私もそうでしたが、我が国日本の始まりはイザナギとイザナミからと思っていませんか?
前回にも紹介した通り「大祓詞」の意味を調べるとイザナギとイザナミの前に別天津神(ことあまつかみ)という神々がいたのです。
「古事記」神代の巻頭にある宇宙の始まりから天と地が開けたときに最初に「高天原」に出現した5柱の神々を「別天津神」というのです。
実は高天原は宮城県一帯(岩手、青森、秋田、福島)であり、そこは神聖なる神の国として定まったということです。
最初に現れた三柱の神の中心は、天之御中主神(あめのみなかぬし)といわれ、宇宙の創造神で、妙見信仰と習合して北極星と北斗七星の神とされています。
そして、「天」の全てを作り出す神が高御産巣日(たかみむすび)で、「地」の全てを作り出すのが神産巣日(かむむすび)なのです。
天之御中主神の名前を知って気付いたのは、奈良県の阿部山にあるキトラ古墳に埋葬された人物は、竹取物語でかぐや姫に求婚したうちの一人の阿倍御主人に似ていることです。
キトラ古墳の天井には、宇宙との関りを示す星座の図表が描かれています。
そして、「阿倍」(あべ)=「天」(あめ)から由来しているようにも思えるのです。
また、「阿」には、阿字観と言って宇宙を表す意味として知られており、「天」と同じ意味を持っているのです。
日本国の始まりは、この三柱の後に二柱の神が現れ、その後に幾柱の神々が現れたのですが、姿を隠したと言い伝えられています。
その後、イザナミとイザナギが現れて、天津神(高天原の神々)が地上世界(西日本)を固めつくり上げよと託されて天下ったのでした。
何故、イザナギとイザナミの前の神々が多くの人々に認知されていないのか?
そこには天皇家の系譜に影響を及ぼすからとも考えられます。
それはつまり「中華思想」的な考えを持つ学者によって、機内が日本の中心であるかのように教育がなされていったからなのです。
私が中学生の頃に習った歴史には、関東地方に古墳が無いように示されていたように記憶しています。
調べると宮城県にも古墳は存在していました。
それどころか古墳時代が始まる以前の縄文時代に青森県で異形の遮光器土偶が出土したことは有名ですが、宮城県でも出土しているのです。
(縄文時代・漆塗り)
遮光器土偶は、形状から氷河期時代の人々の姿を模したものともいわれています。
また、縄文時代の漆塗りの櫛や器なども出土しているのです。
これは、太古より東日本には高度な文明社会が形成されていたことを裏付けるものです。
最近、私に降りてくる教えというか閃きでは、畿内に大和国を築くのにあたり、阿倍氏と蘇我氏は強く繋がっていたと思うのです。
その閃きからくる教えを調べると、次から次と驚く発見がありました。
先ず、私が生まれ育った父方の家の周辺は寺院に囲まれています。
その二つのお寺の寺紋を確認すると、「葵の御紋」と「鷹の羽と二つ巴」で、「赤穂浪士」を連想します。
実際、住職の弟さんは教師をされていて、自身の出生を調べたところ山口県の方から神奈川の地に移り住んだということでした。
浅野藩も安芸国を領地としており、阿部氏所縁の厳島神社がある場所でもあります。
実際に我が家の墓を見ると、古い墓石の字は読めませんが、確認できる文字では忠臣蔵が起きた「元禄」の時代の年号が刻まれています。
また、我が家の墓の位置は、本殿の真裏であることから寺が建立された以前からこの地に住んでいたとわかります。
昨年、住職に聞いた話によると、我が家は「名主」であったとのことで聞かされ、想像をしていなかっただけに驚きました。
私の父からは、一度も昔は「名主」であったなど一言も聞いたことがなかったからです。
今まで何も気にしていなかったのですが、改めてカーナビを見ると、我が家は「葵の御紋」を持つお寺と、「鷹の羽と二つ巴」の紋を持つお寺に、山岳信仰をしている寺院とに守られるように存在していることに気付きました。
私の家の隣の家の屋号は「観音屋敷」といい、そして私の家の屋号といえば「こうや」です。
叔父さん達もそうでしたが、「こうや」といえば一般的に「紺屋」が思い当たり、昔は染め物業を営んでいたと思い込んでいました。
しかし、私の閃きでは「紺屋」ではなく、弘法大師が開いたとする高野山と同じ「高野」ではないかと思ったのです。
私の家の場所は、古代寺院が建っていた場所でもあります。
その地域から発掘される瓦の紋を見ると、奈良時代に建立された東大寺と同じ紋であり、また更に古い飛鳥時代の紋の瓦も見つかっています。
(廃寺瓦紋) (東大寺瓦紋)
飛鳥時代といえば、蘇我氏や聖徳太子が活躍した全盛期ともいえる時代です。
そんな古い時代に、まして茅葺ではなく瓦葺の屋根をもつ寺院が存在したことは歴史的にも重要であるにも関わらず、その痕跡は忠魂碑のみで時代とともに人々から忘れされようとしています。
私がカーナビの画面で他に気付いたことに、阿部氏と蘇我氏の関りが隠されているのではと思ったことがあります。
それは、我が家の前に並ぶように存在する2件お寺の名前の組み合わせを変えると「安宗」(阿蘇)という名称が浮かんでくるのです。
更にカーナビから近隣の山にある宗我(そが)神社の参道が私の家の方向に向いていることに気付きました。
私は地図を用いて地図上に線を引いてみました。
すると、宗我神社は私の家から鬼門の方角に存在していることがわかりました。
宗我(蘇我・曽我)神社の寺紋は、五七の桐紋と三つ巴です。
「五七の桐紋」は、皇室の副紋になります。
宗我(蘇我)神社の本殿裏に回ると祠があり、その一つにダルマ虫が群がっていて不思議な光景を目にしました。
私の家から宗我(曽我)神社への線を更に地図上で伸ばしていくと、北は「菅原神社」を通り、「出雲大社」、「大日堂」、「大山・阿夫利神社」、「八王子駅」、「氷川神社」、「行田古墳群」、「宇都宮駅」、「郡山駅」から「宮城県多賀城」「塩釜神社」、「登米市」、「岩手県・宮古」、「北海道・知床」へとつながり、南は「熱海市・来宮神社」、「伊豆・阿弥陀三尊岬」へとつながるのです。
そして、その直線に対して私の家を起点に90度の角度で直線を引くと、「富士山」を通り、「岐阜県・御岳山」、「福井県・白山」、「九頭竜川」とつながるのでした。
更には、茨城県の鹿島神宮と九州の阿蘇神社を結んだライン上に「我が家」が重なる他、鹿島神宮から見ていくと、「千葉駅」、「横浜駅」、「小田原駅」、「豊橋駅」、「伊勢神宮」、「奈良県・桜井市」、「奈良県・橿原」、「和歌山駅」、「徳島駅」、「四国・剣山」、「阿蘇山」、「天草半島」と、古代日本の重要な神々が祀られる場所に重なるのです。
茨城県・鹿島神宮から九州・阿蘇神社を結んだラインは南海トラフ地震や東海地震が懸念されている中央構造線の断層にも重なります。
鹿島神宮にタケミカヅチ、阿蘇神社にはタケイワタツノミコトが地震を抑えています。
その重要なラインの支点となる我が家の場所は、資料を調べる弓削氏の氏寺で、山号を補陀落山という寺院が在ったと記されていました。
補陀落とは、観音菩薩が降り立つ場所をいうそうです。
私の家のお隣が「観音屋敷」との屋号を持つことからも確証といえるでしょう。
そして伝承によると、その寺は孝謙天皇(阿倍内親王)が失脚した際、側近として支えてきた弓削道鏡が鑑真から頂いたとされる十一面観音像を納めた場所とのことです。
弓削道鏡については、出生や青年期までの消息は不明であるにも関わらず、位の低い地方氏族やら、色欲僧侶などと悪評が伝えられていますが、これも藤原氏によって意図的に風評したものと考えられます。
その道鏡が奉納したとされる十一面観音は、現在別の寺院に移されています。
別の寺院に移された十一面観音については、災害で流されて辿り着いた場所が飯泉観音であると私は聞いています。
二宮尊徳(金次郎)も参拝に訪れていた場所になります。
(境内にある二宮金次郎・像)
しかし、我が家の地は高台に在り、水害で流されるような場所ではないのです。
だからこそ「流されて」という言葉に素直に受け取れず、最近になって思いついたのは「質流れ」という言葉があるように、「流れ」=「売られた」のだと思うのです。
そしてその寺院の境内に弘法大師像が祀られていたことから、私の家の屋号が「紺屋」ではなく、「高野」であることが裏付けられた気がします。
思うと、父方も母方の阿部家と不思議な因果でつながっていたのです。
また、私は当たり前に思っていたのですが、父方と母方の阿部家との共通点は家柄にもみられました。
それは、財産は長男が受け継ぐというものです。
私はそれが当たり前と思っていました。
父方、母方ともに兄弟が多いのにも関わらず何ら揉める事がなかったのです。
父方の叔母さんにあっては、何か足りないことはないかとお金を持ってくるほどでした。
また、隣接するお宅とも土地の境界線をめぐり、隣のオヤジが境界となる杭を抜いて移動したことも他から聞いて知ってはいるものの、微々たることでいがみ合ってもつまらないと荒立てない姿勢も、世間からみるとあまり聞かない話です。
父方の叔父さんを改めて見ると大川橋蔵氏に似ていて、もうすぐ80歳になるのに気品があります。
( 安倍晴明の父・安倍保奈の物語)
この間、叔父さんが家に来た時、「叔父さんは大川橋蔵に似ているよ。」というと、「バカ!俺帰るは・・」と照れながら帰っていきました。
私には全く品がありませんが、叔父さん達には品を感じます。
母方の阿部家の方にあっては、周辺を地図検索すると「熊野神社」に隣接して宗像三女神を祀る「市杵島神社」がありました。
宗像三女神はアマテラスがスサノオの十拳剣(とつかのつるぎ)から生まれた水の神で、その市杵島神社も池の畔に鎮座しています。
福岡県では、宗像大社として祀られている神です。
また、宗像三女神は、安倍文珠院の在る奈良県桜井市にも鎮座しており、広島県の厳島神社の祭神とされる神様なのです。
母は幼き頃からこの神社を「弁天さん」と呼んでいたそうです。
調べると、宗像三神は弁財天と同一視されている他、観世音菩薩の化身とも考えられているそうです。
私が以前から表している通り、弁財天はペルシャ系の女性であり、白狐であると思っています。
そして弁財天は稲荷神でもあるのです。
阿部家の隣地にある市杵島神社の場所は、貉(むじな)坂といいます。
貉(むじな)には、「同じ穴の狢」という言葉がある通り、違う者同士が同一視されることを意味しています。
そして、宗像三女神の内の一人は、頭が人で体が蛇ともいわれる宇賀神とも習合されています。
安倍貞任も宮城県に残る民話の伝承によると、「産屋を覗くと赤子を抱いて蛇がとぐろを巻いていた」と残されており、貞任の生地の近隣に市杵島神社が存在することに関係性があるように思えます。
余談ですが、その近隣には菅原道真をお祭りする菅原神社も鎮座しております。
「菅原」姓の人口分布をみると、安倍・阿部姓と同じように菅原は宮城県が一番多いのです。
恐らく、菅原道真の出生地は宮城県であると私は考えます。
だからこそ冤罪で流刑となった地は、出生地から離れた場所の九州だったのでしょう。
因みに安倍貞任の異母兄弟の弟の宗任も、前九年の役を生きて九州に流刑されているのです。
話は戻り、私の母方の阿部家の実家周辺を見てみると、本家の墓がある山の反対側の地名は、「御所入山」という地名が残されています。
更に山を背にして本家から海側に向かう地名は、「伊勢町」や「大宮町」といった地名が見られ、大宮町にあるお寺は「宮殿寺」という名の立派なお寺も存在します。
こうした事実を調べていくと、もしかすると叔母さんが言っていた通り、「天子様」という話は真実であったのではなかろうかと思うようになりました。
そして阿部家は、古事記でいうところの「別天津神」ではと思うようになったのです。
私が阿部家本家に伺った際に、長男から教えて頂いた口伝に、「昔、多くの刀などは水源地に埋めた」と口伝で聞いていると話されました。
その時は、「水源地に埋めるかぁ?」と半信半疑に話を聞いていましたが、今回地図を見ていて気付いたことは、熊野神社の脇に川があることが分かったのです。
母に「こんなところに川があるの?」と尋ねると、「記憶にない」と返事が返ってきたので、恐らく湧き水程度の水量しかない川なのではと思います。
このことから東日本大震災を機にこうした天津神や安倍貞任につながる証拠が露呈して、その証拠や痕跡を隠蔽するために本家の長男が私に語ってくれた水源の場所にトンネルを掘る工事が進められているのだと理由がわかりました。
更には、復興道路の建設を理由に、安倍家本家の解体と山にある先祖代々の墓を整理したのだと思います。
本家長男もお人好しだから「復興道路建設のため、協力を」と言われ、ある程度のお金を提示されれば誰もがきっと承知してしまうことでしょう。
しかし、本当に考えれば考えるほど、おかしな話です。
本家の在る地域は特別区に指定されていて、縁のない人は住宅が建てられない場所でもあるのです。
それ故に空き地は余る程在るのに、わざわざ本家の家を解体して、そこに復興道路という道を建設しているのですから・・・。
本家の長男も、まさか阿部家が安倍貞任や天津神を祖として繋がっているとを知る由もないのですから仕方がないのかもしれません。
(阿部一族・宗家の家紋)
私が急に先祖のことが気になり、それを調べる為に宮城県に行ったことで、本家の解体の事実を知り得たことができたのも、目に見えない導きがあったからと思えてなりません。
私の母方の祖母は栄存法印と血縁の様で、霊力が強い人であったようです。
母方の実家に行ったとき、何も知らずに山にあった祠が気にとまり、手を合わせました。
その祠が後で栄存法印のものと分かった時、改めて導きを感じました。
阿部家に嫁いだ祖母は小柄ながら子宝に恵まれ、正直者で働き者であり、苦労もされたと聞いています。
母が同級会で会った級友から、「子供の頃にいろいろ叔母さんから助けてもらってありがとう」とお礼の品々を複数人から頂いたそうです。
私が生まれた時には既に他界されていたので、一度もお会いしたことはありませんが、写真や話を聞いて祖母も優しい人であったことが嬉しく思います。
そんな因果のある阿部(安倍)家の聖地を騒がす者たちには、恐らく無事には済まないことでしょう。
私はそう思えてなりません。
こうした開発行為は、愚かな者たちの振る舞いと思えて、昔に観た「大魔神」の映画を思い出します。
(穂高神社・阿倍比羅夫・像)
日本の神様は、道理に反することを行う者を祟るのです。
そのことを忘れてはいけないと私は思います。
子供の頃、母からの言葉に「人を呪わば穴二つ」と自分に返って来るので、決っして悪い心を起こしてはいけないと言い聞かされました。
私には感じませんが、思うに「強い霊力がある」からこそ禁忌として教えたのかもしれません。
なんだか怖い話になってきました・・・。
遮那(大日如来)は中央に坐す
遮那は「阿」の号ぞ
本是我が心王なり
空海