安来ハミルトンホテル/ホリデーランド | 廃墟WonderAround

安来ハミルトンホテル/ホリデーランド

    安来ハミルトンホテル/ホリデーランド

 

※解体済・リニューアルされました

 

かつて島根県にあったレジャー施設の廃墟です。最寄りの駅から車で20分ほどのアクセスの場所にその施設はありました。開業時は若者も車を所有しているのが当たり前の時代。そしてレジャーブームもあり流行っていたのかもしれません。今ではとてもではありませんが送迎バスでもないと大変厳しい山と畑と運送屋の倉庫くらいしか見当たらないような場所に存在しました。現在は解体済、10年前の写真となります。

安来ホリデーランド、ハミルトンホテル、グランドボウルその他複数の系列施設から成り立った施設でそこそこの大きさの物件でした。紡績会社が経営していたこの施設は72年に開業しました。かつて国策であった紡績事業で富を得た企業はその頃不動産事業にも手を広げ増収を図ろうとしたのでしょう。ちょうどその頃紡績産業は衰退し始め、当時のレジャーブームもあって大きな収益を見込めると判断したのだと思われます。この物件以外にも様々なレジャー施設、宿泊施設なども保有していました。

広大な土地を使った贅沢な建物。ホテルとボーリング場が併設した施設は今でも日本各地で見られます。しかしながらボーリングブームも過ぎた今では苦戦が強いられているところも多く、温泉などの付加価値で何とかやっていっているようなところも多いのが現状ですよね。

不動産投資も軌道に乗れば良いのですが、投資の拡大により収益の低い不動産にまで拡大してしまうとリスクが拡大します。初めの頃はボーリングブームもあり、さらに国内の観光産業も活気がありました。その頃は良かったのかもしれません。しかしバブルが崩壊、ボーリングブームも去り次第に採算が合わなくなっていったことは想像する容易いですね。そこに施設の老朽化による維持費、その他同等施設の維持費、所有不動産の価値の下落、本業の収益増加が見込めないなど様々な原因があったと思われます。これが都市部ならまだ事業を継続しようと思う企業も現れたかもしれませんが、この立地では厳しかったでしょうね。

まずはこちらのボーリング場から探索したいと思います。現在は転用され、このボーリング場部分の建物だけは残存しております。

入口。

当時は華々しくオープンしたんでしょうね。

高級感のあるブルーガラス。

沢山貸シューズロッカーがあります。

フロント。

内部。これを見るとAMF製のピンセッターが使用されていたようです。日本ではBrunswickと並ぶほど採用例が多いメーカーの一つです。とはいえセンターとリターンで違うメーカーが使用されていたりということもあったりしますが・・・。

床には当時のパンフレットやチケットなどが散乱しています。

32レーンあり、広さも十分なボーリング場ですね。

ボーリングブームの頃は沢山の人が来場していたのでしょうね。

そこまで古くない施設でもあるので、比較的綺麗に残存しています。

埃を被ったレーン。

ボーリングのピンセッタ―。なかなか従業員でもないと近づけない場所ですよね。

ピンセッターの裏側はメンテ業者くらいしか余程でないと見れないかな?

ゲーム機器の無残な姿。

事務所内です。

プロボーラーのサインでしょうか。

植物が侵入した室内。

倉庫にはたくさんの段ボール。

ビリヤードが出来る部屋がありました。

だだっ広い空間。ゲームコーナーか何かがあってもおかしくないような空間です。

床はビール瓶が割られ危険な状態ですね。

ロッカールーム。

ボーリング場から移動します。途中にガチャガチャの機械がありました。

ホテルの入口はこちらです。

宿泊施設だけでなくレストランなど様々な施設が入っていたようですね。

自販機がバラバラにされていました。

こちらも。

まずはレストランへ。

入口に看板がまとめられていました。

立派なレストランですね。

思ったより広い・・・。レストランを出ます。

ホテルのフロント。

ここはネットスペースですかね。

エレベーター。

2階へ上がります。部屋割はこんな感じです。

洋会議室。

広間。

かつては宴会など行われていたであろう場所。

従業員専用の部屋と思われる所がありました。

客室の方へ進みます。

浴場がありました。

大浴場と事で期待出来ます。

浴室。勝手ながら共用の浴場ということでもう少し立派なものを想像していました。

208号室。

207号室。和室でした。

このようにホームレスが住んでいたと思われる部屋がかなりありました。汚れると部屋を移動しながら生活されていたようです。

3階へ来ました。

2階より広い部屋。

ビジネスホテルとして今でも名前が掲載されたままのサイトもあります。

とはいえ少しビジネスユースだけでは立地的に厳しそうです。しかしながら経営は傾いた原因はここだけでは無く、本体の原因でした。最寄り駅に近いホテルでもここまでの敷地のホテルは少ないように思われ、少し遠くても利用する客がいるだろうとGOサインが出されたのかもしれません。

使われてそのままになったベッド。もちろん廃業時は綺麗だったと思います。

当時のパンフレット。

ツインの部屋。

どの部屋も人が住み着いた痕跡がありますね。

この部屋は大きいシングル・・・?

4階です。

3階より広いトリプルの部屋でした。

この部屋はソファが置かれ、広いツインに。

どの部屋も一度はベッドを使用したような痕跡がありました。

さらに上の階は屋上でした。

小屋の中は機械室でした。

外へ。

こちらにももう一つ建物がありますね。

このスペースは何でしょうか・・・。

建物内部は最後は倉庫として使われていたような雰囲気があります。

先ほどのスペースの内部は喫茶店となっていました。

凝ったガラスの照明。

そういえば、表の看板には喫茶店の屋号も入っていましたね。

トイレなどがありましたが、こちらはなかなか時代を感じさせてくれるようなものでした。

この物件の目玉となっていたのは看板娘となっていたこの小型飛行機です。

こういう看板も最近は見かける機会は減りました。

緑に埋もれた飛行機がかつての栄光。親会社も巨大な工場をいくつも閉鎖し、廃墟化した物件がありました。まさか後にこのような姿になるとは誰も思っていなかったでしょうね。

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