新訳: ガルシアへの手紙
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「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙 」、の中の「ガルシアへの手紙」の訳が、ちょっと引っかかったので。
自分で全訳してみました。
この文章は1899年にElbert Hubbardにより書かれたものですが。
現代においても、その輝きを失うものでは全くないと考えます。
さらっと速読するのではなく。
時間があるときに、ゆっくりと読んでいただければと存じます。
「ガルシアの手紙」のパンフレットは、第一次・第二次世界大戦において、アメリカの全ての海軍・海兵隊軍人に配られました。
また、ロシアでは鉄道労働者を中心に配られ、日露戦争で多くのロシア人捕虜がこの「ガルシアへの手紙」のパンフレットを持っていたことから、明治天皇が訳を命じたとも言われています。
ベストは尽くしましたが、なにぶん素人なので、細かい点で間違いがあればお許しください。
オリジナルはこちら を参照しました。
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キューバについて語る際に、火星の最接近のごとく、決して忘れられない男がいる。
その男の名は、ローワン。
ガルシアへの手紙を、届けた男。
スペインからのキューバの独立を巡って、アメリカとスペインが1898年に戦争となった際。
アメリカの大統領マッキンレーが。
キューバの反乱軍の主導者と、大至急どうしても連絡を取る必要が生じた。
その主導者、ガルシアは、キューバの山深くのどこかにいた。
誰もどこに彼がいるのか、知らなかった。
郵便も電報も、彼に届く術はなかった。
しかし、大統領は彼の協力を、絶対に必要としていた。それも、今すぐに。
どうしたらよいのか!
ある人が大統領に告げた。
「ローワンという男であれば、ガルシアを見つけることが出来るでしょう」
ローワンがすぐさま呼ばれ、大統領からガルシア宛の手紙を託された。
ローワンという男は。
その手紙を受け取って、油紙に包んで自分の心臓の上に貼り付け。
小舟に乗って4日で夜陰に乗じてキューバの海岸に上陸し、ジャングルに消え。
そして徒歩で敵地を横断してその手紙をガルシアに届け。
3週間後にその島国の反対側から現れた。
その事実そのものを細かく話すのは、本意ではない。
私が伝えたいのは。
マッキンレー大統領がガルシアへの手紙をローワンに託した際に。
ローワンは手紙を受け取ったが。
「ガルシアはどこだ?」とは一言も聞かなかったことだ、決して!
国中のすべての大学に、ローワンの永遠不滅の銅像を置くべきである。
若者達は、いわゆる「お勉強」や、あれこれ細かい指図を必要としているのではなく。
彼らにとって、本当に必要なことは。
しっかり背筋を伸ばして「気をつけ」をすることであり。
それによって、信頼に対して忠義を尽くし、適切に行動し、エネルギーを集中することが出来るのである。
ただ言われたことをなすべし。
「ガルシアへ手紙を届けろ!」
ガルシア将軍はすでにこの世を去ったが、ガルシアは他にもいる。
多くの人手を必要とする事業を経営することを試みたことがある人は。
普通の人が、どんなに「使えないか」、何度も思い知って愕然とすることになる。
「使えない」というのは。
たとえば。
何かを成し遂げるために、集中することが出来なかったり。
あるいはやる気にならなかったり。
いい加減な手伝い。
ばかげた不注意。
あきれた無関心。
心ここにあらず、といった仕事ぶり。
だいたいいつもそうだ。
普通の人を、「使える」ようにするためには。
無理矢理やらせたり。
脅したり。
あるいは力尽くで。
あるいは金を握らせたりしない限りは。
うまくいくことはない。
あるいは神様が御力で奇跡を起こし、光の天使を助けに使わして下さらない限りは。
これを試してみてほしい。
あなたはオフィスにいて、部下6人が目の前にいる。
誰かを呼んで、「コレッジオの生涯について、辞典で調べて簡単なメモを作ってほしいのだが」、と頼んでみてほしい。
あなたの部下は、「了解しました」と静かに言って、すぐに取りかかるだろうか?
実際には、そうはならないだろう。
彼は、死んだ魚のような目であなたを見て、以下のいくつかの質問を一つならずとするだろう。
その人は何者ですか?
どの辞典を見ればいいですか?
その辞典はどこにありますか?
そんなことは私の仕事でしたっけ?
ビスマルクのことを言っている訳ではないんですよね?
チャーリーにやらせたらどうでしょう?
彼は故人ですか?
急いでますか?
本を持ってきますので、ご自分でお探しになってはいかがですか?
何のために知りたいのですか?
そして、十中八九、次のことが起きるだろう。賭けてもいい。
あなたは質問に答え、どうやって情報を見つけるか、なぜそれが必要なのかを説明し終わったとしても。
あなたの部下は出て行って誰か別の部下に、ガルシアを探す手伝いをさせるだろう。
そして戻ってきて、「コレッジオなんていませんよ」というだろう。
勿論、私は賭けに負けるかも知れないが。
確率論としては、私が負けることはないだろう。
もしあなたが賢明であれば。
あなたの部下にわざわざ「コレッジオのスペルはKじゃなくてCだから辞典のCの欄を調べてくれ」であるとか説明する代わりに。
にっこり笑って、「いいよ、忘れてくれ」、といい。
自分で調べに行くことだろう。
そして、自分一人で成し遂げる能力の欠如、善悪の区別のつかない愚かしさ、意志の薄弱さ、自分から進んで気持ちよく何かを引き受けてやり遂げようという気持ちのなさ、そういったものが。
真の意味での社会主義、すなわち人が他者のことを慮って行動する社会、の到来を妨げている。
もし人々が自分たちのためにすら行動できないのであれば。
社会全体のためになるよう行動する、なんてあり得るわけがない。
節くれ立った棍棒で脅す大男が必要かもしれず。
土曜日の晩に首になることの恐怖が。
労働者をそれぞれの持ち場に着かせる。
速記者の募集広告を出すと。
10人の応募者のうち、9人は。
ろくに正しい綴りを知らない上。
句読点を正しく打つことすら出来ない。
その上、それが必要であるとすら考えないのだ。
そんな人が、ガルシアへの手紙をしたためることが出来るだろうか?
大きな工場で、現場監督が私に言う。
「あそこに経理係がいますよね?」
「ええ、彼がどうかしたんですか?」
「あの、彼は優秀な会計士なんですが。
私が彼を使いにやると、彼はしっかり仕事を果たすときもあるのですが。
途中で酒場を4軒、はしごすることもあって。
目抜き通りに着いたら、彼は自分が何のためにここに来たのかすら忘れているときもある」
そんな人に、ガルシアへの手紙を託すことが出来るだろうか?
最近よく、「虐待されている海外からの肉体労働者」や「しっかりとした雇用を求めさまようホームレス」への、お涙頂戴ものの同情論を聞くことが多いが。
そして、その問題についての、権力者への厳しい言葉を聞くことが多いが。
だらしがないろくでなしに、知的な仕事を任せようとして。
時間を無駄にし、いたずらに歳を重ねる雇い主については、何も語られることはない。
そして彼があっちを向いた途端に、さぼって何もしなくなる人間たちを助けようとする、彼の長くて忍耐強い骨折りについても。
どんな店や工場であっても。
継続的に、雑草を抜くように、人員整理が行われている。
収益の役に立たない人を解雇し、他の人が雇われている。
どんなに景気がよくても、この取捨選択は続き。
景気が悪くなって仕事の口が少なくなると。
取捨選択はより厳しくなり。
能力がなく、役に立たない人は、首になるし、職が再び見つかることはなくなる。
これは適者生存である。
すべての雇用者は、自らの利益のために、最高の人々を手放そうとしない。
そう、ガルシアに手紙を届けることの出来るような人々のことだ。
私は、ある本当に優秀な男を知っているのだが。
彼は、自分で事業を始めるだけの能力がない上、誰にとっても全く使いようのない人間なのだ。
なぜかというと。
彼は、彼の雇い主が彼を虐待している、あるいは虐待しようとしているに違いないという、気違いじみた疑念を常に持っているからだ。
彼は命令を下すことが出来ず、命令を受けることも出来なかった。
彼にガルシアへの手紙が託されたとしても。
彼の答えはおそらくこうだっただろう。
「自分で届けろよ」。
今夜も、彼は仕事を探して町を歩く。
古ぼけたコートが、風に吹かれて音を立てる。
彼を知っている人は、誰も彼をあえて雇うことはしない。
なぜなら、彼は根っからの不満分子だからだ。
彼には言って聞かすことが出来ず、彼を動かすには靴底の分厚い大きなブーツのつま先で、けりを入れるしかない。
勿論私は、人は体が不自由な人を憐れむことがあっても、道徳を持ち合わせない人間を憐れむことはあまりないことを知っている。
ただ、人を憐れむ際には。
次のような人のためにも、涙を流そうではないか。
すばらしい事業の経営に苦労していて。
就業時間などには関係なく、一生懸命働いた人。
人々のあきれた無関心。
つまらない間違いを犯す、愚かさ。
心ない、恩知らず。
それらと戦うことに疲れて、髪の毛があっという間に白くなってしまった人。
その事業がなければ、そんな恩知らず達は飢えてホームレスになっていたかも知れないのに。
私の言い方は、きつ過ぎるのだろうか?
もしかするとそうなのかも知れない。
しかし、世界中が貧困に向かっているときに、私は同情の言葉を掛けたい。
勝ち目の薄い戦いに挑み、他者に努力を促し、成功したにもかかわらず。
住むところと着るもの以外に、何も得なかった人たちに。
私は弁当箱を抱えて日雇いの仕事をしたこともあるし。
雇い主になったこともある。
だから、労働者、経営者の両方の立場からお互い言いたいことがあるということも知っている。
貧困そのものは、何の美徳でもない。
ぼろ切れをまとうことを勧めるつもりもない。
すべての貧しい人たちが高潔とは限らないのと同様に。
すべての雇い主が強欲で高圧的であるとは限らない。
私は「ボス」がいるときはもちろん、彼がいなくても自分に与えられた仕事をちゃんと果たす人間に惹きつけられる。
また、ガルシアへの手紙を託されたときに、静かに手紙を受け取り、何もばかげた質問をせず、近くの下水管に放り込もうなどとはほんの一瞬たりとも考えず、それを届けることのみに心を砕く人にも。
そんな人たちは決して、解雇されることはない。
そして彼らは、賃上げを求めてストライキをする必要などない。
文明というのは、そのような人たちを探し求める、長い切望の旅なのだ。
そのような人たちが求めるものは、常に与えられるだろう。
そのような人たちは本当に希少なので、彼らを平気で失うことが出来る雇い主は一人としていない。
彼はどこに行っても求められている。
大都市でも、町でも、村でも。
オフィスでも、店でも、工場でも。
世界は彼を渇望している。それも、心の底から。
ガルシアに手紙を届けられる、人間を。
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