なんだか古臭い匂いがプンプンしますが、
ご名答でございます
すごく古臭い話でございます(笑)
時は昭和47年我らがジュリー様も、まだ
ソロデビューしておらず、ザタイガース解散後の
新バンドPIGに在籍していた頃のお話でございます
え~~私生まれてないわぁ~とか抜かしてる奴も
いるかも知れませんが、そんなことないやろ~
頑張って記憶を呼び起こしてみなされ(笑)
こんなことがあったでしょ
ギリシャの空に誓う
ウェスタンカーニバルの灯は最後まで守る//沢田研二
ウェスタンカーニバル、それは、ただの
ロックショーではないんだ。長い歴史と、
数多くのファンにささえられた、若者のための祭典だ!
はるか遠いギリシャの旅先でそうつぶやいたジュリー。
その時から、彼とウエスタンカーニバルとの戦いが
始まっていた。
ウェスタンカーニバルのオープンに先立って、
沢田研二と萩原健一は、遠く地中海の果て
ギリシャに旅をした。この旅は、明治製菓の
コマーシャル撮りが直接の目的だったが、
灼熱の太陽が輝くアテネの街で、彼らはもう一つのことを
考えていた。それは、数日後に迫っている
第48回ウェスタンカーニバルのことだった。
ジュリーが初めてウェスタンカーニバルの舞台に立ったのは、
今からおよそ5年前になる(この当時やからね)
GS対決の時代があり、ジュリー対フォーリーブスの
黄金時代があり、祭典はさまざまに変貌した。
そして1972年のカーニバルは若きアイドルたちに
バトンタッチされようとしている。
しかし、今もなおウェスタンの人気は、ジュリーを
抜きにして考えられない。
「来年1月のウェスタンは中止になるそうだな…」
出発前にショーケンからその話を聞き。
ジュリーはこの旅の間にウェスタンに対する強い責任感を
持ったのだ。
「ウェスタンを永遠に続けさせたい!そのためには、
第48回カーニバルを、決定的に成功させなくてはならないんだ…」
ギリシャの大空に向かってジュリーはそうつぶやいたのである。
ジュリーは心を込めて歌った。彼を作り、彼を育てたのは
この舞台で。来年1月のウェスタンがたとえ中止になっても
カーニバルの灯は消してはならない。
若いアーティストと、若いファンがいる限り。そして、
我らのジュリーがいる限り。
ステージの中央に、強烈なスポットの光が映し出されると、
第48回ウェスタンカーニバルの幕は切って落とされた。
ワッというファンの歓声を浴びて、まず最初に伊丹幸雄、
西城秀樹のヤングボイスが躍り出た。
1972年に羽ばたく2人のヤングは、見事にこの
フェステバルの雰囲気にのった!
「ヨシ!いけるぞ!」
舞台のそでで、じっと後輩たちの様子をうかがっている
ジュリーとショーケンがうなずく。
あざやかなライトの交錯。アーチをなす紙テープ。
2人のさい先いいスタートは、ジュリーたちの胸を熱くした。
楽しいガロのステージに続き、いよいよPIGのショーだ。
甘いジュリーの歌声が会場に流れる。洗練された
PIGのサウンドが響き渡る。それはまるで、
ウェスタンよ永遠に続け
という、ジュリーの祈りのようにも聞こえた。
懐かしいお話でサーセン
どうでしたか?記憶の奥底から蘇りましたか
しかしまあ、古い話にもほどがありますな(爆)
ウェスタンカーニバルは取り壊される寸前の
最後の日劇ウェスタンカーニバルが最初で最後に
なってしまいましたが、この舞台にジュリーは毎回
魂を込めていたのだなぁ~って思いを馳せると
感慨深いものがありましたね~
歌手としての登竜門だったんですね~
デビューは日劇からというのが定番だったのでしょうか?
西城秀樹とか伊丹幸雄なんてのが出てたし
それはなんとなくわかるとしても、ガロって(笑)
ウェスタンカーニバルとは違うやろ~
そんなこんなの19●●年でした
スマイルでした