禁断のKRELL

初期KRELLの製品に出会って
人生観が変わるほどの衝撃を受ました。
それ以来再燃したオーディオ熱の赴くままに、
古今東西の銘機を正直に、
感じたままに語って行きたいと思います。
過去記事は頻繁に加筆修正しています。


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Marantz model7





「知らなかった」 ではかわいそうだから・・・・・・

転ばぬ先の杖、ヴィンテージが良いと推薦するのだから、
多少なりとも解説しておく義務がある。




1970~1980年代の機器について、簡単な基礎知識を書きます。
これに60年代機器が入っていませんが、この年代の機器は専門家の判断を
参照すると、「経年劣化が激しく、骨董品的な価値しかない」 と判断されます。
「たった十年しか違わないじゃないか?」音を変えない代替パーツが手に入りません。
また60年代機器はMC275のような時代を越える超銘機など、あまり多くない例外を除けば、
「レンジがやたら狭く、音数がきわめて少ない」 ボケボケの音に感じられます。
砕いていうと、筆者の感想では、現在のオーディオマニアの実使用に耐えると思えない。
メンテを掛けても、音質は完全に復活しません。個体差がきわめて大きいので
実際に聴かずに購入するのは冒険としかいいようがありません。
Marantz model7 が、「愛でるセブン」と言われる理由の一つです。
どう足掻いても、当時の音はもう出せない。けれど、愛着があって手放せない。
外れを引くと、メンテがしてあっても酷い音です。本来良心がある専門店では
そのような個体は引き取らないし、商品化しないのが普通でした。
これらの機器は今でも愛用者がいらっしゃいますが、主な用途としては
同じく「レンジが狭く、分解能が低い」 古典期なアナログレコードの再生に
用いられます。そして、「古い年代の録音」のアナログが最高の雰囲気で鳴ります。

これらは決して若い人が最新録音を鳴らすためモノではありません。(例外有り)
「けど、いい音で聴けているけど?」 最新楽音ならもっといいものが世の中にはあります。
以前書いたように、好みは個人によって様々ですし、15歳くらいまでに触れた世界で
人間の嗜好は作られます。世代間によって嗜好に差異があって当たり前なんですよ。



まるで禅問答のような例えですが、



よく夜品を交換してしまうと本来の音(オリジナルの音)でなく
なってしまう、と言われていますが、
これは冷静に考えれば、部品を交換しなくてはならなくなっている
時点で、すでに本来の音ではなくなってしまっているんです。

どんなに大切に扱おうとオーディオ機器は劣化します。
これは絶対不可避のことです。アンプだけでなく、スピーカーもそうです。
コーン紙も劣化してい きます。

故障の状態までいっていなくとも、きちんと鳴っていると思えていても、
新品のときからすれば劣化して、音は変ってしまっているわけです。





先日、オーディオの先輩から、私信にてこのような助言を頂きました。


まったくその通りだと思います。



でも、筆者は自分が愛用するヴィンテージ機器のクタビレタ内部観を見るにつけ、
これで100%本来の音が出ていると思ったことは一度も有りません。



今回は1970~1980年代までのプリアンプについて解説します。

この年代のプリアンプは、ズバリ現代人の用途としても考えると、
フォノプリになります。
フォノを使用しないなら、魅力度は大きく下がると
通常は認識されています。この年代のプリアンプですが、中を開けてみると
ラインステージよりフォノステージの基盤回路が遥かに大きくメインなのが分かります。
レコードを聴くために、プリアンプが必要だったのです。

時代が進み、1980年代の後半から1990年代にかけてプリアンプ不要論者が
大きな勢力となりましたが、
これはCD全盛時代になり、一時期アナログが
急激に衰退した時期があった為、(現在は復調していますが) CDに乗り換えた人たちが
「音を濁らせる余計な回路は不要」 という理論で旧世代の遺物と切って捨てたわけです。
「レコードを聴かない人にはプリアンプは不要」という訳です。
確かにプリを捨て、パワーアンプに直結すると見た目の鮮度感は上がり
蛇口を全開にしたような音が出ますが・・・・・よく聴くとプリ無しは
「音楽の味わい」 を喪失させ、「低音が痩せる」 ことが最低でも誰にでも理解できます。
プリアンプは頭脳であり、パワーアンプは肉体なのです。



当時の人に「プリアンプはレコードを聴くときに必要」と
認識されていたのは変えようがない事実です。



1970~1980年代のプリアンプはレコードを聴く人のためのモノ、

一見暴論と取られかねない意見ですが、詳しい人は概ねその事実を認めるはずです。
それではレコードを聴かない自分たちには不要なのか?というと現実はそうでもないです。
ただこの基本知識は、知っておいて損はありません。

60歳以上のオーディオのヴェテランの方でアナログを止めた方はプリなしに
なっている方が少なくないくらい、これは基本的な概念なんです。









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忘備録的なモノ、

最近購入したヴィンテージプリが片CH音声出力しなくなったので開けてみました。


電解コンデンサーが約31個日本製に交換されています。 (数はおおよそです)

非常に状態の良い個体だったので、扱いも丁寧でメンテしながら使っていた模様。
ショップから割安で購入したのでなんだかお得な気分。

通電して温度の上昇とともに電解コンデンサーの寿命は加速度的に短時間になりますが、
仮に通電をコンディション維持程度の最小限度にすると、日本製電解コンデンサーの
寿命はズバリ約十五年です。温度と寿命の関係は「アレニウスの法則」で成立しています。
この法則は、かみ砕いて言うと温度が10℃下がると寿命が2倍伸びるとされ、
「10℃2倍則」と言われます。仮に発熱の多いアンプを常時通電にすると、
この法則により三~五年程度までパーツの寿命が低下してしまいます。

電解Cばかりではありせんが、通常のアンプのパーツは約500~1000個、
宝物のような愛機を長持ちさせるには、定期的に電源入れて使ってあげる事ですね。



このプリはパワーアンプ並みに熱を持つので、できればオープンエア環境※で使いたいですね。
保護回路もないタイプなので、故障→DC発生の嵐となります。(※ラックの中に入れない)





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「ええぞ、ええぞ!」




この本を買って、
本当に良かった!


まさしく自分が求めていた
本だよ!



このブログが取り上げる機器について共感できるのなら、是非この本を手に取ってください!

全254項ほとんど読み飛ばすところがない!銘機ばかりですからね!


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詳しい画像はコチラから


売約済みになりました


アキュフェーズ C290Vプリアンプ (希望小売価格98万円) を格安にてお譲りします。

価格 43万5000円 (当方は46万6700円で購入しました)

付属品 元箱 取説 付属電源ケーブル

極上品 完全動作品 大変良い音が出ています。

兵庫県阪神地区で事前に試聴・手渡し可能です。

※オークションを経由して購入なさりたい方は必ず事前にご相談ください。
この値段でお譲りできるように致します。




詳しくは上記メールアドレスからお問い合わせください。



日本の電気製品の中でアキュフェーズ製品は、
ユーザーが望む限り何十年でも製品のサービスと修理を格安で
受ける事が出来る貴重な存在の会社です。





https://www.youtube.com/watch?v=Bp1ofPBz_V0

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デジタル機器メインでやってる某Y(A)は、膨大な数の写真つき記事をブログに掲載しているが、
あれだけの情報量があるのに肝心の修理費用を一切記載していないでしょう? 
ヤフオクで10万で買える機種に15万の請求が来ますよ。某Y(A)でクレルKMA-200mk2の
修理を依頼したときは最初の見積もりが一台1万5千円(OH兼ねて)だと電話で言われました。
「激安だ!本当かな?二倍の三万でも安い」 と思い、「それなら」 と試しに送ってみたところ、
なかなか到着したとの報告が入らない。「早くチェックしてほしい」 というと
「今は多忙だから」 と一通だけメールが来て以降は音信不通でメールの返事がなく
先延ばしです。宅急便約款 (宅急便の保証期間) が切れるピッタリ二週間と一日後に
開梱チェックした
と返事があり、請求額は17万5千円でした。しかもOHも兼ねてですから、
モノアンプ二台送って壊れている方と動作に全く問題ない方と両方送って
「両方とも壊れています」と言われました。「そんなはずがない!ちゃんと調べてみて」 と
言いましたが、何度聞いても言っても 「"測定の結果"壊れています」 の一点張りです。
約款の期限切れで救済されないからヤ○トにも請求できない。 「やっぱりね」 と思い、
「それなら結構、返してくれ」 と言うと、理由を付けて返却しない。話している内容も
暇でしかたないと言っていたと思えば多忙だと言い始めたり一貫性がない。
結局交渉の結果、色々と作業を削って約11万で修理してもらうことになり、作業が始まりましたが、
最初に年式的に老朽化したパワートランジスターは全点交換と決めてあったのに、
「クレルのオリジナルだから残そう」 と急に変更を言いだす。いや、決めるのは貴方じゃない
お客さんだろうと・・・・・・
交換することにより、度々の故障のリスクが無くなる
メリットも存在するのにですよ?一部だけ変えてもまたいつ寿命で壊れるかも知れないし、
一部だけ変えてあとを残しても全く意味がないと伝えて、 「予定通り作業完了してほしい」 と
言うと、急に投げやりな態度になり 「修理不能」 「部品代だけ請求させてもらう」 との
一方的な通知が・・・・・(全部交換より壊れている一部のみ交換の方が楽だから、
作業が面倒だったのかなと思う)コンデンサーの費用の五万円を支払い、
壊れたままの機器が返却されました。

極めてシンプルな構造の初期クレルのアンプもなおせないのか・・・・・・

ちなみに片方のアンプはやっぱり壊れていなかった。


「壊れていませんでした」 と言われたのが、作業全部終わってからですw


「あれほど言ったのに、壊れていなかったって・・・・・」  と苦情を言うと、


(仕事が欲しかっただけじゃないのか?と思う)



「過ぎたことを今更ガタガタ言うのか?」と逆ギレ。





オイおっさん、「過ぎた事だから~」 云々は許す側のみに使っていい言葉やで







コンデンサーの購入費用の領収書もないし、交換してもらったコンデンサーの
作業内容証明もなし、五万円も取って証明書の類一切なしでアンプは帰還しました。

もうこの人に頼んだのが間違いだったから、大切な機器を無事に手元に
戻すことだけを考えてはらわたが煮えくり返るような思いを押し殺して
辛抱強く交渉し続けましたね。

結局二ヶ月半以上クレルKMA-200mk2は帰ってこなくてその間音楽が無い
寂しい日々を過ごしたんです。


自己中心的で、仕事に対して責任感がない。


恐らく、本人は自分が地雷であることの自覚がない。






結果は二ヶ月半アンプ帰らず、壊れたままで帰還して
請求額五万です。






この人とは先と後に譲渡する側で(先方が買い手)でやり取りしたことが
ありますが、クレルのKSA100mk2を譲渡した際、コンデンサーが片方だけ変えられて
いて左右で音が違うと激怒。(自分には違いはまったく分からなかった)

音の違いではなく、職人のこだわりで左右で違うコンデンサーが付いていたことに腹を立てたのだと思う。

ケーブルを譲渡した時は入金確認後即発送して土日はさんで 「三日経つがまだ届かない」
「本当に送ったのか?」 と聴かれて郵便事故かもと思い、地元や広島の郵便局に
問い合わせすることに・・・・・結局問い合わせた日に 「丁度、いまから配達するところです」
という状況だったので、問題ありませんでしたが、

この人は自己中心的で粗暴な性格の酷い人だなと思い、二度と関わらないと決めました。



これ、全て脚色なしの事実ですからね?







デジタル機器は進歩が早いので、壊れた機器はヤフオクでジャンクで処分して、
新しい機器を新品や中古で買うのが絶対にお勧めです。



後で見つけた熊本のエイブルさんという修理業者は会社組織でやってるところですが、
非常に優良でした。仕事も早いし料金もリーズナブル。
そこは宣伝なんて一切やっていません。そんなものやらなくても口コミで
仕事が一杯あるからです。社員4名がフル回転するほど依頼が寄せられているのです。




かれは、こちらが聞いてもいないのに自分が如何に優良な業者で
安価で仕事を請け負い、「よくこんな金額で受けてくださいますね」 と
顧客から感謝されているんだと、聞いても居ないのに話し始めますが、、、、





善人は、自らの事を善人だとは決して言いません。




この告発記事をUPしたところ、それを当方の誹謗中傷に転嫁したような記事が
T氏のブログに上がっていたので、反論として下記内容を書き込もうとしましたが、
書き込み不可にブロックされていたのでこちらにUPします。



アンプの修理を1万5千円で受けられると思う(一台)と電話でのやりとりで言われたのは
事実です。そこで送ってみたところ二週間と一日待たされておまけに17万5千円(二台)
かかると言われました。そんな金額は非現実的です。私はそのときもういいから
返してくれと何度も電話でいいました。なかなか返さないので渋々11万でということになり、
修理を承諾しました。KMA200mk2は2011年3月に34万でオークションで動作品を購入し、
(オークファンで見れる)2011年7月くらいに故障して9月くらいに修理完了して使い続け、
横浜市青葉区のO様という方に2013年1~2月に31万で譲渡しました。
T橋氏に支払った修理代が5万ほど、エイブルさんに支払った修理代が3万6千円だったと
記憶しています。(間違いないです) それと、T橋氏が丹念にオーバーホールしたあと
なのでエイブルさんでは修理代が安く済んだとありますが、実際には
コンデンサーの交換以外の音に有効なメンテナンスは清掃のみですよね。
ハンダ増しなどさも今回のケースでもやったかのように誤解させる書き方されている
ようですが、ハンダ増しはやってもらっていません。
(ファンのグリスアップは音に影響ないので除く) ここでいう転売目的というのは、
壊れた物をオークションで手に入れて修理業者さんで直してもらい、
オークションに出すことだと思いますが、それは誹謗中傷としか言いようがなく事実無根です。


http://aucview.aucfan.com/yahoo/g100355265/

総額42万のお金を費やして2年間愛用したものを31万で売ったら転売なんですか?

CelloのAudio Suiteの購入資金を捻出するために仕方なく売っただけなのですが・・・・・

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手持ちのSS誌  №116号 №113号 №115号



遅ればせながらダゴスティーノのインタビューが載っているSS誌を探し当てました。
№114号なのですが、その前後も持っているし、その辺りの号は大体リアルタイム
で購入していたのに、なぜか肝心のその号だけが抜けていたという・・・・・・



神田の古書店で見つけてネット注文しました。
届くのが楽しみです。分量が長いので要所になるけれど、掲載してみようかなと思います。







はじめて自分で新品購入したSS誌は№113号でした。


愛着があります。かなり年季が入っています。何回手に取ったか分かりません。
この号にはマーク・グレイジャーのロングインタビューが掲載されています。
始めてオーディオ雑誌を買ったのは確かステレオ誌で、1991年くらいだったと
記憶しています。1993年にモデル末期で叩き売りされていた山水607KXらコンポを
一揃い新品購入したのがオーディオの始まりだったと思います。SS誌は海外製の
高価な製品がメインで、中高生だった自分には縁遠く感じられていたので、
購読開始が遅くなりましたね。





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長期化する深刻な不況、少子化、多種多様なザブカルチャーの新たな創出、
そして高度化と複雑化、急激な「オーディオの衰退」を招いた要因は多々あれど、
現行ハイエンドは"本当に魅力のないもの"になったのだろうか?
その真実を解き明かしたいと思う。




今から約二十数年前、1990年前後のオーディオ製品は、オーディオブランド各社が
競い合い、まるで百花繚乱の如く、とても華やかで個性的な製品群が溢れていました。
この時代と比較すると、現代の製品には共通した変化が認められると思います。
各社の個性が大幅に減じ、皆一様に小奇麗な音になり、穏やかで繊細感があり、
クオリティー感が高く、そして色付けが少ない、そんなニュートラルな音色になり、
帯域バランスも偏りのないフラットなものばかりになった。何故かハイエンドブランド
各社が一斉に同じ傾向に向かったのだ。
一説には、オーディオ文化の衰退や
長期化する不況により、部品メーカーの数が激減、供給されるデヴァイスの種類が
減少した為、自らアッセンブルできない零細ハイエンドメーカー各社は、結果として音が
似通ってしまった。そうした見解も聞かれました。デジタルアンプの分野においては
さらに選択できるICチップが極端に限定される為、各社の音が近似した傾向は一層強い。
しかし、である。現行(に近い)モデルでも、YBAやATOLL のように往年の機器のような
非常に個性的な音色のものは現実に存在している。決して作れなくなったのでは
ないのである。ATOLLの低価格のプリメインアンプ、IN50SEは非常に脚色がされた
明るい陽性の音色だが、同社の上級機はそれよりもずっとフラットな普通の音である。
KRELL創成期の製品である初代プリPAM2、3そしてパワーアンプのKSA100と比較
すると、次に出た高額のフラッグシップモデルのKRS1、KRS2は、PAMとはガラリと
音が変わって色付けのないフラットな普通の音でした。これは有名な仕様変更です。
そしてKRS1とKRS2のノンカラーレーションなフラッグシッププリは、まったく評価され
なかった。
以前マドリガルレビンソンの№28と№29のセパレートアンプを聞いたことがある。
これも共にローエンドのモデルであるが、上位機種とは違って、非常に明るく鮮烈な
サウンドで、瑞々しさに溢れた、とても魅力的な音質でした。 №29は上級機よりも
良いというマニアの方はかなり多いくらいだ。これはなぜでしょうか?当然であるが、
ハイエンドオーディオを作っているメーカーは「オーディオのことを熟知している」
入門機には「初心者にも分かりやすい魅力」を持たせて、ブランドに興味を持って
貰えるように、新規顧客獲得の為のサウンドデザインがなされている販売戦略なのだ。
オールドファンが喜んでいる濃い味付けの機器と共通点が見られるのである。
お客さんに媚びているわけであり、決して彼らオーディオブランドが理想と思っている
音質ではないのである。そして、上級機、特に最上級機に近くなるほど音質はフラットで、
クセがなくニュートラルな音になる。入門機を買うのは基本的に初心者の方が多い。
(出戻りも多いが) オーディオに対してまだ高い価値観を持たない方である。
高い製品を買うのは上級者である。上級者及び、各ブランドが本当に良いと思う音は、
またそうした製品のターゲットは上記のような音であり上級者と推察ができる訳だ。
各社共に同じような音質の機器の氾濫はオーディオ文化の成熟と関係がある。
オーディオという趣味は、長年同じ顔触れの固定客が多く先細り傾向だ。
ようするにずっと同じ人がオーディオのファンを続けているのである。


長年オーディオで理想の音質を追求していくと、その過程の中で、まず色付けのある
音は最初の印象は良いが、いずれ飽きてくることに気が付く。
強調感や外連味の
ある音は耳障りに感じるようになる。かつてポップスやロックファンだった音楽好きも、
30~40代くらいに差し掛かるとジャズやクラシックファンに鞍替えする姿は、有り触れた
光景としてよく見かける。オーディオマニアにおいても年齢によってシステムの音質
傾向が大きく変わるのは普通だ。そして、長年オーディオをしぶとく追求していくと、
最終的には、マニアは音質の品位、クオリティーにこだわるようになる。
そう、音質の"純度"を追求し始める。これには過去の回顧ばかりではなく、
自前のシステムを構えて"現役"で"積極的"にオーディオを追及し続ける必要がある。
過去に呪縛され奴、途中でブランク奴や、ペーパーオーディオ奴ではダメだ。
早いか遅いかの違いは多分にあるけれど、いずれ誰もがそうなっていくと思います。
以前、年配と思われるマニアの方が 「ロックなんて若いうちだけの音楽ですよ」
と眉を顰めて言うのを苦々しい思いで聴いていたかつての筆者。昔キックのジムに
行く前に30分間ハードロックをガンガンに鳴らして、サイコアップして家を飛び出して行った
血気盛んな若者だった筆者ですら、結局そうなったのですから。



音のクオリティーについてこだわると、まず騒がしく、ザワついたような音場では
S/N感や静寂感が出ないのでサウンドの品位が下がる。そのため耳辺りの良い
穏やかな音調になる。低音が出る極太のケーブルと同じで、低音の量感を野放図に
出そうとしたり、輪郭を太くするとクオリティが下がり、音がだるくなるので細見の音になる。
(その逆に極細ケーブルはエネルギー感や低音はでないがクオリティ感に優れる)
機器の色付け、カラーレーションとは音の"不純物"であり、クオリティが下がるので取り除か
れる。そして、「今の現行ハイエンドの音は無彩色で大人しい小奇麗な音ばかり」
評されるのである。そして、どの製品も90年代の機器よりクオリティ感が高いはず。
繊細感はクオリティー感に大きく寄与する要素ですから、音像の輪郭を神経質なほど
丁寧に整えて細やかなタッチで描こうとする、そう、こうしたサウンドこそが、
長年オーディオについてこだわってきた人たちが辿りつくところなのだろう。
さて、なにかに似ていませんか?そう、マークレビンソン氏が
最初にリリースした彼の理想を具現化した製品群であるLNP-2Lと
CELLOブランドにおける処女作、AUDIO PALETTEと同じである。
そして、典型的な現行ハイエンドの音質もこれと似通った傾向のものである。
さすがである。マークレビンソンの慧眼には驚くばかりだ。
1972年のマークレビンソンブランドのプリ処女作LNP-2Lの時点で
オーディオの至高の高みに到達していたのである。偉大なハイエンドオーディオ界の
巨人であり、徹底的に(!)オーディオを探求した「音の伝道師」と評されるだけはあると思う。
かつて、オーディオ界で世界最高の名声を手にした人だけに、インテリジェンスが違う。
しかも、他のブランドにはない、"なにか"人の心を惹き付けて止まない魅力までも備えている。
一番最初にこれをやった人だという事が、彼の偉大なところである。



現行のジェフロウランドは色付けが非常に少なくなり、穏やかで繊細なクオリティ感の
高い音だ。パッと聴きでは人を惹きつけるような"Something"があるようには思えない。
しかし、である。メーカーも愚かではない、この変化は必然だったのだ。
新品で何百万もする高級品は、十年単位で愛用していくのが普通、
わずか数ヶ月や数年で飽きてしまうような音では意味がないのである。
以上のような理由で同一人ユーザーが長く愛好者として留まり、新陳代謝があまり活発で
無くなったジャンルであるハイエンドオーディオが、高次元ユーザーの溜り場のように
なった為に、このような高級品分野におけるサウンド傾向の大きな変化が引き起こされた
のであろうと推察するものである。ハイエンドブランドは、今のユーザーが好むサウンドを
リサーチした結果、こうした製品を出していただけであったのだ。
最大のセールスを望める音質の音作りを心がけていただけだったのだ。 
どんな富豪だろうと、価値観の高いユーザーでなければオーディオなどに
大金は払わない。価値観の高い=高次元ユーザーは、音質的価値の高さを認め、
多額を支払って製品を買ってくれるわけだ。
進化したオーディオファイルの求めるサウンド、それが現行ハイエンドであり、
そのよさを理解できなかったぼくたちは、まだまだ未熟だったのかも知れません。


進化、進歩したオーディオ文化の成熟がもたらした必然の形、
それが、現行ハイエンドのサウンドだったのだ。



そうでなければ、同じような音の氾濫は説明が付かないでしょう。




やっとそのことに気が付きました。




しかし、こうした方向性は「音楽」ではなく、「オーディオの音」を追求した意味合いが
強くなると思う。絶対的な価値観ではないし、筆者自身もそこまでは至らないと感じている。
仮に迫力を喪っても、クオリティー感を強く求めるようになったが、無機質なだけの"音"は
やはり自分では使いたくないし、青臭くても"なにか"をプレイバックから感じ取りたいのだ。








ぼく自身は昔の機器を使っている。だからと言って、自分の寄って立つ所を背景にし
恣意的な感情に自己の思考を支配されて、アンフェアーな物言いをしたくないと思う。
公平でないなら物事を語る資格など、断じてないのだ。





















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(紆余曲折の波乱の人生を歩んだ、"ぼっち"のキアヌ・リーヴス)


ひとつの事に夢中になりすぎると、人間として狭量になってしまう。


前回の記事で、一つの物事にトコトンこだわり過ぎると、
本来健全な人でも、偏執(パラノイア)に囚われる可能性がある。
そういうことを書きました。ですから、コダワリを敢えて緩めて、
もう少し気楽にオーディオをやったほうが良いかも知れませんよ(?)


というお話です。




リヒャルト・ワーグナーも、




スティーブ・ジョブスも、





ジェームズ・キャメロンもそう。










長年の社会生活で巧緻性を身に着け、上っ面の薄皮一枚だけ糊塗している
だけで本当はオカシイ人は、アーティスト(笑) なんかにはいっぱい居ますよね。
まさに破滅型人間だらけ、先日の日記のハンス・ジマー氏なんかも
8つの学校で放校処分になったと、偽ることなく率直に語っています。
コミュ障って言葉はヒキコモリで他人とまともに話すことができない人のことだけ
を差すのではなく、明朗で行動的なのに、他者とトラブル続きの
ジマーさんにも当てはまる言葉なのです。

店舗などの経営者とか、中小会社社長、実業家、政治家もそうかな。
この人たちは行動力があるから、人を集めて人に囲まれる環境は
つくれても、実質的に深く心を通わせられる人間関係が構築できない
(自己中心的で、他人の心の機微に疎い)
ために、実は孤独感に苛まれている人も少なくない。
そりゃあそうでしょう、自分の真情を吐露できる相手もいないのだから。




周囲とトラブルが絶えず、人間関係が長続きしないのに、
内省して自己の問題を疑わないというのが、まずおかしい。





オーディオは"泥沼"だ
って、よく云われますよね?






マークレビンソンもそう、


「アイツはトラブルメーカーだ!」 と昔日本の関係者に云われた事を
何十年も経っても凄く気にしていて、せっかくの和やかなプレゼンの場で
語気を荒げていう事なのだろうかと思いました。



ダン・ダゴスティーノも某評論家氏に、
「彼はとても嫉妬深く、業界を引っ掻き回す人」 と皮肉っぽく語られたことがある。



要するに一つの物事に異常にコダワル人は黄色信号を発していると言ってよく、
性格がアレだったり、人間的には付き合い辛かったりする人が割合的に多い。
人間関係が上手くいかない人が幸福感を感じられるはずがありません。







意識が目的に極端に先鋭化(フォーカス)すると、
視野も精神も狭隘な人間ができあがるのは必然。


国宝級の"職人"が頑固だったり気難しい理由はそういうことです。
ひとつの事を極めようとする際の副作用です。


ジョブズなんかは偉業の根底にあるものが、両親から受けたネグレクトが
原因になっているのは明らかでしょう。









うちの親父殿は古希を越えましたが、大学教授で今年もまた大学で
教鞭を振るっております。かつてはIQ160を誇る秀才でした。



人間的にも温厚で良い人です。何時だったか、父が若いころ、大学の寮?に
入ったばかりの彼の日記を見つけたことがありますが、非常に達筆な字で、
入寮した際に、周囲の人たちの親切な対応に関する感激と、
感謝の気持ちが、若者の純粋な心を感じさせる、若々しく、初々しい感性で
綴られているのを見て、あまりの月日の流れを感じると共に、なんだか
とても心が温かくなり、息子として誇りに感じましたね。


いまはどうなったかというと、すっかり年老いてしまい、
ボケ初めの
"情弱老人"です。体格も良かったのに
すっかり痩せ衰えて、なんだかこう、支えてあげたくなるような感じです。




明らかにボケ初めているのですが、それを指摘すると、
「ボケてない!」 と頑なに強弁なさいます。


でも何日か経つと、弱気になって
「俺、ボケてきてるな・・・・・」 と呟きます。





ボケ老人に 「貴方、ボケてますよ?」 と言っても無駄ですよね。


偏執の人に 「貴方、○○○○ですよ?」 と言っても怒られるだけでしょう。






「生きやすい」 快適な人生を得るために、敢えて 「コダワリ」 を
棄ててみるのも、幸せへの近道かも知れませんね。



「ほどほどが丁度いい」とか、「平凡が一番」とか、実に深い言葉だと思いませんか。



















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新しいオーナー様の元にKMA200mk2を送りだし、
空きが出来たラック内を配置変更。



プリの電源は離した位置にセッティングして音質がグンと向上。


PCオーディオに何百曲とリッピングして自由自在のオーディオライフです。
しかし、スイングアームもいい。


アナログからデジタルの時代になって、音質ではなく利便性でもとに戻れなくなった
ようなものですね。











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