焼肉竹公式ブログ 笑売日記

焼肉屋の親父から見た今、世の中のありとあらゆるものを考察して行きます。
もちろん、焼肉を始めとするグルメについても。
脂滴る焼肉の七輪の煙の向こうに、私が見たものとは……。


テーマ:
束の間に過ぎ行く人生。

ふと振り返ると、道のあちこちに掛け替えのない人や思い出が佇み、微笑んだり泣いたり、罵倒したり、苦しんだりしている。

そのどれもが堪らなく愛おしい風景と共に甘い感傷を伴いながら脳裏に蘇ってくる。

二度と繰り返せぬ一つ一つのドラマにもう執着することなどなく、人は泣きながら先へと歩いて行くしかない。

今ここに来て、さらにもっと泣きないほど知りたい疑問が絶え間なく湧き起こっている。

誰かの膝にすがりつき、地面に何度でも額を擦り付けて教えを請いたいくらいのこの思い。

この世のすべての悲しみや苦しみに額ずき祈りを捧げて眼を凝らしている。

人はどうして病むのか?

なぜ老いるのか?

自分ばかりか、愛した人もおばあちゃんになっていく。

人はどこから来てどこへ行くのか?

死後の世界はあるのか?

あるとしたらどんな風に存在しているのだろうか?

そんな青年期からずっと思い悩んでいたことがまた新たな装いをして謎を問いかけてくる。

お釈迦さんでもあるまいが、現在進行中のこの人生に対し、また天に向かって仰ぎ見ながらの自身の率直な問い掛けでもある。

そして、そのヒントと目しているのが量子論の世界観である。

浅学の身で必死に身読しようとしている。
今回はそんな現在までの学びをまとめる意味で何回かに分けて書き残しておこうと思う。

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見えないものを捨象し抽象化によって見えるものだけを究めようとした古典物理学。

ニュートンを代表とする理論であり理性すなわち数学の科学はもはや明らかに限界を迎えた。

対する量子論は理論ではなく現象に主眼を置き、観測と実験を繰り返し、仏教にそのまま通じると共に左脳よりも右脳を使った直感の科学といえよう。

そもそもニュートン物理学では我々が存在しようがしまいが、時間は宇宙において独立して絶対的なリズムを刻んでいると捉えた。

しかし、アインシュタインの相対性理論の確立によりその考えは真っ向から否定された。

光速に近いロケットに乗っていると僅かながらも時間の進行速度が遅くなる。

時間はそれぞれ置かれている人の状況によって変化する相対的なものであることが立証された。

量子力学は難しいとされる。
それは、量子論がまだまだ新しく未知で現代に生きる我々が古典物理学的な思考法にあまりにも染まりすぎてしまっているからであろう。

神が降りて来たとかいう右脳的発想、能力はそれこそ神頼みで、本当は神も能力も宇宙に遍満する我々の意識から湧き出ることさえ忘れてしまっている。

だからゆえ、スピリチュアルだとか幻想だとか軽視もされやすい。

私も最初はなにか突拍子のないことのようにも思えた。

マトリックスの世界や、信じられへん、てな感じだった。

量子論による世界観。
その代表的なものを上げておこう。

「人間が認識するこの物質世界は存在しない」

「この世は人間の意識が創造したものであり、実態のない虚像、ホログラム」

我々の科学的見地からは到底信じ難い摩訶不思議な世界観である。








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