青い山、青二才の俺

小説、始めました。
なんて定食屋のメニューとかに書いてあったら絶対写メるのに。
『冷麺、始めました。』みたいな感じで。


テーマ:
なんか俺は小説を載せるよりもこうやって日々考えてることを載せたほうがウケがいいような気がして複雑な気持ち・・・


もう普通のブログにしようかなーなんて。笑


ここのところ自分も含めて同級生たちは人生の岐路に立たされていて、悩んでいる人が多い。


そうやって苦しんでいる人を見ると、なんとか力になりたいなあって思うから、ちょっとだけ書いてみる。

というのも俺はあんまり苦しんでないから。

正確には俺がすこし前、自分に対して苦しみながら繰り返した問を、いま周りの人たちが自分たちにむけて繰り返しているような気がするから。
進んでるとか遅れてるとかそういう話ではなく。


たぶんまとまらない感じになると思うのでその辺は悪しからず。笑



表題の通り、過去はなんのためにあるのか、と最近思うところ。


やっぱり自己分析をするにあたっても、自分の軸だとか、大事にする価値観だとか、好きなもの嫌いなもの、熱中したこと、やりとげたこと、性格、理想、いろいろなことを考えさせられると思う。


そういった自分の内面にまつわるところは、当然っちゃ当然なんだけども過去の行動に表れてることが多い。


みんないろんな経験をしていることと思う。


自分で積極的に選んだものもあれば、周りの大人に言われてやったこともあるかもしれない。


俺は一般論ではなくて俺のことしか語れないから自分の話をするんだけど、自分は極力後悔しないようにと思って生きてきたな―、と感じる。


もちろん多くの人もそうであろうと信ずるところなんだけども、俺もまた周りの大人たちに影響されて選んだ道もある。


でもそのいずれの選択にも後悔してない。


なんでだろ?


って考えてみると、結局自分で決めたからだった。


たとえ思いこみであろうと、自分で決めたことだと、腹をくくって生きてきたからだと思う。


周りの人たちは俺のことを心配してくれて、いろいろとアドバイスをくれる。

ありがたいことだと思う。

そのどれもについて間違ってないとも思う。

あるいは世間的には正しいかもしれない。


でも考えてみたい。


周りの人たちに言われたことを鵜呑みにして道を選んだ時、そこに自分の意志がなかったとき、俺はきっとその人たちのせいにしてしまうと思う。


あんたがこうしたほうがいいって言ったんだろ?って。


その人は自分の価値観に照らし合わせて考えてるから、俺の言い分がわからないかもしれない。


どこに不満があるんだ?って。


あるいは寛容な人なら謝ってくれるかもしれない。


私が間違ってたよ、って。


でもきっと俺はスッキリはしない。


だって過去は取り戻せないんだ。


気付いたんだ。結局自分のことに対して責任をとれるのは自分しかいないんだってことに。


だから肝心なことは、自分で覚悟を決めることだと思う。

それに付随する責任は自分が背負うって、腹をくくることだと思う。

そうすればもし失敗してしまっても、その責任は自分にしかないから、粛々と受け入れられる。

誰のせいでもなく、自分のせいだ。

自分が甘かった。それもまたほろ苦くはあれど、いい経験値。

決して無駄にはならない。



すくなくとも俺の場合、そうやって後悔しないように生きてきた。


他の選択肢はあったかもしれないけど、それを言い出したらキリがない。



決めろ。



俺が言えることはそれくらいしかない。


自分でも偉そうに、って感じで反吐が出るけど。


迷ったり悩んだりしてもいい。


でも自分でいろんなことを決めなきゃいけない。



いつまで悩むかを。

いくつの選択肢で悩むかを。

自分のルールを。


決める基準は自分の過去にある。過去の経験に。

そのために過去がある。


実は高校生のころから日記(間隔的には週記だったけど…)をつけてて、この頃つくづく日記をつけてて良かったな―、と思う。


そこには好きな自分と嫌いな自分がいる。


じゃあどうなっていきたいんだなー俺は、ってのが見えて、そのために今すべきことがわかる。

選択すべき道が見えてくる。


いまさらとか言われるかもだけど、日記おすすめ。笑


書くことで、頭から取り出すことで、ぐちゃぐちゃもやもやしてた思考がすっきりしてくる。整理できる。




さてさて、まとめ。


周りの人たちは好き勝手言いたいこと言うけど、あんまり引っ張られない方がいいんじゃない?

付け焼刃の知識や考え方よりも自分にとって大事なことは過去にどう行動してどう感じてどう考えてきたかにあると思うのだ。

そしてどうなりたいか。

どうなりたくないか。

未来にむかって、今を生きるために、過去がある。

と、信じてる。

そしてそのうえで決めること。腹をくくって、覚悟すること。

そうすればぶっちゃけ何を選んだって、どんな経験をしたって自分にとってプラスになると思う。

そういうマインドになれるから。

せっかくの自分の人生だからね。

後悔だけはしたくないよね。



と俺は思うのでしたー。



テーマ:
男もすなる日記といふものを、アオヤマもしてみむとてする。


普段は引き出しに封印されしダイアリーにひそひそと綴るものを、たまには見られることも意識して、でも自分のために書いてみようと思うわけだ。


最近、気楽に文章自体を楽しむ機会がめっきり減ってしまって、だから思い立ったが吉日は今日だったという顛末。


きっと支離滅裂なものになるであろうことを最初に断っておこう。


一応、読む人がいるといけないから。



さ、タイトルの通り、無駄について。


ジョジョについてかと期待して読み始めた人の嘆息を思うと、やりきれない気もするがやりきります。



この世の中はなんでこんなに無駄が多いのだろう、とつくづく思う今日この頃。


でも実はこんな問題を提起したところで、無駄をこよなく愛すのは誰でもない俺自身でありました。

意味のわからんモダンアートとか見るの、結構好きなのだ。


そして無駄をこれでもかと嫌うのが多くの企業でしょう。


一方で矛盾してる。


だって内部では「作業効率化」って言ってどんどん無駄を削減し、外部に向けては企業が生産した「無駄」を売って、利益にしてる。


さっきも言ったけど、無駄って好きだし、必要だと思う。


でも必要な無駄と不必要な無駄ってのは、区別があるんじゃないか、とも思ったり。

というか、削減すべき無駄って、広い視野で考えたらもっと他にあるんじゃないか、と。


まあ価値観は人に依存するからなんともいえんよね。


そういう複雑な問題について意見を述べるのは責任をとるのが難しいので、この辺にしとく。



じゃあまあ、必要な無駄ってなんだ、と。


もちろん個人に依存する。


俺の場合を考えてみると、お酒とか、その場で繰り広げられるくだらない会話とか、なにもしないでぼーっと考える時間とか、考えない時間とか。

こういうのって、生命として生きていくうえでは必要ないんだけど、でも自分という人間として自分らしく生きていくために必要だと思う。



想像しているか?



創造しているか?



この二つの問いを自分に投げかけてみると、縦方向には動かぬ首。
ここのところ頸椎の調子がおかしいとか、それもあろうが、そういうことではない。



それでも人間か?



と糾弾されれば、ぐうの音も出ない。



じゃあカエルでもよかったんじゃん。



って言われると、それはなんかやだなあ。どぶ臭いし。いや、そういうことでもないか。



想像が生むもの。基本的には無駄なもの。

でも創造すると、なんか美しいものが現れてくる。


なんだこれは?


たぶんこれが「価値」だ。



そう信じたい。


そしてそれは美しい。



なんでもない情景がときどき、ふと蘇ったりする。


物語はいつもきれいだけど、そのなんでもない情景は本当になんでもない情景で、物語があるわけじゃない。


記憶としては無駄なのに、なんでこの覚えの悪い頭のなかに残ってたのか。


それは純粋に、美しかったからだと思う。

いや、他にも理由はつけられるんだけど、都合のいいように他の可能性は排除する。都合いいなー


そんでもって、美しいものが自分にとって意識している以上に大事なんだ。

でなきゃ覚えてるわけない。


傍から見ればもっと大事なこと、例えばサッカーの試合で腕の骨を折りやがった憎き相手のサル顔とかのほうが、覚えてるはずだもん。

覚えてないからサル顔だったのか、本当にサルだったのか、定かではない。



ということをぐちゃぐちゃと考えてるのは、「美しい時間」を読んだり、刺激的な講義を受けたせいだろう。


まあ思った通りまとまらんのだけど、別に備忘録としてブログを使うことになんら違和感を感じないし、むしろ「価値」を生むことにつながるかもしれないなんて熟れ過ぎた果実のごとく甘ったるい考えも持ってるから、これはこれでいいでしょう。


自己満。


とにもかくにも


無駄なことをなくすのが本当にいいことなのかとか、本当にそれっていらないという意味での無駄なのかってこと、もっと考えたいな。


自分にとって大事な無駄は、やっぱり大事にしなきゃ。



テーマ:
恐ろしいほど暗く、静かな闇だ。

深い静寂の中、潮騒の音だけがこだまする。それは耳鳴りのように、うねり、高ぶり、引いていく。その繰り返し。

リフレイン。

この音を聞いていると、永遠なんてものを信じてしまいそうになる。いや、もう信じてしまっているのかもしれない。

僕は波打ち際に、仰向けに寝そべっていた。
裸足のかかとからくるぶしまでを、押し寄せる波がくすぐっていく。

空に星はない。

実際はあるのだろうが、僕には見えなかった。見えなくても何も不都合はない。
ただ耳さえ聞こえていれば。

目が開いているかどうか、僕にはわからなかった。
そんなことは問題ではない。
耳は勝手に開いているのだから。

もう一つ勝手に開いている感覚があるけど、それはすでに疲れ果てて、満たされていた。
問題ではない。


何時間こうしていたのだろう。

気がつけば僕の足は水に浮いていた。塩水に持ち上げられては、下ろされる、その繰り返し。

リフレイン。

ズボンのすそが濡れている。それはワカメのように僕の足に纏わりつく。ワカメのほうがよかった。

まだ僕は一人。

また僕は一人。

どれほど繰り返せども、僕は一人。

一人。

一人。

一人がこだまする。波の音のように。

手に砂を握ってみる。

ああ、僕の手か、と思い出す。思い出す必要のなかったことを、思い出す。
もう少しで忘れられたのに。


潮が満ちてきた。腰のあたりまで水が届いている。

たとえようもなく心地良い。これほどまでに自分がなくなる感覚を味わったことがなかったからだと思う。

感覚が一つに集約されていく。

僕と世界との境界線は、ほとんどなくなっている。僕が溶け出すのか、世界が溶け込むのか。

聴覚だけが僕に幸福を伝える。

他のすべてがつながっているのか、それとも聴覚だけでつながっているのか。

あらゆることの判断が、僕にはつかない。


波の音が、様相を変える。

僕の耳が水で満たされたからだ。

プチプチとあぶくがはじける音が聞こえて、僕の細胞もまた、一緒にはじける。

プチプチ。

プチプチ。

リフレイン。

炭酸ジュースみたいだ、と思う。
思いながらも僕の脳細胞ははじける。
さっきまであんなことやこんなことを考えていた脳細胞のつながりが解け、思考がばらばらになる。

あるいは固形の入浴剤。こっちのほうがいいかもしれない。
ぶくぶくと泡を出しながら、泡になりながら、もとの形を失っていく、あれ。

僕の体はぶくぶくと泡を出し、泡になり、形を失っていく。

小さく、小さくなる運命。

そして無くなる運命。

最初からそのように創られた、運命。

シュリンクと名付けよう。

その運命に。

そう名付けた僕の賢い脳細胞は、そのつながりは、いまや僕ではないどこかへ。

きっとまた、寄せては返すのだろう。


ああ、なにもない感覚。

一つの純粋な感覚だけが残された、その感覚。

なんて心地良いのだろう。


ひとときが永遠になろうとしたそのとき、ささやきが聞こえた。

ささやきはあまりに大きく鼓膜を揺らした。というよりも、鼓膜を意識させるほどに大きなささやきだった。


僕は愕然とした。


ささやきは再び僕に体を与え、そのわきを抱え、僕と世界を切り離す。

そうしてそのまま、僕の体を背後から抱き締めた。

押し寄せる波が僕の足先を濡らす。その冷たさに、震えるほどだった。



また僕は、一人になる。

どうしようもなく、一人。


Amebaおすすめキーワード