通信4-19 体のあちこちが騒がしくなる | 青藍山研鑽通信

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作曲家太田哲也の創作ノート


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 情け無い事に、とうとう仕事を中断して山から下りてしまった。春のように暖かい。私は、柔らかい日差しの中を捨てられた犬のようにとぼとぼと歩く。作品は形にならなかった。私に残ったものは、ひどい頭痛と耐えがたい眼精疲労だけだ。

 

 寝不足の頭が重い、結局朝まで、カーテンの隙間から差し込んだ朝日に目を嬲られるまで、私は馬鹿そのものとなって何も書かれていない五線紙の前にただ座っているだけだった。アイディアが湧かなかったとか、もちろんそういう訳ではない。アイディアなんて自分の中には腐るほどある。ただ書けなかったのだ。主題ははっきりと頭の中で形を成していたし、どのように音楽が進んで行くかというプランもすっかり出来上がっていた。後はこの手が書き出してゆくだけだった。主題そのものが内に持っている力によって、私が予め立てたプランを食い破るように音楽が進んで行く。その作業が出来なかった。考える速度と、手の速度がどうしても一致しなかったのだ。多分、無理に書き出したとしても、私は自分の干からびたプランをただだらだらと紙に写し、まったく精気のない曲を一つ捻り出す事しか出来なかっただろう。作曲は速度なのだ。唯一の適正な速度があるのだ。その速度を逃してしまえば作曲はただ寝惚けて見た夢を書き出すだけの、作曲家自身にとっても聴き手にとっても退屈なものにしかならない。今回は完全に負けだ。はい、撤収です。という訳で私は、突然の雨に露天をたたむように主題をしまいこみ、もう二度と使い物にならない一度きりのプランを頭の中で破り捨てたのだった。

 

 このようにして産まれそこなった作品が幾つ位あるだろうかと考えてみる。もちろん幾つもあるわけではない。少なくとも、具体的には一つも思い浮かばない。都合よく忘れているのだ。これは必要な忘却だ。悪いイメージ、失敗したイメージはすぐさま頭の中から追い出さなければならないのだ。作曲が即興芸である以上、失敗する可能性はその行為の裏側に常にべったりと貼り付いている。作曲はいつも綱渡りで、いわばまぐれあたりなのだ。私はプロだ。プロというのは常にまぐれ当たりを引き寄せるのだ。と、強気な私が今回はものの見事に失敗し、人生の終わりを迎えるようなどす黒い顔をしているのだ。

 

 山を下る、その下り坂にひどく足が痛んでいるのに気付いた。おかしいと思い、公園のベンチに腰掛け靴を脱いでみる。おお、これは何だ。踵がぱっくりと割れて、その割れ目が石ころのように硬く盛り上がり、紫に変色している。とくとくと痛みが脈を打つ(とりあえず脈拍はほぼ正常のようだ)。いつの間にこんな事になってしまっていたのか。知らなければ良かった。気づいてしまえば痛みは生々しいものになる。患部に触れてみて、その痛みに思わず食いしばったその歯に激痛が走った。何なんだ。私は一体地雷でも噛んでしまったのか。そうだ、今週始めに歯の矯正器をより強いものにしてもらったのだ。知らないうちに私の歯はめちゃくちゃに痛んでいたのだ。そういえば、頭も首も目も何もかも痛いぞ。今、公園に立ち尽くす私の体のあちこちで、秋の虫たちのように痛みが一斉に鳴き出した。

 

 特急電車の座席に深くもたれ、私は大きな車窓から外を眺める。頭の中は生まれそこなったガキのような哀れな作品の事で一杯だ。外はまるで春のように霞んでいる。薄い雲に覆われた空から薄日が差しそこはまだ訪れない春で一杯だ。木々は、柔らかい風に微かにそよいでいる木々は今、影を作っているのだろうか、じっと見つめる私には、だが見えない。窓の外は暖かく、すべてが幸せそうだ。胸の奥がじくじくと痛み、私はただただ声を上げて泣きたい気持ちをこらえていた。


                                     2010. 1. 30