みこみこ*すまいる

晴野 未子《はるの みこ》


みこのみこみこすまいる!!!

晴野未子 株式会社AVILLA(アヴィラ)所属 お芝居のこと、グラビアのこと、ただの日常などなど毎日更新中です!!
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ども!
土佐藩出身・幕末戦国大好き歴史タレントの晴野未子です⊂( ˆoˆ )⊃
元気にやっとります。


さて、
今年最後の日本横断旅をしてきました✩

久々にスケジュール組みが無理のあるもので、
なかなか疲れたのですが…。

印象的だったお城を紹介したいと思います✩
(色々と城紹介ブログをぶっ飛ばしてるのごめんなさい🙏)(伊予松山城、今治城、高松城、赤穂城、姫路城、明石城、大阪城、駿府城、会津若松城、岐阜城、上田城などなど夏から秋にかけて行った城紹介がまだだった。)


さて、今回は、

『月山富田城』というお城に行ってきました。


この月山富田城は先日工事を終え、頂上まで登れる様になったとの事で、
「行かねば(`・ω・´)キリッ」と、なってしまった訳です。

思いついたが吉日。

安くて早くて楽に行ける方法を考えるのも昨今はお手のものとなりました。



それはさておき、この『月山富田城』。
どういった城か?というと…。
いわゆる織豊時代の少し前。
尼子家と毛利家が争ったお城という事で有名です。
尼子やら毛利という名でお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、山陰地方にあるお城です。
今の島根県にあり、鳥取との県境あたりにあります。


大河ドラマ『毛利元就』を思い出します。
(最近見ています。)(尼子経久役が緒形拳さん!素晴らしい👏)


尼子家は代々、京極家の一族であり、
出雲の守護として月山富田城を任せられます。

さて、尼子経久の時代になると、
経久は室町幕府に従わなくなり、京極家のお怒りを買います。
そして、経久は月山富田城を追われるのですが、
そこで黙っていないのがこの尼子経久。

なんと奇襲をもって月山富田城を奪い返し、自分のものとしてしまいます。

いわゆる下克上です。

出雲の守護がいなくなった月山富田城に居を構え、
出雲のたたらで財をなし、一気に戦国武将へと躍り出ます。

その後、経久は孫の晴久に家督を譲るのですが、
その頃から山陰・山陽の国人衆の争いが始まっていきます。

さて、毛利を攻めたり攻められたりしている中で、
晴久と尼子家の精鋭軍事集団の新宮党の家中争いが勃発(毛利元就の謀略説あり。)
晴久は新宮党を滅ぼし、家中での権力の統一を図ります。

しかし、その頃。
毛利はあの辺一体を手中におさめており、戦国大名となっていました。
毛利元就は石見銀山を目指します。

そして、尼子と毛利の攻防になる訳ですが、
晴久が急死。
息子の義久が家督を継ぎます。

義久はまず、幕府に働きかけ、
毛利との仲介を頼みます。
結果、毛利と尼子は和睦をするのですが、
やはり毛利元就、和睦なんてすぐに無視です。無視。

そして、元就は考えます。
月山富田城は強固な山城であり、力攻めをしてもなかなか落ちぬだろうと。

そこで、月山富田城を兵糧攻めで落とすことに決めます。
勿論、毛利お得意の謀略も併用です。
そして、3年持ちこたえるものの、
義久は降伏。

ここに戦国大名・尼子氏が滅亡したのです。

さて、ここでこの人の登場です。
忠臣・山中幸盛。
一般的には鹿之介の名で知られています。

尼子家の再興を願い、尼子勝久を擁立して戦います。

この勝久という人は、父・尼子誠久が新宮党であり、新宮党が滅ぼされた歳に落ち延び京都の寺で僧侶となっていました。


さて、山中鹿之介らは月山富田城の奪還を目論む
ものの失敗に終わります。
そして、織田信長の傘下となり、秀吉軍と共に中国攻めに加わります。
上月城の守備を任せられ、上月城に籠城すると、
毛利軍の猛攻にあい、ついには尼子勝久・自害。

尼子氏の再興はならず、本当の滅亡の瞬間です。

山中鹿之介は毛利の捕虜となりますが、その忠臣ぶりを恐れた毛利により斬殺されます。


この山中鹿之介が『願わくば、我に七難八苦与えたまえ』と三日月に祈ったことでも有名な『月山富田城』。
毛利元就に力攻めを諦めさせる強固さ、3年もの籠城に耐えた、まさに難攻不落の城。


前置きが長くなりましたが、この難攻不落の山城。
登る前からワクワクです。

恥ずかしながら、織豊時代~関ヶ原までの中央政権以外にはなかなか疎い晴野さん。
今回はより尼子家、そして、毛利との戦いのことを知るためにガイドさんをお願いして、山に登ってきました⊂( ˆoˆ )⊃
(ガイドさんの話を聞いてたら写真をあまり撮れなかった残念😭)

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雨の予報が天候にも恵まれました✩

この写真の背後、

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黄色くした部分が、月山富田城で有名な『七曲り』です。

月山富田城が難攻不落な理由の1つとして、この『七曲り』が挙げられます。

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『七曲り』を見上げます。

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『七曲り』中腹。



月山富田城は攻め口が、麓から3ヶ所しかありません。
『菅谷口』『お子守口』『塩谷口』。
今回は菅谷口から大手道のあったとされるルートから登りました。

この3ヶ所の攻め口ですが、全てが山の中腹である『山中御殿』と呼ばれる場所に通じており、
この『山中御殿』からは『七曲り』の一本道でしか進むことが出来ません。
また、『七曲り』は、今は整備され歩きやすい道となっていますが、
それまでは、人がすれ違うのがやっとなほどの狭い一本道です。
つまり、大軍勢で押しかけても、綺麗に整列してじゃないと山頂の詰め城まで攻められないという事です。

また3ヶ所の登り口も堀切などの仕掛けがあり、
『山中御殿』にたどり着くまでも大変です。
さて、山頂には『三の丸』『二の丸』『本丸』と三つの曲輪からなっています。

本丸の神社の裏には、大きな穴が掘られてあり、
抜け穴だったのでは?と言われています。



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これが山頂からの眺め。
遠くに内海と日本海が挑めます。

素晴らしい景観。



さて、『月山富田城』ですが、
まだまだ発掘調査中であり、これからももっともっと沢山の仕掛けや居所でも暮らしぶりなどが分かっていくことでしょう。

楽しみですね!



月山富田城という綺麗な名称でありながら、
武勇に秀でた尼子の凄さを感じることが出来、
また、毛利の手強さを感じる、
まさしく『つわものどもが夢の跡』の城でした。

また、山中鹿之介の覚悟や武士としての生きざまを知ることができ、良い旅となりました。


でも、だからといって変わらず私は、
『願わくば、我には七難八苦与えないでください』
タイプの人間です。笑

どうぞ今後ともよろしくお願いします。




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