自分の人生を作り出しているのは自分のように思えてそうじゃないのかもしれない。
人は他人の人生に
少し関わりながら
加わりながら
貸し借りのように
行き来している…
自分の人生を生きているかのように見えて
他人の人生に参加し
主観的でもありながら
客観的に他人の人生に
自分も関わりつつ
自分の人生だと思って
生きているのかもしれない。
でもそれは、自分ではなく他人の人生だったってこともあるかもしれない。主人公が違えば…物事の見方も変わってくるのだから…
自分の人生に主人公Aさん目線の物差しが存在し
主人公Bさん目線に寄って客観的に違ってくる
誰かの人生にとっては、自分は脇役なんだ。。
でも脇役という主役目線もある。
脇役にスポットライトを当てると…また違ったドラマや感受性に出会うかもしれない。
感情は、人によって色が違うから
自分の人生を華やかなにしているのは…自分と思いがちだが…自分ではなく周りかもしれない…
脇役という...演出。
誰かに…自分の人生を制作しながら…生きているのかもしれない。
でもどんな人生でも今見えているもの、感じているもの主人公は自分なんだ。
一人ではなく周りが居て人生というものは成り立つ。
一人で人生を歩んでいるわけではなく何かしら人との関わりの元に生まれたのが人生。
この世で1度も誰かを傷つけたことない人なんていない。
どんな人でも誰かには必ず嫌われていて誰かには必ず傷付いて逆に傷付かせているのだから…
それが人間というもの。
人は、悪い人…いい人に別れるのではなく…
みんな少しずつ良い人で少しずつ悪い人なんだ。
自分が把握している範囲では…被害者のほうがいいのかもしれない
悪役になりたい!
加害者側で居たいなんて思いませんもの。
でも…人は意図的にそうではなくても誰かにとったら加害者で誰かにとったら被害者ですし
そこは変わらないんじゃないかな…?て思いました。
その被害者な人も誰かにとったら加害者でもある。
誰かの人生の中で被害者でもあり加害者でもあるんじゃないか…それにそれの繰り返しじゃないかと思った。
だから…特定したり
誰かを責めたり、攻撃したり正義感として振る舞っている行為は、ちょっと1歩引いて自分を客観的に見たら
加害者みたいに見えたりするんじゃないかな?
例え…どんなに相手が悪くても叱ることはあっても責め続けたり傷付かせてしまったら…
正しいことでもそれは、正しいさとは言えなくなるのではないか
正義とは…他人を傷付けない為の正義
いくら加害者でも
傷付けたり心に傷やトラウマを作らせたら被害者へと変わるのだから…
そうさせたら…正義とは言えない。
誰かを傷付かせたり
傷付いたりしての繰り返しなんだから…
でも、あなたの言葉で
傷付いた人や不愉快な思いをした人が居ても
逆に誰かは、あなたの何気ない振る舞いや言葉に救いを感じ…立ち直れた人もいることを忘れてはいけないのだ。
色んな人に言われた侮辱
批判の目や言葉よりも
人、一人の人から言われた感謝の言葉を言われるだけでも幸福なことかもしれない。
たくさんの批判より
少なからず…誰かはあなたの言葉や振る舞いで力を貰い生きていく勇気や手助けと感じ…励まされた人も多なからず、いるということ…
それでいいではないか…。
あらゆる批判を気にして行き詰まるより
温かい言葉を励みに
かき集め…心に秘めておくほうがよっぽといいではないか…(*´-`*)
心の充電は…自分だけでは無理があることでも
人は誰かを癒し温かさを訳合いながら生きているのだから....。
人は他人の人生に
少し関わりながら
加わりながら
貸し借りのように
行き来している…
自分の人生を生きているかのように見えて
他人の人生に参加し
主観的でもありながら
客観的に他人の人生に
自分も関わりつつ
自分の人生だと思って
生きているのかもしれない。
でもそれは、自分ではなく他人の人生だったってこともあるかもしれない。主人公が違えば…物事の見方も変わってくるのだから…
自分の人生に主人公Aさん目線の物差しが存在し
主人公Bさん目線に寄って客観的に違ってくる
誰かの人生にとっては、自分は脇役なんだ。。
でも脇役という主役目線もある。
脇役にスポットライトを当てると…また違ったドラマや感受性に出会うかもしれない。
感情は、人によって色が違うから
自分の人生を華やかなにしているのは…自分と思いがちだが…自分ではなく周りかもしれない…
脇役という...演出。
誰かに…自分の人生を制作しながら…生きているのかもしれない。
でもどんな人生でも今見えているもの、感じているもの主人公は自分なんだ。
一人ではなく周りが居て人生というものは成り立つ。
一人で人生を歩んでいるわけではなく何かしら人との関わりの元に生まれたのが人生。
この世で1度も誰かを傷つけたことない人なんていない。
どんな人でも誰かには必ず嫌われていて誰かには必ず傷付いて逆に傷付かせているのだから…
それが人間というもの。
人は、悪い人…いい人に別れるのではなく…
みんな少しずつ良い人で少しずつ悪い人なんだ。
自分が把握している範囲では…被害者のほうがいいのかもしれない
悪役になりたい!
加害者側で居たいなんて思いませんもの。
でも…人は意図的にそうではなくても誰かにとったら加害者で誰かにとったら被害者ですし
そこは変わらないんじゃないかな…?て思いました。
その被害者な人も誰かにとったら加害者でもある。
誰かの人生の中で被害者でもあり加害者でもあるんじゃないか…それにそれの繰り返しじゃないかと思った。
だから…特定したり
誰かを責めたり、攻撃したり正義感として振る舞っている行為は、ちょっと1歩引いて自分を客観的に見たら
加害者みたいに見えたりするんじゃないかな?
例え…どんなに相手が悪くても叱ることはあっても責め続けたり傷付かせてしまったら…
正しいことでもそれは、正しいさとは言えなくなるのではないか
正義とは…他人を傷付けない為の正義
いくら加害者でも
傷付けたり心に傷やトラウマを作らせたら被害者へと変わるのだから…
そうさせたら…正義とは言えない。
誰かを傷付かせたり
傷付いたりしての繰り返しなんだから…
でも、あなたの言葉で
傷付いた人や不愉快な思いをした人が居ても
逆に誰かは、あなたの何気ない振る舞いや言葉に救いを感じ…立ち直れた人もいることを忘れてはいけないのだ。
色んな人に言われた侮辱
批判の目や言葉よりも
人、一人の人から言われた感謝の言葉を言われるだけでも幸福なことかもしれない。
たくさんの批判より
少なからず…誰かはあなたの言葉や振る舞いで力を貰い生きていく勇気や手助けと感じ…励まされた人も多なからず、いるということ…
それでいいではないか…。
あらゆる批判を気にして行き詰まるより
温かい言葉を励みに
かき集め…心に秘めておくほうがよっぽといいではないか…(*´-`*)
心の充電は…自分だけでは無理があることでも
人は誰かを癒し温かさを訳合いながら生きているのだから....。