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ブタがいた教室

(C)2008「ブタがいた教室」製作委員会

「卒業までの1年間でブタを飼育し、最後にはみんなで食べたいと思います」─新任の星先生の提案に6年2組は騒然となる。校庭の片隅に小屋を作り、掃除、エサやリなど生まれて初めての経験に戸惑いながらも、成長してゆくブタに愛着を抱いてゆく子どもたち。“Pちゃん”と名づけ、家畜ではなくペットとして慈しむようになるが、卒業の時は迫り、Pちゃんを「食べる」「食べない」で教室を二分する大論争が巻き起こる。[上映時間:109分]


大阪の小学校の新任教師による実践教育を基に映画化された作品。以前にテレビでドキュメンタリーが放映されたことがあるようなのですが、私はそれは見ていません。


6年2組の担任になった新任の星先生は、教室に生まれたばかりの子ブタを連れてきて、卒業までの1年間“食べる”約束で子ブタを飼い始める。子どもたちはその提案にすぐ賛成し、早速自分達で校庭にブタ小屋を作り、そのブタをPちゃんと名づける。


エサやりや小屋の掃除、フンの処理までクラス全員で協力しながらPちゃんの世話を始める。慣れない初めての経験に戸惑いながらも、Pちゃんの世話をしながら一緒に遊んでいるうちに、いつしかPちゃんは6年2組の仲間のような存在になっていく。


そして当初「食べる」目的で飼い出したPちゃんを「食べる」べきか「食べない」べきか、子どもたちは一生懸命考え、白熱した議論を交わす。意見は二分され、なかなか決まらなかったが、Pちゃんをどうするのか。卒業する日は間近に迫っていた。


この映画、大人用と子供用の脚本があって、子どもたちの脚本は台詞部分が白紙だったそうです。つまりみんな子どもたちが自分で考えて発した言葉。だからちょっぴりドキュメンタリーのような映画になっています。そして結末も知らされていなかった子どもたちは、毎日撮影に使われた学校に通い、実際にブタの飼育をしながら、「食べる」のか「食べない」のかを真剣に考えていったそうです。


一方妻夫木君は、子どもたちに「妻夫木聡」ではなく「星先生」と認識させるために、撮影現場では妻夫木君の名前は呼ばせなかったそうです。そして主役は子どもたち。だから自分は目立たずにサポートする側に回ったとか。


新任の先生が6年生の担任になることはあまりないので少し違和感がありますが、実際は2年半飼育して卒業間近に論争を巻き起こしたというので、4年生の担任だったんでしょうね。


確かに命や食に対して子どもたちに考えさせる、という意味ではアリだと思いますが、私は「ブタを飼って食べよう」という提案自体にえ?と思ってしまいました。農場とかで何匹もの動物達を食用に飼うのとは違うじゃないですか。小学校で1匹の動物を飼う=ペットのような存在になってしまうのはわかりきっているじゃないですか。ブタを飼おうというだけだったらまだわかるんですよ。だけど飼って食べようという提案をすること自体がねぇ。やっぱりちょっと残酷。


子どもたちがPちゃんと名づけた時も、星先生は一応反対します。それは先生は名前をつけちゃったら愛情がわいてしまうのがわかっていたから。だけど結局子どもたちに押されてPちゃんと名づけてしまうんですよ。この先生の中途半端さがどうにも納得いかなかったんです。このブタは最後には食べるんだから、食用なんだから、ということをちゃんと子どもたちにわからせてあげられてないじゃんって。


そして起きる「食べる」「食べない」論争。

このディベートシーンは、確かに言わされた台詞なわけではなく、子どもたちが自分達の言葉でしゃべっていることがわかります。うまくしゃべれていなかったり、何を言ってるのかよくわからなかったりもするのですが、逆にそこがよかったりもするんですよね。そしてPちゃんを食べる、食べない論争は白熱して、泣いちゃう子がいたり、つかみ合いの喧嘩が始まったり。Pちゃんを食べるなんて信じられない、可哀想という子もいれば、Pちゃんを飼い出してから豚肉が食べれなくなってしまった子がいたりもするし、どこで育ったかわからない豚肉は食べられるけど、Pちゃんの肉は食べられないという子もいます。


その間先生はずっと冷静でただ見守っているだけです。意見を述べることもない。ディベートにも参加しない。子どもたちに考えさせます。確かに子どもたちに考えさせるということは成功したかもしれない。でもこの先生がどこまで考えてブタを飼育して食べようと提案したのだろうか?と考えてしまいました。飼育して食べると言っておきながら、どうするかは子どもたちに結論を委ねるって、無責任じゃない?


それだったら、飼う時にきちんとみんなにちゃんと説明して、最後には食べることになるけどいいか、ということを全員にわからせた上で、みんなが理解してそれでも飼いたいと言ったら飼うべきじゃなかったのかなぁ。実際少なくとも半分の子はPちゃんを食用のブタではなくて、ペットとしてみちゃっていたわけだし。


そしてPちゃんを「食べる」「食べない」論争は、Pちゃんの面倒をみたいという3年生に引き継ぐか、食肉センターに送るか、という論争に変わっていきます。つまり「食べる」にしても食肉センターに送るという方法が取られるわけ。もうこの時点で最初に先生が提案した「育てて自分達で食べよう」というのからは離れちゃってますよね。


そして二分されたままの意見の最後の一票は星先生。この先生が1日考えた、というのも矛盾してるような気が。だって最初から先生は「食べる」って言ってたんだから、3年生に引き継ぐか、食肉センターか、だったら、考えるまでもなく食肉センターでしょ。なのになんで1日迷うわけ?結局先生の方針がしっかりしてなかったってことですよね。そして最後に先生が出した結論も、なんでそういう結論を出したのか説明するべきだったはず。少なくとも半数は先生の意見とは反対の意見を、持っていたわけでしょ。だったら先生がどうしてその結論を出したのか、ちゃんと説明してあげないと。先生が始めたことなんだから、それを教える義務があるはずなんじゃないかなぁ。


「食べる」「食べない」論争ですが、私は食用として飼うことを決めて飼いだしたなら「食べる」派です。でも何せこの場合、飼い出す時に子どもたちの意見をきちんと聞いているわけではないし、先生は食べるって言ってるけどそんなことしないんじゃないかと思って、ペットとして飼おうと思った子もいるじゃないかな、と思うんですよ。一度でもペットとして考えちゃったら、そりゃあ食べられないわな。たっぷり愛情注いで育てちゃったらそりゃ無理ですよ。そう思ってる子にこのブタを「食べる」というのはかなり酷な気がします。


子どもたちに真剣に「命」や「食」について考えさせることには成功したかもしれないけれども、ペットとしてPちゃんのことを見ていた子供の心は傷つけてしまっていたのではないかと心配になりました。子どもたちが、『人間が生きる為に、こうやって他の動物の大切な命をもらってるんだよ』、ということを素直に理解できていれば良いですが・・・。


そしてそれを理解した上でPちゃんを食べるというのが本当は一番良かったんではないかと思いますけどね。というか、先生はそういうことを教えたかったはずなんですよね。先生の方針がしっかりしていないから結局それをきちんと教えきれなかったような気がします。大切なブタの命をもらうんだから、わずかな肉も無駄にしてはいけないんだよ、ということを。

映画が面白いとかよかったとかそういうことを考える以前に、そうやっていろいろ考えてしまう映画でした。少なくとも感動作ではなかったですね。


シネリーブル池袋にて鑑賞


★★☆

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