まさかのタイミングで映画「空海・KU-KAI~美しき王妃の謎~」が公開されます。

 

前回のブログで安倍(阿倍)晴明安部(阿倍)貞任の母親が共に「白狐」であったとする共通点から阿倍文珠院を調べ直していたら映画上映を知り、まさか、まさかの繋がり!!

 

 

まるで私のブログ記事が、映画「KU-KAI」の番宣みたいに思えてしまいました。

 

映画「空海・KU-KAI」の配役をみると、そこには阿倍仲麻呂役に娘の好きな阿部寛さんとのこと!

 

 

前回、娘と一緒に観に行った映画「永遠の零(ゼロ)」からもう何年が経つのだろう?

 

久しぶりに一緒に観に行きたいと思い、「行くか?」と訊くと「いいよ」との返事。

 

そしてまた何故かこのタイミングで娘から「西の魔女が死んだ」も一緒に観に行ったのはパパとだったよね?と訊いてきました。

 

 

西の魔女が死んだ」の映画のこと、また一緒に観に行ったことすら忘れていたのに、「西の魔女」の言葉がどこかで「白狐」に繋がっている気がして、「え~~っ」て感じでした。

 

確かあの頃は、娘も心が病んでいた時期で、娘に映画から何かを学び取って欲しいとの思いから一緒に観に行ったことを思い出しました。

 

いつもながら娘の横で、映画を観て泣かないようにしないと・・・。。゚(T^T)゚。

 

映画「空海・KU-KAI」の舞台挨拶などをYouTubeで拝見すると、楊貴妃役がチャン・ロンロンさんというとても素敵な女性です。

 

前回のブログで綴った「白狐」から閃いた白人女性に繋がり、なんだか興奮してきてしまいます。

 

更に、今年になってブログに閃きが平将門公から大日如来ではと思って綴った内容にも繋がってしまいました。

 

大日如来は「密教」における中心となる神仏で、平安時代に弘法大師・空海に渡り「密教」を学び伝えたものです。

 

そして、阿倍文珠院には四国四十八ヶ所巡拝と同じご利益を受けられる参拝所があり、弘法大師・空海の像も祀られています。

 

(阿倍文珠院・空海像)

 

阿倍(阿部)の「」には、宇宙の根源阿字本不生といって密教の根本思想を表す字であり、一切の諸法の本源が不生不滅である、すなわち「」(くう)であることを説く悟りを表しているそうです。

 

そしてこの真理を体得する時、人は大日如来と一体化すると説くものが「阿字」だそうです。

 

仏教についても特段関心がなかったので、つまりは弘法大師・空海阿倍一族とは深い繋がりがあるという証ではないでしょうか。

 

空海については映画を観て学ぶとしましょう。

 

さて、「白狐」について、何の根拠もなく「白狐」から閃き受けた印象で、妖艶で魅力的な女性を感じ、その正体が「白人女性」と思い浮かんだことを調べると、楊貴妃へと繋ったのです。

 

 

楊貴妃を改めて調べてみると、の時代に生きた人でペルシャ人(ユダヤ)であったという説があります。

 

その楊貴妃は、才知があり、琵琶をはじめとした音楽や舞踊に多大な才能が有ったと云われています。

 

琵琶から閃くことは、弁才天(弁天様)があり、東大寺法華堂には日本最古の尊像が祀られているそうです。

 

琵琶もまた古代ペルシャの楽器であることから、弁才天ペルシャ人の女性がモデルではないかと考えられます。

 

 

そして琵琶法師で知られる平家一門もペルシャの血族であったのではないでしょうか。

 

琵琶法師と関りの深い平家一門から、私の閃きに大きな位置付けであった平将門公とも繋がりました。

 

史記には、「吐火羅(トカラ)の国からやって来た客人(マレビト)」と記録が残っており、秦の始皇帝の時代から日本にもペルシャ(ユダヤ)人が渡来していたことが裏付けられます。

 

そして古代中国では、北方、西方の民族であるペルシャ人(ユダヤ)を「」の漢字を用いて胡人と呼び蔑称していました。

 

東北に勢力を持っていた阿倍(安倍)一族騎馬軍隊による戦いに長けていたと云われており、その馬は胡馬といって古代中国で産した馬を意味するものですが、その馬を手に入れるにはペルシャ人などとの交易によってもたらされたものと考えられています。

 

 

他にも日本とペルシャ(ユダヤ)商人との交易の証が、「胡椒(こしょう)」、「胡麻(ごま)、「胡粉(ごふん)」、「胡坐(あぐら)」などの言葉として残っています。

 

 

また、日本の伝統音楽の「雅楽」は、胡楽(こがく)と中国伝統音楽の「燕楽(えんがく)」と呼ばれる楽舞とが融合して基となっているのです。

 

 

こうした様々なことから、安倍晴明安部貞任に共通する母親の白狐伝説は、白狐」の狐が「」(こ)=「」(こ)と言い方が転じたものと考えられるのです。

 

つまり、母親がペルシャ人(ユダヤ)であることを示していると言えるのです。

 

 

そう考えると、全てが繋がります。

 

それから、私が阿倍(安倍)氏と関係があるのではと閃き綴った「鹿」との関係も、ペルシャ神話に登場する「勝利の神・ウルスラグナ」という戦いの神に辿りついたのです。

 

この神は戦うために10種に変身し、第9番目が「神が鋭い角を持った戦う雄鹿」で、第10番目が「黄金の刃がついた太刀を持つ人間」になるのです。

 

 

人間に変身する前は鹿であり、結びつきが強く感じます。

 

このことから、私が富士北口本宮浅間神社から受ける気づきは、もともとそこに鎮座していたと云われる諏訪大社と繋がっており、その諏訪大社には今も古来からの御頭祭が継承され、鹿との関りが密接に結びついていたのでした。

 

(諏訪大社・御頭祭)

 

よって厳島神社奈良・東大寺など、日本各地に在る鹿に関係する神社仏閣は、ペルシャ人(ユダヤ)と阿倍(安倍)一族の関りがみえてくるのです。

 

(東北地方・鹿踊り)

 

閃きを思いのまま綴ると長くなるので端折ると、阿倍仲麻呂に渡り戦乱に巻き込まれ、楊貴妃を日本へ逃します。

 

楊貴妃の辿りついた先が山口県とされ、その地に埋葬されたと伝えられています。

 

 

そこに安部晋三総理の一族が住んでいるのも、何か意味があるように思えてきます。

 

そして、阿倍仲麻呂楊貴妃を日本へ見送ったその時の心境の想いを歌った詩が、あの有名な和歌だと私には思えるのです。

 

天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に 出でし月かも

 

奈良県が制作した阿倍仲麻呂の紹介ビデオがYouTubeにアップされておりましたので、ご紹介しますね。

 

 

そしてあの「竹取物語」も、私の閃きから姫はペルシャ人であったのではないかと思えてきたのでした。

 

 

阿倍文珠院奈良・東大寺別格本山であることを知りえた時の驚きと、東大寺の宝物が今年の四月に阿倍(安倍)氏の所縁ある宮城県多賀城市・東北歴史博物館に復興祈念特別展としてくることも、映画「空海・KU-KAI」の上映と共に因果を感じます。

 

※※☟※※※☟※◇東北歴史博物館◇※☟※※※☟※※

http://www.thm.pref.miyagi.jp/index.php?from=enter

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(阿倍文珠院・御執印) (東大寺・御執印)

 

映画、「空海・KU-KAI」、果たしてどのようなストーリーなのか今から楽しみです!

 

(神奈川県小田原市・曽我梅林からの富士山)

 

人間は誰もが胸の中に宝石となる石を持っている。

一生懸命磨いて、美しく光輝く玉になる。

             弘法大師・空海

 

 

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安倍(阿倍)晴明の伝説に母親が白狐であったとあります。

 

 

その伝説の内容は、安倍保名という男が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けます。

 

しかし保名はその際にけがをしてしまうのです。

 

そこに葛の葉という女性が現れ、保名を介抱するのでした。

 

葛の葉保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうけます。

 

童子丸が5歳のとき、母親の葛の葉の正体が白狐であることを知ってしまいます。

 

葛の葉は、全ては稲荷大明神(宇迦之御魂神)の仰せである事を告白し、さらに次の一首を残して信太の森へと帰って行ってしまうのでした。

 

~恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉~

 

この童子丸が、陰陽師として知られるのちの安倍晴明なのです。

 

(安倍(阿倍)晴明神社)

 

宇迦之御魂神ウカノミタマ神)とは、お稲荷さんとして親しまれている神で、伏見稲荷大社の社伝に「和銅四年(711)、稲荷山三ヶ峰に稲荷神が鎮座した」とあり、その場所が現在の伏見稲荷大社だそうです。

 

稲荷信仰は奈良時代に発生したもので、そのルーツは当時その一帯に住んでいた豪族・氏であり、氏神として穀霊神、農耕神を祀っていました。

 

つまり、安倍(阿倍)晴明の母とされる白狐とは、系豪族の女ということになります。

 

私の閃きでは、白狐は白人女性であったのではないかと考えます。

 

そして、東北に伝わる私の祖とされる安倍(阿倍)貞任(さだとう)も、安倍(阿倍)晴明と同じような伝説が民話として福島県に残っていることが確認できたので、ご紹介致します。

 

 

豪族・氏のルーツは、ユダヤ王朝の血統を引き継ぐイスラエルの民で中国圏に長年暮らしており、秦の始皇帝の末裔にあたるのです。

 

その氏は、の滅亡を機に迫害を避け、朝鮮半島に寄留したのち、日本へと渡ってきて日本文化の礎を築いたのでした。

 

『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』などによれば、応神(おうじん)朝に(しん)の始皇帝の後裔(こうえい)の弓月君(ゆつきのきみ)が人民を従えて移住したと記されています。

 

その氏は、技術者を擁して鋳工木工などの各種技術部門の主導権を握り、鉱山の開発や灌漑(かんがい)土木事業を推進するなど殖産氏族としての活動が顕著でした。

 

この氏が渡来してきた時期を境に古墳の大型がみられる様になるのです。

 

(埼玉県行田市・古墳群)

 

そして日本に渡来したイスラエルの民たちは、高地性集落を構成して山間部に生活圏を確立していき、天狗伝説もそこから生まれてきたのでした。

 

 

政治的にはさほど目だった動きを示していませんが、欽明(きんめい)天皇の側近であった秦大津父(はたのおおつち)や、厩戸皇子(うまやどのみこ)(聖徳太子)に仕えた秦河勝(はたのかわかつ)の存在は、氏がその豊かな経済力と財政的手腕によって、大和王権内に隠然たる力を保持したことを示唆しています。

 

それは、京都市の太秦(うずまさ)に地名となって証が残されています。

 

京都最古の広隆寺氏の氏寺であり、蛇塚古墳前方後円墳も知られています。

 

稲荷神の神使いであり、氏と深く結びついているのです。

 

安倍(阿倍)氏はその氏と血族であることを伝説から読み取れるのです。

 

そして、次々と閃くことを辿ってみたら、自分自身がまさか、まさかの安倍(阿倍)貞任末裔であったなんて、本当に信じがたい結びに辿りつきました。

 


 

本当にこんな信じがたいことって現実にあるのでしょうか・・・・。

 

本当に少し怖いくらいです。

 

今まで歩んできた人生を振り返ると、やはり因果であろう出会いや境遇の不思議さに納得できることもありますが・・・。

 

その阿倍(安倍)を祖とする証を確認するため、母方の伯母さんの所へ行ってきました。

 

そして昨年暮れ、宮城県阿部の本家に行っても分からなかった、阿倍(安倍)氏に伝わる三種の神器ともいえる宝玉、それとお墓のことを確かめることができました。

 

そして紹介した福島県の民話で言われている「安倍(阿倍)の文殊」という呼称からも、私が先に綴ったブログ内容の通り、奈良阿倍文珠院)から東北の地へと移り住んだ証となるものと考え繋がりました。

 

(奈良・阿倍(安倍)文珠院・渡海文殊像:国宝)

 

さらに伯母さんからは、福島県で伝わる民話の「安倍(阿倍)文珠様」の呼称ではなく、祖父達祖先は地域の人々から「天子(てんし)」といわれていたそうです。

 

しかし、伯母さんは宗教系の〇〇学会に入っていたから、どうしても言うこと全てを信じることができないので、自ら確かめなくてはいけないと思っています。

 

 

今年4月、母を連れて宮城の母の実家へ帰郷する予定です。

 

そして菩提寺とは別に本家が所有する山にあるといわれる阿倍(安倍)家の墓参りをしたいと思っています。

 

伯母さんが話した「傘を被った墓がある」を、昨年宮城に行った際に時間がなくて確認できなかったので、改めてどの様なお墓なのかを絵で書いて示してとお願いして描いてくれた墓石の絵。

 

 

まさか7基も並んであるなんて・・・。

 

伯母さんいわく、「まるで人が立っている様に並んである」そうです。

 

 

前九年の役で、「衣のたては ほころびにけり」と源義家公が歌った下の句に対して、「年をへし 糸の乱れの苦しさに」と上の句を返した安倍(阿倍)貞任の和歌をうたうと、なぜか自然と目頭が熱くなってきます。

 

この感情もまた、ご先祖とされる阿倍の祖からきているのでしょうか・・・。

 

振り返ると、数年前から大日堂富士北口本宮浅間神社へ年に3、4回ほど参拝しており、昨年の初夏の頃、諏訪大社へ参拝してから急に閃きが次々と繋がっていき、本当に霊的な導きというものがあるのだと実感したこの半年間でした。

 

 (富士北口本宮浅間神社)

 

葬儀代などが不経済と考え、散骨などを行う人々が多くなった現代社会。

 

これまでの不思議な出来事を振り返ると、人は因果を背負って生かされていることが実感できたと共に、やはり祖先を大事に供養しなくてはいけないと改めて思い、考えさせられました。

 

因みに私は霊能者でもなく、また宗教家占い師カンセラーセラピストなどでもありません。

 

年甲斐もなく片想いを膨らませて嫉妬したり、落ち込んだり、時には男のくせして泣いてしまったりしてしまう、つまらないただの男です。

 

(東京ビッグサイトにて)

 

まったく恥ずかしい限りです。σ(^_^;)

 

だけれど、人を「騙して陥れたり」、「媚びたり」、「長いものには巻かれよ」的な生き方は大嫌いであり、そういう人間とも関りたくないという思いが幼き頃からもっています。

 

これは、阿倍氏代々からの血統であるならば、それを受け入れ、ご先祖に恥じることなきよう生きていきたいと思います。

 

自分を改めて見つめなおすと、ただ一言、まだまだだなぁ・・・。

 

 

四十にして惑わず、五十にして天命を知る

                孔子

 

 

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阿部の祖を想う

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私の母方の阿部の祖について、昨年の夏頃から急に興味を持つようになりました。

 

それもが導くように次から次へと閃きという形で教えてくれている様に思えます。

 

昨年の暮れまで、起点は平将門公と思っていましたが、今年になり起点は大日堂に祀られている大日如来であると感じ取りました。

 

 

阿部の祖は、武族でありながら儒教を教え、その後は宗教として日本人の魂の拠り所を作り広めていくのです。

 

 

阿部の姓が東北に多いのは、阿倍比羅夫の時代以前から東北地方の人々に信頼関係を築いてきた阿倍氏が、古代大和朝廷より東北地方の平定を任され奥六郡世襲を許されたからでした。

 

しかし阿倍氏の勢力は、奥六郡にとどまらず、陸奥国(青森県、岩手県、宮城県、福島県、秋田県北東部)のほか、北海道南部にまで及んでいたのです。

 

そこには、その地域に土着していた先人の人々との信頼関係による繋がりがあったからと考えられます。

 

信頼関係を築くには、上に立つ者であっても下の者と同じように苦楽を共にし、汗を流さなければ生まれないものです。

 

 

恐らく阿倍氏は、東北の開拓や開墾に加わり、土着していた人々と共に汗を流して暮らしを豊かにする為に尽力したのだと考えられます。

 

天皇陛下が田植えをされるお姿や、被災地での被災者に寄り添うお姿こそ上に立つ者の心得のように私には思え、阿倍氏も同様に土着の人々と同じ目線に立って支えていたのだと思います。

 

京都・清水寺を建立し、蝦夷討伐で名を馳せた坂上田村麻呂ですが、それ以前に蝦夷統制に出向いた阿部比羅夫蝦夷との大きな争いをすることもなく、逆に蝦夷都に迎い入れ宴を催していたり、遣唐使の一員としてへ同行させるなど良好な関係を築いていました。

 

阿倍氏は、本当の武人であるが故に無用な争いはせずに調和を図っていたことが伝承記録からもうかがえるのです。

 

その阿倍氏は、東北に土着する以前は奈良を拠点としていたことも文献や遺跡、寺院や地名などの足跡から知ることができます。

 

今、私の中で閃きから関係性を強くしているものに、阿倍氏と鹿の関りがあげられます。

 

阿倍氏所縁の場所には、鹿が関係している様に思えてならないのです。

 

(奈良・春日大社にて)

 

例えば阿倍氏所縁の地の奈良には神の使いとして鹿がいます。

 

宮城県には牡鹿半島があり、東北地方に古来から鹿踊りも見られるなど、阿倍氏の足跡をたどるとそこには鹿が出てくるのです。

 

(鹿踊り)

 

日本各地に残る地名において、鹿児島鹿島なども更に調べていくと水軍を率いていた阿倍氏と結びついてくるように思えます。


その阿倍氏は、古代イスラエル民族の血を受け継ぐ者たちであり、戦闘的な騎馬民族の側面と、利聡い交易民族に熱烈な宗教民族の側面を持ち合わせていました。

 

 

その血族の根拠の一つに、統計的に日本古代男子の平均身長が160㎝前後に対し、阿倍氏は身長180㎝前後であったことがあげられます。

 

分かっているところでは、阿倍比羅夫をはじめ、阿倍仲麻呂阿倍(安倍)貞任などは6尺あったとあり、身長はみな180㎝前後と高かったのです。

 

因みに紀元前に栄えた中国秦の始皇帝兵馬俑は原寸大で作られているといわれています。

 

(兵馬俑像)

 

その兵士の身長は、180㎝程あるということからも、阿倍氏は中国から渡来した武人との繋がりも考えられるのです。

 

そして、古事記藤原氏が編纂したとされる日本書紀にみられる阿倍氏の祖とされる大彦命が埋葬された古墳が埼玉県行田市に在ることからも、古代より東日本阿倍氏が主権に関わっていたことも推測できます。

 

(埼玉県行田市:将軍山古墳・大彦命)

 

紀元前、秦の始皇帝の命を受けて日本に不老不死の薬を求めてやってきた船団を率いる徐福の記録があります。

 

 

考察すると、東日本では紀元前より大陸から渡来してきた人々が、日本古来より土着していた縄文文化を継承する人々と分かち合う関係で新しい文化へ柔軟に移行していきました。

 

その発展に阿倍氏は寄与していたと考えられるのです。

 

      (蝦夷・絵図)

 

これは、古代より東北地方で蝦夷(アイヌ=伊努)と呼ばれる人々との関係性をみるとうなずけます。

 

    (アテルイ=弖流為)

 

しかし、何故か多くの歴史書に阿倍(安倍)氏の活躍に関する物語は隠されるがごとく表されていません。

 

その理由は、日本国建国以来、天皇に近い存在でありながら天皇に逆らう逆賊に仕立て上げられ、汚名をきせて何ら不義のない阿倍(安倍)氏へ討伐の決起を挙げた闇の歴史があるからだといえます。

 

その首謀者は、藤原氏。

 

その狙いは、産出される金や馬、毛皮や弓に使う羽、独自の遣唐交易ルートによる輸入品の権利を奪うものでした。

 

平将門公も農業などに奴隷のように扱われる弱い人々の為に立ち上がった武人でしたが、藤原氏が逆賊と汚名をきせて、平氏の血縁者らを騙して討伐させるのです。

 

平将門公は、朝廷に背き「新皇」と名乗り、天皇に対抗した逆賊者と様々な書籍に記されていますが、真実は汚職などで腐敗した中央の朝廷政治に対して阿倍氏が統治していた陸奥国と同じように坂東地区(関東=相模・武蔵・上総・下総・安房・常磐・上野・下野)を統治する坂東国の王というものであって、決して天皇に刃向かうものではなかったのです。

 

それをあたかも天皇の地位を脅かす反逆者との汚名をきせ、下層で苦しみ生きる民の為に立ち上がった武人を討ったのでした。

 

藤原氏自身は危険な矢面に出ず、血を流すことなく欲するものを手にする悪知恵の利く者といってよいでしょう。

 

 

しかも、神がかりな力を受けていると信じられていた平将門公を討つのに、千葉県成田山に寺院を建立して護摩木を炊き、「呪い殺す」祈祷まで行っていました。

 

日本建国以来、様々な争いの陰に藤原氏の欲望による策略の数々が見え隠れしています。

 

ただ、良くも悪くも阿倍氏にとって藤原氏との関係はどこかで繋がる因果にあるのです。

 

先に綴った私のブログ「奇跡の鉛筆」のお相手のお名前が藤原様であったことも、後になって気づき驚いたことの一つとなりました。

 

本当に事実は小説より奇なりと感じた一連の出来事でした。

 

 

東北阿倍(安倍)氏は、朝廷権力者らの欲望の為により、梵字(サンスクリット)の第一字母で、万物の不生不物という「悟り」を表して用いる「阿」倍の姓から、低いを意味する「安」倍と姓を改めさせ蔑んだのでした。

 

そして、戦いを仕掛けてきた朝廷軍に対して阿倍(安倍)氏は、9年間(前九年の役)に渡る戦いを続けるのです。

 

この長きに渡る戦いができたことは経済力は勿論のこと、東日本北部に土着する人々や武士達からの強い信頼関係が築かれていたからこそと言えます。

 

日本における武士の起源はこの時代で、直刀であったから反りかえった形日本刀ができたのもこの頃なのです。

 

 

岩手県に残る奥州藤原氏の財宝とされる多くは、阿倍氏から受け継いだものであることを無視してはなりません。

 

私の母方の祖母の実家は刀鍛冶を行っていたと聞いており、また曾祖母は村々を馬に乗って闊歩していたとそうです。

 

 

阿倍氏は、奥州藤原の時代においても岩手県から引いた宮城県の地で、人々から信頼され慕われ続けていたといえるのではないでしょうか。

 

 

そして、阿倍(安倍)氏の東北に残った末裔は、江戸時代には復権して「安倍」から「阿部」へ姓を改めています。

 

江戸時代は、それまで戦乱によって消失した日本各地に在った古来より伝承を伝える寺院の復建にも力を入れた時代でした。

 

そして安倍氏から阿部氏へと姓が変わるのも、江戸時代徳川幕府の老中であった「阿部正弘」をまとめた書籍に書かれております。

 

 

それによると、寛永十八年(1641年)2月7日、江戸幕府は太田備中守資宗に命じ、諸大名及び幕府旗本系図、系譜などの資料を提出させ、寛永諸家系図を編集しました。

 

この時提出された阿部系譜には、「安倍」を姓とし、「阿部」と称するとあり、その祖を「阿部正勝」に始めるとあるのです。

 

それにより様々な資料を基に古代からの姓の変遷をたどると、阿倍」➡「安倍」➡「阿部となります。

 

平安時代大和朝廷の勢力圏内で仕えた安倍晴明は、低いを意味する「安」の姓を用いるしか生きる道はなかったのかもしれません。

 

(安倍晴明・像)

 

また、現代に至るまで「安」を用いる安倍(阿倍)は、江戸時代に徳川政権の外に置かれていた氏族だったと考えられます。

 

(私の祖父)

 

安倍晋三総理も西日本となる山口県出身だから、徳川との関りが薄く歴代「安」の姓を用いていたのかもしれませんね。

 

ただ、一説によると安倍総理は安倍(阿倍)貞任の弟、安倍(阿倍)宗任の末裔といわれています。

 

(安倍(阿倍)貞任・絵図)

 

安倍(阿倍)宗任は降伏したのち源義家の側近の武士の一人として活躍し、都に名を残しています。

 

 

 

私の祖は、安倍(阿倍)貞任の末裔と聞かされているので、安倍総理と親戚になるのかなぁ・・・。。(;°皿°)

 

それにしても、半年前まで東北の安倍一族などについて全く知ることもなかったのに、この歳になって様々な新しい発見と繋がりを知ることができて、考えれば考えるほど不思議に思います。

 

(穂高神社・阿倍比羅夫像と一緒に)

 

阿部の祖に恥じぬ生き方をしていきたいと思います。

 

 

年を経し 糸の乱れの苦しさに

(阿倍(安倍)貞任)

衣のたて(館)は ほころびにけり

(源 義家)

 

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今日の箱根

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今日の箱根は、今年2度目の大雪です。

 

 

国道1号線の山道には、既にスタックした車が道路脇に乗り捨てられていました。

 

 

何故、ノーマルタイヤで雪が降る山道を走行が困難となるまで登ろうとするのか?

 

つい先日にも大雪が降ったばかりなのに・・・。

 

 

雪は嫌いじゃないけれど、仕事に支障を来すのが問題。

 

リタイヤしたら、こうした雪も美しいと楽しめるのでしょうが、今はまだまだ仕事を優先して頑張らないと!

 

仕事を一生懸命してこそ男の価値があると思う!(o^-')b

 

護るものが大きければ、もっとやる気も出るのでしょうが・・・。

 

 

今日の勤め先定例会で、関連部署の発表の中に成人式の事件となった企業「はれのひ」の話題が出ました。

 

被害にあった成人の皆様と親御さんの心情を思うと、詐欺ともいえる営業を行った「はれのひ」の企業に対して憤りを覚えます。

 

私の勤め先のある部署では、事件を知らず当日の午前中に着付けの依頼を2件受け、スケジュール調整して対応したそうです。

 

その後、午後になりTVニュースで事件のことを知ると、取引業者を交えて緊急会議を開き、無償で着付けサービスを行ったそうです。

 

ご協力を頂いた取引企業にも感謝です。

 

(阿部家紋・鷹羽)

 

話を聞いていて胸が熱くなりました。

 

私の勤め先は、大きな災害が発生した際に企業を挙げてボランティア活動を行っています。

 

そんな素晴らしい企業の一員として、私も思ったら行動ができるよう心掛けていきたいと思います。

 

 

一人、雪道を歩いて思うことは・・・。

 

雪の様に真っ白な心になれるよう、仕事に一生懸命取り組み、人間として、男として頑張っていこう!p(^-^)q

 

あ~した、天気にな~あれ!!(≧▽≦)

 

山里は 冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば

源 宗于

 

 

人生のバイブル

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私のブログにたまに登場する人生のバイブルの言葉。

 

私のいうバイブルとは、参考書、お手本書といったところでしょうか。

 

そのバイブルとする書籍は、稲盛和夫著書の「生き方」です。

 

 

この書籍に出会ったのは、かれこれ10年以上も前に成ります。

 

当時、様々な啓発本が出版されており、その中で共感を覚えたのはこの1冊だけでした。

 

この書籍で著者が一番伝えたい事は、「人間は何のために生きるのか」という問いについての見解です。

 

拝読すると、稲盛氏の考え方に共感するだけでなく、不思議な繋がりも感じるのです。

 

例えば、稲盛氏は京セラの前身となる京セラミック㈱を設立しました。

 

稲盛氏は産業界で松風セラミックと関り、私は医療の分野で関わっていました。

 

また、稲盛氏の人生での変遷時期の年齢が私と重なるのです。

 

但し、人間としても、成功者としても、稲盛氏と私とでは月とスッポンですけど・・・。(。>0<。)

 

私はブックオフで稲盛氏の「生き方」が手ごろな価格で売られていると、ついつい購入してしまいます。

 

そして、気が合い共感してくれそうな方へ差し上げています。

 

読みやすくて、本当に素晴らしい書籍です。

 

正に人生のバイブルと言えます!!

 

その中の一説をご紹介いたしますね。

 

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■生き方:P-104

 

そもそも私たちの生命、私たちの人生は、価値ある偉大なものです。

 

その価値ある人生を、ただ無為徒然に過ごすのはもったいないことである以上に、宇宙の意に反した生き方でもあります。

 

天地自然は、この宇宙で必要であるからこそ、私たちを存在させています。

 

だれ一人、何一つ偶然に生をうけたものはなく、したがってムダなものはこの世にはいっさいありません。

 

大宇宙から見れば、ひとりの人間の存在などほんとうにちっぽけなものかもしれません。

 

しかし、どれほど小さなものであろうと、われわれはみんな必然性があってこの宇宙に存在している。

 

どのように小さな、とるに足らない生命といえども、また、無生物であろうとも、宇宙が「価値がある」と認めているからこそ、存在しているのです。

 

いま、このときを懸命に生きるー自然の小さな営みも、その大切さを無言のうちに私たちに教えています。

 

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是非!お手元にこの1冊を!!

 

このブログが何かのお役に立てれば幸いです。

 

 

自分に厳しく、他人にも厳しく

稲盛和夫

 

昨年の暮れ、宮城県から帰った日の夜に金縛りにあいました。

 

 

金縛りになったのは今まで生きてきて7、8回程ありますが、今回の金縛りは体が身動きできなというものではなく、寝ていたベットが起き上がり、部屋の隅に勢いよく移動するという感覚のものでした。

 

この感覚を受け、私がまだ高校生の頃に友人が私の自宅に泊まりに来て体験した話しを思いだしました。

 

彼いわく、「寝ていたら布団から引きずり出された」とのことです。

 

そんな事などあるわけないじゃん!と思っていた私がまさか同じような体験をするとは思いもしませんでしたが嘘のような本当の事なのです。

 

金縛りを初めて体験したのは、二十歳の学生の頃でした。

 

やはり年末の頃、車で自宅に帰る途中の道で交通事故発生直後の現場を通るはめとなり、道路で横たわるライダーの姿を目にしました。

 

その夜の事、年賀状などを書いたりして就寝が深夜になって布団に入りました。

 

しばらくすると、外の通りから歌なのかわからない音と共に人の気配が自宅へと近づいてくるのです。

 

やがてその気配は自宅へ入り、私が寝ていた2階の部屋へ入ってきました。

 

私はその気配に神経を集中して、「これは夢ではないよな?」と自問自答しながら、その気配の動向を聴覚でも確認していました。

 

そしてその気配は、寝ていた私の頭の上を横切り、左側に座ると布団の上から左腕を擦ってきたのです。

 

そこでも「これは夢ではないのか?」と自問自答しながら腕に神経を集中して確実に外圧を受けていることを確認しました。

 

そして動こうとした時に身動きできず、初めて自分が金縛りにかかっていることを認識したのです。

 

また、その金縛りは動こうと抵抗すると逆に押さえつけられる感覚であった為、心で「ごめんなさい、私は何もしてあげることが出来ません。」と思いながら「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えました。

 

するとその金縛りは自然と解けたのです。

 

私は金縛りが解けると同時に飛び起き、今体験した事を思い返しているうちに背筋に寒気を感じた為、親の寝室へ行き体験した事を話しました。

 

そしてその金縛りの原因は、昼間見た交通事故で亡くなられたと思われる人の霊ではなかろうかと話したのです。

 

すると母が、「そういえば今、バイクに乗っている青年の夢を見ていた。」と返してきました。

 

小さい頃にも家の中で黒い人影が私に気付かれたと察したように、焦ってに走り出して消えたのを覚えていたりします。

 

普段、目に見えないものが本当にあると改めて思った出来事でした。

 

私はそれ以降、寝る時は部屋の明かりを点灯したままにしています。

 

以前、テレビである有名芸能人も何らかの怖い霊体験をされてから部屋の明かりをつけたまま寝ていると語っていました。

 

暗くしていると、霊的な現象を呼びやすくするのかもしれませんね。

 

だから、性格は勿論、家や部屋、庭なども清潔に明るくしていることが大切だと思います。

 

(自宅室内・片付けないと・・・。(-"-;A)

 

そんなこんなで参った一件と、また有難く感じた一件もありました。

 

それは、箱根のマンションに行った時の事、1階でエレベーターに乗ろうと待っていて扉が開くと年配の女性が降りてこられました。

 

私は「こんばんわ」と挨拶をすると、少し驚いた様子ではあったものの、挨拶を返してきました。

 

普段はそれで終わる事ですが、その時は何故か違和感を感じたのです。

 

私は4階でエレベーターを降りるも、その年配の女性が気がかりで通路から聞こえる足音に耳を澄ませました。

 

するとあろう事か、その足音はエレベーターがある側と反対側の通路階段から上に上がってくるのです。

 

私は不審に思い、エレベーターで1階に降りて駐車場へ行き、車内からその年配女性の動向を観察することにしました。

 

すると、年配女性は4階からエレベーターに乗り、1階で降りて通路を歩き、反対側の階段で4階まで登る事を繰り返していたのです。

 

私は、「認知症」の疑いを抱き、年配女性の所へ行って、大丈夫かを訊ねました。

 

年配女性の返答はしっかりしていて一見問題無さそうに思えましたが、再び観察すると同じ事を繰り返して夜も更けてきたのもあり、警察へ対応の連絡を入れました。

 

結局、身元が判明するのに午前1時過ぎまで同席する羽目になりました。

 

やはり軽度の認知症でした。

 

翌日、管理者に確認をすると、横浜から息子さんのお嫁さんが迎えに来られてたとのことで、大事に至らずに済みました。

 

こうした違和感を受けられるのも、霊的な感覚と言えるかも知れません。

 

こうした感覚は有難いことです。

 

 

翌朝、冷え込みが厳しく車には霜がおり、アスファルトの上で凍えて息を絶っている山鳩も見つけました。

 

 

何年も前に同じ状態の小鳥を助けることが出来た経験がありますが、今回は間に合いませんでした。

 

もう少し早く見つけてあげることが出来ていたら、救えた命であったと思うと悲しくなります。

 

もし、年配女性の行動に違和感を覚えなかったら、この山鳩と同じことになっていたと考えるとそれもまた怖くなります。

 

(以前、私が撮影した猪です。私の言葉が分かるようで可愛い奴でした。今は多分・・・。)

 

話しは変わって、年末は他に福祉施設へ演奏者をお迎えして、入所者の方へ安らぎのひと時を過ごして頂きました。

 

私は体を動かして働くことしか能のない人間の為、人々へ安らぎを提供出来るスキルをもっている人を尊敬します。

 

 

今回は、モンゴルから来日する日程を頂いていた馬頭琴奏者のNAGISAさんと、モンゴル人の御主人の競演で施設の皆さんに楽しんで頂きました。

 

 

私はいつも皆様に何かしらの形でお役に立ちたいと思っています。

 

 

その私の気持ちに協力して頂きましたNAGISAさんご夫婦に感謝致します。

 

そして、今年も娘二人と三人で北口本宮富士浅間神社へ初詣に行ってきました。

 

 

引いた「おみくじ」は三人とも「大吉」でした。

 

 

そして私の「おみくじ」は「大吉」なのに、いつも書かれている「酒と●におぼれてはなりません」の言葉・・・。

 

そういえば昨年はじめ、忘れていた「」をしました。

 

というか、「守ってあげたい!」と強く思いすぎてしまい、その想いからなる嫉妬により心乱れ、結局ただの片想いに終わってしまった事がありました。

 

反省。。゚(T^T)゚。

 

因みにお酒も普段は全く飲まないから、常に正しい心であれということと解釈しました。

 

そして「おみくじ」の裏面に書かれてある「天のみこえ」を読んで、やっぱり私は何時も行いを視られていると感じました。

 

 

昨年の夏以降、急に平将門公を通じて祖を辿る為に書籍を買い込んだり、旅行をしてその地へ行き調べたりしました。

 

その行動を示すように「天のみこえ」の内容は、「いにしえの文の林をわけてこそ あらたなるよの道もしらるれ」と書かれていたのです。

 

 

今年は、祖を辿る旅として岩手県島根県、そしてまた宮城県奈良に行く予定です。

 

そして昨年のブログに記した「奇跡の鉛筆」の方に時間がなく会えなかったので、今度こそ会うために大阪へもう一度行かなくてはと思っています。

 

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https://ameblo.jp/9203kuni/entry-12237207453.html

 

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小さな事しかできませんが、これからも一つ一つ人の為に繋がる善き行いを積み重ねていきたいと思いますので、今年も何卒宜しくお願い致します。

 

今年初めの私の心境を表した歌は、 HOUND DOG / LONELY SOLDIER です!

 

 

昔は服装も髪型も大友さんをまねてましたが、今は影も形もありません・・・。(。>0<。)

 

 

あの時の様な元気はありませんが、たまに昔を懐かしみ大声で歌ったりします。

 

振り返ると、みんなに熱気があったいい時代だったと思い出されます。

 

そして今はLONELYですが、いずれ道祖神のように私も・・・。(*^o^*)

 

 

己の満足でなく

   世の為、人の為に生きるのだ!!

 

原田 陽啓

緊急速報で胸騒ぎ

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昨日発生した地震。

 

昼間、久しぶりに緊急地震速報が携帯機器に流れました。

 

 

しかし、大きな揺れはなく安心するも、情報を収集すると何故か胸騒ぎがしました。

 

情報によると、当初は茨城沖を震源地とするとあった後、直ぐに富山沖に震源地が変更となり伝えられたのです。

 

これは、同時刻に違う場所で地震が発生したことで、地震波を計測するコンピューターが大地震と判断した為と気象庁が見解を述べていましたが、果たしてそうでしょうか?

 

緊急地震速報は、2011年3月11日に発生した東日本大震災以降から広く市民に提供されるようになった警報の一種です。

 

この警報は、地震の初期微動P波を捉えて、主要動S波震度4以上の強い揺れが予想される地域へ向けて通報されるものです。

 

この警報システムは、誤報改善の為に地震計を増設するなどしてシステムの精度が高められているはずです。

 

それなのに遠距離にも関わらず、二つの小規模な地震を同時に感知して大規模地震と予測処理されることがあり得るのか疑問に思うのです。

 

そして深夜の首都圏を震源地とする震度4の地震が発生しました。

 

昨日から何だか嫌な胸騒ぎがするのは、首都圏直下型大地震発生のカウントダウンが始まったように思うところからきているのでしょうか・・・。

 

特に今年の1月から4月にかけて、注意が必要に感じます。

 

新年が穏やかな年であることを、ただただ祈るのみです。

 

 

今日も生涯の一日なり

福沢諭吉

 

 

謹賀新年

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(宮城縣護國神社)

明けましておめでとうございます

 

(大阪府・阿倍王子神社)

皆様にとりまして幸多き年に成りますよう心よりお祈り申し上げます

 

(奈良県・阿倍文殊院)

心を込めて

 

(2018年1月2日・神奈川県側から望む富士山)

 

2018年