これ、どうです?

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このところいろいろ忙しく、しばらく間があいてしまいましたが、ついニヤッとさせられた事があったので書きます。
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昇り竜の刺青(イレズミ)も鮮やかな切れ者風のオッサンのカバーに巻かれてる帯のコピーに注目!
アップにするとこうなります。
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「さあ暴力ハート
ヤクザマンガといえ、単純ながら強烈なインパクトを与える言葉と、その後ろにわざわざハートマークをつけるところに、おそらく単行本の編集担当かこのマンガの担当者であろうが、これを考えた人のセンスを感じ、ついニヤッとさせられてしまった。

このマンガ、「ドンケツ」は単行本が出る度、お決まりで黒い帯にこのようなシンプルなコピーが書かれているのだが、短いコピーでその単行本の内容を実に的確に表現しているのだ。
今回のコピーはその中でも秀逸のデキだと思った。

自分は毎巻楽しんで読んでいるが、なにせヤクザマンガなので受け付けない方も多いとは思うが、書店に行く機会があったら是非手に取って表紙と帯だけでも見てもらえたらと思う。

マンガにせよ小説にせよ、書店で見かける本に巻かれた帯の多くは、「〇〇賞授賞」や「〇万部突破」、「〇〇の話題作」や最近の流行りなのかほかの作家による社交辞令がミエミエのホメ言葉が書かれたありきたりなもので、たしかに無難に目は引くが、そういったものはそこら中にありふれており、自分はそういった帯を見て本を手に取る事はまずない。

そんな自分がこのマンガを読み始めたきっかけも、はじめはもちろん帯に書かれたコピーからではなく、タイトルとカバーに描かれた主人公のどちらかといえばブサイクながらヤクザらしい顔からだったのではじめは気にしていなかったのだが、ふと巻かれている帯に書かれたコピーを見ていて、短い言葉にその巻の内容がきちんと表現されてる事に気づき、それにセンスと工夫を感じ、以後帯に書かれたコピーも楽しみのひとつになった。

こういう上手いコピーを見ると、本に巻かれた帯をありふれたものに甘んじる事なく、本を売る為に工夫する事の大切さと効果をあらためて感じる。

ここから先は余談になるが、このマンガを知らずに最初の画を見て、「あれ?このオッサンどっかで…」と感じた方がいたら、それはかなり記憶力が高い方か、または自分の駄文を丁寧に読んでくださってる有り難い方のどちらかだと思います。(笑)

そうこのオッサン、一年近く前に感想を書いた「アーサーGARAGE」という中古車屋を舞台にしたマンガで主人公が頭が上がらない昔なじみのヤクザとして出て来たキャラクター・ムラさんと同一人物だと思われる。
アーサーの時は三日月組の組長だったが、「ドンケツ」では北九州の武闘派ヤクザ組織・月輪会(がちりんかい)の幹部で華月組の組長として登場。
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おそらく三日月組の上部団体が華月組で、アーサーの時より出世していてその跡目を継いで組長となり、さらにその組が所属している月輪会で活躍し、幹部になったのであろう。

後に従えているのがアーサーの時と同じ横田とヨシオである事から、
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もしかしたらなにかの事情で三日月組を華月組に改名したのかも知れませんが。
ヤクザマンガだけあって「ドンケツ」ではアーサーの時と違い、ヤクザの顔が前面に出ちゃっています。

現在組織の分裂劇のエピソードが進行中なんですが、この巻では敵側についた組を威圧して回ります。
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↑敵とはいえかつての仲間、しかもひとつの組の親分たる者にたいしてこの仕打ち。完全にイジメになってます(笑)

アーサーの時は、これまで怖い者知らずで鳴らし、若くして自分の組をもてるまでに出世してきたが、子供が生まれようとする時期に狙われる立場となり、初めて怖さを知り、また自分を助けようと動いてくれていた仲間の大切さをあらためて感じた事で成長した「玄海の暴れ猪(あばれジシ)」ヨシオもここではヤクザとしての凶暴さを披露しています。
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そんなヨシオですら霞ませてしまうのが村松組長のこの顔
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アーサーを読んだ方ならおわかりいただけると思いますが、後輩や子分思いの優しい親分、自分の縄張り(シマ)を荒らした者にさえ、その上に立つ者がきちんと落とし前をつければ敬意を表しひと破片の温情をかけた人情味あるヤクザのムラさんではなく、切れ者の武闘派ヤクザ村松組長の凄みを感じさせます。

ちなみにこれは自分の偏見に満ちた独断ですが、村松組長は実在したヤクザをモデルにしているのではないかと勝手に思っています。
モデルにしてるのではと思ってるのはこの人。
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なんか似てると思いませんか?

ヤクザがヤクザらしかった時代、三代目山口組で若頭補佐という幹部の座まで登りながら、その奔放さゆえ組から追放された「ボンノ」のあだ名で呼ばれた菅谷政雄。
ヤクザとして悪名を響かせながら、洗練されたファッションセンスで当時の映画スター達に影響を与えたと言われている。
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ボンノは彼が幼少時、煩悩の固まりのような悪ガキぶりから寺の和尚にそう呼ばれ、本人もこのあだ名を気に入ってたらしい。

遥か昔になるが、この凶暴さと繊細さを併せ持ち、組織にいながら自由に生きようとしたボンノの話を聞き、憧れる生き方のひとつだったのを思い出した。
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初九州

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先週、金土曜と九州に行ってきました。

生まれて初めての九州なので、本来ならあちこちで写真を撮るのだが、今回は2月3日に叔父が亡くなり、その通夜と葬儀に出席する為だったので、残念ながらそういう気分になれなかった。

オレの父親は九州の福岡出身で、今年82を迎える。
父親はオレと違って頭がよく、大学に通う為に上京した。

その時代、第二次世界大戦が終わってから10年近く経っていたが、現在ほどではないが、不況が続き就職難で、更に食べものをはじめ物自体なかったから大変だったらしい。

父親は6人姉弟の4番目で次男、亡くなった叔父は大正15年生まれの、2番目で長男だった。

父親を早くに亡くした叔父は終戦後、兵隊の生き残りとして帰ってきて、自分も生きる目的を失いながら母や姉、幼かったオレの父らを食わせる為に愚連隊の群れに加わり、倉庫などを襲っていた事もあったようだ。
その後、九州電力に就職し、定年まで真面目に勤めた。

オレの父親が大学に入ったり小さいながらも会社の社長になり軌道にのせる迄、この叔父夫婦を先頭に、既に亡くなったが、父の姉達が自分達も苦しい生活を過ごす中、資金面で応援してくれてたらしい。

父も定年となり、会社をほかの人間に譲ると、叔父夫婦やその子供達や孫達がこちらに出て来る度、世話をし、あちこちに出かけていた。

そんな叔父が亡くなった事が、父には凄いショックだったのか、今までいくつかの席で父が挨拶するのを見てきたが、最初に詰まり、アドリブで切り抜けるのを初めて見た。

オレが不良してた頃、叔父に一度、愚連隊時代の話を聞こうとしたが、ふだんは気さくに話す叔父が、その話には口が重く、その雰囲気から、オレもそれ以上聞こうとは思わなかった。
ただ、「オレみたいに甘い時代じゃなく、やるしかなかった」という言葉が残った…。

そんな叔父夫婦に、「九州に来てないのはあんただけなんだから九州に来なさい」と言われ続けながら、こうなる迄行かずじまいだった。

今回、九州に行ったが、時間の都合から、結局本家の門はくぐれなかった。

叔父とは守れなかった約束、せめて叔母がいる間に、今度こそ果たせたら、などと思っている。
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使えない?

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いつも自分の趣味丸出しの、興味がない人にはまったくわからないマニアックなブログを読んでいただきありがとうございます。

自分の考え方とかカッコイイものはなかなか浮かばないのであまり書かないのですが、ふと頭に突然降ってきたテーマがあったので、たまには自分流の能書きを、なんて思い書いてみました。

「使えない人・遣えないヤツ」

社会人やアルバイト経験者のほとんどがこの言葉を誰かにたいして言ったり言われた事、または誰かが言ってるのを聞いた事があると思う。
実際、自分もいくつもの職場でこの言葉を聞いたし、言われた事もあるし、逆に言った事もある。

言われる側にはかなりキツイこの言葉だが、ある時、当たり前のようにこの言葉を吐いてる自分の傲慢さに気がつきハッとした。

この言葉を面と向かって吐けるのは自分の部下や後輩である場合がほとんどで、陰口ならまだしも、面と向かって上司や先輩に言おうものなら、当たり前だが生意気だと疎まれて、たちまち評価を下げられる。

陰口が嫌で、つい言ってしまうとオレのように嫌われるのがわかっているから、頭のいい世渡り上手な人はまず言わない(笑)

部下を預かったり、先輩と呼ばれる立場になれば、新人や部下を使えるようにする事、使えて当たり前なのだから、自分の部下や後輩を「使えない」と言えば、それはきちんと仕事を教えられないオレ自身が「使えないヤツ」「仕事ができないヤツ」なんだと気づき、それ以後自分が預かった人間を絶対に「使えない」と言わない、考えないようにした。
よく頭角を表わしてきた部下や後輩を連れて、自慢げに「コイツを育てたのはオレだ」と言ってる上司や先輩ヅラしてるのがいるが、特殊な技術を要する職業を除けば、実はもともと才能があったり、器用だったりする場合がほとんどで、そういうタイプは基礎さえ教えれば自分で考え、勝手に成長していく事が多い。

おまけに上手く立ち回れるので、自慢してる上司や先輩の前ではその人間を立てるが、心の中ではそうは思っていない。
なぜなら彼らはその人間に「育てられた」のではなく、自分で「覚えた」と思ってるのだから育てられたなどと思うわけがない。

もし「育てた」と言えるとしたら、その部下や新人の隠れた力に早くから気づき、少しでも多くの経験を積ませる事で力をつけさせ、上司・先輩として責任のもてる範囲内でその人間の能力を発揮できるチャンスを与える事ができた懐の深い人だけだと思う。

残念ながら、自分が見てきた部下や後輩の育て自慢をしたがるタイプは、自分のミスは部下や後輩のせいにし、後輩の成功は自分の手柄にしてしまう人ばかりだったが。(笑)

自分はこの「勝手に育つ」タイプより、飲み込みが悪く不器用なタイプのほうが、実力をつける迄時間はかかっても、将来大化けする可能性があり、おもしろい素材がいると思っている。

「勝手に育つ」タイプは飲み込みが早く、要領がいい。そして器用だ。
その分ずる賢さを併せ持ち、仕事に慣れてくるとめんどくさい事、手間のかかる事を上手くかわすようになる人間が多い。

手間がかかる事を嫌うから、上っ面だけで厚みがない為、なにもなければ勢いだけでとんとん拍子に進めるが、なにかしら問題が発生すると、とりあえずごまかして取り繕うが、それが通用しないと下地がないので対応できず、その結果、躓く事を知る。

このあと、自分の未熟さに気づき、失敗をバネにして再び上がって来れる者は少ない。

これにたいして、みんなとは言わないが、不器用な人間には要領が悪い分、まじめで一生懸命な人が多い。
このタイプを教えるには普通の教え方ではなかなか理解してくれない。
頭で理解はしていても、それを実践できなかったり実戦の場に立つとアタフタしてしまう人もいる。

しかし、要領が悪い分、愚直で、面倒な事にも真正面から取り組み、嫌でもいろんな経験を積むから自然に下地ができ、厚みができてくる。
これにより、問題が発生した時、迅速ではないが、確実な対応をするのがこのタイプである。

そう、人にタイプがあるように教える側もタイプ別に教え方を変える必要があるのだ。

これは非常に面倒な作業で、その為、自分が覚えたやり方をなんの工夫もせず、新人に教える上司や先輩がほとんどである。

そして、その教え方でなかなか覚えられない人にたいして自分の教え方の悪さを棚にあげ、いとも簡単に「使えないヤツ」という判断を下す。

自分が人にものを教える場合、直接仕事に関係しない事、たとえば仕事に取り組む姿勢や仕事を覚える心構えなどはみんな同じように教えてきた。
それに加えて、「責任の重さ」と「自分の仕事が終わるのを待っている相手がいる」事を最初に教え込んだ。

この二つを最初に叩き込まないと、どんなに仕事が早くてなってもいい加減だったり、自己中心のわがままが出たり、無責任だったり、薄っぺらい仕事しかできない人間に育つからだ。

おもしろいもので、何度か新人を教えると、この段階でその人間がうわべをどう取り繕おうと性根が見えてくるようになるから不思議だ。

仕事について教える段階になると、前の基礎を教えてる時に、自分なりにある程度タイプ別に分け、教え方を変える。

なかにはどうしようもないくらい物覚えが悪く、噛み砕いても噛み砕いてもなかなか理解してくれない人もいたが、これは逆に自分自身の現時点の仕事にたいする理解度をチェックできるいい機会だと考えた。
自分の理解度が充分であれば相手にもいくらでもわかりやすく教えられ、それができない時、その部分にたいする自分の理解度がまだ未熟であった事に気づけ、自分自身も再度勉強するきっかけを得られたからだ。
こういう事を繰り返し、不器用なタイプ、物覚えが悪いタイプが「自分で育つ」タイプ以上の仕事をこなせるようになった時、はじめて手ごたえを感じられた。

そして、ふだん周りに敬遠されがちな自分だが、そうした新人達の何人かはなにかあると聞きにきてくれたので、それが自分のした事にたいする結果だと思えた。

これは、あくまで仕事をしたい、覚えたいと思ってる人が対象であり、ただなんとなく会社に来てる人間や、最初からやる気がない人間にたいしては、がんばろうという人間に悪影響を及ぼさぬよう容赦なく排除した。

んー、なんかとりとめのない事書いちゃったなあ。

ン?似合わない?やっぱそう?
オレも自分でそう思う(笑)
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