青藍山研鑽通信

作曲家太田哲也の創作ノート

よろしければ太田哲也ホームページ もあわせて御覧下さい。

縁日の見世物小屋でも覗くつもりでお気軽にお越しいただければ有り難いです。

試聴用サンプルをクリックしていただくと、ひゅうう、どろどろどろと不気味な音が流れてきますよ。

小さなお子さんたちは大人の人と一緒に見てくださいね。


テーマ:
 


山の中でくたばりかけるきっかけ、そいつは崖から転がり落ちるばかりじゃあない。最近流行りのマダニに刺される事だってあるだろう。私は幸いマダニに出会った事はない。山蛭なら見た事があるが、咬まれる事はなかった。そいつはあの不気味な姿をゴムのように伸び縮みさせながら、大きな水溜りの中を泳いでいた。ああ、これがぼとぼとと頭上から落ちてきて、体中に纏わりつき、血を吸い取られてしまうのかと、泉鏡花の代表作「高野聖」の一節を思い出しながら思わず縮み上がった。

 


もう数十年も前の事、その頃は「熱中症」という言葉は一般にまだ知れ渡ってなかったように思う。私も知らなかった。ともかくその症状を日射病と呼んでいた。別に日に当たらずとも、暑苦しい室内にいるだけでその症状は現れるので、やはり熱に中るという言い方が妥当なのだろうか。

 


ともあれ仕事で青藍山の仕事場に籠っていた私は、毎日山の中をひたすら歩き回った。作曲する中で一番辛い時期だった。机の上には清書用の、まだ一音符も書き込まれていない五線紙が広がっている。今すぐにでも書き出せそうで、かといって原稿用紙に向かうと何も出てこない、うん、作曲にはそういう時期があるんだ。そういう時にはどうするのかって?音符を絞り出す代わりに、汗を垂れ流すのさ。私の場合はひたすら歩くんだ。山の中を。四六のガマがたあらたらたらとガマの膏を垂れ流すように、私も体中から脂汗を流しながら歩くんだ。私がもし、上等のガマだったらさぞかし小金持ちになれた事だろう。ちなみに四六のガマというのは、前足の指が四本、後ろ足の指が六本、筑波山の麓でおんばこを食べて育ったガマで、そんじょそこらのガマとは違う・・・というのは、ガマの膏売りの口上の台詞だ。

 


山の空気は重層的だ。いくつもの空気が重なり合って複雑な大気の状態を作り上げている。そのうねるような大気に身を任せ、そこからあふれ出てくる音に耳を欹てながら歩く。風の音、鳥や蝉の声、一定の速度を持つのは自分の足音、その足音に絡む息の音、鼓動の高鳴り。いつの間にか降り注ぐ太陽の光も音を放っている。特に夕刻の、その粒子が一番に粗い光が放つ音は凶暴ですらある。

 


頭上に覆いかぶさるように枝を伸ばした木々の間、そのトンネルのような空間を歩く。その向こうに見えているトンネルの出口のような光、そこに向かって歩くんだ。木々の間を抜けると、そこで吹き渡る風に身を晒し、しばしの快楽に目を細め、それからまた歩き出す。そんな日を繰り返す事でしか曲を書く事はできなかった。そうしているうちに、果実が熟するように音が熟し、そいつが体の奥から滴り落ちてくるんだ。それまで待たなければならない。その胸が苦しくなるような、もはやそれが快楽なのか、苦痛なのかもわからない、その状態に耐え続ける事が作曲の醍醐味さ。

 


その日も、いつものように山に入った。七月の終わりか、八月の初めか、いずれにしろ夏もたけなわって頃だ。与太郎のようにただ歩くだけでも、やはり道は選ぶ。いよいよ山奥に入る、そのあたりに分かれ道があった。下の道を歩けば小一時間ほどで仕事部屋に戻り着く。上の道の登れば、さらにそれから数時間を歩き、いささか市内から外れた漁村に辿り着く事になる。ちょっと前から頭痛を感じていた私は、いささかの不安から下の道を選んだ。そこから数分も歩いただろうか、いきなり頭の上で胡坐をかいていた頭痛が数倍にも膨れ上がり、目の前が暗くなった。あれ、何だか足が縺れるじゃあないか。そのまま数歩も進まないうちに転んでしまった。慌てて立ち上がろうとすると、おお、腰が立たないぞ。これが噂の腰抜けって状態かい?そうしているうちにたちまち息が苦しくなり、吐き気が込み上げてきた。まずい、気が遠くなってゆく。ああ、このあたり、人通りがほとんどないんだ。ましてやこんな真夏の真昼間に通りかかる人なんていない。

 


その時、ふと思い出したんだ。この道には確か自動販売機があったぞ。見渡すと、ほら、向こうにそいつが見えているじゃあないか。よしってんで気力を振り絞り、楳図かずお先生描くところの呪いの蛇少女よろしくずるずると這うように、その自動販売機に向かった。そこで買えるだけジュースを買い、一気に飲み干し、それから販売機の背後に生えている大きな木に凭れてしばらく眠った。目を覚ますと、おお、体がすっかり軽くなっているじゃあないか。うん、これが私の唯一の日射病(現熱中症)体験だ。

 


ああ、どういう訳か、今年は山が私を強く呼んでいる気がする。久々に少しまとまった曲を書きたいんだ。それが最後の大作になるかもしれないね。もし納得いくものが書けたら、うん、その時は日射病(現熱中症)に惜しげなくこの身を差し出してもいいね。あのまま目の前が真っ暗になって意識がなくなり・・・ああ、心臓が動かなくなり、肺に水が溜まって窒息死する事に比べたら、百倍も穏やかな死にっぷりじゃあないのかね。

 



2017. 7. 20.



 
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
 


そういえばもう何年も山に入っていない。オーケストラの曲を書く時には、必ず山に籠るので、ああ、もう何年もオーケストラの曲を書いていないという事になるのか。うん、でもそれはいい事かも知れないね。オーケストラの曲、そいつは多くの原稿用紙を必要とするんだ。一月ほども籠る仕事部屋がたちまち五線紙だらけになる。おいおい、一体何枚の五線紙をただの紙くずにしてしまえば気が済むんだい?私が音符などというものを描き込まなければ、そいつはぴかぴかの綺麗な五線紙のままでいられたんだぜ。

 


まあ、それはともかく、やはり山は好きだ。山に入り、水を浴びるように体に纏わり付いている、不潔極まりない街中の音を洗い流すと、たちまち自身の精度が上がった気がする。自分が作曲する一つの器官になった気がするんだ。それから山の中を当てもなく歩き回る。まるで山の神に御挨拶でもするみたいにさ。禊ぎみたいなもんさ。でもオカルトって訳じゃあないぜ。何となく身に付いた癖みたいなもんだ。

 


一時期は小さな港町に仕事部屋を借りた事もある。うん、海、こいつは駄目だね。気が散ってしょうがない。港町の朝は早い。魚市場が開く時間になると、尻がむずむずするんだ。活きの良い魚を見つけると、早速そいつをぶら下げて急ぎ足で仕事部屋に戻る。まずは三枚に下ろすと、ああ、もう駄目だね。仕事もそっちのけで、今度は酒屋にひとっ走りだ。そこで純米吟醸だの地焼酎だの、ともかく目に付いた一升瓶を買い込んで、朝からの酒宴さ。それからお昼寝。お仕事?うん、そいつは夢の中で。遅い午後に目覚めると、残った魚を焼いたり、煮付けたり、昆布で締めて山芋と一緒に蒸したり・・・、ああ、料理ばかりが上達してゆく。

 


夕方、ふらりと海水浴場まで散歩に行くと、そこには東京だの、横浜だの、神戸だの、都会からバカンスにおいでになった女子大生の皆さんが波とお戯れになっている。「あっ、これイカじゃない?旅館に持って帰ったら料理してもらえるかなあ?」。おっといけない、お嬢さん、そいつはイカなんかじゃあない。くらげですぜ。刺されるとその真綿のように白いお肌が台無しですぜ。それから殊更に方言を使って、地元の素朴な青年を演じ、都会の香りを香水のように振り撒くお嬢さん方と沈む夕日を眺めながら、取り留めのないお喋りと楽しむ。そうしているうちにたちまち予定していた日時は過ぎ、夏休みの最後の日に、泣きながら「夏休みの友」と格闘する小学生のように原稿用紙に齧りつく次第となる。

 


という訳で、やはり仕事場は山の中という事になる。うん、山の中を彷徨っているとただただ恍惚を感じるんだ。ああ、山で死ねれば本望さと、そう嘯いてはいたものの、実際死にかけてみると、そう簡単にはいかないね。ある夏、その年は台風の当たり年で、台風、そいつが次から次にやって来た。その度に私は仕事部屋を抜け出して、裏にある小高い丘に登ったんだ。

 


山の地形は複雑だ。あたりは激しい風が吹き荒れているというのに、そこだけは静かだという地点がままある。その時私は大いに油断していた。谷の合間、風が遮られたそこをのんびりと歩いていた。その谷を抜け、県道にでると、いきなり突風に足をとられたんだ。足?いやいや、体ごと持っていかれた。地面の数センチ上をふわふわと運ばれた。ああ、人類初の女性宇宙飛行士、テレシコワ女史が「私はかもめ」という言葉を発したのはこんな時ではなかったのかなどと馬鹿な事を考えているうちに、私は県道のガードレールに叩きつけられた。ガードレールにしがみ付きながら下を見ると、ああ、そこは高さが十メートルほどもある崖の上だった。もし、このガードレールがなかったら、私はその崖下に転がり落ち、たちまち首の骨でも砕いて・・・その崖下、そこは一面の藪になっていた。その藪に落ち込めば、もう誰からも見つけられる事もなく、うん、もし見つかる事があってもその時は、もうすっかりしゃれこうべって訳さ。

 


うん、まだ死ぬ訳にはいかないと、這う這うの態で仕事部屋に帰り着き、書きかけの原稿用紙に飛びついた。ああ、人生、いつ何があるかはわからないね。仕事は早く終わらせておこうねと自分に言い聞かせ。それから数日間で、私はアコーディオンとオーケストラのための協奏曲「愛憐」の第一稿を書き上げた。演奏する予定だったアコーディオン奏者は、イタリアから帰国したばかりのCobaこと小林靖弘さんだったが、スケジュールの行き違いから出演する事ができなくなってしまった。こちらもギャラを安く上げるため、取っ払い(事務所を通さず直接本人と交渉する)で申し込んだ仕事だったので、強く出る事もできず、仕方なくアコーディオンのパートをフルートとファゴットの為に書きなおし、初演したといういささか苦い記憶がある。苦い?いやいや、結果オーライってとこさ。その時、演奏してくれた埜口浩之君と津村瑞さんには今も頭が上がらない。

 



                                2017. 7. 18.

 
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
 


知人に旨辛醤という調味料を貰った。とても旨く料理が仕上がる調味料で、自分たち夫婦はその辛さにのめり込んでいると言う。へえ、そんなものがあるのかなどとぼんやり思いながらも、その瓶を受け取った。

 


辛い、甘い、苦い、酸っぱい・・・調味料の味を表す言葉は色々あるが、「旨い」という言葉を使うのはいささか反則なんじゃないかなどと思わないでもないが、ともかくどんな味なんだろうという興味が湧き上がってきた。ならば今夜はこの醤を使った料理を作ってみようと八百屋に寄り、安売りの茄子を買った。あれ?肉は?うん、大丈夫、冷凍庫に挽肉が眠っているんだ。

 


とりあえず挽肉と茄子と玉ねぎを、生姜だの、酒だの、砂糖だの、ともかくそれらしいもので味を付け、いよいよその醤をぶち込む。分量の事などろくに考えもせず、大きなスプーンですくって、そいつを鍋に放り込む。一つ積んでは父の為え、二つ積んでは母の為え、三つ積んでは・・・あれ、三つ・・・三つ・・・。ここで突然涙で視界がぼやけた。  

 


死んだ両親の事を思い出したのかって?いや、もちろん違う。何やら私の目に突然割り込んできた湯気、そいつが凄いんだ。すわ、毒ガスか?いやいや、これが醤の力さ。続いて咳が、そいつが私の口から飛び出してくる。ゴッホゴホッゴッホ、ゴッホゴホッゴッホ・・・どうせならと思い、咳でサンバのリズムを刻んでみた。灼熱の咳。うん、真夏の咳はこうでなきゃあいけない。

 


思わぬ刺激に私は血迷い、まだ味見もしないうちにその辛さを中和しようと、さらに砂糖、酒を加えた。そいつを皿に盛り、湯気が立つうちに口に中に押し込むと、おお、旨い。その、ゲートを開くや否や、元気よく飛び出したその本命馬のような「旨い」を、たちまち抜き去る憎いやつ、そいつが「辛いさ」。ああ、一瞬にして体中のすべての毛穴が開いた。その毛穴から汗が一斉に噴き出す。まるで熊本にある通潤橋みたいに。蚊でも、蚤でもいい、そんなやつがもし私の体にへばりついていたら、たちまちこの汗の大洪水に押し流されてしまっただろうね。

 


うううん、中国人ってのはこんなものを平気で口にするのだろうか。ああ、恐るべし中国人。さすがに机以外の四つ足はすべて食べると言われるだけの事はあるな。いや、もしかしたら机だって食うんじゃないのかい?この醤さえあれば、机だってばりばりといけそうな気がするぜ。

 


ああ、などと考えているうちに、自分が子供の頃、中国に大いに偏見を持っていた事を思い出した。うん、私の中国人像、それは昔の漫画、「のらくろ」によって作られていた。その「のらくろ」という漫画の中で、中国人はいささか間が抜けた豚、韓国・朝鮮人はその豚に狙われている大人しい羊として描かれていた。うう、ひでえもんだぜ。ちなみにアメリカ人は猿、ロシア人は熊、日本人はもちろん犬として描かれていた。でも、子供心にはその軍国漫画が何故か面白く、むさぼるように読んだんだ。

 


周りのガキども、つまり私の同級生たちの間では、「巨人の星」だの「タイガーマスク」だの、そういういささか説教臭い漫画が流行っていたが、私はほとんど興味がなかった。そういえば「タイガーマスク」、主人公の伊達直人は恵まれない子供たちの為に、「みなし児ランド」とかいう凄い名前の遊園地を作ろうと計画するのだが、富士の裾野に土地を買った伊達は、何より先に、その土地に自身の姿を表す巨大な猛虎像作ったんだ。うううん、子供心に、この伊達って男、結構嫌な奴なんじゃあないかと思った記憶がある。

 


それで子供の頃の私が、どんな漫画を読んでいたかというと、「のらくろ」をはじめ「蛸の八ちゃん」、「タンクタンクロー」、「白べえ、黒べえ」・・・、そんな戦前の復刻版を探しては読み耽っていた。一頁に四つしかコマがなく、そのまるで紙芝居のような四つのコマは不思議なのどかさを醸し出していた。そこに書かれた「お茶を食べたり、飯を飲んだり」「馬鹿、それじゃあ、あべこべだ」だの「うわあ、ペンキ塗りたてだあ」だの「誰だ、こんなところにバナナの皮を捨てたのは」だの、当時でもとうに古びていたギャグに腹を抱えて笑っていた。何だか、最初から時代遅れだったって訳だね。今の私、そいつはもう時代から軽く三周分ぐらいは遅れているね。

 



                                2017. 7. 17




 
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。