青藍山研鑽通信

作曲家太田哲也の創作ノート

よろしければ太田哲也ホームページ もあわせて御覧下さい。

縁日の見世物小屋でも覗くつもりでお気軽にお越しいただければ有り難いです。

試聴用サンプルをクリックしていただくと、ひゅうう、どろどろどろと不気味な音が流れてきますよ。

小さなお子さんたちは大人の人と一緒に見てくださいね。

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 点滴の内容が変わり、頭痛が治まると、さまざまなものに対する好奇心というものがむくむくと頭をもたげてきた。元来、私の頭は自身のろくでもない興味に関して、大いなる活発さを持って働くんだ。

 


 病室を替わった。新しい病室に移って一番嬉しかった事、そいつは窓から外の景色が拝めるってところだ。最初に入った病室は窓が摺りガラスだったんだ。新しい病室、その透明のガラスが入った窓からは向いの病棟が見えた。そしてその病棟と、私が今いる病棟をつなぐ渡り廊下。渡り廊下に面したテラス。後は切り取られたような空。海は見えないが、時折そのステージに上がり仕事をこなしていた福岡サンパレスの建物も見えた。

 


 物を見る。ああ、こんなに楽しい事はないね。ちょうど気晴らしにと甥っ子が持って来てくれた泉鏡花の「化鳥」という本、この物語の冒頭は、主人公の母親が営む渡し、川に橋を掛け、その橋を渡る人々からいくらかの渡し賃を受け取る事を生業にしているのだが、その橋を渡るさまざまな人々を主人公の男の子が興味深く眺める描写から始まる。私も、新しい部屋から見える渡り廊下を渡る人々のそれぞれに、勝手な物語を考えながら楽しく眺め過ごした。

 


 テラスには毎日決まった人が現われた。病気の苦痛、そいつが額に刻み込まれたような表情で、黙々と歩き続ける人の姿があり、その姿を見るたびに、ああ、これが闘病者のあるべき姿なんだよなあと思い、能天気にへらへらと過ごしている自分を大いに恥じた。

 


 ところで看護婦さん、おっと、今は男女同権って事で看護士さんと言うのか、ともかくそういう職業の人たちがいる事を知っているかい?私はよく知らなかった。もちろんその職業名は知っていたさ。でも彼女らがどういう仕事をどういう風にこなしているのか、その事についてはまったく知らなかった。うん、最初に結論からいうと、こんなに美しい人たちは他にいないだろうね。彼女たちの凛とした美しさを見ていると、私がこれまでの人生で美しいと思ってきたもの、それらが単に甘ったるい、人工甘味料や着色料でべたべたに固められたガキ向けの菓子のように浅はかだったものだと思えてくる。

 


 それにしてもこの過酷な仕事を日々こなし続けるっていうのは並みの事じゃあないね。人間の生死の際を縫い合わせるように働き続ける、その心の強さは選ばれた者じゃないと不可能さ。世の中で一番人の生き死に近いところで働き続ける、それが彼女達って訳だ。音楽家など、ともかく十年ぐらいさぼる事無く毎日同じ修行を繰り返していれば、誰でもなれるような職業だが、看護婦、これは誰もがなれる訳じゃあない。そういえば入院した次の昼間、病室の前に立ち、「かんごふさん、ちり紙ください」と延々と繰り返すお婆さんの姿を見た。そのお婆さん、うん、いったいどういうメカニズムが働いているのか、正確に二秒強の間隔を置いてその言葉を繰り返し続けるんだ。たとえばそんな患者と適切な距離を保ちながら日々を過ごしてゆく、たった一つ、そんな事を考えるだけで私のココロとかいうやつはたちまち縮み上がってしまうんだ。

 


 当たり前の事を、当たり前に捉え、毅然とした気持ちをその裏に具えた優しさで仕事をこなしてゆく彼女たちの姿、うん、それに優る美しさは世の中にないね。その彼女達から病室で、熱や血圧を計って貰うとき、その時の彼女らの胸元にちらりと覗くもの、私物の時計?そんなものにふと彼女らのささやかな女性らしい趣味を伺い見ると、何だか切ないような気持ちで胸が一杯になった。ああ、どのお方も目一杯、これ以上はないというぐらい、宮沢賢治の言葉を借りるなら嬉しくてくるくる回ってぱちん飛んでいってしまうぐらいに幸せになって欲しいね。

 


 今、退院して自分の部屋の使い古した机の前でぼうっとしている私は、うん、入院呆けってやつさ。何やら淋しくてたまらないんだ。何が淋しいのかって、そいつもろくにわからない、ともかくココロとかいうやつをどこかに落っことしてしまったんだ。ああ、入院する前の自分に戻りたい。入院する前?あの咳と呼吸困難に生活をからめとられていた頃にかい?いや、もちろん違う。もっと前、半年でも一年でもいいさ。有り余る健康に顔をてかてかと光らせ、「おそ松くん」とかいう漫画にでてくるちび太少年みたいに街を走り回っていた頃にさ。

 


 うん、これまでの自分が一体、毎日何を食べて暮らしていたのか、そんな事すら思い出せないんだ。朴念仁の私だ。どうせ判で押したような面白味のない暮らしを延々と続けていたに決まっている。そうだ、朝目を覚ますと近所のスタジオにもぐり込み、そこで弟子相手にレッスンをこなし、それからピアノなりサックスなり自身の楽器の練習をする。そうして街に出る。遅い午後に西門通りの裏の寺町だとか、中浜あたりをうろうろと与太郎みたいに歩き回り、頭の中を湧き上がってくる音符で一杯にするのさ。そうして頭の中でぐるぐると渦巻いている、まだ形にならない音の塊を、呉服町のヴェローチェとかいう喫茶店にもぐり込んでノートに書きつけ、後は部屋に戻って夜を通してそのメモを五線紙に書き写す。そんな毎日だったんじゃあないのかい?そうだ、ともかくヴェローチェ、そこに出掛けてみよう。煙草も吸わないのにその店の喫煙席のへばりつき、うん、ともかくその窓際の席がこの店の中では一番明るいんだ、その窓からぼんやりと外でも眺めていると、病気になる前の自分がふらりと戻ってくるかもしれないぜ。

 


                  この項続く

 



  2017. 4. 25.

 
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 闘病記などと何やら偉そうなタイトルをつけてはみたものの、実は病と闘ったなどという立派な意識は微塵も無い。私の体の中で薬っていうやつと、病が勝手に格闘を続けている。それをぼんやりと眺めている私は、干されたまましまい込むのを忘れられた洗濯物のように、ふらふらと風にそよいでいるだけだ。

 


 病院に入る前の私、そいつは馬鹿なりに必死に、しかもとんちんかんな戦いを繰り広げていた。とんちんかん?そうさ、自分が何の病気なのかも知らずに闇雲に棒切れを振り回していたのさ。その頃の私が心の支えとしてすがっていたもの、それは薬局だった。いや、薬局ってのは薬剤師が常駐して、薬を調合して売るところじゃなかったっけ。ならば薬店。そうだ私は薬店をふらふらと巡り続けていたんだ。何とかこの、自身の生存すら脅かす息切れを、咳を、押さえ込もうと。うん、まったく「おまじない」みたいななもんさ。「ちちんぷいぷい」とかいう呪文とたいして変わりはないね。

 


 今こうして振り返ってみると、何という滑稽さ。私は肺にたっぷりと水が溜まっている事も知らずに、うん、その肺水腫ってやつに「ブ○ンS」だとか「アル○ン咳止め」だとかそういう薬で、心不全に対しては「ア○クロン」だとか「麦○冬湯」だとかを使って果敢に立ち向かおうとしていたんだ。溜まりきった腹水に対しては「ガ○ター10」。ああ、何たる大和魂。まるでアメリカに向って竹槍で戦いを挑んだ、かってのこの日本国そのものじゃないか。父よあなたは偉かったってなもんさ。

 


 個室に移され、早速点滴が始まった。おお、これこそがまっとうな治療ってもんだ。点滴が始まるとぐんぐんと体が軽くなるのだが、その代わり頭がずきずきと痛んだ。頭、そいつが内側からぐんぐん膨らんでいる気がした。まさか頭が変形してるんじゃないのか?おいおい、私の空っぽの頭、そいつは今、一体どんな形をしているんだい?まさかドーナツ屋の店先に並んでいるポン・デ・ライオンとかいうキャラクターみたいに頭のまわりがぽこぽこと膨らんでいるんじゃないだろうね?

 


 ちなみにその時点滴に使われた薬は「ミモコール」というものらしいが、私は最初、その名前を「ミノコール」と聞き違え、自分の体の中をみのもんた氏の体液が駆け巡っいるような気がして、大いに不快になったものだ。ともあれこの点滴が続いている間、およそ三日間だったか、私はひたすらにぼおっとした頭を抱えて過ごした。人の言葉がまったく頭に入ってこなかったんだ。お見舞いに来て下さった方々に対して、普通に受け答えをしていたらしいが、実はその会話のほとんどが記憶に無い。看護婦さんのお言葉も右の耳から入ってくるや、たちまちそいつは左の耳から抜けていった。看護婦さんから何かしら有難いご注意をいただくごとに、その言葉はぽっぽっぽっと、まるで煙みたいに私の反対側の耳から抜け出してゆくんだ。

 


 ともあれこの点滴は効いた。ようやく春風が私の体の中を爽やかに吹き抜ける頃になると、すっかり正気を取り戻した。言語が、記憶が、戻ってきたんだ。その頃点滴の薬が変わった。新しい薬、その名は「ドブポン」というんだ。えええ?ドブポン?一体どういう意味なんだ?どうせ合成語だろうが、そもそもどこの国の言葉なんだ?ラテン語?ギリシャ語?ドイツ語?・・・。

 


 そういえば薬店を一巡りするとたちまち頭の中がおかしな商品名で一杯になる。うん、製薬会社ってやつ、こいつらどこまで本気なんだろうね。第二次大戦前、まだ薬事法が制定される前の市販薬の広告、それは凄いものだった。ちょいと昔の雑誌や新聞をめくってみると頭がくらくらするような誇大広告が並んでいた。「せき・こえ・のどに浅田飴」。この有名なコピー、戦前は「せき・こえ・ねつに浅田飴」だった。おいおい、浅田飴のどこに解熱効果があるんだよ。もっと凄いのがカルピスさ。「カルピスはコレラ菌を殺す。カルピス御飲用のご家庭にコレラ患者なし」というコピーがまかり通っていたんだ。ちなみに馬鹿につける薬として「バカナオール」というものが売られていたという記録もある。

 


 われわれが子供の頃、大いに脅かされていたのが蓄膿症っやつさ。どの少年雑誌を開いても、必ず蓄膿症の薬の広告が載っていた。本を読んでいる薄暗い中学生の写真、その写真には「この少年は蓄膿の膿が脳に回って頭が馬鹿になりました」という注釈がついていた。ああ、何と恐ろしい。それにしてもそんな広告を信じるやつが本当にいるのかって?うん、いる。この私がそうだ。薬局の薬で果敢に心臓病に立ち向かい、挙句こてんぱんにのされ、ぺちゃんこになる。そんな無知な輩がここにいるんだ。

 


                        この項続く

 

 

 

 2017. 4. 24.

 
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 最初に問診を受けたのは随分と若い先生だった。詳しくは憶えちゃあいない、何しろ頭がくらくらと回っていたんだ。多分お決まりの「どうしましたか?」的な質問で診察が始まったんじゃないかと思う。どうしたのか?とそう問われると、うん、それは私の見栄みたいなものなのか、過剰な人様に対する遠慮なのか、つい何でもない風を装ってしまうんだ。思い切りゆとりがある振りをするんだ。「最近、少しお咳がね、はっはっは・・・」だとか「そういえばちょいと息苦しい時もありますな、ほっほっほ・・・」などとにやけてみせる。うん、これは今回の入院全般を通して大いに反省したところだ。人様に窮状を訴える。そいつがきちんとできるようになるべきだと、今はそう思っている。苦しければ、その苦しさを少し大袈裟に、ちょいと水増しして、博多華丸師匠かばってん荒川さんみたいに方言丸出し、面ん玉をひん剥いて、「先生、わたしゃあ一晩中咳がとまりませんばい、息が苦しかですばい、もうすぐ死ぬかもしれんですばい、おーいおいおいおい・・・」と涙でも流してみせるぐらいの事はできるようになるべきだと思った。

 


 色々な検査が終わり、再度診察室に戻ると、担当の先生が代わると告げられる。循環器が専門の先生の元に送られる訳だね。そこで今回丸々お世話になった先生から入院を告げられ、早速最近福岡市内に引っ越してきた妹、彼女とはそれまで二十年以上もまったく音信不通だったんだが、その妹に電話をして必要な物を持ってきてもらう事にした。電話に出てきた妹に急性心不全である事を告げると、妹は大いに驚いた様子で「えっ?もう死んだの?」と訊き返してくる。ああ、何という間抜けさ。もし死んだんだったら今電話している私は一体誰なんだよ?多分、心不全という単語が過去のさまざまな死亡記事とこみで記憶に刷り込まれているんだろうね。それにしても落語の粗忽長屋並みの間抜けさじゃあないか。「おい、熊公、お前の死体を運ぶんだから手伝え」。死体を運びながら熊公、「あれ、この俺の死体を運んでいるこの俺は一体誰なんだ?」・・・。

 


 看護婦さんにボールペンをお借りして、簡単な入院の書類を作る。あっ、このボールペン、ノックする部分にピンクのクマが乗っているじゃないか。その不気味なピンクの顔色をしたクマが、入院という初めての体験に青ざめる私の顔を見てにやにやと笑っている。くそ、人が憂鬱な気分でいる時ににやにやしやがって。うん、でもこの入院は大いに想定内だった。この状態で、ではまた来週来て下さい、などと追い返されたら、私はこの病院を二度と信用しなくなっていただろう。とにかく病院という施設の中に潜り込めば、どこでどう倒れても大丈夫だという安堵感があった。

 


 では病室行きましょうかと微笑む看護婦さんの手には、車椅子のハンドルが握られていた。思わず私は看護婦さんのにこやかな笑顔と車椅子を交互に見返した。こ、こ、こ、これに私が乗るのでしょうか・・・。

 


 うん、慣れないと恥ずかしいもんだね、この車椅子ってやつは。ああ、でも快適じゃあないか。人様のお力で移動するっていうのは。このにわか病人を乗せた車椅子はするすると滑らかに進んでいく。これは意外だった。その車椅子の性能の良さは。ともかくその快適さに身を委ねる事で、私はぐっと病人の側に手繰り込まれるのだった。

 


 連れて行かれたところは、えっ?これが病室かい?横一列にずらりと並んだベッドの一つに私も横たわる事になった。病室っていうのがどういうものか、そんな事はほとんど知らない、でもさすがに知人の見舞いには何度か訪れた事があった。そのいずれの病室のイメージとは随分違うね。うん、目の前の壁は大きなガラス張りで、その向こうは医師の先生や看護婦さんの詰め所のようになっているじゃないか。強いていうならば以前ドラマか映画で見た新生児室のような感じだね。

 


 そこで横たわると、数分もしない内にたちまち咳が溢れ出してきた。その自分でもうんざりするようなうるささに普段なら、周りの人様に申し訳ないと縮こまるところだ。だが、周りのどこからも何かしら音が聞こえてくる。さまざまな電子音、人間の呻き声、ああ、ここは思い切り咳き込んでもいいような空間なのだろうか。さまざまな音に混じって、延々とセバスチャン・バッハのメヌエットの断片、あの有名なアンナ・マグダレーナのためのメヌエットの断片が流れ続ける。

 


 ふとベッドの柵に目をやると、あれ、これなんだろう、楳図かずお先生の漫画に出てくるような未来の植物、そいつを思い出させるような小さななすび状のものがぶら下がっている。手に取って見ると、その頭の部分には扇のような絵が描かれているぞ。あの殿様が「あっぱれ」などと叫びながら開いてみせる扇の絵?いやいや、良く見てみろよ、扇じゃあないぜ。扇なら日の丸が描かれているだろう。そこに描かれているのは日の丸なんかじゃあない、ほら、赤十字のマークじゃないか。なるほどこれはナースキャップとかいうやつだね。実物は見た事ないが、メンソレータムの蓋に描かれているあの、「小さな看護婦さん」が被っているやつじゃないか。という事は、ああ、これが噂のナースコールってやつか。実はこの数時間後に、ナースコールのスイッチを押すとバッハのメヌエットが鳴り響く事を知った。

 


 ほどなく個室に移され、そこで始まった点滴に頭のネジを緩められ、途切れ途切れの覚束ない記憶の中で三日ほどを過ごす事になった。

 


                        この項続く

 

 

 

  2017. 4. 23. 


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