青藍山研鑽通信

作曲家太田哲也の創作ノート

よろしければ太田哲也ホームページ もあわせて御覧下さい。

縁日の見世物小屋でも覗くつもりでお気軽にお越しいただければ有り難いです。

試聴用サンプルをクリックしていただくと、ひゅうう、どろどろどろと不気味な音が流れてきますよ。

小さなお子さんたちは大人の人と一緒に見てくださいね。


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青藍山研鑽通信



 ああ、日毎に歩けなくなってゆく。この手の痛みを経験するのは初めてだ。二十年ほども前に、足の甲を疲労骨折した事があったが、あの時の強烈な痛みは無い。だが、ともかくも重い。苦しい。足首に鎖でも巻きついているんじゃないだろうな。その鎖の先はどこに繋がっているのか?巨大な鉄球か。或いはガレー船の船底か。

 

 自分の中で役に立たないものといえばまずは頭だが、今ではこの足が頭を凌いでいる。この出来損ないの足に比べたら頭の役に立たなさなんて可愛いもんだ。頭ちゃんと呼んであげたいぐらいだ。頭ちゃん、何を拗ねてんのってなもんだ。

 

 近所のスーパーマーケットに行くのも一苦労だ。よろよろとよろ法師のように歩く。数歩も進むとつい電柱に凭れている。こうして電柱に凭れる事が出来るのもそもそも電気というものを発見したフランクリン先生のお蔭だ、などとどうでもいい考えだけが無限に羽ばたいてゆく。私は今や、電柱を心身の支えにしているのだ。いっそ這い回った方が早いんじゃないのか。
 
 先週は今よりもはるかに歩けた。週の半ば頃は、合唱の練習に立ち会うために、離れた街の公民館まで歩いて行った。片道およそ二時間ほどの距離だった。歩いている最中、卵がぱちんと割れるように、何かが割れた。何かが?割れたのは私の踵だった。たちまちぬるぬるとした液体が流れ出してきた。余所行きのゴム草履がべたべたに濡れた。一足ごとに痛みが頭頂部にまで響いたが、それでもかまわず歩き続けた。

 

 合唱団は、柔らかい、いい響きで歌っていた。何よりも驚き、嬉しかった事は、前回の演奏会では経を読むようにぶつぶつと情け無い声で歌っていたメンバーの一人が、別人のような声でしっかり歌っていた事だ。声を出す事の楽しさに引き摺られているような発声の仕方だった。今回のメンバーの人選はすべて盟友、嶋研一朗さんに任せた。もはや人望の欠片も無い私があれこれ口を出すのは得策ではないと思った。嶋さんが、そのイタリア仕込みの程よい好い加減さで、雰囲気の良い合唱団を作ってくれるだろう。

 

 練習が終わり、近くの飲み屋にもぐり込んだ。ずるずると杯を重ねる。気が付くと終電をやり過ごしていた。また、二時間歩くのか。全く、この間抜けぶりは二十代の頃と少しも変わっていない。私は一生こんな風なのだろうか。そういえば、しまうまは一生かれのしまから治らない、と歌った詩人は誰だったっけ。その帰途、何故かふらふらと体が揺れた。おかしい、よろめくほど飲んだ憶えはない。ビールを少し、二人で焼酎を一瓶空けたところで店を追い出されたのだ。だが、体が左へ左へと傾く。どうした、左に何かいいものでもあるのか。何とみっともない。これで寿司折の一つでもぶら下げていたら酔っ払いの見本だ。いっそネクタイを外して、鉢巻のように頭に巻いてやろうか。いや、駄目だ、ネクタイをしていない。ネクタイなんかここ数年締めてはいないではないか。ふと、思いつくこのふらつきは酒の酔いじゃあないな。これは、血圧だ。酒を体に入れると、急激に血圧が下がるのだ。目眩がする。息が浅い。はあはあという自分の息の音を耳に不快に感じながらビル街を抜ける。「つく息はふいごのようです。」あれ、何だっけ、この台詞。ああ、宮沢賢治だ。よだかの星の一節だ。

 

 どうにかこうにか、這い回るようにして、家に帰り着く。ふらふらになった頭を首に載せたまま、書きかけの原稿を開く。一音符だけでもいいから書きたい。自由に歩けないなら、せめて自由に書きたい。ぐにゃぐにゃと呪文を唱えているうちに、いつの間にか眠ってしまった。

 

 ああ、もう少し賢くなりたいと、朝の光に炙り出されたような、みっともなくベッドに横たわった自分の体を眺めて思う。馬鹿ならば、せめて可愛げを持ちたい。先々週、熊本に行った時、別れ際をまた図書館で過ごした。館内は暑い。椅子の背に掛けた私の上着を、はなちゃんが着てみたいと言う。はいどうぞ。前のファスナーもちゃんと閉めて。はいはい。だぶだぶの上着にくるまりながらはなちゃんはにこにこと笑う。じゃあ、新幹線の時間だから上着を返してくれというと、突然はなちゃんはアルマジロのように丸まってしまった。まだまだ遊びたいのだ。上着を取り上げてしまえば、私が帰れなくなると思ったのだろう。羽衣を盗られた天女のように、ああ、その上着がなければ私は博多へは帰れませんよよよ、という私の姿を思い浮かべるはなちゃんの知恵の浅さが、たまらなく愛しく、悲しい。


          2012. 5. 27.



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 初夏の光が降り注いでくる。俯くと額のあたりで、笑うように木漏れ日が揺れる。くすぐったい、そのくすぐったさは恋愛のとば口でいつも何かしらくすくすと笑っている女を思い出させる。そうだ、あの生き物たちはいつも恋愛の始めにはいつも笑っているのだ。

 

 何かに追い立てられ街を彷徨う日はまだ終わらない。ただ、歩き振りはより当ての無いものになり、歩く速度はひたすら落ちてゆく。速度が落ちてゆくのは、腫れ上がった足が颯爽と歩く事を邪魔しているからだ。歩くたびに足がずきずきと痛む。だが、立ち止まると不安に泣けてくるから歩き続ける他しょうがないのだ。

 

 病院に行ったのは先週の事だったか。確かプリンターを買った翌日だった。改めて手術のお願いに行ったのだ。私の腹の中のこの我儘な腸を、この虚弱な腹膜を何とかしてくれと。医者は、私の体の調子が整ったらと、少なくとも血圧が落ち着いたらと、しばらく様子を見ることになっていたのだ。血圧は下がった。私は私の人格同様にたいそう薄っぺらな胸を精一杯張って、医者を訪ねたのだった。私が得意げに開いた血圧手帳をみた医者は、ふんふんと頷きながら具体的な手術の日程を決めようかと、視線を意味無く彷徨わせた、その視線が何気なくとらえたのが私の足だ。大層膨れ上がって、動物園でしか見れないように変形した滑稽なやつだ。医者が目を見開いた。なんじゃあ、こりゃって訳だ。またまた手術の延期だ。

 

 もう、うんざりだった。だが、うんざりしたからどうなると言うものでもなかった。また日を改め、内科に行った。血圧の治療をお願いしている先生の元へ。もともとむくみなど経験した事がなかった。薬を飲み始めて忽ち足がむくみ始めたのだと、なるべく非難がましく、恨みがましく聞こえないように気を使いながら、苦境を訴える時代劇の百姓のように、恐れ多くも訴え出たのだ。医者は私の汚い足をしばらく弄繰り回した後、薬とは関係ない、元々むくみやすい体質なのだと、馬鹿に諭すように丁寧に話してくれた。結局、薬が増えただけだった。利尿剤とかいうやつが、おまけに付いて来たのだ。グリコのキャラメルのおまけにも「男の子用」、「女の子用」とかいうのがあったが、薬にも「年寄り用」のおまけがあるのだ。

 

 血圧は下がりっぱなしだ。小学生たちが、社会科見学で知らない職場を経験するように、私も低血圧を体験しているのだ。よくレッスン中に、強い音を出した後、めまいがするとしゃがみ込む弟子が数人いたが、その状態を今、身をもって体験しているのだ。まさに指導者の鑑ではないか。一月前まで200mmhgを超えていた血圧が、今は100mmhgを切ることもしばしばだ。私は、ラッパに一つ大きな息を吹き込むごとに、頭の周りにちらちらと星を漂わせながら椅子にへたり込むのだ。まるで星の王子様、いや星のお爺様だ。

 

 それでもやはり街を彷徨う。先日、信号待ちをしている私のすぐ横で、一心不乱に祈りを捧げている若者がいた。道の向こうにある梅津太鼓店という大きな太鼓屋の中でひたすら太鼓を打ちまくる自分を思い浮かべてうっとりしていた私は、最初気付かなかったのだが、その若者の異様さにふとわれに返ったのだ。そこには小さな庚申塚があった。いろんなものに様々な信仰があるのだなあと半ば感心する私の前を、その若者は大股に通り過ぎ、すぐそばにある祠の前に立ち止まりまた何事か唸り始めた。そこは濡れ衣塚という、故事にもある可哀想な姫君が祀られた塚なのだ。その次の日、近所の鬼子母神の祠の前で一心に経らしきものを上げる声を聴いた。あの若者だった。その祠は、大切にされているものらしく、普段は施錠されている、その閉じられた扉越しに祈っているのだ。何をそんなに祈る事があるのか、不幸なのか、だが、その颯爽と祠から祠を渡り歩くその体力が、今の私にはひたすら羨ましい。



                                      2012. 5. 20.





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青藍山研鑽通信



 ともかく落ち着かない一週間を過ごした。一週間をまるまる溝に捨てたという感じだ。世知辛い私は、せめて泡の一つでも湧いてこないかと、恨めしげにじっと水面を見つめているのだ。

 

 全く落ち着かないと言うのは本当に嫌なものだ。それにしても何がこんなに自分を追い立てているのだろう。腰を下ろすや否や、忽ち尻がもぞもぞするか、そのまま眠りに落ちて行くか、そんなどうしようもない状態が続く。

 

 昔、契約上の都合でどうしても筆名を使わなければならない時期があった。私は、母方の曾祖母から取った「犬走」という姓を名乗っていた。「犬走」。元々は建築関係の用語らしいが、ちょこまかと小股に走るというような意味もあるらしい。どうやら私は久しぶりに「犬走」に戻ったという訳だ。

 

 先週の半ば、原稿を仕上げ、印刷を終えるまであと少しというところで、プリンターが動かなくなった。些か怪しくなっていたのだ。些か?とんでもない。もう余命後僅かというところまで来ていたじゃあないか。騙し騙し使っていたのだ。そのボディを優しく撫で回しながら、猫撫で声で話しかけ、コンセントを抜いたり差したり、その度に「嫌々」という態度を露骨に表わしながらも、不貞腐れたように一枚、二枚とゆっくり印刷してくれるのだ。時折、凄い音を立てた。癇癪玉が破裂したのだ。そのままどこかに飛んでいくんじゃないかと思えるほどの怒りようだ。その音が止むと不気味に振動した。まるで、老人が咳き込んでいるようだった。

 

 後数枚の原稿を残すところで、プリンターは事切れた。その時、私の中の何かも同時に切れてしまったみたいだった。私は急いで仕度をした。電器屋めがけて一直線って訳だ。外は明るかった。暖かかった。数日間、原稿に貼り付いていた自分の中を初夏の風が通り抜けた。滅茶苦茶に珈琲を飲みたくなり、ならば久々に詩人の井上さんに会おうと、この汚い面を見てもらおうと、彼の行きつけの喫茶店に向かった。そこで井上さんと向かい合って話をしているうちに、どうしようもなく追い立てられているような気持ちに襲われた。尻がむずむずした。私は尻の中に、一体何匹の虫を飼っているのだろう。失礼を承知で、私は店を早々に立ち去った。そういえば、人に会いに行くときは、何かのついでに行くんじゃないぞと、常々弟子たちに偉そうに説教している自分を思い出し赤面した。だが、足は止まらない。

 

 ヨドバシカメラに飛び込む。プププププリンターを一つくれってなもんだ。電器屋というのは騒々しくて、自分が落ち着かないときは何故か居心地がいいのだ。そういえばこのヨドバシカメラが垂れ流す騒音に、昔ひどく腹を立てていた時期があったな。新宿カメラ戦争とか言われていた頃。今はどうだか知らない。新宿駅西口広場の辺りに道を挟んで、このヨドバシカメラと、カメラのサクラヤという二店が向き合っていたのだ。お互いを打ち消しあうような音量で、ゲテモノとしか言いようの無い音を流し続けていた。「丸い緑の山手線、パパパパパパー、真ん中通は中央線・・・」。これがヨドバシカメラのテーマソングだった。(パパパパパパーというのは間に入るトランペットの音である。)だがこれなどサクラヤの歌に比べれば生温かった。サクラヤの方はというと、思い切り拳の効いた演歌歌手の声で「安い、安いよ、どんどん安い、安い衝撃ぐっと来る、あああ、センセイショオォォォォン」と叫ばれるのだ。この下品な歌い出しを締めくくるのが「安さ爆発、カメラのサクゥゥゥラヤァ」というお馴染みの決め台詞である。全くこんなものに馴染みたくなどなかった。一度だけ胸がすっきりした事があった。店の前を通りかかった小学生の集団が、店内に向かって「カメラ爆発、安さのサクラヤ」と茶化していたのを見たのだった。

 

 ともかくプリンターを抱えて犬走りに家に向かった。何故かせきたてられると猛烈に悲しくなる。だが、足は止まらない。ふと気付くと昔の色街を通っていた。今は見る影も無い。だが、記録によると確かに遊郭があったらしいのだ。ずっと昔、図書館で禍々しい事件ばかりを調べているときに、ふと行き当たった記事から、この辺りに遊郭があったことを知ったのだった。その新聞記事の小見出しには「○○遊郭でダイナマイト心中、天井にはらわたべたべた」とあった。

 

 まるでミジンコが分裂を続けているように、私は忙しなく動き続けている。最早それは振動といってもいいだろう。もしかしたら、どこかでそれを楽しんでいるんじゃあないだろうか。何しろ病んで以来、初めてなのだ。こんなに落ち着き無く動き回るのは。これは復活の狼煙さ。実際はどうでもいい、ともかくそう思うのだ。という訳で、このばたばたした状態はまだまだ続く。


        2012. 5. 16.


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