9月9日、
元自民党幹事長の加藤紘一さんが死去。(77歳)







管理人

加藤紘一さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
一時は、大望を抱きながらも挫折し、志し半ばにして
この世を去る事に、想いは幾つもあったのではないでしょうか。
加藤紘一さん、安らかにお眠り下さい。
合掌。。。


9月10日
加藤紘一 自民党元幹事長 死去
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160910/k10010680051000.html

自民党の元衆議院議員で、官房長官や党の幹事長など、政府や党の要職を歴任した
加藤紘一氏が9日、東京都内の病院で肺炎のため亡くなりました。77歳でした。

加藤氏は、山形県鶴岡市出身で、東京大学を卒業後、外務省を経て、昭和47年の
衆議院選挙で旧山形2区から立候補して初当選し、13回当選しました。
この間、第2次中曽根改造内閣で、防衛庁長官として入閣し、その後も、
宮沢内閣の官房長官や、党の幹事長、政務調査会長など、
政府や党の要職を歴任しました。

自民党内では、総理・総裁の有力候補とされ、平成10年には派閥を
宮沢元総理大臣から引き継ぎ、会長に就任しました。
また、加藤氏は、小泉・元総理大臣、山崎・元自民党副総裁と近かったことでも
知られ、3人の盟友関係は「YKK」とも呼ばれました。

こうした中、平成12年秋の臨時国会で、内閣支持率が低迷していた当時の
森総理大臣の退陣を求めて、野党側が提出した森内閣に対する不信任決議案に
賛成する意向を示しながら、採決直前に方針を変更した、
いわゆる「加藤の乱」を主導し、加藤派は分裂しました。

平成14年には、みずからの事務所の元代表が所得税法違反の罪で起訴された
ことを受けて、自民党を離党し、衆議院議員を辞職しましたが、
翌15年の衆議院選挙に無所属で当選した後、自民党に復党しました。
そして、平成24年12月の衆議院選挙で落選した後、
3女の鮎子氏を後継に指名し、政界を引退していました。
その後、加藤氏は体調を崩し、9日、東京都内の病院で肺炎のため亡くなりました。











加藤の乱




週刊現代 2016年8月7日

「小泉純一郎にあって、加藤紘一になかったもの」
山崎拓が明かす「真実」
総理になれた男と、なれなかった男の違い

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49349

<一部引用>

〈「私と山崎さんは、これから本会議場に行って不信任案に賛成投票をしてくる。
同志の皆さんはここに残ってください」

騒然とする場内。
すると、加藤派の谷垣禎一が血相を変えて加藤に駆け寄る。

「あなたは大将なんだから、一人で突撃なんて駄目ですよ」

「ついてこなくていい。俺と拓さんだけで行く」

と、加藤は谷垣を突き放した。

実は加藤の「俺と拓さん」というのは一方的な宣言で、
事前に私の了解を取ったわけではなかった。
しかし、あくまで友情を全うするため、私は加藤についていった〉

あの日、(加藤派の会合の後)二人きりでハイヤーに乗って国会に向かう際、
途中まで加藤は、
「俺とアンタだけは(内閣不信任決議に)出席しよう。そして党を割ろう」と、
意気軒昂に話していました。
しかし、加藤は明らかに迷っていた。
そして私も、政治家人生の破滅を予感していました。

党を除名になってその後はどうする、と考えているうちに車が議事堂の門に近づいた。
その瞬間、加藤が「やっぱり帰ろう」と言い出したんです。

——「討ち死に」を覚悟したはずが、腰砕けになってしまったのですね。

政治生命がかかっているのだから、逡巡する気持ちはよく分かります。
だから私は、「どっちでもいいよ。アンタが突っ込むなら、俺も突っ込む」
と言いました。

ですがその直後、矢野絢也さん(元公明党委員長)から私に電話が入り、
「何やってるんだ!早く行かないと政治生命を失うぞ」と発破をかけられたため、
改めて私たちは国会に向かいました。

ところが、国会に近づくと、またしても加藤の心が折れてしまった。

ホテルに戻り、全身の力が抜けてぐったりしていた私に、加藤は三度、
「拓さん、行こう」と言ってきましたが、私は突っぱねました。
「三度目の正直というわけにもイカンじゃないか」と。
加藤は一人でホテルを出ましたが、案の定というか、すぐに戻ってきました。


― 中略 ―

加藤の口が軽すぎた

——そんな、一歩引いた立場を取っていた小泉さんが、
加藤の乱が頓挫した直後から、「野望」をむき出しにしてきます。

加藤もわかっていたことですが、政治とは実に「冷厳」なものです。

加藤の乱の際、小泉は我々には同調せず、勝者の側になります。
そして、乱の直後に開いた私の誕生日パーティーに、突然乗り込んで来るのです。

そして壇上でマイクを握ると、こう言い放った。

「YKKは友情と打算の二重奏です」

「皆さんは、私が友情でこの場に来たとお思いでしょうが、
 さに非ず打算で来たんですよ」

小泉の言葉はYKKの本質を表していました。
「友情と打算の二重奏」、まさに我々の関係そのものです。
そしてそこには、非常に政治的な「綾」が含まれた、
こんな意味も込められていました。

「俺は打算で来たんだ。次は俺を応援しろ。
お前らは失敗したんだから、今度は俺の応援をしろ」

実際、私はその後、彼の「支え役」になります。
自分で言うのもなんですが、小泉政権の初期は、
私が参謀役としてついていなかったら、もたなかったと思っています。

仄聞したところでは、小泉が'01年の総裁選に勝利すると、
即座に中曽根(康弘元総理)さんから電話が入って、

「山崎を幹事長にするしかお前に道はないぞ」

と、おっしゃったそうです。それぐらい彼の足元は脆弱だった。
小泉政権を真の意味で支えたのは彼の出身派閥である清和会ではなく、
山崎派だったということです。

——うまく乱に乗じた格好の小泉氏は、
最初からすべてを計算して動いていたのでしょうか。

それはないと思います。
ただ、小泉はその前に2回、総裁選に出馬して、惨敗している。

彼は俗に言う「賄賂」を絶対に受け取らなかった。
私は、小泉と全盛期の小沢一郎の政局勘の鋭さは非常に似たところがある、
と何度か感じたことがありますけれど、政治とカネに関するスタンスにおいては、
両極の存在だったと思う。

でもそれゆえ、小泉は派閥を持つことはできませんでした。
派閥は資金がなければ結束を保つことができないですし、人事権も持てない。

小泉は2度の総裁選敗北で、清和会頼みでは、総裁選に勝てないことを
肌で感じていたでしょう。
そんな時に加藤の乱が起き、その中で一糸乱れず行動を共にした山崎派の結束力を見た。
味方が少ない彼は、山崎派こそ自分の支えになり得ると考えたのでしょう。


——加藤の乱の際、加藤派の方はXデー前に切り崩されていき、
側近だったはずの古賀誠氏まで離反していますね。
そうしたことがクーデターの失敗につながります。

その辺りは『YKK秘録』にも記載しましたが、
加藤が「黙っていられなかった」ことが原因だと思います。
加藤は事前に民主党(当時)の鳩山由紀夫氏や菅直人氏、仙谷由人氏、
枝野幸男氏らに大連立構想を持ちかけていましたし、森さんと緊密な、
青木(幹雄)さんに倒閣後の人事構想まで持ちかけていた。

乱の直前、小沢一郎と会った際、
「紘ちゃんはひとりよがりで脇が甘いところがある。
話が漏れるのが早すぎて、切り崩されてしまうぞ」と警告も受けました。
謀をペラペラと話してしまえば、すぐに次の手が打たれるに決まっている。

不安は的中し、加藤派は不信任決議の日までに多くの議員が切り崩されてしまいます。
それにひきかえ山崎派は、当時森内閣の法務大臣だった保岡興治をのぞき、
全員が私についてきてくれた。

実は保岡も「辞任しなくていいの?」と、聞いてきました。それで私から、
「閣僚が不信任案に賛成するのはおかしい。自らの不信任を自分でやるようなものだ」
と窘めた経緯があるくらいです。

我々を踏み台にした小泉

小泉は、「加藤の乱」の中で、こうした経過をつぶさに見ていました。
表面上は友情に導かれて助けに来たように振る舞いつつ、
山崎派を新しい「バック」にして、自分が表舞台に出ることを
私に対して宣言したのです。

そういう意味で、YKKのうち最も酷いのは、
小泉ということになるのかもしれません(笑)。
結果的に狙い通り、我々を踏み台にして総理の座に就くのですから。

——小泉政権の誕生により、自民党の旧来型派閥政治は終わりを告げます。
そして、自民党の下野と民主党への政権交代を経て、現在の安倍政権につながる
政治のダイナミズムを生み出すことになります。
YKKは、そうした意味でも時代を画す存在だったと言えます。

こんなことがありました。ある晩、小泉が、
「加藤さんも拓さんも、二人とも総理大臣になりたいんだろう?」
と、聞いてきたことがあった。
加藤はキザなところがあったので黙っていましたが、
私は素直に「うん、なりたい」と応じた。
すると小泉が、
「総理になる順番はじゃんけんで決めろ。勝った順に応援してやる」
と、言うのです。

「じゃんけん」はしませんでした。
なぜなら、加藤は「絶対自分が先になる」と思っているから、
万が一負けたら、大変なことになってしまう(笑)。

そこで私が小泉に、「あんたはならんのか?」と、水を向けたら、
「ファーストレディがいないと、外遊する時に困るだろう。
YKKで、2人もやればいいだろう」
と答えました。

私は、加藤が総理になったら、
「じゃあ、後は拓さんやれよ」と推してくれるのかなと、心のどこかで思っていました。
加藤は私のような者が支えないと総理は難しいだろうと思っていたし、
彼は総理の座を狙いはしても、それほどしがみつかないだろうと見ていた。
加藤には、そういう淡泊なところがあったからです。

ですが、総理になったのは加藤でも私でもなく、小泉でした。
振り返れば私と加藤は、小泉に比べると随分、ウブだったのかもしれませんね。

「週刊現代」2016年8月6日号より

<引用終わり>
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平成日本のよふけ 元衆議院議員 加藤紘一





管理人

加藤紘一さんの死をどのように取り上げるかで、少し悩みました。
しかし、ブロガーとして感じたままを率直に、在りのままに伝えるのが
私の使命と思い、書き綴ることにしました。
加藤紘一さんのご冥福を祈るだけの記事では、新聞や週刊誌と変わりません。
また、ブロガーとして、そのような記事にすべきでないと思います。

日本の政治家の死には、いつもある疑念が生まれます。
私は、今回の加藤紘一さんの死に対して、大きな疑惑を感じています。
既に、彼の政治生命は終わっているのだから、友愛されるまでも無いだろうと
思われるかもしれませんが、しかし、日本では、そのようになった晩年に、
不審な死を遂げるケースが結構あるのです。

橋本龍太郎元総理もそうですし、中川昭一元財務大臣もそうです。
これを決して陰謀論と云う無かれ。
その理由を簡単に申し上げます。

この20年間の間に・・・
日米闇権力にとって、不都合な政治家ばかりが立て続けに死んでいます。
皆さん、これを全て偶然とかたずけますか!?
死因は、病死か自殺かのどちらになるかだけです。


中川昭一氏と加藤紘一さんのお二人の名前が出て来る記事を見てみましょう。


中川昭一の屍体から化学兵器の「VXガス」
http://ameblo.jp/64152966/entry-11375160527.html

マスコミの常として、中川昭一の死は「変死」とだけ、デマ報道が行われている。
報道規制が敷かれているため一切、報道されていないが、
中川昭一の屍体からは化学兵器の「VXガス」が検出されている。

アジア極東での「老舗の毒ガス部隊=神奈川県キャンプ座間の
米陸軍第406部隊」直伝の毒ガス部隊がVXガスを装備し、
東京世田谷の中川の自宅まで深夜移動するのに要する時間は極めて「短い」。

中国、朝鮮半島、ロシア等、アジア近隣諸国と「善隣関係」を持とうとする政治家は、
ことごとく「失脚させられて行く」。
善隣を嫌い、時に強硬論を唱える政治家だけが「生き残って行く」。

「米国石油メジャーとは別口ルートでの」原油輸入を画策した北海道選出の、
かつての「大物政治家」中川一郎は、何者かによって入浴中、絞殺されている。

中川の秘書として、その「遺志」を引き継ぎ政治家となった鈴木宗男は、
斡旋収賄罪等で逮捕・失脚
中国訪問を行ったのが橋本龍太郎(元首相)であった。
「米国筋の命令に従わず、独自ルート」の中国とのパイプを持とうとする勢力
この橋本訪中を「水面下で準備・段取りした」のが、日本の政界キッテの
中国通、中国人脈の持ち主=二階俊博・元経済産業大臣であった。

こうした米国CIA筋に「従わず」、別ルートで日本の「対中利権」を
開拓しようと試みる政治家は、親中派・加藤紘一のように、政界での
冷遇の連鎖の末、失脚させられ、後に自宅を焼き討ちに会う等の、
「不思議な顛末を遂げている」。
橋本龍太郎も、元首相の身でありながら、「何者かによって毒殺」されている。


<引用終わり>
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9月9日、元自民党幹事長の加藤紘一さんが死去。(77歳)

9月9日は足して18⇒666
77歳は、イルミナティのもう一つの柱の数字7です。
これを私は、犯行声明として捉えています。
彼らは、どこかに犯行の足跡を必ず残す教義=宗教を持っています。

理解出来ない人は、以下の記事を参考にして下さい。
http://ameblo.jp/64152966/entry-12066606299.html


それに、加藤紘一さんがお亡くなりになるちょうど一ヶ月前に、
あのような日刊ゲンダイの記事が出る事にも違和感を感じさせられます。
加藤紘一さんには、「免疫不全マイコプラズマ」等の生物兵器や何等かの
毒物が使用された可能性を強く疑っています。


ツイッターより
https://twitter.com/noiehoie/status/774557098931650560

第一次安倍内閣発足直後。つまり、今からちょうど10年前の2006年。
加藤紘一は、「安倍政権の背後には日本会議がある。
だから安倍政権は今までの自民党政権とは異質で極めて危険だ」と
明確に言い切っている。
加藤紘一は、全てを知っていた。





関連記事

TPP反対の西岡武夫参院議長 突然死の怪  友愛された?
http://blog.livedoor.jp/seiginomikata8/archives/55498260.html
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/0a1f89ee61c5aaeb8d7d9b50e1ef14ae

参院議長の西岡武夫氏が2011年11月5日午前2時24分、
肺炎のため都内の病院で死去した。

西岡氏は帯状疱疹と口内炎に感染していた。
帯状疱疹は免疫力の低下時に起こるウイルス病だが、
自然感染以外に、生物兵器や毒物などの可能性も考えられる。
政争時に重要なポジションにいる政治家が突然死するのは日本ではよくあることだ。



松下金融相、首つり自殺か・・・それとも???
http://ameblo.jp/64152966/entry-11351814888.html

2012年9月10日、午後4時45分頃、松下忠洋郵政改革・金融相(73)が
東京都江東区東雲しののめの自宅マンションで首をつっているのを、
外出先から帰宅した妻が発見した。

首吊り自殺の遺体が "倒れてるところを発見された"・・・と。
堅実で原発縮小派で金融資本を監視するシステムを金融庁で
作ろうとした矢先の暗殺。

今回自殺した松下金融相、
人権擁護法案と外国人参政権反対してた唯一の一人
閣議決定は閣僚が1人でも反対したら通らない…で、
断固反対してるのが松下金融相だった。
明日閣議決定されます。





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