■Basic Data


名前:友渕貴之(ともぶちたかゆき)
生年月日:1988年5月12日
所属:神戸大学大学院(建築学専攻)




■Questions



1、 今やってること


<震災前のまちを模型で復元・まちづくりへの参加>


2011年3月、東日本大震災が起こる一週間前に、仙台で卒業設計の展示会をおこなった。
それは全国の建築学科の大学生の卒業設計を集めるものだったんだけど、「建築家や建築学生の間だけでおこなうんじゃなくて、もっと一般の人に見てもらいたい」っていう思いから、元町商店街で卒業設計展を開くことにした。
その設計展の前日に震災が起こった。準備で慌ただしくしてたから全然ニュースを見てなくて、後から知った。家に帰ってからはテレビから目が離せなくて一日中、画面の前で呆然としてた。
そのとき、以前京都の建築設計展で出会った建築家の人からTwitterで、自分含め学生何人かに宛てて「君たちが集まって何か考えてみては?」ってメッセージをもらった。
同じくメッセージをもらった関東の建築学科の学生と話してみると、その人は仮設住宅の建設に携わるなど考え動き始めていた。


その話を聞いて、自分もなんかせなあかんよなあ、、、って思ってるうちに卒業式を迎えた。一通り盛り上がった後、先生と友達と僕の3人で三次会をしてた。先生はもともと仙台の大学にいたこともあって震災の話になった。
そのとき、以前開催した元町商店街での展示の話をしてて、「一般の人って機会が無いだけで、目の前にあれば建築模型にすごく興味を持ってくれるよね」って話になって、「それじゃない?震災前の模型作れんじゃない?」って流れで動いていこうという流れになった。


震災直後は、いろんな建築家が新しいまちづくりに関して提案してたけど、全然共感できなかった。なんで津波のこともそのまちのことも知らない人らが好き勝手提案できるんだろうって思ってた。
でも、まちの復興を少しでも支援出来たらって思いは自分も同じ。
じゃあ震災前の模型を作って当時の話をまず聞こう、そして住民の人と一緒に当時の生活を見つめて次の街を創っていこう。そう思って、模型を作ることを決めた。


地図を見ながら白模型で当時の街を再現し、その模型を現地に持っていって住民の人に自分の家の屋根の色なんかを塗ってもらおうということになった。
市役所に行き許可はもらえたものの、「本当に持って行っていいのかな?どう受け止められるんやろ?」って不安は消えなかったけど、実際に行ってみると住民の方が進んで模型づくりに協力してくださったり、泣きながら当時の街の様子を教えてくださったりした。みんな、思い返しつつ、懐かしみつつ、受け入れようとしていた。


そのうち、「模型を元にまちづくりをやってほしい」って言ってくださる方が出てきて、実際にその気仙沼の大沢地区という場所のまちづくりに関わるようになった。
住民集会を月に1回開いて、住民の人とどんなまちにしたいかを話し合っている。
自分たちの役割は、住民と行政をつなぐこと。
行政が計画してる図面を住民の方に説明したり、住民の意見を基に作った案を行政に提示して伝えたりしている。
それと並行して、他の町の模型も作り続けてる。
NHKの番組に取り上げてもらったりもしている。







震災のショックで精神的に病んでしまった人が、模型を見て心の安定を取り戻している例もあるらしい。もう一度昔の姿を見つめ直すことで、現実を受け入れる心の準備や覚悟が生まれるのかもしれない。悲しいけどうれしい、みたいな感情を話してくれる方がとても多い。



<建築に興味を持ったきっかけ>


一緒に塾に通ってた友達の父親が建築関係の仕事をしていたことがきっかけで、建築に興味が湧いた。意識し始めてみると、テレビ番組でも建築関連のものが多いことに気が付きよく見てたし、その中でも都市のヒートアイランド現象やまちづくりの分野に興味を持った。
建築学科に入学し、安藤忠雄や黒川紀章などの有名な建築家の講演会を聞きに行ったり、建築物を観に行くようになり、より面白さを知っていった。


建築の世界は厳しくて、学校の課題ひとつを取っても、最終的に自分の設計について発表できる人は100人中10人くらい。最初はもちろん選ばれなかったわけだから、それが悔しくて、本を読んだり、学校の課題以外に友達とコンペに出たり、、、なんてことをやり続けた結果、3年の終わりに、一番厳しいと有名な先生に認めてもらう経験をして、その後、その研究室に選んでもらった。
その先生は、神大の中で数少ない、現場に出てまちづくりをしてる先生だった。
自分自身も、「こうやって図面を書き続けることが一体何に繋がんねやろ?」って思ったりもしたし、どうせなら実際に社会に対してアプローチしたいって思ってたから、その先生のもとで学ぶことを選んだ。


ただ、そのゼミは死ぬほどしんどかった(笑)。毎日3~4時間しか寝られず、3日に1回くらいしか家に帰れない軟禁状態。丸1日休んだ日はたぶん年間10日くらいで、もちろん遊べないから友達も減った(笑)。
けれど、ひたすら籠って没頭した結果、色々建築のことが見えるようになってきた。





※立石龍壽、村上翔と共同制作ではじめて作った実施作品。
  コンペで優秀賞をいただいて銀座三越で展示していただきました。



2、モットー


「食わず嫌いはしない」
やらずに、見ずに、先入観だけで否定するのはいやだから、何にでも興味を持ってまずは挑戦してみることにしてる。



3、人生のターニングポイント


〇初めて他大学の建築学生に出会ったこと
3回生の時に初めて建築家や他大学の建築学生と話す機会があって、自分と同年代の人がめちゃくちゃ勉強してることを知ってびっくりした。
全然会話についていけなくて、「これは勉強せなやばい!本読もう!」ってすっごい焦った。
彼らと対等に会話ができるようになるために勉強したい経験積みたいって思えてから行動範囲や交友関係が広がって、尊敬できる先生にも出会えた。



4、モチベーション


「上の人が走り続けてるから自分も走らないと」「周りに追いつきたい」「あの人たちが見てる景色を自分も見たい」そんな気持ちが原動力。
建築家の人はみんな、建築のことが大好きで、建築のことを話してると楽しそうで、生き生きしてる。儲からんけど楽しくてやってる。
だから、ただでさえ経験で劣っている俺は、やり続けないと絶対にその人らに勝てない。
最初はまったく選考で選ばれなかったけど、卒業設計は10選に入ったりと、少しずつだけど結果が残せるようになってきた。「設計もセンスだけが重要なんじゃない、がんばれば成果が出るんや」ってわかったのはうれしかった。



5、好きなエンターテイメント


〇本
作品集や名建築家の著書が好き。
あとは社会学の本。
社会学にハマったきっかけは、東浩紀の「動物化するポストモダン」を読んでから。


〇映画
・「あの夏、いちばん静かな海。」
・「さくらん」
・「キサラギ」
・「かもめ食堂」


〇建築
建築家で言えば、坂本一成原広司は特に好き。
好きな建築物は、京都駅や表参道にあるQUICO。
行ったときに写真から伝わってくる以上のすごさを感じられるような、そんな貴重な空間の体験が出来るような場所が好き。



6、尊敬する人


・建築の大先生
自分の教授が教わった先生。京都駅ビルやスカイビルを建てた人でもある。
70歳なんだけどバイタリティーがすごくて、60歳から数学の勉強を始めたくらいの人。
以前講演で、「君たちはもっと建築のことを考えないといけないよ。24時間考えても足りない。僕は24時間考えてるんだから、君たちが24時間考えないと一生僕に勝てないよ」って言われてこの人やべー!と思った(笑)。
単純に自分が楽しくて未だに挑戦し続けているって素敵だなあと思う。

・ブルーハーツ
昔から大好き。彼らのような大人に今でも憧れてる。



7、未来について


〇やりたいこと
・建築分野に関わりながらまちづくりに参加する
・一般の人にもっと建築の面白さを知ってもらえるような場づくりをする
・世界を放浪する


最終的にはやっぱり地元のまちづくりに関わりたい。
かといって、活性化させたり観光地化したいわけじゃない。
まちの成熟のしかたは、その地域その場所によって違うと思うから。


成熟って意味で言えば、どうやって熟すかは自分にとってのキーワードでもある。
楽しいのはもちろん大前提で、その楽しさをもっと周りに提供していけるといいな。
独りよがりじゃなく、巻き込みながら楽しみたいんだよね。





■My note


友渕さんは、舞さん の地元の同級生。
舞さんから「ぜひ彼をインタビューしてほしい!という依頼を受け、今回お話を聞かせていただくことができた。


友渕さんの取り組みは本当に社会的に意義があって素晴らしいことだと思う。
つまり、尊くておっきなことをしている。
それなのに、おっきなことを大げさに言わない。
“すっごく聞こえる”風にも言わない。
ただただ等身大で、笑いながら、少し冗談交じりに、そして何より楽しそうに話してくれる。
それはきっと、彼が目指してるものはもっと遠くて高いところにあるからで、
そこにはすでに飄々と走り続けている憧れの人たちがたくさんいるんだということを知っているからなんだと思う。

私はあんまり勉強せぬまま大学を出てしまったから、こうやって専門分野を極めている人の前に出ると敵わないなあー!って思う。


どんなに自分が繕っても埋めれぬ、作れぬ、底知れぬ深さを感じるからだ。

たくさんの人が笑って、穏やかに、豊かに暮らせること。
当たり前のようで決してそうじゃない幸せな日常をひとつでも多く創りだすために、彼は身と作品を以て、寄り添い続ける。



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