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神は世に打ち勝った

テーマ:ブログ 542-321の投稿 2012-05-26 17:57:14
貴方は清福を宿すべく日々を送っていますか。
無事健康は行いが正しく私欲がない安らかさから操(みさお)を守ることで達成する力の集積です。 
善人であることは道徳に適っていればとか、俗世間に従ってさえいればなどの気持ちでいると世間の集合した努力によって栄えたその濁りのない潔白が衰える、要するに美しくない方向性を持つ初めの一歩となってしまう。
宗教によって改め、心が綺麗になった人は非常に尊い。
品位のある人の雰囲気、空間は空気自体も清いだろうし、深く謝る人の心が平らかになるようなものである。
全て事が整理されて、爽快(そうかい)な状況ではないか。
これは例えとして実に良く当て嵌(は)まっていると思います。
丁寧な人、親切な人、互いに心を許し合う和解した空間、落ち着いた交わりには静かな恩徳(*情け)が集まっている。
ひしひしと感じ、身に滲(し)みる複雑な奥深い意味が重々しい空気をも超えた内容のように感じられる。
欲がなく情がある人は魅力的だし、好かれる。
淡然とした人はさっぱりして爽やかだが何かの拍子(ひょうし)に執着が加わると心が淀(よど)んで悪を選(よ)り分けることができなくなるのも事実です。
人を素直に褒(ほ)められる人は見ていて実に気持ちが良い。
世間には順序と慎みが何にも増して魂の秘密の知識とつながる堅実な心を計る天秤(てんびん)であり、尽きることのない美への価値観、そして堅固(けんご)な操、意見と感慨の調和を空しいものとしないために厳正な生命の法則が続々と自分を支える落ちることのない光りとして人間そのものの危険を迫りようのないものとしている。
いくら秋だからといって寂しい心も程々に。
そうでないと何かに付け込まれる以前に大切にしている秘密、魂の宝が特別ではないものになっても構わないと人に知らせているようなことなのです。
若しそこに落ちた場合、人間は時間に生きているということを思い知るでしょう。
罪を性質的に見た所で素晴らしいといえるでしょうか。
全てそのように変化を生ずるのが人の世である。
自分のいる場所を精神の都合上動かし、変えようとしても無駄(むだ)。
動揺しやすい心、変わりやすい心は只の魂の敗北。
人がここまで情熱を込めて稀有(ケウ*珍しい)な精神の次第を持つなら人生の道程(みちのり)は非常に広いものになる。
聖書の一節 イザヤ書 50.2 「わたしが来たとき、なぜひとりもいなかったか。わたしが呼んだとき、なぜひとりも答える者がなかったか。わたしの手が短くて、あがなうことができないのか。わたしは救う力を持たないのか。見よ、わたしが、しかると海はかれ、川は荒野となり、その中の魚は水がないために、かわき死んで悪臭を放つ」。
神は世に打ち勝った存在であり、人間も又認められている。
それ故に人は神を支えなければならない。
悪は何故起こるのか、それは努力を求めているからである。
方正を心に選び取らない人は闇の業(わざ)で先を歩む人である。
しかし、甘んじる人、誘惑に脆(もろ)い人の殆(ほと)んどがその枠に入る。
そういうことも全て治められる神、そのこととして神は世に打ち勝ったと言うのである。
何も生命を滅亡させてやれるということではない。






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幸せの雲

テーマ:ブログ 542-321の投稿 2012-05-19 19:06:24
道という一つの字を見ていると学問を越えて足を踏み込んだ期間を軽々しく打ち出せないもの、死を貫く求めに従う生きている者の義務が余りに当然のことと長所短所を論じている場合ではない成就すべき始まり、し遂げるべき進むべき、赴(おもむ)くべき行い、いわば生命の姿勢としての到りを感じずにはいられない。
人物を統率したり、学び合い養成して秀才が出たり、幸福は慌(あわ)ただしくその人生様相を変え、循環してゆく。
わずかの間に人生模様(もよう)は変わる。
厄介は心を迷いに誘い、本心を失う時もある。
出られなくなる心の迷路も出口はある。
惑いは力があれば吹き飛ばされるものだ。
過ぎ去れば直ちに喜びはやってくる。
このような退きのない暮しは思いのままに散歩する自適な感覚と同じく自分の心が総括して全部知っている。
欲しく思う気持ちは欲とはいえ、純粋な希望からであれば例え渇望(かつぼう)であっても落ちぶれて失ってしまうくらいならば機会を待ってでも後で心がさ迷い歩くことを考えれば欲というものは何度も見直されるべき素晴らしさを持っている。
一定しない運気は悪いようでいて欲を試し、欲を洗い清める心の作業が残されていて、流れ星の喜びにも見出されることのように世の中を強く再認識する言葉の根拠や、世間独特の移り変わりを意志尽くして濁りない分別を一つにまとめて考えて行ける良い時期とも人生を見渡せる。
終わってしまえば成就はないと助けのない自分を見てしまう苦しき善のような感じもするけれども、悩みがなくなった時の盛んな美しい精神の自分自身は努め励むだけの意欲を気の進むままに修養してゆける。
このような雑草のような生き方から教訓を得れば後に人生の渋(しぶ)い味を感じることもないし、不愉快なことにも耐えて行ける。
そして知らぬうちに才徳なども身に付いていて世間から人情なんかも受けられる。
広く見聞して経験を積む直進的生き方も尊いけれど、隠者のような生き方も魂に必要なことを広く探し回って大変魅力的な日々を送ることができる。
明らかな真実味が暮らしにあることで身軽な人生を実現する。
憂い思い、悲しむ運命を回避することは人に敬礼する和らぎと健康、そして安らぎをもたらさないだろうか。
軽々しい行動を起こさない安全性はこうして通俗的な世界に在ってこそ完全となる。
聖書の一節 イザヤ書 66.10~11 「すべてエルサレムを愛する者よ、彼女と共に喜べ、彼女のゆえに楽しめ。すべて彼女のために悲しむ者よ、彼女と共に喜び楽しめ。あなたがたは慰めを与えるエルサレムの乳ぶさから乳を吸って飽くことができた、またその豊かな栄えから飲んで楽しむことができるからだ」。
雲が流れるように何の抵抗も否定もしない幸せな日は善い行いの末に立てられたことと思わないだろうか。
そう、幸福感に浸(ひた)っていてもそこには理由があるはずだ。
意識というものもそうして一段一段積み重ねたら確実な自分自身が確立する。
自分に嘘(うそ)をつくのは嫌ではないか。
日々を正し、人生全体を正す自分。
落としたくはない希望という持ち物。
魂を洗うことは霊の輝きである。
その技は中々身に付くことではないが、始められないことでもない。
それに成功した心は雲のように漂うだろう。
抵抗を知らない幸せの雲となって。




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それでこそ人生

テーマ:ブログ 542-321の投稿 2012-05-12 17:17:36
俗世間を離れた気持ちの良い爽やかな場所といえばやはり汚れのない清らかな幸福感を満たすことが条件になりますよね。
自分の行いは悪くはなかったと今までの考えをまとめて心身が引き締まる曇りのない自分自身が私欲を捨て去った安らかさに透き通る操(みさお)を混じり気(け)のない自分と人生の楽しみに思うこと自体、かなり無事な善人と幸いな感にも達せる。
そんな人は傍(はた)から見ても健康的に見えるでしょう。
人に和らぎを与える人は美しく、後に栄える。
麗しき人というけれども中々理由もあるのだろう。
澄んだ風景が眼前に広がっていても自分が心清く、潔白でないならば綺麗な景色に負けてしまい、又約(つづま)やかに灰色の暮しをして、純潔な自分に鍛え直さなければいけないかも知れない。
優雅に人格が上がって気高い生活をしてもその空気に負けた時、清廉(せいれん)ではなくなる。
清々(すがすが)しい明日を迎えるには道が必要になるのだ。
こんな時、神に深く謝ると気持ちは平らかになる。
俗っぽい空間にいても快くいられる。
互いの心を許し合った礼がそこにある。
落ち着いて奥底が深い人付き合いはひしひしと感じる静かな一瞬がある。
それはしんみりとするという意味ではない。
恩徳を思ったり、非常に深い反省をする重なり合った落ち着きのことである。
欲がなくても情が薄ければ駄目だったりもする。
それは拘(こだわ)りがなくても趣(おもむ)きがなければ人としての魅力に欠けることを表わしている。
淡然とした精神も常々に於(お)いて考えものなのです。
執着がない人も加えられた魅力とは別の見え方です。
魂の淀(よど)みは流れを良くし、悪くて弱いものは削り落とすくらいの勇気が必要となる。
これを親切な心に振り向けた時、非常に自然な良いものになる。
衰えを来たさない身を立てようとするならば落ちぶれる前の養いが何にも増して大切である。
天から恵みの滴(したた)るように塞(ふさ)がりのない穏やかな成長が自身にも人にも優しい知識を与えてくれるし、穏和柔順の集まる力に全てを包む源としての魂の保存が適当になされていることとなる、そのように常日頃思えば良い。
先ずは自らに従う勢力を付けて謙遜(けんそん)に心を並べて精神を平らにする。
聖書の一節 イザヤ書 66.7~8 「シオンは産みの苦しみをなす前に産み、その苦しみの来ない前に男子を産んだ。だれがこのような事を聞いたか、だれがこのような事どもを見たか。一つの国は一日の苦しみで生れるだろうか。一つの国民はひと時に生れるだろうか。しかし、シオンは産みの苦しみをするやいなやその子らを産んだ」。
力を付けなければ養生も又されない。
それなりの心力を持って多くのことは養われて行く。
事実なのだから生きているうちに心の存在を大切にしなければならない。
確かに光りの道は難しく、闇の道は簡単だ。
しかし、そこには理由があることを忘れるべきではない。
そう、闇の心よ、考えるべきだ。
腐りかかった心よ、落ちそうな心よ、考えるのだ。
若し考え直すなら貴方は一段と大きくなる。
心の道は何と厳しく、険しいのだろうと思わないか。
それでこそ人生である。




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