- 「大岡裁き」の法意識 西洋法と日本人 (光文社新書)/青木 人志
- ¥735
- Amazon.co.jp
『大岡裁きの法意識』
日本で使用されている「権利」(Rightなどの訳語)という語からは欧米では日常的に了解されている「正」や「直」という意味が脱落しているという指摘がある。
オランダ語のRegtの訳語の変遷を詳しく検討した熊谷開作氏は、「権利」という訳語が定着した際に、もともとオランダ語の単語に含まれていた「誠実・正直」「裁判所・訟決」という二つの観念が「脱落」したと結論している(116ページ)
とりわけ、ヨーロッパ語では同一語のうちに一体のものとして語られていた「法」と「権利」が、わが国においてこのように二つの別の訳語として定着してしまったことは、その後、ヨーロッパ語の文献の翻訳を試みる者を、大いに悩ませることになる。
以上、興味深かったので引用した。
大抵の日本人は権利という語の意味をここまで理解していないだろうからためになる話題である。日本では権利という語を通俗的な意味でわがままと同じような言葉だと思っている人も多そうだ。まあ勉強になるね。
司法の充実を期待するということは、一方で行政への期待をやめるという意味をもつ。これはおそらく、相当につらく厳しいことである。「お上による保護とお上に対する国民の依存」という歴史的文化的に形成された強固な体質は、一朝一夕で変わらないかもしれない。(204ページ)
という指摘もある。しかし、近代国家がいわゆる「お上」というのはそもそものはじめからルール上は、ないと思うのだがどうかな。感覚としてお上というのがあるつもりだったという程度だと思うが。きちんと論じられなくてつらい。
司法が充実するということは、労働者が企業に対して司法の場で権利の主張をする
のが容易になるということかもしれない。企業が日の丸親方でなくなる日が来るかもしれない。
カナダでは「責任保険」というものがあるようだが日本でも普及するかもれない。
「自己責任」という語が責任回避の言葉として多用されている、という観察もある。
日本人はいまだに大岡政談のような司法判断を好むという、話題がある。
『大岡裁きの法意識』は無用な箇所もありますが、わりと面白いので読んで損はないと思います。
気になるのが示談屋など、アンダーグラウンドの場所で法とはやや違った慣習で活動している人々のことが書かれていないことです。示談屋などがはびこっているのは司法人口の偏りの問題(都市部に弁護士が多く田舎には少ない)も大きそうだが。しかし、本書で指摘されている庶民の法嫌いの意識が反映されているからかもしれない。
示談屋が現状ではどれぐらいの経済規模でどういう種類の活動をしてるのか、司法が変わることによって将来、示談屋などを撲滅することが可能であるか。そういった話題もあって欲しかった。司法のアンダーグラウンドの日本社会と欧米社会の比較研究があればかなり面白くなったと思う。
別役実が『17歳のバタフライナイフ 』で語っていたのだが、別役実は若いときに大工や左官屋の書記をやっていたのだが、事故が起きたときに組合としては弁護士にたのんで正規の手続きにのせて処理したいが、当の大工さん自身が示談屋にたのんでしまう、と話していた。
日本における個人主義をめぐって阿部謹也の『世間とは何か 』にも一応触れている。
日本社会では地位の高い個人が罪を犯しても、さほど重い罰が科されない。薬害エイズの事件などが典型的だし他にもそういうことは多数ある。法が誰にでも平等に作用するわけでもない。この状況が変わってくれるだけでもありがたいが。かわるだろうか。あまり纏まりがついていませんが、色々考えてしまった。


