2012-05-01 12:41:47

アラ還の戯言録 一字違いで大違い(NO.11 てんちょう と してんちょう)

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2012.5 NO.11  てんちょう と  てんちょう

 

 店長は“しがない”と揶揄しているのではない。店長と支店長と求められている役割が違うのだ。

 ファーストフードなどの店長は20歳そこそこの若い人が多い。アルバイトの模範になり率先垂範するプレイングマネージャーだ。顧客に待たせないスピード感が要求される。片や銀行の支店長は、不惑の40歳代が多い。

 

 証券マンが株屋と呼ばれることがあるのに対して、銀行マンが銀行家とかすこし敬意を払われるのは、株価の変動リスクは顧客が負う(顧客が得しても損しても手数料が証券会社に入る)のに対して、銀行は貸し倒れリスクを自ら負うことに起因している。

 貸付担当になった若い頃よく上司から手形を割引(割引料を差し引いて手形を買い取る)するときは自分のお金を貸すというつもりで手形を見ろ、信用照会をしっかりしろとよく教えられた。商取引の裏づけのない手形を割引すると期日に不渡りになって戻ってくることになり、銀行の損失となる。

 警察官は人を見たら泥棒と思え。銀行員は決算書を見たら粉飾と思えと教えられた。

 支店長は融資できるか否かの決裁者で審査力が必要。分析力と長年に培われた勘が必要だが、ある意味それ以上に必要なのが、揺さぶりをかけられても動じない胆力。

 大手銀行はともかく中小企業や庶民との取引を中心とする銀行では、いろんな人がやってくる。一般市民からやくざ、総会屋、エセ同和、詐欺師まで。

 私が平成2年新宿支店長をしているとき、名をかたり差別意識を逆手にとるエセ同和に遭遇した。素性がよく分からない、返済が滞っている取引先から守秘義務違反だとして呼び出された。その頃私は40歳になったばっかりで突っ張っていたのか、あるいはポストがそうさせたのか(日頃女々しいとののしる妻は信じまいが)単身敵陣に乗り込んだ。外で待機した支店の運転手さんには1時間後に戻ってこなければ警察にと言い残して。筋の悪そうな取引先の連れが同席していて、こちらを非難する。あわよくば返済の免除とか目論んでいる。私は政治家や官僚のように遺憾と言うが非を認めない(仔細は記さないが、実際に悪くない)。業を煮やして、連れの男が、支店長は謝らないから同和の先生に来てもらおうと当時トランシーバーのような大きな携帯で呼び出した。こちらはすぐにエセだと分かったが、向こうも関西人相手では勝手が違ったのか、こちらがタンカを切って折衝を打ち切り帰った。その後もなにもなかった。

 やくざ稼業の方には誠実さをもってしかもしっかりとお断りした。慇懃無礼はもってのほか。プライドを傷つけ損得勘定抜きにやられたらひどい目に遭う。向こうも商売だから時間をかけても取れそうもない所より早そうなところに注力する。逆に、蛇の道はへびで、一旦あそこの支店長はいい鴨だと広まるとろくなことにならない。


なお、私が心配しても仕方がないが、この度の暴力団排除条例を盾に預金まで断るとなるとそのお金は一体どこに行くのだろう。まさにアングラマネーだ。

 総会屋とか新聞屋とか呼ばれる人は支店よりも本店に来る。20年も前の話。本店に来て、たとえば「株主総会で△△するぞ!」と言えば、応対した警察OBの総務担当者は、株主総会で△△するぞ!と復唱しながらノートに書き留める。それを見て、相手はあわてて「一般論でんがな。そういう話もあると言っているだけやがな」と言って冷や汗をぬぐう。

その警察OBはいつもにこやかだが、ひと度事が起きると鬼の形相に変わった。さすがその道のプロは違うと感心したものだ。

 

銀行には店の格に応じて貸出権限が支店長に与えられている。新米の支店長は私が居た銀行では正式には支店長心得と言い、心得違いだと支店長から降格させられる。支店長心得は店格の一番低い住宅地店舗に赴任することが多いが、支店長の一存で無担保で貸せる金額は1百万円でしかない。それは、うろたえて脅し取られる金額は1百万円が限度ということも意味する。

 支店長には、世間を知り、胆力を養う時間が必要なのだ。
2012-04-02 09:12:30

アラ還の戯言録 一字違いで大違い(NO.10 UMA とTUMA)

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2012.4  NO.10   UMA と  TUMA

 ここで言うUMAとは馬のことではない。

Unidentified Mysterious Animaとは謎の未確認動物のことで、雪男や日本の

河童はこれに属する。UMATがつくと、確認できているがまことに不思議な生き物となる。つまり妻だ。

通常言い合いしてもすぐに折れる我妻がさらに突っ張ってくる。ハタと気が付いて、笑いながらゴメン、ゴメンと言うとさらに怒りだす。毎月同じ繰り返しだ。

喰い意地が張っているだけなのに、太ったのをダメ亭主からのストレスのせいにする。ストレスで体を壊す人が多い中でストレスまで肥やしにするとはあきれるほかはない。

とっくに忘れていた昔の些細なことを持ち出してはねちねち攻めてくる。女の記憶力はどうなっているのだろう。

愚妻はよく電気、テレビを付け放しで1時間も2時間もうたた寝している。それなのに

私が風呂に入ると、あわてて追っかけてきて、脱衣場の電気を消す。たった10分前後なのに。指摘すると反論してくるが、愚妻の自分を正当化する理由は理解不能だ。

 文字通り粉飾を落とした素顔を見ると、本当に我妻なのかと思うときがある。かわいかった妻は宇宙人にさらわれたのではと。電話で妻の声を聞いたときは昔のまま、我妻だと実感できる。これからは電話で話そうと言ったら、二度と憎まれ口がたたけないようにとほっぺを思い切りひねられた。昔はそんなことはしなかった。やっぱりエイリアンに違いない。


我妻みたいな人間ばっかりだったら、警察は要らない。まとも過ぎて変わっている。

 他人の嫌がることは言わない、しない。仕事は怠けない。うそはつかない(私以外には)。他人を思いやる。お金の無駄遣いはしない。法に触れるようなことはする訳がない。すべて教科書どおりでバカ正直だ。

悩む経営者二世達が多く集まる、宗教色の濃い啓発セミナーに行ったことがある。義理があり夫婦で参加したのだが、「何がありがたいの。当たり前のことばかりじゃないの」と妻は不満顔。その当たり前のことがみんなできないんで、悩んでいるんですがね。

朱に交わればと言うが、正反対の私と交わっても、なかなか悪貨が良貨を駆逐するといった感じにはならない。ようやく、電車の優先席がガラ空きな時は座るようになった。1mぐらいの幅しかないところの信号は私と一緒の時は赤でも渡るようになったぐらいだ。

亡き岳父に似ているのだが、その岳父は生前飲み屋で警察官に間違われた。妻は本当はかなり短気なのだが、みんな笑顔に騙されている。知っているのは私と義母ぐらいだ。


短気とはいえ妻は心根が優しく、弱虫だ。職場でも若い女性にも口に出して注意ができない。若い男子にはいいオバサンが逆に泣かされてしまう始末。

 娘は妻の子供なのでこれまた心優しく気が弱い。中学生の時クラスに浮いている子がいていじめられていた。娘はかばっていたのか一緒にいじめの対象になった。クラス替えを希望していたが言えず、先生も勘違いしていてその子とずっと一緒だった。卒業するときはその子の親御さんにとても感謝されたそうだ。娘はいじめられていたことを私達両親には話さなかった(心配をかけさせたくなかったのか)

 わざと人を怒らして喜ぶイヤな奴と妻に言われる私は妻と娘をおデブとおバカと呼ぶ。おバカな娘は「私の名前はおバカじゃない。〇〇〇というちゃんとした名前があるんですぅ」と名付け親の私に文句を言う。

 おバカでも自分の性格や能力をよく考えていて、専門の短大を出て介護福祉士の資格をとった。今デイサービスに努めているが、介護は志がないと務まらない仕事。さすが我が子と思うが、きつい仕事なので父親としては複雑な心境だ。


 おデブもおバカも好き放題ボロクソに言える相手は、この広い世の中で、私しかいない。

我が家では私はストレスをぶつけられる忠犬ポチの役割なのだ。男は辛いよ、トホホと言いたいところだが、辛抱、遠慮ではなく、わざと怒らせストレスを吐き出させる深謀遠慮なのだ。 

2012-03-01 08:31:55

アラ還の戯言録 一字違いで大違い(NO.9 アダム と サダム)

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2012.3  NO.9 ダム と ダム

 

 アダムは、ユダヤ教、キリスト教の基になる旧約聖書『創世記』に出てくる最初の人間。サダムはイスラム教国イラクの元大統領。

キリスト教もイスラム教も「ご利益があるなどとは言わない。どちらも戒律だけを求める立派な宗教だからこそ、2千年も続いているのだろう」と某宗教評論家は言う。ともに一神教で相容れないのかもしれないが、元々親戚なのだから上手く棲み分けてもらいたいものだ。

 

旧約聖書ではアダムからイブは生まれたが、生物学的にはイブからアダムが生まれたとする。受精卵から胎児になる過程で最初は皆女性であるが、途中からY染色体により男性に変わっていくのだという。

 女性のミトコンドリアDNAを遡っていくと一人のイブにたどり着く。男性もY染色体により一人のアダムにたどり着くが、イブよりも8万年以上も後のことだという。イブからアタムが生まれたことの一つの証左にもなろう。

 

私自身は無論無神論。神に頼らない。神の存在を必要とする生身の人間に頼る(とくに妻に)

平成7年に起きた神戸の大地震のときには、神戸に地震が起きるなど44年神戸に在住して一度も聞いたことがなかったこと。自分自身は前年の平成6年に神戸を捨て居を東京に移したことを負い目に感じたことから、やり場のない怒りがこみ上げた。地震で壊れた生田神社(藤原紀香さんの結婚式場)TVで見て、神社に八つ当たりし、もう浅草寺・神社をはじめ初詣ですらどこにも行っていない。

昨年の東日本大震災の被災地にもたくさんのクリスチャンがいるハズだ。さぞかし激しく神に問いかけているのではと思ったが、テレビで医師のクリスチャンが穏やかに話していた。「試練は続くもので神を信じればこそ強く生きていける」と。正に信じる者は救われる。

 やくざから牧師になった人の本を前に読んだことがあるが、神に頬を叩かれたと書いてあった。私は中学2年のとき授業中に金縛りにあった。技術の先生が怖かったのだが悪魔だとは思わない。私は人が良心と向き合うときに心の中に神が現れたと感じるのだと思う。

 神や天国があると思う人はそれもよい。お互い立証不能だから。信じるか信じないかはあなた次第です。違った、これは都市伝説か。 


私は平成210月から2年間銀行の証券部にいた。部の人からは証券部のサダム・フセインと陰口をたたかれていた。理由はこうだ。①ワンマンである。②居場所がよく分からない。③失脚寸前。

 第1次湾岸戦争の頃である。クェートに進行したイラクに対してアメリカ等が攻撃をしかけたとき、新幹線で東京から帰る途中で知ったが、予定どおり「遠い戦争は買い」のスタンスを指示し、事なきを得た。

サダム・フセイン元大統領本人は第2次湾岸戦争の後洞穴から引きずり出されて情けなかった。同じくアメリカに負けた東條英機元首相も国民に「生きて虜囚の辱めを受けず」を強要しながら、自裁に失敗し生き恥をさらした。軍神広瀬中佐が愛した姪の馨子の娘高城知子さんが書いた『広瀬家の人びと』の中にも元首相の自殺未遂について当然ながら冷ややかに書かれている。

だが、為政者たるもの公衆の前では毅然とするものだ。東條元首相も戦勝国による東京裁判では論陣を張り立派だったと聞く。

サダム・フセイン元大統領も絞首刑の時は恐怖で髪の毛が逆立っていたが、目隠しを拒否するなど毅然と振舞っていた。その模様を放映したのはアメリカの誤算となってしまったようだ。

そのためもあるのか、今回のオサマ・ビン・ラディン指導者の亡骸を見せない。報道が正しいとすれば、子供の前で顔面に銃弾を浴びせたという。指示したのが、キリスト教圏現宗主国アメリカの大統領だ。

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