其の三「原爆を造らなければ良かった」
と言い残して死んだある日本人技術者






資料として~ものすごい情報量なので最小限にまとめたものです。
関心の高い人は、一読して見て下さい。

日本製原爆完成全文(パート1)
http://nipponseigenbaku.com/?p=42


先の泰緬鉄道建設に関係する訳だが、「戦うビルマ鉄道隊」と云う本の中で、
鉄道隊の技術将校が原爆製造について語っていたと云う下りがある。
つまり、日本の原爆開発は大日本帝国の常識だったとまでは云わないが、
ある程度浸透していたが、それを、米英に使うことはあっても、
日本人が日本本土で人体実験使用すると云う《手品》には気がつかなかった
だけの話しである。

そして、この鉄道技術力があったから新幹線を建設できた訳である。
前にも書いたが、広島で被爆した鉄道の技術者が、
「原爆を造らなければ良かった」と云って死去している。
この言葉が何を意味するのか?
誰も考えないのは、「B29が投下し500~600mで起爆させたと云う。
当時の技術力では到底無理な日米英猶が書いたシナリオを信じているからですかね?」

『はだしのゲン』の著者“中沢啓治”は、この時の体験について、
朝7時30分頃学校に行ったら、近所の伯母さんに呼び止められた。
中沢啓治は学校の塀を背中にしていた為に、爆風と熱線から逃れられたが、
伯母さんは即死だったと。
B29は7時30分頃に広島に侵入して通過しただけである。
それが、8時15分に突然爆発するのである。
空白の30分が何を意味するのか?である。

その前に米軍は頻繁に広島上空に飛来しては通過すると云う行動を繰り返している。
そして、空襲警報がなり、30分位すると空襲警報解除になると云う事を繰り返す訳である。
これは、「パブロフの犬」の実験である。
即ち広島市民は条件反射として、空襲警報と解除をされている内に警戒心が
薄くなっていったし、時間の感覚が鈍くなっていったのである。
実に日米英連合軍は“上手く手品”したね。


冒頭の「田中舘愛橘」が1945年貴族院会議でも、NHKラヂオ放送でも
「マッチ箱型原爆を」を叫んでいた。
これが、アメリカに投下されて、日本が勝つと吹き込んでおいて、
“日本製の原爆製造が成功”すると、ロスアンゼルスに運ばないで、
広島と長崎で地上起爆、爆破させた。
この日本製原爆製造と、「海軍燃料工廠や陸軍燃料工廠」での怪しげな研究と
731部隊の人体実験、これら全ては繋がっている。


どう云う方法でも【飛行機による空からの原爆投下は不可能】と云う結論である。
余りにも「長崎型原爆:ファットマン」は巨大過ぎたので在る。
『原爆は爆心地に設置されていた』それが真実である。

広島は如何だったのかと云えば、こちらも『原爆は爆心地に設置されていた』ので在る。
名前は「リトルボーイ」だが、巨大なのには変わりはなかった。
何故その目撃証言がないのかと云えば、生存者がゼロだからで在る。

そして「広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査」と
「長崎市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査」報告者が、
日本製原子爆弾製造グループが書いたレポート(報告書)だからで在る。
それを、三井再男は{文化評論:1979年12月号、№224}でこう語っている。

<三宅泰雄:この報告書だと高さについて、一つは510メートル、
もう一つは580メートル、平均で550メートルと書いてある。
これは根拠がはっきりしているんですが、
『被爆の実相と被爆者の実情』(1977年NGO被爆問題国際シンポジウム報告書)
などには「上空約580メートル±20メートル」とあり、
その数字の根拠がはっきりしていない。

高さの測定は放射線の線量計算をする上で非常に重要なものなので、
高さの測定については、今からでもはっきりさせる必要がありますね。
三井再男:アメリカの連中に私は何度か会っていますが、
彼等も高さの550メートルは合っていると言っていました。>
注*三宅泰雄は地球化学者。三井再男はキャノン株式会社顧問。当時の肩書き。


<「原爆は本当に、8時15分に落ちたのか」:中条一雄著:三五館発行>から、
186ページ“いま一人は私の中学、高校で二年先輩の水田泰次さんだ。
2000年8月発行の同人誌中で、
やはり「広島に原爆が落とされることがわかっていた」と、次のように書いている。

”として。証言1:当時、小生は京大工学部冶金教室の学生でした。
原爆が投下される三ヵ月前の一九四五年五月のある日、冶金教室の主任教授の
主任教授の西村英雄先生に突然呼び出されました。
先生によると、アメリカの学会から秘密裡にニュースが先生に送られてきて、
当時の原爆製作を競争していた日本より先にアメリカで成功したというのです。
そして、その第一回現地テストを広島で行う予定が決まった。
できるだけ早く両親を疎開させなさいということでした。

水田さんは西村教授の忠告にしたがって、
両親をすぐに広島近郊の廿日市に疎開させた。
おかげで両親は原爆の被害にあわなくてすんだ。

この西村教授の忠告は、今や想像もできないくらい奇想天外ともいえる秘密情報だが、
水田さんはこう言う。

証言2:西村先生に呼び出された時、先生の横に原子物語の湯川秀樹教授が
座っておられた。
それで、てっきり湯川教授からの秘密情報かと思っていたが、
どうやらそうではないらしい。
西村先生がアメリカとの独自のルートを持っておられたようだ。

独自のルートで考えられるのでは『もはや高地なし』の一節だ。
原爆投下の約半年前の一九四五年初めごろから、一部の米国学者の間から、
「原爆使用反対」の声が出て、その中心になったのがシカゴ大学の冶金研究所だった。

・・・ここで、証言2で、「湯川秀樹」がその場所に居たと云うのは、
話の内容に信憑性を持たせるのに、十分な効果がでている。
「湯川秀樹」は日本製原爆製造の象徴だから、この「秘密情報」を大本営(天皇)に
進言すれば、大本営参謀本部は「国民に避難勧告」を出来た筈である。
それをしないで、一部の優秀な学生を、静岡や京都に避難させていた事は、
湯川秀樹始め、日本の科学者は、一人の例外も無く「極刑」に値する。

更に、大本営参謀本部は、逆に「国民を広島と長崎に集合させて、
広島原爆使用の前日にラジオ放送(NHK)田中館愛橘が、
原爆の講演演説をしているのは何故?」5月に分っていたのなら、
「避難」させるべきだ。
そこが、若木敏夫が爆心地で感じた「広島は実験場」だった、という実感である。

それから、『もはや高地なし』の話だが、アメリカの原爆使用の事なのかな?
マンハッタン計画では、原爆の製造に失敗しているのに、一体どうやったら
「アメリカ製原爆」が使用できるのかね?

B-29はテニアン島から「空気」しか輸送投下できない。
例え原爆が成功しても、当時世界最高の長超距離爆撃機B29でも、
搭載できない代物を、如何やって搭載するのか?
日本全土の展開された、大空襲に参加したB29も「爆弾と乗員と燃料と補助タンク」
を搭載すると離陸出来ないのに、ニトログリセリン以上に危険な「原爆」を搭載して、
離陸して、乱気流に巻き込まれたら、そこで「爆発」して終わりだ。

だから、始めから「飛行計画」なんて存在しない。
後から書いた計画書だ。
ドイツの潜水艦「U234」が、アメリカに洋上で拿捕され、その積荷から
「酸化ウラン」が出てきたと言う、誠しなやかな「嘘」を何故つくのか?
当時のマンハッタン計画では、濃縮ウランが出来ていなかったからである。
アメリカ側の原爆関係の書籍は「リチャード ローズ (Richard Rhodes)」なのか?








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