円環の記憶。本、読書、言葉遊びブログ。

てきとうな読書記録その他。勝手にどうぞ。引用などは作法を守っているのであれば、ご自由にどうぞ。

このごろ、過去に書いた記事の誤っている箇所が気になり始めてきた、直したい箇所もいくつかあるが、なかなかできないでいる。

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余震(アフターショック) そして中間層がいなくなる/ロバート・B・ライシュ

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『余震 AFTERSHOCK』#02 ロバート・ライシュ Robert Bernard Reich

ロバート・ライシュは2007年に始まったアメリカ合衆国が不況から脱出するための方策を提示している。

ライシュは金融政策のみでは不十分だと考えている。ライシュは2008年以後に実施されたアメリカ合衆国の金融政策を手放しでは評価していない。

オバマ政権と連邦準備制度理事会は2008年から10年にかけて、銀行救済に総額7000億ドルを投じた後、同規模の景気刺激策を打ち出し、貨幣供給も大幅に拡充した。政府はこれらの施策により、十中八九大恐慌の再現となりそうだった状況を乗り切った。分別ある人間なら誰しも大恐慌の再発を望みはしないであろう。(p31)

景気刺激と金融緩和策の効果が消えた後は、景気は続かずに息切れするだろう。これからしばらくは、確実に続くであろう高い失業率にも備えなければならない。(p31)

アメリカが輸出を増やし輸入を減らそうと望んで金融政策を実施しようとしてもそれは無理がある、という観察もしています。

金融緩和には大きな経済的打撃を受けた後の応急措置的な意味はあるので政府およびFRBは金融緩和を実施しないわけにはいかない。しかし、それだけでは不十分であるということでしょうね。

たしかに、2008年以降のアメリカの失業率はわずかに低下してきているものの、正常とはとてもいえない数字になっている。金融緩和だけでは失業率の数字を正常な水準に戻すことは無理なのだろう。


ライシュは、アメリカ合衆国の不況の真の原因は富裕層が大多数の国民の富を独占してしまい中間層に十分な所得が行き渡っていないことである、と観察している。

現状のアメリカ合衆国は、本来、中間層に行き渡るべき所得が、富裕層に移転してしまっているがゆえに不況という結果が生じてしまっていると分析しています。

ライシュはアメリカの不況脱出には財政政策を実施する必要があると考えています。『余震』ではライシュが具体的な提言を出し、くわしく説明している。

ライシュはアメリカ合衆国の名目GDPを大きくしたいという目的で提言を出したのでしょうね。金融政策だけでは不十分であるから財政政策も実施しなければならないと考えている。ライシュはケインジアンなのだろう。ライシュはアメリカの失業問題対策に財政政策が必要だという正解を出せているが、もしかしたら財政政策が必要だという発想をしてない経済学者もアメリカには多いのかもしれない。

ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』が出版されるより3年も前にケインズと同様の主張をしていた銀行家(後にFRB議長)のマリナー・エクルズ(Marriner Stoddard Eccles)を研究した箇所も大変勉強になる。

エクルズは財務省とルーズベルト政権の仕事に没頭し、彼の持論を展開した。なぜ政府は経済にテコ入れするために負債を積み増す必要があるのか、政府は一般市民のために何をすべきなのか。やがて彼の説得は効を奏したようだ。ルーズベルトの1934年度予算にはエクルズの意見が多く盛り込まれ、大統領はその結果、連邦予算を均衡させるとした選挙公約を破ることになった。大統領は「この破約を呑むのに相当な難色を示した」とエクルズは書いている。(p18)

ケインズの主張と同様であり正解である。

現在の日本がデフレ不況から脱出したいなら、エクルズやケインズそしてライシュの主張するように一時的に政府が負債を大きくする必要がある。そうすれば政府が一時的に負債を大きくした後に名目GDPが大きくなり物価上昇が起き失業率が低下し、デフレ脱却となる。

現在の日本で消費税の引き上げなどもってのほかですが、金融政策、量的緩和のみに頼ってデフレ脱却を望むのも誤りである。たしかに量的緩和を実施すれば失業率は、いくばくかは低下するが、量的緩和だけで失業率を平常時の数字に戻すのは無理だろう。日本銀行の政策に問題が多いのも確かであるが、政府が財政政策を実施できないことが最大の問題であると認識しなければならない。


リンク 以前書いた感想文 『余震』


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ノート自動車の輸出入

2009年、主要国の自動車輸出台数(単位千台)

アメリカ 合計 1107 乗用車 755 トラック、バス 352

日本   合計 3616 乗用車 3209 トラック、バス 408

ドイツ  合計 3584 乗用車 3426 トラック、バス 158

イギリス 合計 829 乗用車 762 トラッック、バス 66

フランス 合計 3883 乗用車 3542 トラック、バス 341

イタリア 合計 383 乗用車 251  トラック、バス 132

各国自動車輸出入額(百万ドル)(アメリカのみ2008年の数字、その他の国の数字はすべて2009年)

アメリカ 輸出 106295 輸入 194407

日本   輸出 101289 輸入  ―

ドイツ  輸出 155791 輸入 71889

イギリス 輸出 26530 輸入 41390

フランス 輸出 41709 輸入 51687 

イタリア 輸出 26044 輸入 41524

以上の表は『世界国勢図会2011/12』矢野恒太記念会を参照して作成しました。日本車の輸入額の数字が抜けているのはその数字は記載されていなかったためです。

日本が輸入している自動車の台数は最近は年間20万台程度でしょうね。一台500万円と仮定すれば一兆円になりますね。しかし日本へ自動車の輸入額の正確な数字は私にはわかりません。

日本の自動車の輸出総額を輸出台数で割ると

101 289 ÷ 3 616 = 28.0113385

となる。

日本が海外へ輸出している自動車の一台あたりの平均価格は2.8万ドルということになる。

ドイツは155 791 ÷ 3 584 = 43.468471

ドイツが輸出している自動車の一台あたりの平均価格は一台あたり4.34万ドルになる。

イタリアは26 044 ÷ 383 = 68

イタリアが輸出している自動車の一台あたりの平均価格は6.8万ドルになる。

日本の自動車は一台あたりの値段が他国の自動車と比較すると安いですね。海外の人たちは、値段が安いのが日本車の魅力という捉えかたをしているのでしょうかね。それもなんだかつらいですね。

現状では日本の自動車は薄利多売のような格好になっている。こんなビジネスモデルがいつまで持つのか不安になってきますね。

平均にならせば、海外では日本車の値段は低い。ということは円高のせいで日本車が売れにくいと意見は不正確なのかもしれない。そういう疑問も生じた。

日本の自動車メーカーが世界中の人々から欲しがられる魅力のある自動車をデザインし市場に送り出すことがはたして可能なのだろうか。難しいでしょうね。

日本の自動車産業は、年によって多少のばらつきはあるものの輸出額が10兆円以上になる頻度が多いので非常に大きい規模の産業である。だから日本の自動車産業が簡単に衰退することはないだろう。しかし、高付加価値の自動車を市場に出せなければいつまでも日本車は二流品扱いされるだろう。

それから、海外の自動車メーカーが日本国内で外車を組み立てさせたら、日本の消費者は外車を購入しやすくなるはず、なぜそうならないのかそれも不思議だ。日本国内で海外メーカーの自動車の組み立てが行われないことにより国産自動車は結果として保護されている。非関税障壁ですね。

リンク

自動車輸出額推移

輸入車販売台数推移




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posted by 45998877
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ピルはなぜ歓迎されないのか/松本 彩子

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『ピルはなぜ歓迎されないのか』 松本彩子(まつもとあやこ)

焦点が判然としない、あいまいな記述が多く読み進んでいくのがつらかった。

たしかに、日本では低用量ピルが解禁されるまでに非常に長い時間が費やされたのは、なぜであるのかという着眼点は素晴らしいが、その疑問が解明されてはいない。

枠組みの捉えかたがあやふやなので読者には事情が飲み込みにくい。

どういうことかと言うと、社会の中で女性の権利が保障されている状態とはどういう状態であるのか、女性の権利が保障されていない状態とはどういう状態なのかの説明が明示的にはないですね。

それから、日本人女性という分類法があるとして日本人女性とはどういう女性を指すのかということも説明していない。日本国籍を持つ女性は日本にも日本以外の国にもいますよね。日本国籍を持ちながら日本には住んでいない女性の権利をどう考えるかというのもフェミニズムにとってもフェミニズムを観察する研究者にとっても重要な問題のはずですが、そういう問題意識は『ピルはなぜ歓迎されないのか』の記述の中には見当たらない。

さらに日本国内には日本国籍を持たない女性たちも住んでいますよね。日本に居住しながら日本国籍がない女性たちの権利をどう保障するのかというのも重要な課題のはずですが、そういう観点もなかった。

フェミニストやフェミニズムを観察する立場の研究者であれば、日本の問題を論じるさいにも、日本国内には日本人女性のみが存在するのではなく、日本国籍を持たない女性も存在するのだということは意識の中に入れておいてほしいですね。

『ピルはなぜ歓迎されないのか』にはアメリカなど海外の話題も登場しますが、日本国内に在住している日本国籍を持たない女性の話題は登場しないのが気になってしまった。

日本のフェミニストは日本国籍を持たずに日本国内に居住している女性たちの存在を、権利保障という観点から視野に入れていないのだろうか。そんな疑問が湧いてきた。

『ピルはなぜ歓迎されないのか』で松本彩子は、日本では女性の権利保障を主張するべきフェミニスト自身がピルを否定的に捉えて来たという観察をしている。そして日本の一般女性もピルに抵抗感を持っているという主旨の記述がある。

一般女性(p199)という語を、私は日本国籍を持つ日本人女性を意味するのだと解釈しましたが、日本国籍を持たないで日本に住んでいる女性がピルをどういうふうに捉えてきたのかの観察がほしかったですね。

そして、日本のフェミニストはピル解禁の問題を国家と資本の論理に関連付けて、国家と資本の論理に服従したくないがゆえにピルを肯定しないのだという思想を保持しているという説明がされている箇所がある。これも奇妙ですね。ピルが使用可能になって喜んだフランスやアメリカ等世界中の女性たちは国家と資本の論理に飲み込まれてしまったのだろうか。そうではないでしょう。

国家と資本の論理の問題を説明している箇所は水準の違う問題を混同して論じているようなちぐはぐな箇所ですので、私がこの記事内で誤解が生じないように説明するのは難しいですね。

ピルを使用可能になりさえすれば女性が自己責任で出産の時期をある程度自由に決定できるようになる。しかし、そもそもピルを自由に使用できないままでは、女性が自己責任で出産の時期を決めるということは困難になる。日本のフェミニストはピルを自由に使用できなくて困っている女性の権利を真剣には考えてこなかったのだろう。

だから、『ピルはなぜ歓迎されないのか』では日本のフェミニストが、日本政府はピルを長い間、公式には解禁しないままであったことこそが問題であったという捉えかたをしていないのはなぜであるのかという疑問への回答は結局、出されてはいない。

私の勝手な解釈に過ぎませんが、日本以外の国の女性たちは性犯罪に遭遇したときに妊娠してしまったら困ると考えてピルを使用しているケースも多いのではないかと思いますね。

そして、日本人女性でも性犯罪に遭遇したときに妊娠しないためにピルを使用している例はあるはずですよね。だから低用量ピル解禁まで非常に長い期間がかかったのは、大変な問題ですが日本のフェミニストは女性が性犯罪に遭遇したときの妊娠リスク問題を真剣に考えてはこなかったのでしょうね。だから日本では多くの人たちが長い間、困ったでしょうね。

そういう視点が欠落しているのも気になりましたね。

それから、色の付いた子どもを生みたがらない白人女性は多いので、白人女性がピルを使用できる権利を獲得したときには大きく安堵したと思いますね。自己責任で白人を出産するのかどうか確実に決定できるようになったのですから。白人は有色人種と交わると子どもに色がついてしまいます。白人は有色人種の子どもを出産するごとに消滅していくというのか消滅の危機にさらされますね。白人女性はピルによって白人の子どもを出産するかどうか確実に決められるようになった。もちろん白人女性が有色人種の子どもを産みたいならそれも自己責任で決定できる。私は、白人女性がピルを歓迎したのはこういう理由があるからだと解釈しています。

『ピルはなぜ歓迎されないのか』は最初に書いたように着眼点は素晴らしいのですが、もうすこし問題点の整理と問題の捉えかたを錬ってほしかったですね。多くの資料が用いられているので日本でのピルをめぐる歴史的経緯を学ぶ役には立つとはいえますが。


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