長崎平和祈念像は悪魔の肖像バフォメット!?





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       上の画像は、達人様より拝借させていただきました。

         http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/841.html





悪魔崇拝者がクラウドファンディングの出資金で

 バフォメット像を州議事堂に設置する動き
http://gigazine.net/news/20140507-baphomet-in-statehouse/






Kickstarterなどのクランドファンディングプラットフォームは、

インターネットを通じて幅広い層から出資を募ることができる

資金調達方法です。

そんなクラウドファンディングの1つであるIndiegogoで、

悪魔崇拝団体の「The Satanic Temple」が黒ミサを司る

山羊の頭を持つ悪魔「バフォメット」のブロンズ像を

オクラホマ州会議事堂に設立するため出資を募集。

目標額を超える資金を手に入れ、悪魔像の制作が始まっています。





Satanic Templeのスポークスマンは、

「数カ月後、偶像が完成した暁にはオクラホマ州議会議事堂に

バフォメット像を設置する計画を開始するでしょう。

我々の申請書はリッツ氏の記念碑騒動が始まる前に提出したため、

有効であるべきと考えています」と話しています。

また、オクラホマ州に対して訴訟を起こしているACLUのライアン

・キーゼル氏は、「連邦議会議事堂にキリスト教のメッセージである

『モーセの十戒記念碑』の設置が許可され続けるなら、異なる宗教の

見解として悪魔像の設置を拒絶することはできない」と、

見解こそ違うもののSatanic Templeの主張に対して

同意する姿勢を見せています。


<引用終わり>
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管理人


Satanic Temple、っていうのは、

イルミナティーフリーメーソンですね。

我々は、知らないうちに、平和を祈る気持ちと共に、

悪魔の肖像に献花をして来たのでしょうか!?

これは、どこかで聞いたような話です。

【高校生講座】

クリスマスは、イエスではなく悪魔ニムロドの誕生日

http://ameblo.jp/64152966/entry-11723858209.html


12月25日は、イエスではなくニムロドの誕生日


サンタ SANTAって言葉は、子供の頃から誰でも知っている

訳なんですが、一つ文字をずらすと SATAN ですね。


SANTA ⇒ SATAN 悪魔



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日本人は、毎年、

クリスマスとして悪魔の誕生日を祝い、

そして、

悪魔の肖像に献花して来たことになる。



安保 隆氏の記事より


http://home-and-human-navi.blog.ocn.ne.jp/genki100/2008/08/post_9db1.html


2008/08/06

直立不動の少年/戦後63年目に思う



Syounen

8月になると一枚の写真が目に浮かぶ。
その写真は昭和20年8月に撮影された直立不動の少年の写真だ。
少年は見事な面構えをし、恐らく自分の弟妹であろう赤ん坊を背負い、

口を堅く真一文字に結び前方の一点を見つめている。

その赤ん坊は既に死んでいたのだ
撮影されたのは被爆直後の長崎。
少年が見つめていたのは死体を火葬するための焼き場の炎だった。

まだ小学生である少年は、赤ん坊を背負い、

裸足で一人、焼き場に歩いてきたのだ。

背負っている自分の弟妹である赤ん坊を火葬するために。

少年は、あの姿勢のまま、焼き場の前でたたずんでいたという。
少年は焼き場の炎の中に何を見ているのだろう。

健気にも声をあげて泣き出したい衝動を、少年は必死でこらえながら。

父親は戦場にいったのだろうか、母は原爆で亡くなったのだろうか
どんなに心細いだろうか。


この小さな身体に運命の全てを負い「気をつけ」の姿勢で屹立している少年。
私はこの写真を見るたびに涙が溢れてくるのを覚える。
撮影したのは進駐軍の兵士ジョー・オダネル。
後に写真家になった彼のリビングには今もこの写真が飾られているという。
ジョーはこう語っている。

 《以下引用開始》

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。
しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が

感じられました。
しかも足は裸足です。

少年は焼き場のふちまで来ると、

硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、

ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。

この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。

男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、

焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を

赤く照らしました。


その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいる

のに気がついたのは。

少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、

だ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、

沈黙のまま焼き場を去っていきました。

背筋が凍るような光景でした」

 《引用終了》

アメリカが行った広島、長崎への原爆投下により

一瞬にして20万人以上の市民が死んだ。


私は『過ちは決して繰り返しませんから・・』の広島の碑には

違和感を禁じ得ない。
過ちを繰り返してはならないと反省すべきはアメリカではないのか
アメリカ政府は被爆者への公式な謝罪は無く、

今もイラクで市民の殺戮を続けている。

戦時中に密かにアメリカと内通していたヨハンセン・グループ

(牧野伸顕・吉田茂・樺山愛輔・白洲次郎・岡田啓介・米内光政等)が

原爆投下の情報を事前に知っていた事が米機密文書の公開で

明らかになっている。
原爆投下場所と日時は彼らを通じて宮中に情報伝達されていたと言う。

戦時下で敵国に通じていた彼等は、当然のことながら、

ことごとく戦犯指定を免れ、戦後、高位に上りつめた者や、

樺山の如くは初代日米協会会長に就任している。


当時の陸軍大臣阿南惟幾は8月15日未明に割腹自殺を遂げているが、

その直前に部下に「米内(海相)を斬れ!」と言い残している

阿南陸相は一連の原爆攻撃から終戦工作の経緯を

知っていたのかもしれない。
米内が昭和23年4月に帯状疱疹と肺炎で悶死したのは、

阿南の怨念であろうか。

昭和39年、原爆投下作戦と東京大空襲の指揮官である

カーティス・ルメイ将軍に勳一等旭日大綬章が授与された事を

知った時は、驚愕したものだ。

自国民を多数殺害した張本人に勲章を贈る国が他に存在するのだろうか。

原爆を落としてくれて有難うとでも言うのだろうか。

ヨハンセングループの面々は、戦後、口を揃えて、

原爆投下は終戦のための「天啓」だったなどと発言したが、

彼らはこの写真を見た事があるのだろうか。
私はこの発言には嫌悪感を越えて寂しささえ覚える。


私は、どうやら学校教育や司馬遼太郎史観、売文家半藤一利の

デマゴーグに長い間騙され、歴史の真実を見失っていたようだ。
多くの日本人も私と同様であろう
どうか多くの方にこの重大情報を知って欲しい。


<転載終わり>
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第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)

8月9日午前11時02分

アメリカによって長崎市へ原子爆弾が投下された日
      原爆投下から15分後に香焼島から撮影されたキノコ雲




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