああ、そういえば」と思いだした次第

今では使っていないアドオンなどもダウンロードされたが
ブックマーク登録していた「ぼくちゅう」のリンクがあったことから
以前読んでいた話の続きを読みだした次第

で、ガソリンスタンド業界の話が出てきた
これがフランチャイズのモデルになったとか
うーん、末端の小売店にはかなり厳しいというか
大企業ってやることえげつないなぁ、と
素朴に思った次第

オイラは自分が左翼だとは思っていないが
資本主義経済は決して好きになれない気質のようだ

テーマ:
受信料の問題などで
NHKには決して好感を抱いていないが
ポランニーに関連して理経の知識をきょうかする必要もあるので
NHKの教育テレビで
高校数学や高校物理関連の番組を
4月から見ることを検討している

語学はフランス語に限定して挫折は避けたい
ラジオだと平日ずっと放送されるので
半年限定とはいえ結構な分量になるはずだ
それでも、基礎と応用に分かれているし
おいらは当然基礎なので
毎日欠かさずやればきっと覚えられる!
と期待したい

ただ、理系関係のテレビと併せることが
得策か否か。。。

まぁ、やるだけやってみよう

テーマ:
サジェスト機能で誹謗中傷記事がヒット
なんてニュースがあったので
自分の名前で試しに検索してみたら
昔組んでいたユニットの動画が見つかった
当時相方だったドラムの作った曲を
プレイしたものだが
恥ずかしくてまだ中身をまともに見聞きしていない

こういうこともあるんだなぁ

テーマ:
DIY精神から自治精神へ至り
公務員はヒエラルキーをなさず、上司がいない
各公務員は各自の領域では全能で
この全能ぶりはやはりDIY精神とつながっているが
社会として統合を保つ上で
各公務員がそもそも領分を保ち
自由でありながら放縦に陥らないのは
なぜなのか?
確かにトクヴィルはアメリカに
「自由に対する成熟した、思慮深い好み」がある
とも言っているが、それだけではない
日本で流行った言い方だと「政治主導」に繋がる
トクヴィルがのちの箇所で述べる「政治の集権」が
分散した行政を御すことに、少なくともトクヴィルの当時は
成功していたのだ

ただ、そうすると、政治によってなされた立法に
どうして公務員は素直に従ったのか?
という問題が残る
それこそ「自由に対する成熟した、思慮深い好み」を
当時のアメリカ人が発揮していたから
という話で済むのか?
そんなはずはない

今回はこの辺りの話を確認する

トクヴィルは、アメリカ固有の話をする前に
一般的な話をする

p.118
 一般に、公務員に遵法を強制するために社会が利用しうる手段は二つしかないと言って良い。すなわち、
 公務員の一人に他のすべての公務員を監督し、従わない場合にはこれを罷免する自由裁量を与えるか、
 でなければ、違反者の法的制裁を裁判所に委ねるか、である。

ただ、この二つの方法は表裏一体かもしれない
監督する公務員がそもそも遵法しなければどうにもならない
むしろ、他の公務員とグルになって利権を貪る
なんて状況を、日本ではさんざん目にしている
そうなってはそもそも違反者を摘発しようがない

p.118-119
 二つの方法のどちらかをいつでも自由にとれるわけではない。
 公務員の監督権は、命令に従わない者を罷免し、あらゆる職務を熱心に遂行する者を昇進させる権限を前提にしている。ところが、選挙で選ばれた役職者は罷免することも昇進させることもできないであろう。任期の終わりまで動かしえないのが選挙制の公職の本質である。実際、すべての公職が選挙の結果であるときには、選ばれた役職者は選挙民のほかには何者をも当てにせず、何者をも恐れない。したがって公務員の間に真の職階制は存在しえぬであろう。というのも、命令権と違反を効果的に罰する権限とを一人の人間に与えることはできないし、また命令の権限に報償、懲戒の権限を加えることもできないだろうからである。

ここで「公務員」が政治家とどう違うのか?
オイラはかなり戸惑ってしまう
確かに、日本の憲法でも公務員の選挙について
規定されていて、これを根拠に
外国人参政権は違憲だ、という主張がなされる
そういう意味では、議員は公務員に数えられる

しかし、政治の集権と行政の分権を考えれば
ここで言われている公務員とは行政に関わる者だ
日本だと、そのように公務員は
それこそそういう仕事に就いたり
高級官僚であれば試験に合格したり、であって
選挙で選ばれるわけではない

このため

「選挙で選ばれた役職者は罷免することも昇進させることもできないであろう」

と言われても
オイラには「なんの話してるんだ??」としか返せない

もちろん、政治家の汚職をどう防ぐか?
という話であれば、納得できるんだけどね

「すべての公職が選挙の結果であるときには、選ばれた役職者は選挙民のほかには何者をも当てにせず、何者をも恐れない。したがって公務員の間に真の職階制は存在しえぬであろう。」

という話も、下手なことをすれば
次の選挙で落選するから
選挙民の機嫌を伺わざるを得ないってのは
全くその通りだし、だからこそ民主制には
ポピュリズムの危険が常につきまとう
また、どの議員も選挙で当選したからには
その意味で同等・平等なのだから
そのような議員の間に「真の職階制は存在しえぬ」
というのも分かる

ただ、これはやはり議員の話だ
行政に当たる公務員を法律に従わせる話としては
やはり「なんの話だ?」となってしまう

しかも、この箇所ではまだアメリカ固有の話ではなく
一般的な話がなされているのだ

となると、ここで言われている公務員には
いわゆる行政官と議員の両方が含まれており
どちらも選挙で選ばれるのが、少なくとも当時は
一般的だった、ということを前提にせざるを得ないだろうか?

少なくともオイラにはピンと来ないのだが
トクヴィルはフランス革命後の論客だ
むしろそれまでは絶対王政というか
王の専制が当然であったことを考えると
そのような専制から民主制への移行を考えざるを得ない
(立憲君主制でも民主制はありうる)
すると、徴税官などの公務員が任期無期限で
王と結託されてしまうことは脅威、となろう
この脅威を防ぐには、公務員をそもそも
選挙で選び、任期を区切ることが肝要となる

とすれば、世界の公務員が現在どうなっているのかは知らないが
日本のように役所に就職すればさしあたり公務員、だとか
中でも試験に合格すれば高級官僚になり得る、といった
選挙によらない行政に関わる公務員が存在することを前提にしていれば
上に引用したような話は全く理解不能となってしまう
そういった辺り、訳注が付いていていいんじゃないか?

まぁ、実情は分からないが
民主制への移行間もない頃はどうやら
専制への逆行を防ぐにも
議員のみならず公務員一般が
選挙で選ばれ、任期も区切られていたものとして
とりあえず考えてよさそうである

その上で、行政を担う者も含めて
為政者は民衆の敵、利害も対立する
だって支配する者とされる者だから、というのであれば
選挙で選ばれさえすれば後は好き放題
民衆の敵と化すものと考えて良いかも知れない

そのような一般的な状況にあるからこそ
それこそ一般的に、公務員をいかに法律に従わせるのか
これが問題となるのだろう

でも、法律自体がそもそも選挙で選ばれた
公務員の一部としての議員によって制定されるなら
お手盛りになってしまうではないか

だからこそ任期を区切って
どうしようもない法律を通した奴らは
次の選挙で落とす
という方法を取ることになるのであれば
なるほど、議員は下手な法律を通せないことになる

となると、残る問題は
ホンネは権力を握って先制したい政治家が
やはり国民に都合のよい法律を制定した上で
やはりあわよくば利権に食い込みたい公務員を
そのような法律にどうやって従わせるか
という話になるわけだな

p.119
 そこで、政府の付随的機構に選挙を導入する国民は、必然的に、司法的制裁を行政の手段として広範に利用せざるを得ない。

つまり、法律に従わなければ取り締まる司法によって
行政をコントロールする、という話になるわけだ

まぁ、司法に取り締まられるのは
一般国民だってそうなんだろうが
今回はとりあえず
公務員を巡る問題状況がこういうものだと
確認しておくに止めよう

テーマ:
吉本隆明って死んでたの??
知らなかったぜ。。。

先ほど、そういえばテレビの録画予約を
全くしてこなかったことを思い出し
テレビ王国で番組表を見ていたら
教育テレビで吉本の特番をやってるじゃん
情報を確認したら、3月16日に死去していたそうで
まぁ、1週間で特番を作ったんだろうな

惜しいことに、ほんの10分ほど前に始まってる

もっと早く気づいていれば
リモート予約録画の設定ができたのに。。。

まぁいいや、そのうち再放送されるだろう


その後調べたら、教育テレビの番組は
2009年1月4日の再放送のようだ
また、放送されなかった分も含めて
DVD化されているようだ



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