沈丁花 | じえ紗友梨の撮影日誌。

沈丁花

春の夜
バス停を降りると水を重く含んだ大気に肌が触れる。

都会から里山のある町に戻る。
空気が湿度を持っていて重い。
ああこれは
良い畑が出来るな。

花が喜ぶ湿度だ。
纏いつく水分に
無意識に思う。

生家の隣は森だった。
今は亡い。
密度の濃い大気は
水気を含んだ黒い土を生み
植えてもいない草花さえ喜んで生えてくる。

霧雨のような空気を
街灯が白く射す。
街灯を見上げ、胸に大気を吸い込む。
喉が甘い。

闇が当たり前にある住宅地に
甘い香りが潜む。
ああ、この匂いを知っている。

沈丁花。

宵闇に、足を引かれたら多分戻れない。
甘く香って人を誘う。
闇夜に似合う花。
見上げればかそけきおぼろ月。

春の闇は好きだ。
じき浮かび上がる白い桜花を想像できる。
見えない闇に咲く沈丁花も感じる。

静かに人を浸食し
春の美しさに惑わせる芳しい闇たち。
大気が密度を持って湿度を増し
雨を呼んで地面を十分に湿らせると初夏が来る。

まだかな…
春は惑い。
美しいものの多い季節。
まだかな。
夏は美しさにあてられることもなく生々しい。
その懐かしさ。