朝目覚めた時に、ふっと思い出すことが多い。

今朝もそう。

それは懐かしい人の、生涯忘れることのない言葉だった。

少し気恥ずかしいが、こんな一言。

「まーちゃんという人に出会えて良かった」

アラサー時代、まだ新婚当時、家を出て、カミさんとリバーサイドのアパートの一角で暮らし始めた頃の話。

21歳の時から店と掛け持ちでアルバイトしていた湖東町にある大陽運送。

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そこでこの言葉の主は滋賀営業所所長を務めておられた。

所長といっても、実質、社長といって良かった。

本社は神戸で親戚が管理しており、独立するに充分な実力と協会の立場や権限を持ちながら、敢えて己の職務に甘んじておられるようだった。

義理堅く、人情に篤い人だった。

駆け落ちしたため式は挙げられなかったが、私達夫婦の仲人までしてくださり、折に触れ陰に日に様々に支えていただいた。

今も思い出すのは、休みの日にまだ子供のできなかった私達夫婦を、所長の奥さんと一緒に鈴鹿方面へドライブがてら、自ら行きつけの食事や会員になっていたゴルフ場へ連れていってくださったこと。

お返しにと鍋パーティーに狭いアパートにお呼びした時にも、嬉々としてご夫婦で来てくださった。

所長と2人だけで引越しの仕事をした時には、荷造りを終えた帰り道、運転する私の胸ポケットに多すぎる報酬を黙っていれてくださった。

苦しい生活を知悉する親心のように。

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実の父親のことを知らない私は、ずっと所長のことを、彼の奥さんが「うちの息子より、まーちゃんのことを大事にしているで」とからかうように言う通り、真の親父だと思っている。

事務所に偶然2人きりでいた時、その人が前後になんの脈略もないタイミングで、言ってくださった冒頭の言葉。

それは、私の人生の最大の勲章になっている。

私の方こそ、報恩感謝の気持ちでいっぱいだ。

生まれて来て良かった。

本当にそう思えた。

今も、生きるパワーの源になっている。

その親父が亡くなり、早いもので13年の歳月が過ぎ去った。

25年の歳の差が、半分以上縮まった。

所長がいなくなってから、いざという時にいつも相談に乗っていただいていた慈父を失ってから、1人になれるトイレや風呂場で何度も何度も思い出しては泣いた。

あの豪快な行動力、ドスの効いた声。

自由奔放な生き方。

ダンディーと人が形容する立ち居振る舞い。

酒を飲めば羽目を外しすぎるところも、奥さんには悪いが愛嬌だった。

その癖細心で、母性のように大きな人に対する愛をお持ちだった。

今年の春に墓参りと近江八幡に住む奥さんに挨拶に行けなかった。

年内に、缶ビールとタバコをお供えに行こう。
たしかもう80代に入られた奥さんのあの長話を聞きに行こう。

もし生まれ変われるなら、今度は所長の息子として生まれたい。

事務所の暇な時によくし、いつも負けていた将棋をもう一度指してみたい。

キャッチボールをしたい。

あの頃は、今も輝きを増し続けている。