宇宙意識

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同じことをずっと考え続けていると、思考は少しずつ深まりゆく。


ある瞬間にパッと心の視野が開けて光が見えてくると信じ続けてる。


まだ死にたくはない。


生命は永遠だと応えて欲しい。


絶対に死なないのだと。


いや、違う。


そもそも私たちは生まれてなどいないのではないか。


そう言うと、誰かが揶揄する声が聞こえてくる。


何を言ってる、お前には母親がいなかったというのか。


その胎内から生まれ出たではないか。


たわけるなと。


私は静かにこう答える。


死にました。


もうどこにも姿形が見えません。


でもとても信じられないのです。


なくなる2週間前まで、あんなに元気で陽気で優しかったのに、突然消えて無くなるなんて。


いる。


きっとどこかに。


ただ見えないだけ。


あの世とこの世は裏と表。


宇宙に果てがないように、生命も終わりなどない。


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誰も宇宙の外を見ることができない。


バクテリアが見る世界。


蟻が見下ろす大地。


虫を踏んづける人が感じる地球。


月から見た青い星。


太陽系の外から観察するとどうか。


銀河系、宇宙、ブラックホール……。


そして宇宙の外へ放り出される。


そこはどうなっているのか?


無限大宇宙とは外のない世界。


無限小宇宙とは内のない世界。


だとしたら、無限は無限と繋がるしかない。


無限大と無限小はひとつの世界の表現。


ところが世界を物質として見るから、脳裡に映像として浮かべるから訳がわからなくなる。


古典的宇宙学は宇宙意識を説いた。


大宇宙が意識を持つ神であると。


その真逆に量子力学に至っては、原子レベルの粒子の常識では考えられない動きを捉え、有名な「シュレーディンガーの猫」や「二重スリット実験」などで、エントロピー(無秩序の度合い、乱雑さ)の増大の法則に支配された宇宙全体が、意識的な存在である人間に観察されたときにはじめて存在すると明証した。


つまりは人が神になる。


宇宙が神か、それとも人間が神なのかは、分離を生む意味のない議論。


大いなる意識体として、人体で言えば体全体と細胞のような関係というか在り方だと容易に想像できる。


さらに“量子もつれ”の状態にある2つの量子は、どんなに離れてていても瞬時に同調する動きを見せることから、時空を越えた関係性であることも確認された。


と言うことは、意識もまた時空を超えて宇宙につながっていることになる。


宇宙は、そして私たちの存在は意識そのものなのだ。


日常として顕在している表層意識から潜在意識、無意識、その奥に無限大の宇宙意識が垣間見られる。


まさに無限大と無限小の出会い。


否、元々ひとつなのだ。


そして、抽象的意識なら無限に世界も何もかもをも神の如く創造できる。


宇宙とは意識だと捉えてしまえば。


物質世界ではないから無限大、無限小も自由自在、すべて分離せずただひとつ。


そこから投影されたのがこの現実だと信じ込んでる自分や他者、この世界だと。


ホログラム宇宙論に矛盾しない。


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それでも錯視の世界にとらわれのこの身は一途に幼気に思う。


今やってることが本当にしたいことなのかどうかが分からない。


何か他にある気がすると。


それは生まれてからずっと思って来たことだった。


何かをやりたい自分を感じる。


死と生もコインの裏表のようにひとつだと認識出来たとしても、この生で何かを掴みたい。


そのためにこそ今生きているはずなんだと。


同じ質問を何度もしては大人を辟易させる子供のように、螺旋状に謎の問いかけを繰り返す。


孤独な狼が宇宙に遠吠えを響かせるように。



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