2010-01-10 21:59:22
知られざる魏の功臣・任峻
テーマ:三国志
『正史・三国志』を少しずつ読み進めています。
いろいろな発見がありますが、あまり名前が知られていないが、正史の列伝を見ると、とても重要な役割を果たしたと思われる人を見つけました。
一人は
棗祗(そうし)
もう一人は
任峻(じんしゅん)
棗祗は魏の太祖(=曹操)に、屯田制の実施を進言した人。
任峻は、曹操の決断の通りに屯田の運用をやりぬいた人である。
魏の国力が、呉や蜀をはるかに上回っていたことは、たいていの人はご存じのことと思います。
その秘密の一つが屯田制。
日本の明治時代にも屯田制度というのがありましたが、中国では漢の武帝の時代に、辺境地帯を守る兵士たちに平時は田畑で農作業をさせ、そこで得られた穀物を兵糧にあてるということをした。これが始まりだそうです。
曹操の時代、棗祗が提案し、任峻がやりぬいた屯田はちょっと違うもの。
都の周辺などで荒廃した田畑を一般人民にあてがって耕作させるものだという。
屯田にいる人民は、直轄的な軍事組織のもとで統治されたという。
(Wikipediaから)
任峻の列伝をみると、任峻は、曹操が戦争にでかけると留守をしっかり守った将軍だったようだ。
棗祗が屯田を進言すると、曹操はそれを受け入れ、任峻をトップに任命して、都の近くの県下で屯田を実施させた。
(『正史・三国志』ちくま学芸文庫から)
「数年のうちにいたる所で粟を蓄積し、倉庫はすべていっぱいになった。官渡の戦いのとき、太祖は任峻に兵器と食糧輸送をつかさどらせた」
「軍事・国事に必要な物資が豊富になったのは、棗祗が発議して任峻が実現した結果である」
と陳寿先生による正史に書かれている。
ちなみに、棗祗の列伝は立てられておらず、どうも任峻の列伝に出てくるだけのようだ。
私は、横山光輝先生のマンガに始まって、三国志の本は何種類も読んだつもりだが、任峻は、名前だけ、うっすらと読んだことがある程度。その偉大な功績は、全く知らずにいました。
この任峻のことを、曹操は高く評価し、たたえている。
多くの人を動かす人は、それだけ皆を空腹にさせないように気を配るものなのでしょう。だからこそ、その「食」の不足がないように全力で屯田に尽くした任峻は偉大なのだと、魏の為政者たちは称えたのでしょう。
正史 三国志〈3〉魏書 3 (ちくま学芸文庫)/陳 寿

¥1,575
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いろいろな発見がありますが、あまり名前が知られていないが、正史の列伝を見ると、とても重要な役割を果たしたと思われる人を見つけました。
一人は
棗祗(そうし)
もう一人は
任峻(じんしゅん)
棗祗は魏の太祖(=曹操)に、屯田制の実施を進言した人。
任峻は、曹操の決断の通りに屯田の運用をやりぬいた人である。
魏の国力が、呉や蜀をはるかに上回っていたことは、たいていの人はご存じのことと思います。
その秘密の一つが屯田制。
日本の明治時代にも屯田制度というのがありましたが、中国では漢の武帝の時代に、辺境地帯を守る兵士たちに平時は田畑で農作業をさせ、そこで得られた穀物を兵糧にあてるということをした。これが始まりだそうです。
曹操の時代、棗祗が提案し、任峻がやりぬいた屯田はちょっと違うもの。
都の周辺などで荒廃した田畑を一般人民にあてがって耕作させるものだという。
屯田にいる人民は、直轄的な軍事組織のもとで統治されたという。
(Wikipediaから)
任峻の列伝をみると、任峻は、曹操が戦争にでかけると留守をしっかり守った将軍だったようだ。
棗祗が屯田を進言すると、曹操はそれを受け入れ、任峻をトップに任命して、都の近くの県下で屯田を実施させた。
(『正史・三国志』ちくま学芸文庫から)
「数年のうちにいたる所で粟を蓄積し、倉庫はすべていっぱいになった。官渡の戦いのとき、太祖は任峻に兵器と食糧輸送をつかさどらせた」
「軍事・国事に必要な物資が豊富になったのは、棗祗が発議して任峻が実現した結果である」
と陳寿先生による正史に書かれている。
ちなみに、棗祗の列伝は立てられておらず、どうも任峻の列伝に出てくるだけのようだ。
私は、横山光輝先生のマンガに始まって、三国志の本は何種類も読んだつもりだが、任峻は、名前だけ、うっすらと読んだことがある程度。その偉大な功績は、全く知らずにいました。
この任峻のことを、曹操は高く評価し、たたえている。
多くの人を動かす人は、それだけ皆を空腹にさせないように気を配るものなのでしょう。だからこそ、その「食」の不足がないように全力で屯田に尽くした任峻は偉大なのだと、魏の為政者たちは称えたのでしょう。
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