其の一「原爆を造らなければ良かった」
と言い残して死んだある日本人技術者









「原爆を造らなければ良かった」と
言い残して死んだある日本人技術者

http://ameblo.jp/64152966/entry-12164817035.html

広島市東部から20kmの地点に在る『中野探照灯台』上空附近を飛ぶB29は、
すでに9,630mの高度をとっていたはずである。
つまり、中野探照灯台の兵士たちは9,630mからの爆音を聞いていたということになる。
その時間は、午前8時14分と報告されている。
それから、1分後の8時15分に起爆するのだが、中野探照灯台から2~3分の時間を
必要とするが、原爆機は最高速度600kmを、わざわざ320キロメートルに落し、
広島市上空では「機関を停止してグライダー飛行に入る」のである。
こんな爆撃をしたら「自爆による墜落攻撃」である。


コメントより

22 無題

何故みなさんはトンチンカンなコメントをされているのですか
天皇は原爆を作って自国民をモルモットにしたというお話ではないのですか
広島のウラン型原爆を造る技術はアメリカにはありませんでした
アメリカは現在に至るまで、ウラン原爆を作ったことは無いですよ
製造の容易なプロトニウム原爆は作っていましたが

天皇が広島で原爆を炸裂させる3日前から小学生1万7千人を集めておいて
爆心地からの距離と死亡率の関係をグラフにしました
何も知らない子供たちが1枚のグラフになったのですよ
怒りの感情が湧いてきませんか

nanacy

2016-05-30 16:07:46




★演出された投下時刻「8時15分」の意味 
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-585.html

 私が「8時15分」にこだわって考えるようになったのは、
2冊の本をほぼ同時期に読んだからである。
その一つは中条一雄の『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』(2001年)である。
もう1冊は、諏訪澄の『広島原爆 8時15分投下の意味』(2003年)であった。
この2冊を読み、「8時15分」という時間の持つ意味を考え続けた私は一つの
結論に達した。「広島原爆は完全に仕組まれていた!」

 それでは、中条一雄の『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』を読んでみよう。
中条一雄は1926年生まれ、小中高と広島で育ち、19歳のとき被爆した。
大学卒業後、朝日新聞の記者(スポーツ担当)となった。

 ・・・「おい、おい、山本君、本当かね。
もし8時6分だとしたらたいへんな歴史的な新事実だぞ!」 
そんな声につられて、山本郁郎君が話しはじめた。
 
広島一中から広島高等工業(現広島大工学部)へ進学した彼は、あの日、
爆心から南方に約2キロ離れた平屋の校舎の研究室で被爆した。
クラスの友達たちは岡山の軍需工場に動員されていたが、
学業の成績がよかった彼は旧帝大への進学クラスに入り、
担当教授から研究テーマを与えられて広島に残っていた。
 
一瞬のうちに大破した校舎の下敷きになり、血まみれになりながら、
必死の思いで木材の間からはい出して防空壕に転がり込んだ。
そのとき時計を見たら、たしかに「8時6分だった」と、次のように話してくれた。
 
「ぼくが持っていた時計はロンジンだった。なぜそんな高価な時計を持っていたか
というと、動員で岡山に行った同級生から『軍需工場に行くと米軍の目標にされて、
爆死するかもしれない。大切なものだから預かっておいてくれ』と頼まれたものだった。
彼の父親は住友銀行のニューヨーク支店に長く勤め、開戦後に日米交換船で帰国した
人だが、ロンジンはその父親からもらっだものだった。彼は広島のほうが安全だと
思っていたらしい。
ぼくが時計マニアだと知って預けたらしいが、貴重な預かり物だからこれだけは
どうあっても守らなければならないと、宝物のように大切に扱っていた。

そのころNHKは時報の前に、たしかモーツァルトのドイツ舞曲第五番を流していた。
ぼくはそのメロディーを聞いて必ず時報に合わせるのを習慣としていた。
前夜もいつものように最後の時報に合わせた。絶対正確だったという自信がある。
大破した校舎からはい出した時、自分の時計なら見向きもしなかったかもしれないが、
友達の高価なものだから壊れていないかと心配で反射的に時計を見だ。
8時6分を鮮明に覚えている。絶対に間違いない」
山本郁郎君は2度も3度も「8時6分」を繰り返した。

<引用終わり>
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広島・長崎原爆投下のどちらにも
「命のサイレン」が鳴らなかったのは一体何故!?

http://ameblo.jp/64152966/entry-11417940977.html

以上の記事に掲載している動画は必見です。

エノラ・ゲイの飛行日誌を付けていたヴァン・カ-ク氏。

証言:空軍から航路の指示は一切無く、私が航路を通って
飛ぶかの決定権があった。

彼が付けていたという飛行日誌のコピーには、細かく時間ごとに
緯度や経度が書かれている。
しかし、7時40分に四国南方と見られる位置から8時12分
広島市の東に辿り着いたと思われるまでの32分間、
日誌は空白となっている。⇒動画時間 08:50


エノラ・ゲイ元搭乗員のヴァン・カ-ク氏は、
動画の08:22分より重要証言をしています。

08:22分より
『我々は旋回することもUタ-ンする事も無かった』← ウソ

09:33より
『物事には諸説ある。一部は事実だし真実でない情報も紛れ込んでいる』
-つまり、自分がウソを話していることを暗に示唆しています。



●若木氏は次のように述べている。

「爆撃を行なった当のアメリカの権威ある数多くの著書のどれにも、
エノラ・ゲイ号が日本に近づいてから、どんな航路を取り、
またどこでどのように進路を変えたかの具体的な記述をしたものは一冊もない。

これは実に異様なことである。

その異様さの第一は、日本の海軍も陸軍もNHKの放送も、豊後水道および
国東半島を北上した大型3機が広島上空に来襲し旋回したので警戒警報が出さ
れたといっているのに、アメリカのどの文献にもその3機のことについての
記載が全く出てこないことだ。またアメリカの文献では一様に気象観測機の
ストレート・フラッシュ号が広島を襲ったので7時9分に警報が出されたと
書いている。日本のどの記録にも、ストレート・フラッシュ号のことなどは
問題にしていない。問題にしているのはアメリカ人だけである。

第二は、広島が被爆したときに空襲警報も警戒警報も発令されていなかった
ことは明白な事実なのに、アメリカの代表的な著名文献の全てが、被爆時、
警報は発令されていたと、例外なく書いているのである。

この明白な2つのウソをなぜ揃いもそろって書かなければならなかったのだろうか。
それは、この2点こそが、アメリカ空軍の作戦を立てた人が、
日本人に、いや世界の人に最も知られたくない問題点であったからではないかと
私は思うのだ。」







●そして若木氏は自著の中で数々の「傍証」をあげながら、次のように述べている。

「私は自分の得た情報に基づき、エノラ・ゲイ号らは、いったん広島上空を
西から東に飛び、ついで方向を東から西に変え、いわゆる『反転爆撃』をした
のではないかと推測している。

爆撃機(3機のB29)が広島上空を旋回し警戒警報を出させ、播磨灘に抜けた
のは7時25分であり、警報解除になったのが7時31分である。 〈中略〉

……すなわち、私は爆撃機がいったん広島上空を飛んで警戒警報を出させ、
ついで飛び去り、警報が解除になり人々が防空壕から出て、リラックスした
その瞬間を狙って爆弾を炸裂させた、謀略的に人間の大量殺戮実験を行なった
のではないかという懸念を抱いているのだ。 〈中略〉

広島爆撃の2ヶ月前の名古屋空襲でも、警報解除後を見計らっての爆撃という
同じことが行なわれ、恐るべき人員殺傷効果を上げた事実がある。警報発令、
次いで解除された状態で、アメリカ空軍が爆撃して大きな殺傷効果を上げたこと
は、すでにヨーロッパで実験済みである。」

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管理人

エノラ・ゲイ号の航路の概要が、ほぼ明らかになっています。
播磨灘から反転して、再び、広島にUターンして来たことを
広島市東部から20kmの地点に在る『中野探照灯台』において
時間は、午前8時14分と報告されている。

ところが、実際に、原爆が爆発したのは、8時6分。
いや、記述された内容から推測すると、もっと以前、
つまり、8時4分~5分に爆発したと判断出来る。

しかし、エノラ・ゲイ号の航路の概要から見ても一目瞭然。
その時間に、エノラ・ゲイ号は、呉あたりだったろうと
判断出来る訳です。
これでは、エノラ・ゲイ号が原爆を投下出来る訳がない。
広島で原爆が爆発してから、10分後前後に、広島市上空に
姿を現したことになります。

エノラ・ゲイ号は、単なる観測飛行だったことになります。

1945年7月16日、アメリカ合衆国ニューメキシコ州で行なわれた
人類最初の核実験とされるトリニティ実験がアラモゴードで行われた。
・・・とされています。
ところが、当時のマンハッタン計画では、原爆の製造に失敗している。
マンハッタン計画では、濃縮ウランが出来ていなかったからである。

これで、どうやって広島に原爆が投下出来るのかという話になる訳です。


天皇や軍部は、原爆実験を知っており、その実験の為に、
八月三日から連日、義勇隊三万人、学徒隊一万五〇〇〇人を
出動させよと命じました。
そして、終戦に反対していた第二総軍の全員は、八時ごろに
広島の投下地点付近の基地に集められたのです。
ほとんど、全員が即死だったようです。


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この広島・長崎原爆実験の大いなる闇は、
日本建国史上における最大の謎であり巨悪犯罪に間違いありません。
どんな悪魔でも裸足で逃げ出すほどのおぞましいホロコーストです。
にも関わらず、国民の何と反応の鈍い事でありましょうか!?
日本人は最も大切な心の何かを失ってしまったようだ。







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