さて、塩竃の話から伊達騒動に御話がうつりました。
これは3代目仙台藩主の綱宗公、4代目藩主綱村公のころのお話なのですが、「伊達騒動」は歌舞伎や浄瑠璃としてネタになったこともあり、とくに綱宗公のことは男女間のスキャンダル事件みたいなイメージを持っている方も多いようなんですが
どちらかというと、えらい政治的なドロッとしたお話なんざんすよ。
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本来3代目藩主となるはずだった兄の光宗公が夭折されたため、まわってきた藩主の座についた二代藩主忠宗公の六男坊である綱宗様は、酒好きの女好き。
お仕事のほうあボチボチだったもんで、政宗公の十男で伯父様である一関藩主の伊達宗勝公にどえらい目をつけられちゃうの。
で、伯父様が改心させようと、あの手この手で構ってくるわけですが、知ったことかと遊び歩くうち
ついに身内のチクリで「ええかげんにせえよ」と幕府から叱られてしまうわけで。目につく大藩は力をそいでおきたい幕府ですから、このままでは仙台藩お取りつぶしもあり得るってんで、しぶしぶと息子の亀千代君(二歳)に家督を譲って隠居します。この隠居事件が伊達騒動のスタートなんだにゃ。
それもこれも
綱宗公が後西天皇の従兄だったことから、有力な地方大名の伊達家と朝廷の結びつきが強くなることに幕府が警戒していたため、保身のためにバカ殿を演じていたって説もあるくらいなんだ。
怪しいのは一関の伯父様って気がしないでもないよね。
ぐちぐち言って、権力持ちたいタイプの子なのよ。こん人。
綱宗公は藩主になってから、江戸城小石川堀の竣工工事を命じられて、毎日現場通いしてたってえんだから、仕事が嫌な殿様かというとそんな感じもないのよね。
まあ、その工事現場の帰り道に、その足で吉原寄ってっちゃうんだけども。
それを理由に伯父さま方に隠居まで追い込まれちゃうんだけども。
疲れたら可愛い子ちゃんに会いたいじゃねえの。
明日の元気になるじゃねえの。
許してやってよ。二十歳そこそこの真っ盛りなお年頃じゃないの。
まだ大学生のうちに生涯ニート決定になっちゃった綱宗公。
お気の毒よね。
生涯正室を迎えず、隠居に際して連れた側室二人を生涯傍において、隠居後の50年は芸術三昧に過ごした方で
亡くなっての埋蔵品は文房具がメインて子なのに。ぜったいバカ殿説嘘だと思うわ。
隠居する際に、10万石の退職金いただいているので、芸術にかける費用も半端なかったことは確か。書画、和歌、蒔絵と素晴らしい品を残しています。(仙台市博物館で見られますよー)
とくに私が好きで取り上げますが、刀剣。綱宗公は刀も打っちゃう。趣味で・刀・うつ!?すんげえことですよ。
ちなみに、綱宗公の作った刀は『仙台正宗』と呼ばれています。
隠し銘として
『絃唯白色剛務刀有室不至視不見』とされた刀もありますが
絃唯白色=白だけの絃(つまり黒(玄)がない)=糸
剛務刀=刀(リットウ)がない剛=岡
室不至=ウ冠
視不見=示
つまり「糸」「岡」「う冠」「示」で綱宗っていうサインなんだわね。
ぶふ。隠れ目立ちたがりっこ。壁の隅っこかこっち見てそう。可愛い。
こんなバカ殿いるもんですか。
さて、いましばらく伊達騒動のお話をつづけましょうかね。
次回、また。
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