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2016年11月08日

ポストアポカリプス。僕が終末論を愛する理由。

テーマ:ブログ

Googleで「ポストアポカリプス」と検索すると、Wikipediaの「終末もの」というワードが検索上位に表示されます。

 

このジャンルの歴史は古く、旧約聖書で預言者達が記した災厄や終末の描写も、捉え方によってはポストアポカリプスですね。

ただ、そういった宗教の聖典に関しては、もしかしたら本当にアルマゲドンが起こらないとも言い切れないので、ここでは除外します。

 

あくまで近現代、娯楽のジャンルとして、小説や映画などで描かれるようになってからの作品群を念頭に置きながら書いていきます。

 

まず、この「ポストアポカリプス」ですが、対訳となる「終末もの」と同じくらい、ジャンルの浸透度と反比例して馴染みが無い言葉かもしれません。

英語ではpost apocalypticなので、カタカナ表記なら「ポストアポカリプト」

のほうが近いのかな?

 

よく間違われるのが、ユートピアの対義語として使われる「ディストピア」ですが、ディストピアというのは簡単に言うと、息が詰まるくらい徹底的な管理下に支配された近未来の社会を表現していて、激しい貧富の差などは共通するものの、必ずしも地球そのものが破壊されている状態を描いている訳ではありません。

 

ポストアポカリプスというジャンルを形成する大切な要素は、ざっくりまとめると次のような状態だと思います。

 

1 正体不明の疫病や核戦争、人工知能の反乱、遺伝子異常による生態系の破壊、それに伴う食料資源の枯渇、人類のゾンビ化、宇宙人の襲来、太陽活動の異常や、それに伴う地球規模の災害。

 

2 上記を一例とする天変地異のため、人類の大半が死滅、あるいは人間としての生命活動が行えない状態になっている。 

 

3 残された一部の人類は、僅かな水や食料、燃料を巡って対立し、奪い合い、殺し合う。或はそれらを掌握した一握りの人間が神の様に振るまい、弱者が虐げられている。

一方で、作品によっては、僅かな特権階級が地球にほど近い軌道上に浮かぶスペースコロニーで、不自由無い生活を送っている描写もある。

 

4 多くの場合、海は干上がっているか汚染され、森は砂漠化し、都市部では高層ビルが墓標の如く立ち並んでいる。

黒い灰の混じった嵐が頻繁に起き、太陽が見えないので極寒になっているか、逆に焼け付くような灼熱地獄として地上が描かれている。

 

5 主人公の大半は、身寄りも出生も明らかではない一匹狼。或は、苦しい生活の中でも気丈に生きる貧しい若者であることが多い。

また、主人公が自分を人間だと思い込んでいるアンドロイドやクローンであったり、コンピューターに脳を操作され、普通に生きているという幻想を見せられている状態である場合もある。

 

ゲームでも映画でも、もちろんアニメでも、上記のようなシチュエーションで描かれる作品の量は凄まじいものがあります。

特に、CGによる映像表現の可能性が飛躍的に向上した現代に於いては、玉石混合状態です。

 

では、何故、人はこういった作品を作りたがり、また見たがるのでしょうか?

結論から申しますと、

 

そんなのわかんないよ。

 

失礼しました。

でも、現に僕自身はポストアポカリプスが大好きで、とにかくなんでも見てきましたから、少なくとも僕自身が好きな理由をちゃんと話せるなら、幾らかはこのジャンルが人を魅了する理由が紐解けるのかな、とも思います。

 

小説であれ映画であれゲームであれ、作品の捉え方は人それぞれなので、このジャンルを「娯楽作品」だと思っていない人も多いでしょう。

視聴者にも制作者にも言えることですが、ある人にとって「終末もの」作品は、人類の利己主義が生む最悪の結果を暗示するものであり、未来への警鐘だと本気で感じているかもしれません。

 

ホラー映画を見た夜に、独りでシャワーを浴びるのが怖かったり、足を布団から出して寝るのが怖かったりするように、到底自分の身には起こりえないフィクションでも、自分の脳がその作品から得た記憶や感情を引きずってしまうので、いつまで経っても怖かったり、気持ちが悪かったりすることってありますよね。

僕にとっての終末もの作品は、どちらかというとそんなホラー映画のような感覚に近いです。

 

描写される地球環境は、とてもじゃないけど経験したくないほど苦しそうだし、暑そうだし、寒そうだし、お腹が空くし、喉が渇きます。

ちょっとした怪我が致命傷になるし、いつどこで狂った集団に襲われるかわかりません。

コンピューターの栄養源として育てられている事を知らないかもしれないし、愛する人が特権階級の無慈悲な攻撃で死んでしまうかもしれない。

 

そんな妄想を掻き立ててくれるのがポストアポカリプス作品です。

 

観終わった後、自分がクッションの効いたソファにゆったり座っていたこと、手元には綺麗な炭酸水やスナックがあり、空気は清浄で、外は穏やかなことに気付きます。

 

そんな架空と現実のギャップを楽しむ事ができるくらい恵まれた人でなければ、こういった作品を楽しむ余裕はないかもしれません。

 

この日本で、日本人として生まれた瞬間に、あなたがどう感じているかに関わらず、世界の上位1%の金持ちに入ってしまうという現実をご存知ですか?

これを考えると、既に起こっている世界の不和や格差が、今の所安心してそれを傍観していられる側に生きている自分にとって、一種の罪悪感のように襲ってくることがあります。

 

それをアクションに移して、「では自分に何が出来るか?」なんて真剣に考えない僕のような人間にとって、終末もの作品は、一種の逃避になっています。

これが正しいか間違っているかはジャッジできませんが、一つの側面として、こういった見方があるという理解を頂けたら嬉しいです。

 

だからと言って、ここで「だから戦争反対」とか「環境を守ろう」とかやってしまうのは危険です。

そこまで感化されてしまう人は、まだ架空と現実の境を彷徨っているからです。

ポストアポカリプス童貞です。

 

どんな政治的、宗教的メッセージが込められていても、或はいなくても、世に出る様々な作品は作り手の主観以外で作られていないからです。

作り手がどんなに崇高なビジョンを持っていても、また世界の真実を知っていても、それをアウトプットする方法がアニメや映画や小説であるなら、彼らはそれを娯楽作品という枠に納めることを良しとしたことになります。

スポンサーと、広告代理店と、視聴者が落とすお金が全てであるショウビズの世界で表現するということはそういうことだと思います。

 

ポストアポカリプスが描かれたゲームをやるにはTVもゲーム機も、勿論電力の供給も必要です。

小説なら出版社が発行し、書店に並び、読者がそれを購入するインフラが必要です。

映画なら、莫大な制作費を捻出し、スターを配役し、視聴者は映画館でポップコーンを片手に、あるいはレンタルビデオを楽しむだけの余裕が必要です。

 

つまり、作品の中で描かれている最悪な地球環境は、それとは対局な生活を享受している人が作り楽しむために存在しているということです。

 

結局、どんなに後味の悪い終末もの作品でも、それをジェットコースターに乗るような一過性のエンターテインメントとして楽しめる層がいるからこそ、このジャンルは息が長く、愛されていくのだろうと感じます。

 

なんだか哀しい現実が横たわっているようにも感じますが、もしかしたら近い将来、或は遠い未来、掘り返されたポストアポカリプス作品を見つけた生命が、人類は真剣に自分たちの未来を捉えていたと思うかも知れません。

 

何を言いたいのかわからなくなってきたので、今日はやめます。

乱文失礼しました。

 

最後に、そんなポストアポカリプス好きな僕が、自分の今の感覚として作った短編アニメーションを貼ります。

見て頂けると嬉しいです。

 

 

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