引退したサンデーサイレンスだったが、良血とは言い難かったこともありアメリカでは種牡馬として人気が出る見込みが薄かった。
そこで、すでに4歳初頭にアーサ-・ハンコックの持つ所有権の半分(全体の25パーセント)を取得していた吉田善哉が1100万ドル(当時の為替レートで約16億5000万円)で購入、100パーセントの権利を取得したため、1990年に日本に輸入された。
翌1991年より社台スタリオンステーションで種牡馬生活を開始した。
ちなみに繋養先ではメジロマックイーンと仲が良かったらしく、普段は気性の荒いサンデーサイレンスがメジロマックイーンがそばにいるとおとなしくなることが多かったという。
そのせいもあってか、サンデーサイレンスとメジロマックイーンは隣同士の放牧地に放牧されていた。
当初サンデーサイレンスの評価はさほど高くなかった上に種付料が1100万円と高額であったため、交配の申し込みは多くなかった。
サンデーサイレンスが最も多く交配したのは吉田が経営する社台ファーム千歳に繋養されていた繁殖牝馬であったが、その結果誕生した馬に対する同牧場の関係者の評価も高くはなかった。1994年にデビューした初年度産駒は札幌2歳ステークスで1着と2着を占めたのを皮切りに次々と重賞戦線で活躍を見せたが、そのことは関係者にとっても予想を上回ることであった。
サンデーサイレンスはその後も活躍馬を次々と輩出し、初年度産駒がデビューした翌年の1995年にリーディングサイアーを獲得。
以後2007年まで13年連続でリーディングサイアーに君臨した。
また、産駒は日本の中央競馬のGI級競走のほとんどを優勝した。1998年に始まったセレクトセールでは毎回産駒が高額で落札され、種付け料と産駒の購買価格、獲得賞金、種牡馬シンジケートの額を合計するとサンデーサイレンスが1年間に動かす金額は100億円を超えると言われるようになった。
産駒は海外のレースでも活躍を見せ、日本調教馬は海外でG1を3勝した。
さらにオーストラリア生まれのサンデージョイ(Sunday Joy)がG1のオースラリアンオークスを優勝するなど、海外生産馬および海外調教馬からも複数の重賞優勝馬を輩出した。
日本国外で活躍する産駒が出現した影響から海外の有力馬主がセレクトセールでサンデーサイレンス産駒を購買し、さらに繁殖牝馬を日本へ移送して交配させるようになった。
2001年に行われた第4回セールではロッタレースの2001を巡ってゴドルフィンとクールモアスタッドの代理人が激しい競り合いを演じた。