2012-08-31 13:11:07

2012/08/31

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両親から色々な物を相続した子供がいて、それをちっともありがたがらないのは、自分で勝ち取ったものじゃないからだ。
そういったら人達には始まりがなくて、あるのは結果だけなんだ。

でも、僕は物事を始めて、結果まで行く過程が必要なんだ。


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2012-08-12 11:33:35

*五輪に魅せられて*

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*五輪に魅せられて*


YASUNARI HIRAI  BLOG-ipodfile.jpg




4年前、テレビの前で五輪を見ていた高校生は、
4年後、テレビの中の五輪の試合に流れている選手になっていました。

2012年8月10日、僕の夢が叶った日。夢=オリンピアンになる事。
あの日の事は意外と記憶に細かく残ってる。

僕の行う競技、マラソンスイミングはオリンピックに出場できる選手は世界で25人しかいない。日本で一番になったからってオリンピックにいけるわけじゃない。
25枠を
世界のスイマー達が出場権利を取りに行く、競技同様、出場権利が厳しいものでした。


あの日、日本人で初めてこの競技でオリンピック出場にした。

レース15分前、選手控え室の空気は異質でした。
みんなの目や表情がわすれられない。
なんて言葉にしていいかわからないが、
個々の想いが体から滲み出ていた事は確かだろう。 

初めてのオリンピック出場を心待ちにする人。
前回五輪大会からさらに飛躍を狙う人。
自国開催の重みを感じながらメダルを期待される人。
金メダルを取る事だけを宿命づけられている人。
競技人生最後のレースを今から行う人。

様々だ。

一人一人、名前をコールされ、入場したあの時、気持ちよかった。とても。
日本の旗を見ると安心した。嬉しい気持ちになる自分がいた。
国を背負うなんで重苦しい言葉は使いたくないが、ああオレは日本人だと。
強く思った。改めて、改めて、再確認した。

日の丸って世界一カッコイイ国旗だなあなんて思う余裕もあった。

緊張はしていなかった。

あんなに、多くの人がいる所で試合をできる自分は最高だった。
とにかくいい気持ちだった。

スタートラインに立った時、
スタートした瞬間の絵が頭に鮮明に残ってる。


今回の僕の目標はオリンピック出場でした。

自分は実は結構現実的なところもあって、
6月にオリンピック出場ができなければ、水泳を辞めようと思っていたので、
去年の12月から就職活動にも取り組んでいました。

オリンピック出場できない選手が、大学卒業しても競技を続けるなんて
甘いという考えを持っていたので、プロがない日本の水泳競技で、
社会人でも競技を続けていくなら、
最低でもオリンピック出場が必要だろうと考えていました。

と、同時にオリンピック出場できなければ、
自分は水泳選手として負け組だ。
と、極端ですが、
そのくらいの気持ちで大学に入学してからずっと競技を続けていました。


今年の1、2月、今だから、言えますが、大学にも行き、就職活動もし、練習もし
3つの事を同時にやっていて、本当にきつかった。
コーチともうまくいかなかった時で、スイミングの練習に参加せず、
一人で新習志野プールの一般開放の中で、
一人自分でメニューを作り練習していた心身ともに苦しい時期もありました。
あの状況で、良く2月の全豪選手権、10km,4位、5km,3位に入れたなって
今でも良く思います。


3月、4月、5月と、6月10日に近づくにつれて、
焦る気持ちと不安な気持ちが日に日に高まっていっていた。
今まで、日本人で誰もチャレンジした事のないものに取り組んでいるので、
誰にも相談できないし、前例がないから、的確なアドバイスをくれる人もいない、
とにかく自分に自問自答していた常に。なるべく、弱いところは周りの人に見せないように、演じていた自分もいた。
イタリアのコーチのアドバイスは本当に僕を助けてくれた。
もう自分の国では限界があるから、海の外に答えを求めた。
ぼくみたいな人にでもいつも親切にしてくれるので本当に感謝とありがとうしかない。


この先、自分はどうなるんだろう。ずっとそんなんでした。

みんなには散々、大丈夫、絶対オリンピック出場できるって言っていたけど。。。


6月10日、オリンピック出場が決まって、
決まった事がわかった瞬間に、自然と出てきた涙は、そういう事が背景に
あったからだと思う。

あと、目標であった大学の広報活動のポスターにもなる事ができて、

そこに、【目指すは日本人初のOWS日本代表】って

書かれていて、ポルトガルに出発する前に完成したポスターを見て、

これ、もし出場決めれなかったら、
もう大学行けないよって真面目に焦った自分もいた。
1年間貼られているので、出場を逃しても貼られ続けられてるわけで、
見せれる顔がないって思ってた。


オリンピック出場が決まってから、
オリンピックに出発するまで、
自分の中でDREAM TIMEと名付けて、

今まで、五輪出場意識してきてから4年間、
もしオリンピック出場できたらやりたい事、
実現させたい事をできるだけ実現させようと、動いた。
この期間は、24時間、1日、1週間が本当にあっという間でした。

想いが形をなり、会いたい人に会うことができ、やりたかった事ができ、
本当に楽しかった。幸せでした。

なりたいアスリート像があったからその基盤を作れるだけ、作っておきたかった。
オリンピックが終った後からでは遅いと思っていたから。



レースは、僕とコーチが考えたプラン通りに泳いでいました。できていた。

ただ、予想と違っていた事は、予想以上にボディコンタクトがハードだった事。
それで、かなり体力を使ってしまった為に、ラストあげる事ができなかった。
まだまだ、パックの中で泳ぐスキルが足りないなとレース中もレース後も感じた。

OWS競技歴3年半、まだビギナーです。
僕がOWSをはじめる前から、他の選手達はこの競技で五輪出場、メダル獲得に向けて
取り組んでいたのですから。
3年半で良くこの舞台にこれたとも思いますし、
まだまだ、自分に可能性を感じます。可能性しか感じません。



泳ぎ終わって、顔も体も痛い所がたくさんでした。
泳いでいる時は集中してるから、感じないけれど。

ラストの1000Mくらいは、本当、限界突破していて、
普通だったら、完全にバテていたと思う。
だけど、たくさんの人達が現地に応援にきてくれていたし、
日本でも多くの人達が応援してくれているのを
知っていたので、それを頭に想いながら泳いでいたら、
また力がでてきて、完全にバテずにゴールまで泳ぐ事ができた。

応援してくれたすべてのみなさんへ
本当にどうもありがとうを言いたいです。
パワーになりました。
感謝しています。


ゴールタッチして、自分が15位だとわかって、
あ、オレ初めてのオリンピックは15位だったんだ。
オレのオリンピック終っちゃったんだ。。。
ってそう思いました。

ゴールして、悔しいとか悲しいという気持ちはありませんでした。
このオリンピックという、世界の一番の祭典に
選手として、参加できて、
そしてゴールして、応援にきてくれている人達が見えて、
みんなが手を振っていてくれているのがわかったので、
嬉しくて、たぶん笑っていたと思う。ずっと。

この写真はその時に海外のカメラマンの方が撮影してくれた写真で、
覚えています。
ほんとね、嬉しかったよ。

6月10日はレースが終ってから泣いてたけど、
8月10日はレースが終ってから笑っていた。

それがなによりだと自分自身で良かったと感じています。


今回の五輪は出場するのが目標だった五輪。

次、もし、もう一度五輪を目指すなら勝負する五輪にする。

もう出場するだけでは満足できない。

なにか持って帰ってくる五輪にしたい。


最後に、

僕にオープンウォーターを取り組むきっかけ与えてくれ、
僕の五輪出場の為に最大にサポートしてくれたを鵜原さん。


大澤会長をはじめ、僕をサポートしてくれた千葉県水泳連盟の方々。


中学三年生の全然優れた選手でない僕を引き受けて、今も指導してくれている
森コーチ。

小学4年生から僕の体をケアしてくれている坂本先生。


中学三年生の時から僕のトレーニングを見てくれて、OWSの海外試合にも帯同してくれている佐藤トレーナー。

女で一人で僕と弟を育ててくれている母親。

僕は、父親いない環境で育ってきましたが、
こんなに多くの人が僕を支えてくれて、
オリンピック選手になれました。

コーチ、トレーナー、先生、母をオリンピックに連れて行く事が
僕の本当の願いだったので、これ以上の幸せな事はありません。

ここに名前を出しきれていませんが、
本当に多くの方々のサポートや支えがあり、
ここまで
くることができました。




まだ、はっきりとした事が言えませんが、
競技を続ける環境ができたら、
4年後、勝負の為だけに頑張ろうと自分に誓っています。


オリンピックは最高の舞台です。
人生賭ける価値が絶対あります。
こんなに素晴らしい事、他にないと思います。

可能性が1%でもあるなら、トライしてみるべきです。




本当にありがとうございました。




YASU.
2012-08-09 07:40:23

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