2006-08-24 09:37:25
posted by 8x--x8
坂東眞砂子「子猫殺し」に思うこと
テーマ:動物愛護
非常に気分の悪い話で、ここに書くべきか悩みましたが、皆様は「子猫殺し」ネット上で騒然
というニュースをご存知でしょうか?
別に愛護記事でもなんでもなく、単なる批判に過ぎないのですがどうにもだまってられないので書きます。すみません。
「子猫殺し」というエッセイの内容を知りたくない方、当記事に異論のある方はスルー推奨。
8月18日付け日経新聞 に掲載された、坂東眞砂子のエッセイ「子猫殺し」
騒動の詳細はリンク先を見ていただけばおわかりになれますが、書いた作家も作家なら載せる日経もどうかしていると思う。
冒頭の「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている」の意図するところがまずわからなかった。
たたかれるのを承知で物を書く事それ自体は珍しくはないが、その内容があまりにイカレている。
私の個人的な尺度から、はじめは罪悪感からの告白かと思い全文を読むにつれ、罪の意識とかいう類いのものとはほど遠いと感じられた。
人それぞれに考え方は多種多様である。ブログで交流をするようになり改めてそう感じる今日この頃なのだが、明らかに尋常を逸している行為を行っておきながら屁理屈でもって肯定しようというのは如何なるものか。
著者は飼い猫の生まれたばかりの子を崖下に放り投げて殺害しているという。
彼女いわくそれにはもっともな理由があり、獣として生まれついたからには性交、出産こそが喜びであり、生きる証であり避妊手術は生を奪うに等しい行為。よって飼い猫に本来の生を与え、かわりに社会責任を果たす為に子猫を殺すという。
子猫を放り投げるという異常行動を社会責任からといい、避妊もしなければ室内飼いもせず、生まれた子を育てる意思もなくばはじめから無駄骨といって里親を探しもしない。
自己の怠慢にもっともらしい理由をつけて、多くの愛猫家が飼い主のエゴと猫の幸せの狭間で悩んだ末に選択するごく一般的な避妊手術という行為を、神でもないのに生を操る身勝手な人間業と否定。
潔さなどというものではなく開き直りの上に自己を正当化し、さらにはそのために他者をも否定するという私が一番嫌う行為である。
猫が人になつくのは餌を貰うための手段にすぎない。とも言う。
この人の意見にならえば、避妊、去勢されている我が家の二匹は生きながらにしてすでに死んでおり、体をすり寄せてきたり、傍に寄り添ったりという行動は全て、単に食いっぱぐれないためのもの、ということになる。
このように聞けばどう考えてもそこに「幸せ」などというものはない。
この文を読んで、子猫殺しに怒りを覚えると同時に、愛猫との生活を否定されたような悲しい気持ちになった飼い主はたくさんいるはずだ。
生ませるも生ませないのもどちらの選択も間違ってはいないと思う。
愛玩動物として動物を飼いならす事、そのために性を奪う事は人間のエゴと言う主張も外れてはいないと思う。
ただ生ませて殺すは明らかに犯罪行為。
著者は性交・出産を「生」と位置づけているが、猫にとっても人間同様産み落とすまでが「出産」ではなく産み育てる事が「出産」であると思う。
当然母性はあるし、お腹を痛めて産んだ子が生まれるそばから消えていったらどんな思いだろう。それでも飼い猫をの「生」を選択しての行為と言えるのだろうか。
「子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ」という言葉には著者の生の感覚が麻痺しているのが伺える。
この世に生を受けたばかりの子猫の命と子種は同等であるわけがないし、人間に例えて考えると恐ろしい。
最後に「それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。」と結ばれているが、全くもってそんな風には思えないし、たたかれる覚悟はあると言いつつこの往生際の悪さである。
仮に痛みや悲しみを引き受けたとしてなんなのだと言いたい。
ホラー作家であるこの人は、作品だけでは飽きたらずについに実生活及び脳みその中身の異常さまで誇張しだしたのだと思う。これを読んで泣いたり気色悪がる人がいればいるほどお望みどおり。そんな気がする。
そして中にはそんな著者の意見に同調する輩がいる事も事実。掲載した日経は、クレームに対して「書いたのはあくまでも作家」というような対応のようだが、タイトルだけでもショッキングなこの駄文の社会に与える悪影響については日経側は何の責任もないのだろうか。
もっとも、紙面でこのような的外れな主張をさせるのは甚だおかしいと思う。
別に愛護記事でもなんでもなく、単なる批判に過ぎないのですがどうにもだまってられないので書きます。すみません。
「子猫殺し」というエッセイの内容を知りたくない方、当記事に異論のある方はスルー推奨。
8月18日付け日経新聞 に掲載された、坂東眞砂子のエッセイ「子猫殺し」
騒動の詳細はリンク先を見ていただけばおわかりになれますが、書いた作家も作家なら載せる日経もどうかしていると思う。
冒頭の「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている」の意図するところがまずわからなかった。
たたかれるのを承知で物を書く事それ自体は珍しくはないが、その内容があまりにイカレている。
私の個人的な尺度から、はじめは罪悪感からの告白かと思い全文を読むにつれ、罪の意識とかいう類いのものとはほど遠いと感じられた。
人それぞれに考え方は多種多様である。ブログで交流をするようになり改めてそう感じる今日この頃なのだが、明らかに尋常を逸している行為を行っておきながら屁理屈でもって肯定しようというのは如何なるものか。
著者は飼い猫の生まれたばかりの子を崖下に放り投げて殺害しているという。
彼女いわくそれにはもっともな理由があり、獣として生まれついたからには性交、出産こそが喜びであり、生きる証であり避妊手術は生を奪うに等しい行為。よって飼い猫に本来の生を与え、かわりに社会責任を果たす為に子猫を殺すという。
子猫を放り投げるという異常行動を社会責任からといい、避妊もしなければ室内飼いもせず、生まれた子を育てる意思もなくばはじめから無駄骨といって里親を探しもしない。
自己の怠慢にもっともらしい理由をつけて、多くの愛猫家が飼い主のエゴと猫の幸せの狭間で悩んだ末に選択するごく一般的な避妊手術という行為を、神でもないのに生を操る身勝手な人間業と否定。
潔さなどというものではなく開き直りの上に自己を正当化し、さらにはそのために他者をも否定するという私が一番嫌う行為である。
猫が人になつくのは餌を貰うための手段にすぎない。とも言う。
この人の意見にならえば、避妊、去勢されている我が家の二匹は生きながらにしてすでに死んでおり、体をすり寄せてきたり、傍に寄り添ったりという行動は全て、単に食いっぱぐれないためのもの、ということになる。
このように聞けばどう考えてもそこに「幸せ」などというものはない。
この文を読んで、子猫殺しに怒りを覚えると同時に、愛猫との生活を否定されたような悲しい気持ちになった飼い主はたくさんいるはずだ。
生ませるも生ませないのもどちらの選択も間違ってはいないと思う。
愛玩動物として動物を飼いならす事、そのために性を奪う事は人間のエゴと言う主張も外れてはいないと思う。
ただ生ませて殺すは明らかに犯罪行為。
著者は性交・出産を「生」と位置づけているが、猫にとっても人間同様産み落とすまでが「出産」ではなく産み育てる事が「出産」であると思う。
当然母性はあるし、お腹を痛めて産んだ子が生まれるそばから消えていったらどんな思いだろう。それでも飼い猫をの「生」を選択しての行為と言えるのだろうか。
「子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ」という言葉には著者の生の感覚が麻痺しているのが伺える。
この世に生を受けたばかりの子猫の命と子種は同等であるわけがないし、人間に例えて考えると恐ろしい。
最後に「それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。」と結ばれているが、全くもってそんな風には思えないし、たたかれる覚悟はあると言いつつこの往生際の悪さである。
仮に痛みや悲しみを引き受けたとしてなんなのだと言いたい。
ホラー作家であるこの人は、作品だけでは飽きたらずについに実生活及び脳みその中身の異常さまで誇張しだしたのだと思う。これを読んで泣いたり気色悪がる人がいればいるほどお望みどおり。そんな気がする。
そして中にはそんな著者の意見に同調する輩がいる事も事実。掲載した日経は、クレームに対して「書いたのはあくまでも作家」というような対応のようだが、タイトルだけでもショッキングなこの駄文の社会に与える悪影響については日経側は何の責任もないのだろうか。
もっとも、紙面でこのような的外れな主張をさせるのは甚だおかしいと思う。














