2011-02-10 22:08:08

西遊記にいわく「おのれの使命を自覚せよ!」

テーマ:貞観政要
村上知行訳の『西遊記』をちょろちょろ読んでいる。

悟空が化け物に毒の風邪を吹き付けられて、目をやられてしまった。
近くの寺で、目を治してほしいと悟空は頼む。
寺の人は親切に目薬をくれ、目をつむって朝になったら直ると。

実際、悟空が目覚めてみると、目は完治していた。
ところが、寺は跡形もなくなっていた。

そこには、言葉が書かれていた。

やしきは護法の幻の寺
薬は汝が病める目のため
床は汝が保養のため
さとるべし、己が務めを!


この文句を見て、悟空は猪八戒に語る。

「いいか、初めの文句をみろ。『やしきは護法の幻の寺』。この護法、つまり法を守る、というのが、ぎゃていら(=ここでは天界にすむ観音の弟子たち)の仕事なんだ」

「とにかくだ、ぎゃていらは観音さまのおいいつけで、いつでも見えつ隠れつ、お師匠さんを守っている。おれの目も、そのお師匠さんにあやかったればこそ、ゆうべ治していただけたものさ。だから、それ、しまいの文句が『さとるべし、己が務めを!』となってんだ」


悟空の目も神通力も、すべて師匠を守るという使命を全うするためのものである。自分のぶをわきまえて、自分の使命を自覚していく悟空の姿に、ほほえましく思うのは、私だけだろうか。
2011-02-08 00:20:34

西遊記と太宗(李世民)そして魏徴☆続き☆

テーマ:貞観政要
前のブログ、投稿した後で、タイトルの内容がまったく入ってないことに気づいたw

西遊記と太宗に、いったいどんな関係があるのか、意味不明のタイトルだ。
だからこそ、その意外なつながりを書いておかないといけないはず。。

ということで、太宗といえば、最近、私が読んでいる『貞観政要』。
唐の太宗(李世民)の示唆に富んだ言行録というべき名著だ。

貞観政要の中で、太宗が話している相手は周囲の臣下たちだ。
その中で、太宗の言葉に準じて重きが置かれているのが名臣・魏徴である。

西遊記は、言わずと知れた、玄奘三蔵(三蔵法師)が天竺へ本物の仏の教えを求めて旅に出る物語。玄奘は唐の太宗の時代の僧だから、同時代ということになる。

天界の神々の世界の住人である竜王。竜宮城の主だが、この竜王が、人間の占い師に負けたくないためにズルをしてしまう。その罪で首切りの刑に処される。

その処刑人に任じられたのは魏徴。
天帝から竜王の首をはねよ、と命令される。

一方で竜王は魏徴の上司である太宗に命乞いをする。魏徴に斬られることになっているから、斬らせないでもらいたい、と。太宗は了解し、処刑の時間帯に魏徴を呼び止めて時間を稼ぐ。碁まで打ち始めて魏徴を離さない。
ところが、魏徴が碁の最中に、ちょっとだけ、うとうとした。
実は、その夢の中で竜王の処刑を執行したのだった。

魏徴は、このように神々の一人である竜王を処刑したり、天帝からも信頼されていると描かれている。西遊記は中国を代表する物語だ。伝説だ。そこで、神々も一目おく人物をして描かれているのである。いかに魏徴が、世の人々の尊敬を集めていたか推し量るに十分だろう。

もちろん太宗も名君として、名天子として描かれている。

おっと、こんなこと、ほざいてないで、早く続きを読もうかな。
2011-02-07 23:16:45

西遊記と太宗(李世民)そして魏徴

テーマ:貞観政要
コロプラ+のキャリストに『西遊記』のストーリーが出てきたので、西遊記をきちんと読んでおきたくなった。

岩波文庫のうちの1冊が自宅にあったが、どうも訳文が長い気がして、あまり読み進めていなかったので、もっと読みやすい訳はないかと古本屋にいった。

ありました。

社会思想社「現代教養文庫」の本。全3冊。
村上知行先生の訳だ。

私が、三国演義のタネ本として見ている『ザ・三国志』も村上先生の訳だ。

それなりに格調高い感じの文章で、簡潔にして明瞭。
テンポよく進むので、内容がすっと入ってくる。

前書きをみると、昭和一桁の時代から、すでに中央公論などに寄稿されていたらしい。
1899年生まれとある。明治時代だ。

本が出た昭和51年には、すでにお亡くなりになっているから、そうとう古い本だと思うが、本当に素晴らしい訳本だと思う。

2011-01-07 00:30:54

創業の艱難を忘れてはならぬ

テーマ:貞観政要
人はえてして、順風満帆の時は、いい調子になるもの。いつしか、かつての困難を忘れ、謙虚さや倹約することも忘れ、だんだん没落の道を進んでいく。

細君からのプレゼント『貞観政要』には、名臣・魏徴が主君の太宗(李世民)に述べた言葉が出ている。

惟(こ)れ聖(せい)も念(おも)ふ罔(な)く、厥(そ)の終(をわり)を慎(つつし)まず、締構(ていこう)の艱難(かんなん)を忘れ、天命の恃(たの)む可(べ)きを謂(おも)ひて、採椽(さいてん)の恭倹(きょうけん)を忽(ゆるが)せにし、雕牆(てうしゃう)の靡麗(びれい)を追ひ、其の基(もとゐ)に因りて以て之を廣(ひろ)め、其の舊(きう)を増して之を飾り、類に觸(ふ)れて長じ、止足を思はずんば、人、徳を見ずして、労役を是れ聞かん。斯(これ)を下と為す。

たとい聖人でも、よく思うことがなく、物事のしめくくりをおろそかにし、創業の困難をお忘れになり、天命はいつまでも(唐室に)あるものとあてになさり、粗末な材木を用いる恭倹をおろそかにし、土塀にまで彫刻を施すような華麗を追求し、その土台によって更に拡張し、その旧を増して装飾を加え、かような奢侈をあらゆることに及ぼし、止まり足ることを思わなければ、人民は天子の徳を認めず、労役の苦しみだけを聞くことになります。これが最も下なるやり方でございます。

(明治書院『新釈漢文大系95 貞観政要 上』から)

Amebaおすすめキーワード

    アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト