3.123便事件の真相とは 保存版



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2.123便事件の真相とは~より続きます


・生存者救出のために山腹に到着した時、

既に自衛隊員が到着していて生存者救出そっちのけで、(証拠隠滅に)機体の一部を

回収していた。(先の特殊部隊と思われる)

奇跡的に生還した川上慶子さん(当時12歳?)の証言。

同乗していた両親が亡くなったので島根の祖母宅へ帰ったときの話。「墜落したあと、ふと気が付い

たら周囲は真っ暗だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気

がする。しばらくすると前方から懐中電灯の光が近ずいてきたので助かったとおもった。そのあと

また意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、周りの

人たちはみんな死んでいた。」 



慶子さんから上記の話を聞いた祖母はご近所のひとに伝えたらしい。

しかし「慶子は夢でも見たんじやろう。」で終わってしまった。

・無人標的機の塗装であるオレンジ色の金属片が墜落現場で見つかっていること(墜落現場に入っ

た直後のビデオテープの映像に、ジャンボジェット機には使われていないはずのオレンジ色の

金属片が映っている)

この金属片を機動隊員が運び出す作業も映っていたが、墜落現場から運び出された機体

の破片の搬出先の倉庫にも、この破片は見つからなかった

・コックピット部分には燃料タンクはないのに、まるで火炎放射器で焼いた跡のように焼き尽くされ、

機首前部付近では「遺体がない」という声が相次いだという。

・それに対して高い立木の上に引っかかった写真があります。これは重要な一枚です。その立木の

周りの木々に葉っぱがはっきり写っています。針葉樹独特の燃えやすい葉です。
引っかかっている遺体はまるで破裂したかのような損傷です。そして黒こげです。これは落ちて来て

木に引っかかる前からこの状態であったことを証明しています。でなければあの状態で木にひっかか

る分けがありません。ほとんど身体の表皮だけが落ちてきたからあのようなことになったのでしょう。

(上記紹介リンクにある現場写真を見てください)

など、他にも、書きたい証言等いっぱいあるけど、長くなるのでこのへんで・・・
(中にはデマや間違いもあるだろうけど、仮に半分が事実として考えたとしても尋常じゃないことは

明白です)


さらには、こっちは真偽の程はわからないものの、こんな話もある。
中曽根元総理の別荘における盗聴されたとされる発言
官邸からの矢の催促の撃墜命令要請に対して―
「私はこんな事のために総理大臣になったわけじゃない」......
総理がみぞうの都市部墜落の大惨事を恐れて許可する条件として言い出した。
「国民に撃墜を知られないようにできるなら許可しよう」、
「目撃者が出たらどうしますか」に対して「何とかしろ」、
「殺せという意味ですか」に対して「私をこれ以上人殺しにするつもりか」と怒鳴り

「何とかしろは何とかしろという意味だ」と怒鳴っていた。

これぐらいで、あとは上記紹介記事や、他にも検索すればいろいろ出てくるので、

そちらをみてください。
(ただ、年月が過ぎるにつれそういったページは、どんどん消えていってるようです)

いろいろ書きたいことはいっぱいあるけど、今回はこの1ページだけに留めようかと思ってるので、

もう一つ、奇跡的に助かった4人の中から、落合さんの証言の一部を書いておきます。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆


『墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。


そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。

「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。

次に気がついたときは、あたりはもう暗くなっていました。どのくらい時間がたったのか、わかりません。


すぐ目の前に座席の背とかテーブルのような陰がぼんやり見えます。私は座ったまま、いろんなもの


より一段低いところに埋まっているような状態でした。左の顔と頬のあたりに、たぶんとなりに座って


いたKさんだと思いますが、寄りかかるように触っているのを感じました。すでに息はしていません。

冷たくなっていました。

シート・ベルトはしたままだったので、それがだんだんくいこんできて、苦しかった。右手を使って、


ベルトをはずしました。動かせたのは右手だけです。頭の上の隙間は、右手が自由に出せる程度


でしたから、そんなに小さくはなかったと思います。右手を顔の前に伸ばして、何か固いものがあった


ので、どかそうと思って、押してみたのですが、動く気配もありません。それを避けて、さらに手を伸ばし


たら、やはり椅子にならぶようにして、三人くらいの方の頭に触れました。パーマをかけた長めの髪


したから、女性だったのでしょう。冷たくなっている感じでしたが、怖さは全然ありません。

どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。あたりには荒い


息遣いで「はあはあ」といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。

それからまた、どれほどの時間が過ぎたのかわかりません。意識がときどき薄れたようになるのです。


寒くはありません。体はむしろ熱く感じていました。私はときどき頭の上の隙間から右手を伸ばして、

冷たい空気にあたりました。


突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、男の子は言いました。学校へあがった


かどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。さかし、さっき「おかあさーん」と言った男の


子と同じ少年なのかどうか、判断はつきません。 私はただぐったりしたまま、荒い息遣いや、どこから


ともなく聞こえてくる声を聞いているしかできませんでした。もう機械の匂いはしません。私自身が


出血している感じもなかったし、血の匂いも感じませんでした。吐いたりもしませんでした。

やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音は


はっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、


振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生懸命


振りました。「助けて」「だれか来て」と、声も出したと思います。ああ、帰って行く・・・・・。

このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声は、

もう聞こえてはいませんでした。

体は熱く、また右手を伸ばして冷たい風にあたりながら、真暗ななかで、私はぼんやり考えていました。


私がこのまま死んだら主人はかわいそうだな、などと。父のことも考えました。母親が三年前に亡くなっ


ているのですが、そのあとで私が死んだら、とても不幸だ、と。母は私がスチュワーデスになったとき、


「もしものことがあったときは、スチュワーデスは一番最後に逃げることになっているんでしょ。そんなこと


、あなたに勤まるの?」と、いくらかあきれた口調で言っていたものです。それからまた、どうして墜落


したんだろう、ということも考えました。時間がもう一度もどってくれないかなあ、そうすれば今度は


失敗しないで、もっとうまくできるのに。いろんなことが次々と頭に浮かびました。

涙は出ません。全然流しませんでした。墜落のあのすごい感じは、もうだれにもさせたくないな。


そんなことも考えていました。そして、また意識が薄れていきました・・・』