禁断のKRELL

初期KRELLの製品に出会って
人生観が変わるほどの衝撃を受ました。
それ以来再燃したオーディオ熱の赴くままに、
古今東西の銘機を正直に、
感じたままに語って行きたいと思います。
過去記事は頻繁に加筆修正しています。


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夢が叶った日。

オーディオ界の生ける伝説との邂逅。


今日、憧れのマークレビンソンさんと固く握手。


Mr.Mark Levinsonはやはりカッコよかった。




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手持ちのSS誌  №116号 №113号 №115号



遅ればせながらダゴスティーノのインタビューが載っているSS誌を探し当てました。
№114号なのですが、その前後も持っているし、その辺りの号は大体リアルタイム
で購入していたのに、なぜか肝心のその号だけが抜けていたという・・・・・・



神田の古書店で見つけてネット注文しました。
届くのが楽しみです。分量が長いので要所になるけれど、掲載してみようかなと思います。







はじめて自分で新品購入したSS誌は№113号でした。


愛着があります。かなり年季が入っています。何回手に取ったか分かりません。
この号にはマーク・グレイジャーのロングインタビューが掲載されています。
始めてオーディオ雑誌を買ったのは確かステレオ誌で、1991年くらいだったと
記憶しています。1993年にモデル末期で叩き売りされていた山水607KXらコンポを
一揃い新品購入したのがオーディオの始まりだったと思います。SS誌は海外製の
高価な製品がメインで、中高生だった自分には縁遠く感じられていたので、
購読開始が遅くなりましたね。





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長期化する深刻な不況、少子化、多種多様なザブカルチャーの新たな創出、
そして高度化と複雑化、急激な「オーディオの衰退」を招いた要因は多々あれど、
現行ハイエンドは"本当に魅力のないもの"になったのだろうか?
その真実を解き明かしたいと思う。




今から約二十数年前、1990年前後のオーディオ製品は、オーディオブランド各社が
競い合い、まるで百花繚乱の如く、とても華やかで個性的な製品群が溢れていました。
この時代と比較すると、現代の製品には共通した変化が認められると思います。
各社の個性が大幅に減じ、皆一様に小奇麗な音になり、穏やかで繊細感があり、
クオリティー感が高く、そして色付けが少ない、そんなニュートラルな音色になり、
帯域バランスも偏りのないフラットなものばかりになった。何故かハイエンドブランド
各社が一斉に同じ傾向に向かったのだ。
一説には、オーディオ文化の衰退や
長期化する不況により、部品メーカーの数が激減、供給されるデヴァイスの種類が
減少した為、自らアッセンブルできない零細ハイエンドメーカー各社は、結果として音が
似通ってしまった。そうした見解も聞かれました。デジタルアンプの分野においては
さらに選択できるICチップが極端に限定される為、各社の音が近似した傾向は一層強い。
しかし、である。現行(に近い)モデルでも、YBAやATOLL のように往年の機器のような
非常に個性的な音色のものは現実に存在している。決して作れなくなったのでは
ないのである。ATOLLの低価格のプリメインアンプ、IN50SEは非常に脚色がされた
明るい陽性の音色だが、同社の上級機はそれよりもずっとフラットな普通の音である。
KRELL創成期の製品である初代プリPAM2、3そしてパワーアンプのKSA100と比較
すると、次に出た高額のフラッグシップモデルのKRS1、KRS2は、PAMとはガラリと
音が変わって色付けのないフラットな普通の音でした。これは有名な仕様変更です。
そしてKRS1とKRS2のノンカラーレーションなフラッグシッププリは、まったく評価され
なかった。
以前マドリガルレビンソンの№28と№29のセパレートアンプを聞いたことがある。
これも共にローエンドのモデルであるが、上位機種とは違って、非常に明るく鮮烈な
サウンドで、瑞々しさに溢れた、とても魅力的な音質でした。 №29は上級機よりも
良いというマニアの方はかなり多いくらいだ。これはなぜでしょうか?当然であるが、
ハイエンドオーディオを作っているメーカーは「オーディオのことを熟知している」
入門機には「初心者にも分かりやすい魅力」を持たせて、ブランドに興味を持って
貰えるように、新規顧客獲得の為のサウンドデザインがなされている販売戦略なのだ。
オールドファンが喜んでいる濃い味付けの機器と共通点が見られるのである。
お客さんに媚びているわけであり、決して彼らオーディオブランドが理想と思っている
音質ではないのである。そして、上級機、特に最上級機に近くなるほど音質はフラットで、
クセがなくニュートラルな音になる。入門機を買うのは基本的に初心者の方が多い。
(出戻りも多いが) オーディオに対してまだ高い価値観を持たない方である。
高い製品を買うのは上級者である。上級者及び、各ブランドが本当に良いと思う音は、
またそうした製品のターゲットは上記のような音であり上級者と推察ができる訳だ。
各社共に同じような音質の機器の氾濫はオーディオ文化の成熟と関係がある。
オーディオという趣味は、長年同じ顔触れの固定客が多く先細り傾向だ。
ようするにずっと同じ人がオーディオのファンを続けているのである。


長年オーディオで理想の音質を追求していくと、その過程の中で、まず色付けのある
音は最初の印象は良いが、いずれ飽きてくることに気が付く。
強調感や外連味の
ある音は耳障りに感じるようになる。かつてポップスやロックファンだった音楽好きも、
30~40代くらいに差し掛かるとジャズやクラシックファンに鞍替えする姿は、有り触れた
光景としてよく見かける。オーディオマニアにおいても年齢によってシステムの音質
傾向が大きく変わるのは普通だ。そして、長年オーディオをしぶとく追求していくと、
最終的には、マニアは音質の品位、クオリティーにこだわるようになる。
そう、音質の"純度"を追求し始める。これには過去の回顧ばかりではなく、
自前のシステムを構えて"現役"で"積極的"にオーディオを追及し続ける必要がある。
過去に呪縛され奴、途中でブランク奴や、ペーパーオーディオ奴ではダメだ。
早いか遅いかの違いは多分にあるけれど、いずれ誰もがそうなっていくと思います。
以前、年配と思われるマニアの方が 「ロックなんて若いうちだけの音楽ですよ」
と眉を顰めて言うのを苦々しい思いで聴いていたかつての筆者。昔キックのジムに
行く前に30分間ハードロックをガンガンに鳴らして、サイコアップして家を飛び出して行った
血気盛んな若者だった筆者ですら、結局そうなったのですから。



音のクオリティーについてこだわると、まず騒がしく、ザワついたような音場では
S/N感や静寂感が出ないのでサウンドの品位が下がる。そのため耳辺りの良い
穏やかな音調になる。低音が出る極太のケーブルと同じで、低音の量感を野放図に
出そうとしたり、輪郭を太くするとクオリティが下がり、音がだるくなるので細見の音になる。
(その逆に極細ケーブルはエネルギー感や低音はでないがクオリティ感に優れる)
機器の色付け、カラーレーションとは音の"不純物"であり、クオリティが下がるので取り除か
れる。そして、「今の現行ハイエンドの音は無彩色で大人しい小奇麗な音ばかり」
評されるのである。そして、どの製品も90年代の機器よりクオリティ感が高いはず。
繊細感はクオリティー感に大きく寄与する要素ですから、音像の輪郭を神経質なほど
丁寧に整えて細やかなタッチで描こうとする、そう、こうしたサウンドこそが、
長年オーディオについてこだわってきた人たちが辿りつくところなのだろう。
さて、なにかに似ていませんか?そう、マークレビンソン氏が
最初にリリースした彼の理想を具現化した製品群であるLNP-2Lと
CELLOブランドにおける処女作、AUDIO PALETTEと同じである。
そして、典型的な現行ハイエンドの音質もこれと似通った傾向のものである。
さすがである。マークレビンソンの慧眼には驚くばかりだ。
1972年のマークレビンソンブランドのプリ処女作LNP-2Lの時点で
オーディオの至高の高みに到達していたのである。偉大なハイエンドオーディオ界の
巨人であり、徹底的に(!)オーディオを探求した「音の伝道師」と評されるだけはあると思う。
かつて、オーディオ界で世界最高の名声を手にした人だけに、インテリジェンスが違う。
しかも、他のブランドにはない、"なにか"人の心を惹き付けて止まない魅力までも備えている。
一番最初にこれをやった人だという事が、彼の偉大なところである。



現行のジェフロウランドは色付けが非常に少なくなり、穏やかで繊細なクオリティ感の
高い音だ。パッと聴きでは人を惹きつけるような"Something"があるようには思えない。
しかし、である。メーカーも愚かではない、この変化は必然だったのだ。
新品で何百万もする高級品は、十年単位で愛用していくのが普通、
わずか数ヶ月や数年で飽きてしまうような音では意味がないのである。
以上のような理由で同一人ユーザーが長く愛好者として留まり、新陳代謝があまり活発で
無くなったジャンルであるハイエンドオーディオが、高次元ユーザーの溜り場のように
なった為に、このような高級品分野におけるサウンド傾向の大きな変化が引き起こされた
のであろうと推察するものである。ハイエンドブランドは、今のユーザーが好むサウンドを
リサーチした結果、こうした製品を出していただけであったのだ。
最大のセールスを望める音質の音作りを心がけていただけだったのだ。 
どんな富豪だろうと、価値観の高いユーザーでなければオーディオなどに
大金は払わない。価値観の高い=高次元ユーザーは、音質的価値の高さを認め、
多額を支払って製品を買ってくれるわけだ。
進化したオーディオファイルの求めるサウンド、それが現行ハイエンドであり、
そのよさを理解できなかったぼくたちは、まだまだ未熟だったのかも知れません。


進化、進歩したオーディオ文化の成熟がもたらした必然の形、
それが、現行ハイエンドのサウンドだったのだ。



そうでなければ、同じような音の氾濫は説明が付かないでしょう。




やっとそのことに気が付きました。




しかし、こうした方向性は「音楽」ではなく、「オーディオの音」を追求した意味合いが
強くなると思う。絶対的な価値観ではないし、筆者自身もそこまでは至らないと感じている。
仮に迫力を喪っても、クオリティー感を強く求めるようになったが、無機質なだけの"音"は
やはり自分では使いたくないし、青臭くても"なにか"をプレイバックから感じ取りたいのだ。








ぼく自身は昔の機器を使っている。だからと言って、自分の寄って立つ所を背景にし
恣意的な感情に自己の思考を支配されて、アンフェアーな物言いをしたくないと思う。
公平でないなら物事を語る資格など、断じてないのだ。





















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(紆余曲折の波乱の人生を歩んだ、"ぼっち"のキアヌ・リーヴス)


ひとつの事に夢中になりすぎると、人間として狭量になってしまう。


前回の記事で、一つの物事にトコトンこだわり過ぎると、
本来健全な人でも、偏執(パラノイア)に囚われる可能性がある。
そういうことを書きました。ですから、コダワリを敢えて緩めて、
もう少し気楽にオーディオをやったほうが良いかも知れませんよ(?)


というお話です。




リヒャルト・ワーグナーも、




スティーブ・ジョブスも、





ジェームズ・キャメロンもそう。










長年の社会生活で巧緻性を身に着け、上っ面の薄皮一枚だけ糊塗している
だけで本当はオカシイ人は、アーティスト(笑) なんかにはいっぱい居ますよね。
まさに破滅型人間だらけ、先日の日記のハンス・ジマー氏なんかも
8つの学校で放校処分になったと、偽ることなく率直に語っています。
コミュ障って言葉はヒキコモリで他人とまともに話すことができない人のことだけ
を差すのではなく、明朗で行動的なのに、他者とトラブル続きの
ジマーさんにも当てはまる言葉なのです。

店舗などの経営者とか、中小会社社長、実業家、政治家もそうかな。
この人たちは行動力があるから、人を集めて人に囲まれる環境は
つくれても、実質的に深く心を通わせられる人間関係が構築できない
(自己中心的で、他人の心の機微に疎い)
ために、実は孤独感に苛まれている人も少なくない。
そりゃあそうでしょう、自分の真情を吐露できる相手もいないのだから。




周囲とトラブルが絶えず、人間関係が長続きしないのに、
内省して自己の問題を疑わないというのが、まずおかしい。





オーディオは"泥沼"だ
って、よく云われますよね?






マークレビンソンもそう、


「アイツはトラブルメーカーだ!」 と昔日本の関係者に云われた事を
何十年も経っても凄く気にしていて、せっかくの和やかなプレゼンの場で
語気を荒げていう事なのだろうかと思いました。



ダン・ダゴスティーノも某評論家氏に、
「彼はとても嫉妬深く、業界を引っ掻き回す人」 と皮肉っぽく語られたことがある。



要するに一つの物事に異常にコダワル人は黄色信号を発していると言ってよく、
性格がアレだったり、人間的には付き合い辛かったりする人が割合的に多い。
人間関係が上手くいかない人が幸福感を感じられるはずがありません。







意識が目的に極端に先鋭化(フォーカス)すると、
視野も精神も狭隘な人間ができあがるのは必然。


国宝級の"職人"が頑固だったり気難しい理由はそういうことです。
ひとつの事を極めようとする際の副作用です。


ジョブズなんかは偉業の根底にあるものが、両親から受けたネグレクトが
原因になっているのは明らかでしょう。









うちの親父殿は古希を越えましたが、大学教授で今年もまた大学で
教鞭を振るっております。かつてはIQ160を誇る秀才でした。



人間的にも温厚で良い人です。何時だったか、父が若いころ、大学の寮?に
入ったばかりの彼の日記を見つけたことがありますが、非常に達筆な字で、
入寮した際に、周囲の人たちの親切な対応に関する感激と、
感謝の気持ちが、若者の純粋な心を感じさせる、若々しく、初々しい感性で
綴られているのを見て、あまりの月日の流れを感じると共に、なんだか
とても心が温かくなり、息子として誇りに感じましたね。


いまはどうなったかというと、すっかり年老いてしまい、
ボケ初めの
"情弱老人"です。体格も良かったのに
すっかり痩せ衰えて、なんだかこう、支えてあげたくなるような感じです。




明らかにボケ初めているのですが、それを指摘すると、
「ボケてない!」 と頑なに強弁なさいます。


でも何日か経つと、弱気になって
「俺、ボケてきてるな・・・・・」 と呟きます。





ボケ老人に 「貴方、ボケてますよ?」 と言っても無駄ですよね。


偏執の人に 「貴方、○○○○ですよ?」 と言っても怒られるだけでしょう。






「生きやすい」 快適な人生を得るために、敢えて 「コダワリ」 を
棄ててみるのも、幸せへの近道かも知れませんね。



「ほどほどが丁度いい」とか、「平凡が一番」とか、実に深い言葉だと思いませんか。



















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新しいオーナー様の元にKMA200mk2を送りだし、
空きが出来たラック内を配置変更。



プリの電源は離した位置にセッティングして音質がグンと向上。


PCオーディオに何百曲とリッピングして自由自在のオーディオライフです。
しかし、スイングアームもいい。


アナログからデジタルの時代になって、音質ではなく利便性でもとに戻れなくなった
ようなものですね。











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フィル・ジョーンズのデザインしたスピーカーが好きで
AE2を二回手に入れた過去がある。ローズとピアノブラックを持っていた。
日本製と違い製品の作りや質感が低かったけれど音は好きだった。

プラチナム・デュオとリンフィールド300Lも持っていた。

フィルといえばよく会社が変わりましたよね。
多分、才能がある人は協調性がないんでしょう。

マークレビンソンもそう、

ダン・ダゴスティーノ ネルソン・パス フランコ・セルブリン
いずれも創業者でありながら立派な規模に成長した自社とは別の
プライベートブランドを立ち上げ、自らの理想を追求したサウンドを
実現すべくリスタートを余儀なくされている。

彼らも、オーナー社長の常で、我が強く協調性がないゆえ、
会社を飛び出したのだろうか?

多分、違うんじゃないだろうか。

人柄については分からない。人間性なんてジックリ何年も
付き合ってもすべては分からないものですからね。


会社の規模が大きくなってくると社長の立場でも自分の思い通りにいかなくなる。
(セルブリンの立場は他の二人とは違うみたいだけど)

恐らく、創業者の理想の音と企業が売ろうとする
製品とで食い違いがあるのではなかろうか。

そして、創業者である天才エンジニアと、彼らの熱烈な信奉者のファンが
良いと思う音より、企業が売ろうとする製品の方が実際セールスが良い。

良いものが売れない、そんな例はどんな分野でも枚挙にいとまがない

市場を徹底的に調査し、売れる物を作るという企業としての能力は侮れない。

企業としてやっている以上、売れる物を作らなければ意味がない。
顧客が欲しがるものを作らなければ意味がない。

本質が高いものは恐らく創業者が作った方の製品でしょう。
だけど確実にそうだとは言い切れないものがある。

マークレビンソン、クレル、パスラボ、ゴールドムンドなんかは
創業当時の初期の作品が一番出来がいい。

(正確にはコアなファンの評判がいい)

それは、創業者にしてチーフエンジニアだった彼らの
情熱というエネルギーが凝縮する、充実した時期に作られたから
だと言えるのではないか、新しいブランドを立ち上げたばかりの、
やる気と熱意に溢れた日々。

初期のクレルの製品には、ダゴスティーノの意気込みを感じます。
その頃はとにかく良い物、そして売れる物を作らなければ
ならないから、創業者も必死です。失敗が許されない。

それゆえ、創業当時の情熱にあふれた時期に作られた
"旬"の製品群が、創業者の理想の音と、顧客が喜ぶ(売れる)
製品という二つの要素を満たした(配慮した)
もっとも魅力が高い製品になると思う。

成功した天才エンジニアであり、
名門オーディオブランド社長が立ち上げるプライベートブランド、

既にファンを獲得して起動に乗った天才エンジニアにとって
ひたすら自分の理想のサウンド(製品)の実現にのみ腐心するという、
顧客の事をつい忘れがちなものに陥りやすいのではないだろうか。

それは音作りとか、高すぎる価格とかに現れている気がします。

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なぜ、オーディオにのめり込んで行ったのだろうか、

我々が高価な機器を手に入れるのは、
尊敬するアーティストに敬意を払うためだろうか?

いや、そうではないだろう。

我々がオーディオブランドに長年に渡って魅了されてきたのは
作曲家や演奏家の伝えたかった想いに近づく、
彼らの息遣い、情念が伝わる、その実感を強く感じたからではないだろうか
素晴らしい"再生芸術"を手に入れると、音楽の感動がより大きくなる。
今まで理解できなかった音楽が、心に響き始める。

そうやって、世界が広がる感覚が確かにある。










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禁断のKRELL



大阪ハイエンドオーディオショウ2011

二日目の土曜日に行ってきました!








禁断のKRELL


アキュフェーズのブース、スピーカーはJBL DD66000エベレスト、

音が太くて実在感のあるホーンドライバーの音は大好きですね!






禁断のKRELL



ソナスファーベル ストラディヴァリウス・オマージュ

素晴らしいスピーカーだと思います。

初期のソナスの世界観とは別の物。






禁断のKRELL 禁断のKRELL




ゼファン  と ステラヴォックスジャパン のブース

ビオラの新作、フォルテⅡパワーアンプが聴けました。

小型75wのモノラルパワーアンプです。


プリアンプはビオラのモノラルプリ SOLO スピーカーはオーディオマシーナ、

流麗な語り口でしなやかに鳴る現代の超高性能スピーカー、
これはこれで素晴らしく、自宅に何系統もスピーカーを配する
ことが適うのなら、ぜひ欲しい音だなと思います。

しかし、ホーンドライバーの強烈なエネルギー感、実在感から
得られるあの独自のリスニングの快楽を思い浮かべると、


自分としては「メインではちょっとなあ」という感じですね。
時代の趨勢、世界のハイエンドの潮流がこのシステムのサウンドのような

方向性に向かっている訳で、この日本においてもその流れの

中にあるわけだけど、日本のハイエンドユーザーというのは、

世界でも最高の感性をもつオーディオファイルたちですから、

世界的な流れはそのまま日本には当てはまらないのではないか、

と思います。


現代の進化したハイレゾのソースに対応し、しっかりと再生する為には、

スピーカーも性能を上げていかなければならない、

しかし、その過程で失われるものがあるんですよ。


具体的には、性能はいいけど、音楽再生に本来必要な

"エナジー感"を喪失してしまっているように感じるのですよ。




筆者を初め、みなさんが感じているジレンマはそういうところから

来ていると思うのですよ。




現代ハイエンドももちろん、それは素晴らしいものだけど、
ホーンやヴィンテージにはベクトルが違う魅力があると思う。

会場を見渡しても、20代、30代の人の姿は非常にレア、
ほとんどが40代から60代の人達ばかり、

例えば後述するセルブリンのKtemaのデモンストレーションから
JBLの新作JBL S4700に変わった途端、突然スタアが登場して
会場が色めき立ったように、大盛況の会場のあちこちから
カメラ・ビデオなどの機材の撮影準備の音で騒然となるのです。

若い世代にもオーディオマニアはいるけれど、同世代間ではかなりレアな趣味、
同一趣味の仲間たちが無く、趣味としては周りと断絶して、


孤軍奮闘している姿を想像します。




しかし、中高年の世代ではかつては主流の趣味だったわけで、志を同じくする
仲間が沢山いた訳ですね。仲間たちとの交流を通じて得られる利点、

それは今の人達とは見えている視野の広さが違うところ。




細かい理屈はいらない、ちゃんと鳴っているホーンドライバーを聞けば、
もう後には戻れない。(のかも知れない)






もちろん、音の好みには色々あるから、ベテランが全員ホーン愛好者ではないですが、
時代遅れと一般人や若手に思われているような旧型のトランスデューサーが、
実はいつまでも色褪せない魅力を持っているということ、


「特性に優れた音が本当に"感動できる音"足りえるのだろうか?」


ここに深刻なジェネレーションギャップを感じます。



会場の素直な反応を見ていて、そんな思いが心に湧き上がってきました。


「新しいものが必ずしも良いとは限らない」





禁断のKRELL


ELAC FS509 VX-JET \1,980,000

これはかなり好みの音でした。



禁断のKRELL 禁断のKRELL




太陽インターナショナルのブース、

柳沢功力氏が講師を務めるセッションです。

アヴァロン、Eidolon Diamond

ジェフロウランドのフラッグシッププリとパワーアンプ



禁断のKRELL


そして本日のメインイベント!

別館2F松の間で行われた、最新オーディオコンポを聴く、

講師は柳沢功力氏、ダン・ダゴスティーノ、モメンタムも聴けましたが、

ご覧の有様といいますか、会場は立錐の余地もない大盛況で、
そのサウンドを堪能するとまではいけませんでした。



柳沢氏の語る最近のダンのエピソードを少し聴けたのですが、

ダンは長年連れ添った夫人のロンディーと別れたらしい、


流行の熟年離婚か・・・・残念ですね。




「彼はとても嫉妬深い人で、かつて日本の市場を引っ掻き回していった」

「物凄い数の作品を作り上げ、その音質傾向は毎回のように大きく変化し、
作品の出来不出来にも落差があった」




というのが柳沢氏の語るダン氏の印象のようです。

その柳沢氏自身は今年の春の氏のリスニングルームの写真を見たところ、
クレルの製品はKSA50sをマルチの高域用として使っているのが分かります。

昔からお使いなのを存じておりますが、
15年くらい使い続けておられるようですね。見ていて嬉しくなりました。

さて、個人的には、ダン氏の作品 (96年位まで) のものは音質傾向が
バラバラですが、どのコンポーネントもそれぞれが好きな人には
たまらない個性的な魅力があったと思う。


ダゴスティーノの残したクレル時代の作品には、駄作はあまりない
と思っているのだけどなぁ、音質傾向はバラバラのように思えて、クレル製品の
根底に流れるサウンドフィロソフィーにはあるひとつの一貫してあるもの、
「音楽の熱気を伝える」「パッショネイトな躍動」があるから、

筆者にはその感性がフィットするだけなのかも知れませんが。



クレルは初期の物が別格に出来が良いので、

それと比べると他は駄作ばかりというのならば、それは良くわかります。


中期以降のものはどれもドラスティックで強調感の強いサウンドでもありますしね、

その時点で「全部ダメ」とするのも分かります。


なおさら初期の自然で強調感のない、ナチュラルな音質が好まれるという次第です。










さて、また話が長くなりました。

今回のオーディオショウではフランコ・セルブリンのKtemaを
聴くのをとても楽しみにしていたのですが、音は聴けたものの、
この状況なのでその真価を判断しようにも、いかんともし難い状況がありましたね。


Ktemaの後に聞いたのがエアーのプリアンプ、
アキュのパワーアンプとJBL S4700の組み合わせ、


これと、



禁断のKRELL



Burmester 099 Line level amplifier  プリアンプが今回のオーディオショウの中では良かったです、




組み合わせはアキュフェーズ A46パワーアンプ


正確に言いますと、僕の好みの音でした。



どれも薄味に感じられる現代ハイエンドの中で、

ブルメスターには鮮やかな色彩感が感じられ、実体感も伴い、

音楽が魅力的に聞こえてきました。





二日目土曜夕方5時半からのメインイベントだった
この"最新オーディオコンポを聴く"ですが、
後半に逸品館の清原裕介社長氏が密かに来場されていました。

座っている筆者の目の前を笑顔で通って行かれた、
あまりにも会場が混雑していたので直ぐ帰ってしまわれましたが、

白のカジュアルなシャツ姿だった。お見かけしたのは随分久しぶりなのだけど
最初に知ってからもう20年近く経つのに、見た目はあまり変わらないんですね。

まだまだお若いですね。

オーディオショップの経営者、オーディオデザイナー、オーディオ評論家
色々な顔がある同氏ですが、筆者が一番好きなのは氏の書く文章ですね。


 


禁断のKRELL

 




会場でステレオサウンド別冊「アンプの至宝」と、


「往年のマッキントッシュ」を買いました。

 

 




禁断のKRELL 禁断のKRELL





いかがでしたでしょうか?行ってない方、お仕事がお忙しくて
行けない方もこのブログで行った気分になれれば幸いです。

興味が出てきた方は、明日が最終日なので行ってみてください。

地下鉄心斎橋駅、大丸本館と大丸南館を挟む通りを御堂筋を横切って
向かい側に渡り、真っ直ぐ進むとある、ハートンホテルの別館(メイン会場)と
向かいの本館(サブ会場)で開催されていますよ。

阪神地区の方は阪神難波線、各駅の"難波駅"から歩いてもスグです。

迷わなければ歩いても10分も掛からないと思います。

 

難波から心斎橋は地下鉄で一駅のすぐ近くですからね。


明日日曜が最終日、時間は朝10時30分から夕方5時までです。


禁断のKRELL


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