「ツッチ~」こと土屋サンのブログ

ボクが「気づいた」こと、「思っちゃったんだからしょうがない」ことを書いちゃいますヾ(●´Д`●)ノ゙


テーマ:
「選手育成の鉄則――飯・クソ・風呂」 古沼貞雄(帝京高校サッカー部元監督)

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無我夢中で練習を続けた結果、
帝京高校サッカー部は10年目に初優勝を果たしました。

私たちのチームは黄色いユニフォームで、
これは世界を代表するブラジルと同じです。

だから、あの帝京の黄色いユニフォームを着て
国立競技場の芝生を踏みたい。
そういう夢を持った子が入ってくるようになったんです。

ですからこちらでさほど期待していないような子でも、
目標を持った子は、3年間でかなり熟練してきて
想像以上に成長するんです。


私が帝京高校で取り組んできたことは、
選手たちに「夢」を持たせること。

そしてそれを追うための「やる気」。

さらにそのやる気を持続させるために不可欠なのが
「アイデア」ですね。


そして私はその3つを司るものの中に
「基本」というものを置いたんです。

トレーニングや技術の習得といったことから、
生活習慣に至るまで。言葉で表すと



「飯(めし)・クソ・風呂」



です。これを強化合宿などの際に徹底してやりました。
飯の食い方から箸の持ち方、ご飯一膳、米一粒でも
作ってくださる方に敬意を示して感謝をする。
嫌いなものだろうと何だろうと、
出されたものはとにかく全部平らげる。


それから「トイレ」。
これは共同で使うものですが、
便器を汚したら自分の手で掃除をさせました。

生徒は必ず「先生、雑巾を……」と言いますが、私は
「てめぇで汚したものはてめぇの手で拭き取れ」と、
有無を言わせずやらせました。


「風呂」の入り方でも、130人の部員のうち、
10人か15人ずつ、上級生のほうから
入っていくのですが、私が
「湯船の湯を使い過ぎたり、垢を浮かせたりしたら、
 合宿費をおまえらだけ割り増しする」
と言ったら、130人が入っても垢一つ浮かさない。

すると旅館組合全体で「あそこの学校はすごい」と
語り草になったそうです。

またそういうことがしっかりできた年には、
不思議とチームも優勝するんですね。
ところが「先生、今年の生徒はちょっと……」と
宿屋のオヤジが言う時には負けますね。


        『致知』2009年5月号 特集「執念」より

テーマ:
「鉄腕・稲尾和久投手の運命を拓いたもの」 藤尾秀昭

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昔、プロ野球に西鉄ライオンズという球団があったんです。
そこに稲尾和久という大投手がいました。

稲尾さんと同期で二人のピッチャーが入ったそうです。

ところが、その二人と自分の扱い方がぜんぜん違うわけです。

彼らはピッチング練習をしているんだけれど、
自分はバッティングピッチャーしかやらせてもらえない。
おかしいなあと思って、稲尾さんはタイミングを見計らって
二人に聞くんですよ。


「僕は3万5000円の給料と契約金50万円で入ってきたんだけど、
 君たちはいくらもらった?」

そうしたら二人は、契約金がそれぞれ500万と800万、
月給も10万と15万だったそうです。
球団の期待の度合いが全然違うわけです。

だから彼らはピッチャーの練習をしているのに、
自分はバッティングピッチャーばかりやらされるのか、
と稲尾さんは知るんですね。

普通ならみなさん、
「なんだ、馬鹿にするな、俺はもう辞める」というところです。
でも、稲尾さんはいわないんです。
どうすればいいか、じーっと見ていて考えるんです。
 
私はよくいうんですが、伸びていった人というのは
自分に与えられた環境、条件をすべて生かしきって成長していくんです。


わかりますか?

マイナスの条件もいっぱいあるんです。
そのマイナスの条件もすべて生かしきっていく人が成功するんです。
稲尾さんはまさにそうなんです。

彼は毎日バッティングピッチャーをやる。
だんだん嫌になってくる状況の中で、ハッと気づくわけです。
バッターというのはストライクばかり投げると嫌がるなって。

そりゃそうです。毎回毎回打っていたらしんどいでしょう。
3球ストライク投げて、1球外してやるとバッターが
一番嬉しそうにしている。

ボール球がきたら一球休憩できるからね。

そこに彼は目をつけるんです。


このボール球にする1球は俺だけのものだ。
この一球だけは別に相手を気づかわなくてもいい。

バッティングピッチャーだから3球はストライクを
投げなきゃいけないけれど、残りの1球はボールでいい。
だから、その1球は俺のものだ。

稲尾さんは、この1球で自分の練習をしようと決心するんです。
高め、低め、インコース、アウトコースと
ボール球を投げ分ける練習をしようと。

その結果、彼は名コントローラーといわれるピッチャーになるんです。


すごいと思いませんか。

普通の人間ならふて腐れる状況の中で、
1球のボールで練習しよう、と。

その一球だけは他の奴がピッチング練習するのと同じだと考えて、
高め、低め、アウトコース、インコースと投げ分けて
ピッチングの練習をしたんです。

1時間で480球投げたら、そのうちの120球は
自分のもんだと考えて練習を重ねて、
名コントローラーといわれるピッチャーになっていくんです。

そうやって自分の与えられた環境の中で
一心不乱に仕事をしていったから、
稲尾さんの人格が磨かれて、運命を招来していったんです。


             藤尾秀昭 著『小さな経営論』より


テーマ:
「究極のスープ」 鈴木紋子(湘南教育研修センター副理事長)

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昭和五十年頃、鎌倉の荒れた中学校へ
赴任した時のことです。

皆からゴムまりをひどくぶつけられるなどのいじめに遭い、
しゅんとしている一年生の子がいました。
私は生徒指導担当として
「先生が付いてるから頑張りなさい」と励ましてきましたが、
三年生になるとあまり姿を見掛けなくなりました。

進路相談の行われた十二月、
彼の母親が私の元へ来てこう言いました。


「うちの子は休みが多く、点数が悪いから
 どこの高校も受けられないと担任に言われました」


その子はとても育ちのいい子だったのですが、
ある日級友からお菓子を万引きしてこいと命じられました。
学校へ行くとまた何を言いつけられるか分からないから、
次第に足が遠のいてしまったというのです。

自責の念を覚えた私は、ある私立高校まで行って事情を話した上、


「受験までに必要な勉強の基礎を、
 全部私が責任を持って教えておきますから、
 受験させていただけませんか」


とお願いし、以来二人三脚で猛勉強の日々が始まりました。

周囲に気づかれないよう暗くなった夜七時頃に彼の家へ出掛け、
英国数の基礎からみっちり三時間教えては
十時半の最終バスで駅へと向かう。

電車を降りるとタクシーは一時間待ちの行列です。
仕方なく夜道を四十五分かけて歩き、
十二時過ぎに帰宅する日々が続きました。

あんまりくたびれるのでバスの中でも眠り込み、
「お客さん、終点ですよ」の声で起こされるのが日課でした。
その甲斐あって彼は高校に無事合格し、
卒業後はイタリア料理店で働くようになりました。

その頃、我が家では主人が胃を全摘し、
肝臓がんも併発するなど、闘病生活で
体はひどく痩せ細っていました。

私は台所でいろいろなスープを作っては
主人に飲ませるなどしていましたが、
私自身も疲労からくるたびたびの目眩に悩まされていました。


前述の教え子が訪ねてきてくれたのは、
そんなある日のことです。


「ご主人様がご病気と聞いて
 チーフにスープの作り方を習って持ってきました。
 これ一袋で一食分の栄養がとれます」


と、一抱えもあるスープを手渡してくれたのです。

私は感激のあまりしばらく何も言葉が出ず、


「……これが本当の神様だわ」


と呟いて、わんわん声を出して泣いてしまいました。

すると、その子がまだ中一だった頃、


「皆にいじめられても頑張るのよ」


と私が肩を叩いて励ましたのと同じように、


「先生、泣かないでください」


と私の背中を叩いて慰めてくれたのです。

その後も彼はスープがなくなる頃になると家を訪ねてくれ、
おかげで余命三か月と言われた主人が、
三年も生き長らえることができました。

私はこのスープを「究極のスープ」と呼んでいますが、
人間同士の世の中がそうしてお互いに
尽くし合ってやっていけたらどんなにかよいだろう、
と思ったことでした。


            『致知』2012年6月号 特集「その位に素して行う」より

テーマ:
「事業に失敗するこつ十二か条」 菅原勇継(玉子屋社長)

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(記者:社長室に掲げられている「事業に失敗するこつ12か条」。
 これは実にユニークですね)

(腎臓がんから)退院して会社に復帰してしばらくした頃、
かつての遊び仲間が僕にファクスしてくれたんです。

誰の言葉か知りませんが、
これは僕の経営哲学みたいなものですね。

ちょっと読み上げてみましょうか。

【第1条】
  旧来の方法が一番よいと信じていること

【第2条】
  餅は餅屋だとうぬぼれていること

【第3条】
  ひまがないといって本を読まぬこと

【第4条】
  どうにかなると考えていること

【第5条】
  稼ぐに追いつく貧乏なしとむやみやたらと骨を折ること

【第6条】
  よいものは黙っていても売れると安心していること

【第7条】
  高い給料は出せないといって人を安く使うこと

【第8条】
  支払いは延ばす方が得だとなるべく支払わぬ工夫をすること

【第9条】
  機械は高いといって人を使うこと

【第10条】
  お客はわがまま過ぎると考えること

【第11条】
  商売人は人情は禁物だと考えること

【第12条】
  そんなことはできないと改善せぬこと

 (記者:この言葉をどのように経営に生かされているのでしょう?)

そうですね。

例えば第6条。
(菅原社長が経営する玉子屋の)お弁当は好評だといって
経営者が安心していたら進歩はありません。

だから僕は毎日弁当を食べて味付けや盛り付けを見ているし、
回収したお弁当に何が残っていたか、
何が人気があったのかを調べる。
5万人のお客様の代表は僕だという意見なんです。

食中毒(事件)の辛かった時期に取引先の人情で救われ、
機械化で汚名を返上してきた僕にとっては
9条、11条も教えられることの多い言葉ですね。

あと、僕は根っからの遊び人なので、
最後の12条に励まされることも数多くありました。

常識的な経営者が「そんなむちゃな」と思うことも、
結構平気でやってこられたんです。

玉子屋がこれまで高価な機械を思い切ってたくさん導入して
きたのも、僕が減価償却などを細かく計算するタイプの
経営者でなかったからでしょうね。

僕は会社に必要だと思ったら
多少無理をしてでも行動に移すタイプの人間です。

その結果、失敗もあったが、そこから得た教訓も大きかった。
大事なのは多少のリスクはあっても
遊び心で何でもやってみること。
ビジネスの原点はそこだと思います。


『致知』2002年12月号 特集「なぜ哲学が必要なのか」より

テーマ:
「幼児教育に懸ける」  天野優子(一廣学園 風の谷幼稚園園長)

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 いま、入園児募集の際に受ける質問の多くは、
 次のようなものです。
 
 
 「スクールバスはありますか」

 「給食はありますか」

 「預かり保育はありますか」


 問われているのは教育の中身ではありません。
 子育てを人まかせにし、自分たちの負担を
 少しでも減らしたいという感じのものが多いのです。
 
 これは親による無意識の「子捨て」ではないでしょうか。


 いまから八年前、五十歳を過ぎていた主婦の私が、
 三億円の借金をして立ち上げた風の谷幼稚園。
 
 十四年間の幼稚園勤務の経験以外に、土地も資金もない状態。
 地主さんに土下座をしたり、役所では
 たらい回しの目にも遭いましたが、
 そんなことは問題ではありませんでした。

 設立の動機は、人が人として育っていきようがない、
 そんな幼児教育の現状に、強い危機感を覚えたからです。

 子どもたちに「誇りをもって生きていってほしい」と
 いうのは私たちの願いです。
 
 しかしいま、大人も含め、多くの人々が強い不安感や
 自己否定感を抱えて過ごしています。
 私はその主な要因は、自分というものを
 きちんと確立できていないという
 自信のなさにあると考えています。


 幼稚園を始めた頃のこと。
 
 年長児に、小さい子の面倒を見てほしいと頼んだら、
 
 
 「なんで俺たちがしなきゃいけないの?
  こっちだってしたいことがあるのに」
  
  
 といわれ、強いショックを受けました。
 ところがその彼らに、嫌々ながらであれ
 面倒を見てもらった子たちが年長になった時のことです。

 幼稚園から一キロ余りある尾根道を伝っていくと、
 広い芋畑に着きます。
 子どもたちはその芋を掘りたいだけ掘ってよいのですが、
 全部自分で持ち帰ることが約束事。
 
 年長児は皆、体重の半分もある芋を背負っているにもかかわらず、
 年少児の手をちゃんと引いて帰ってくるではないですか。
 理由を聞いてみると、
 
 
 「これまで自分たちがしてもらったから」。
 
 
 これは私にとって、目から鱗が落ちる体験でした。

 つまり、人は自分がしてもらったことを決して忘れず、
 その受けた行為を必ず誰かに返していくものなのです。
 
 大切なのは、それを言葉ではなく、
 具体的な行為を通して体験させていくということです。


 私は、人は白紙の状態で生まれてくるものだと考えています。
 子どもたちはその状態に、周りから
 さまざまなものを吸い取って色をつけていきます。

 赤ちゃんの時から始まる、
 快、不快を中心とした「感覚」。
 その感覚が点で集まっていき、感性が形成されていく。

 次にその感性が、価値観へとつながり、
 やがては人生観をつくっていく。
 
 だからこそ、その基となる「感覚」の部分に、
 どんなよい情報や体験をインプットさせるのか、
 それを丹念にやろうと考えているのです。


 それではもう一つ、木工作を例に挙げてみましょう。

 子どもたちには三歳の時から金づちと釘を使わせ、
 車などの遊び道具を作らせます。
 当然初めはうまくいきません。
 
 釘が曲がってしまったり、板からはみ出てしまったり。
 そんな時は「釘を抜けば、また打てるんだよ」と声をかける。
 それで穴ぼこだらけになったなら、板をひっくり返せばいい。

 おかげで、風の谷幼稚園の子どもたちの中には
 「失敗」という言葉がありません。
 
 そうやってうまくいかなかった時に、
 まだ可能性があるはずだ、何かいい方法があるはずだと
 発想できる力を身につけることが、
 生きる上で大切になってくるのです。

 だから縄跳びでも、体の未発達な四歳の時期に
 あえて「できない」という事実にぶつけさせ、
 課題をクリアするための方法を分析させます。
 
 以前、子どもたちにカルタ作りをさせたところ、
 こんな読み札を作った子がいました。


「やればできると思えばできる」


 皆より体も小さく、つまずきながら進んできた子でしたが、
 私はそれを見て、もう卒園したっていいよと思いました。
 それさえ分かっていればどこへ行っても大丈夫。
 
 幼児期とはそうした経験の積み重ねの中から、
 揺るがない自己をつくっていく期間でもあるのです。


 しかしながら現在、幼児教育を取り巻く状況は惨憺たるもので、
 私のやっていることなど焼け石に水にもならないと、
 悲観的になってしまうことがあります。
 
 冒頭にも触れた、上の世代から伝わってくるもののなさ。
 人間は、人間が愛情を持って育てない限り、
 ちゃんとした人間にはなれないものなのです。
 
 それでも自分にできる精一杯のことはやる。
 幼稚園を立ち上げる時、三億円のお金を借りるため、
 夫の実家も何も全部担保に入れ、
 以来十年近く無給で働いています。
 
 人を信頼することが難しい世の中において、
 そうした私の行為は多くの人に
 「本気」として映るようです。
 
 だから、なまじ給料なんて
 もらわなくてよかったと思っています。


 開園当初は、絆創膏を買うお金もなかったこの幼稚園に、
 いま年間四百万円近くの寄付金が集まります。
 来年、その集まったお金で、
 幼稚園のそばに五百坪の土地を買い、
 自然の広場を作る予定です。
 
 私たちの理念に共感してくださり、
 現在では入園のために
 他府県から家族ごと引っ越してこられるケースも
 珍しくありません。
 
 光が一杯に溢れ、風が流れる幼稚園。
 この場所が子どもたちの
 よきふるさとになってくれることを願っています。


             『致知』2005年11月号「致知随想」

テーマ:
「窓際社員が成し遂げた奇跡のごみ改革」 鈴木武(環境プランナー)

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 排出物の分別置き場には、いくら分別の注意書きを貼っても
 真面目に読んでくれる人はほとんどいません。
 
 だからといって、指示通りに出してくれない社員を
 その場で呼び止めて注意しても効果はありません。
 
 自分の仕事と関係なく、やりたくもないゴミ出しを
 やらされて頭にきている人を説教すれば、
 火に油を注ぐようなものです。
 
 「あの生意気な環境の新人はなんだ」と反感を買い、
 その後の協力が望めなくなるばかりか、
 悪い噂が広がりクビにつながる可能性もあります。
 
 だから私は、こうしなさいと命令したことは一度もありません。
 指をさしたらその相手は敵になるのです。
 
 ではどうやって無関心な社員の意識を喚起し、
 気分よく協力してもらうか。
 すべては仕掛け、仕組み、工夫次第です。


 まず、前日の夕方に分別の棚を
 全部きれいに片付けて雑巾がけをしました。
 
 そして各コーナーに一つずつ、
 排出物を模範的なやり方で出しておくのです。
 
 翌朝各部署から排出物を持ってきた人がそれを見ると、
 
 
 「よそは結構きれいに置いてるな。
  いいかげんな出し方はできないぞ」
 
 
 となります。
 
 出しておいた排出物がモデルになって
 私の代わりにしゃべってくれるのです。
 
 出しておく位置を毎日少しずつ変えておけば
 不自然な感じはせず、私が演出していることがばれずに済みます。
 
 コピー用紙の束を持ってきた人が、
 縛り方が悪いために荷崩れしてしまった時には、


 「これは私がやりますから」
 
 と、まず自分がやって見せながらうまく協力を求めます。
 
 
 「実はこの荷造りでは、業者のおばちゃんが腰を痛めるし、
  引き取りの値段も減ってしまうんです。
  だからできれば次からは、おばちゃんのためにも
  こんなふうに縛っていただけるとありがたいんですが」。
  
  
 そう言えば、「分かった、考えとくよ」と、
 怒りに火が点かないし、
 「俺もやるよ」と手伝ってくれる人も出てきます。


 それから、私は七つ道具を常に携帯して
 いろんな場面で活用しました。
 
 ゴミの出し方について説明する時など、
 懐からおもむろに十手を出して指し示しながら話をする。
 まるで漫画です。
 
 しかめっ面をしていた相手の表情も
 「それ、何ですか」と和らぎ、
 笑いの中で分別に興味を持ってもらえるのです。


 日光江戸村で仕入れてきた大判金貨も、
 たいていの人は現物を見たことがありませんから
 興味を持ちました。
 
 ゴミを捨てに来た社員に触ってもらい、
 重さを実感してもらいながら、
 この百グラムの金塊(きんかい)は、
 携帯電話のICに使われている金メッキを
 5000~7000台分集めることでできるんですよ、
 とうんちくを披露します。
 
 金貨とともに分別の大切さが強く印象に残り、
 噂が広まって他の人も見に集まってきます。
 分別意識を高めてもらう絶好のPRになるのです。

 置き場が隣接していたガラスと電池は、
 なかなか指定通りに分別されず、
 よく二つが混じった状態で放り込まれていました。
 
 考えに考えた結果、私は一つの妙案を思いつきました。


 排出物を入れる缶の位置を、
 床から1メートル高く設置したのです。
 
 人間の心理とは面白いもので、
 入れ物が床にあればろくに分別もせずに放り投げるけれども、
 位置が少し高くなっただけで、
 そばまで寄ってきて丁寧に分けて入れる。
 
 これは劇的な効果がありました。


 何をやるにせよ、それにとことん燃えて取り組んでいると、
 次々とアイデアが閃くものです。
 
 朝の3時、5時、6時と閃いては目が覚め、
 メモしたアイデアを私は次々と実行していきました。
 
 その結果、それまでゼロに等しかった
 松下通信工業のリサイクル率は99%になり、
 それによって約2億円かかっていた
 廃棄物の処分費が節減できました。
 
 工場内はほとんどゴミのない状態となり、
 33か所ある排出物置き場はいつ開けても空っぽです。
 
 その運動は他の松下グループにも広がり、
 私が定年を迎えた平成14年には、
 松下グループ全体で98%のリサイクル率が実現しました。

 こうした活動は通常、トップダウンで進められるものです。
 松下通信工業のようにボトムアップで改革を成功した実例は
 これまで日本になく、常識をひっくり返す快挙でした。

 多くの企業で
 
 「うちの社長は頭が固くて駄目だ」

 「下がガタガタ言ったって、
  上がやる気ないんだからできるわけない」
  
 といった愚痴が聞かれます。
 
 しかし、力のない窓際族でも、知恵と努力と工夫を重ねれば、
 一万人の会社でも改革することはできるのです。


       『致知』2007年2月号 特集「一貫(いちつらぬく)」より

テーマ:
「仕事の鬼になれ」 道場六三郎(銀座ろくさん亭主人)
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 修業時代は先輩やオヤジさん(親方)から
 非常にかわいがってもらえて、
 別段辛いことってなかったですね。

 僕は調理場でも何でも、
 いつもピカピカにしておくのが好きなんです。
 例えば鍋が煮こぼれしてガスコンロに汚れがつく。
 
 時間が経つと落とすのが大変だから、
 その日のうちにきれいにしてしまう。
 そういうことを朝の三時、四時頃までかかっても必ずやりました。

 それで、オヤジさんが来た時に
 「お、きれいやなぁ」と言ってもらえる。
 その一言が聞きたくて、もうピカピカにしましたよ。
 だからかわいがってもらえたんですね。

 それと、毎日市場から魚が入ってくるんですが、
 小さい店ですから鯛などは一枚しか回ってこない。
 
 でも僕は若い衆が大勢いる中で、
 その一枚を自分でパッと取って捌きました。
 そうしないと、他の子に取られてしまいますから。

 ただ最初のうちはそういうことを、
 嫌だなぁと思っていたんです。
 
 というのも、「いいものは他人様に譲りなさい」と
 親に言われて育ってきましたから。
 
 半年ぐらい随分悩んだんですが、
 でもそんなことばかりをやっていたら、
 自分は負け犬になってしまう。
 
 だから僕も、まだ青いなりに
 「仕事は別だ」って思ったんですよ。
 仕事だけは鬼にならなけりゃダメだ、と。
 そう思って、パッと気持ちを切り替えたんです。


 結果的にそういう姿勢が先輩や親方からも認められ、
 それからはもう、パッパ、パッパと仕事をやるようになりました。
 
 僕の若い頃には「軍人は要領を本分とすべし」と
 よく言われたものです。
 
 要領、要するに段取りでしょうな。
 だから要領の悪い奴はダメなんですよ。
 そうやって先輩に仕事を教えていただくようにすることが第一。

 仕事場の人間関係の中でも一番大事なのは
 人に好かれることで、もっと言えば
 「使われやすい人間になれ」ということでしょうね。
 
 あれをやれ、これをやれと上の人が言いやすい人間になれば、
 様々な仕事を経験でき、使われながら
 引き立ててもらうこともできるんです。

 ただし、ダラダラと働いても仕事って覚えられないんですよ。
 自分でテーマをつくらないと。
 
 僕の場合は若い頃から、今年は何と何と何と何とを覚えようと、
 必ずノートに書くようにしてきました。
 そしてそれを何とか仕上げるよう努力していく。
 
 今年は何をする、そして一年が過ぎる。
 来年は何をする、俺ができないのは何だ? と。
 それを探して、今年はこれとこれだけは覚えようということで、
 一つずつ自分の課題をこなしてきました。

 結局のところ、ものを覚えるというのは、
 覚えるべきことを自分で探すことから
 始まるんじゃないですか。
 
 教わろうという気のある者は、
 自ら盗むようにして学び、吸収していく。
 人から言われて嫌々やっていたのでは、
 いつまで経っても成長しませんね。


         『致知』2012年4月号 特集「順逆をこえる」より

テーマ:
「日本人よ、かつての勤勉性を取り戻せ」 福島孝徳(デューク大学教授)

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私が考える名医・良医の条件は、
一に技術、二に知識、三に判断力なんです。

まず技術がなければダメで、
その技術を上手く采配する知識もなければダメ。
またその判断が正しいということ。

そして、いくら凄いお医者さんでも、
ハートが悪かったら付き合えない。
私は患者さんと接する上では、常に愛情を持って、
親切、誠実、丁寧をモットーにやってきました。

    * *

アメリカ人は絶対に自分の携帯電話は教えません。
病院を出たら完全にプライベートで、患者さんにはタッチしない。
でも私も患者さんに渡す名刺には、
24時間繋がる携帯番号が書いてある。

24時間患者さんのことを考える。
そこが欧米人と違うところかな。


ただこれは私がいまアメリカにいて
非常に怒っていることなんですが、
最近の日本人は休み過ぎなんですよ。

私は朝から晩まで仕事で、
1週間に8日働く男といわれていますが、
土日祝日絶対に休まない。

夏休み、クリスマス休暇は一切取らない。
ハロウィーンもサンクスギビングも絶対に休まない。

休むというのは罪悪なんです。
自分たちの大切な人生の時間を
どれだけ無駄にしてるんだと。

私は全生涯を患者さんと脳外科のために尽くすと
決めた男なので、1日、1秒たりとも無駄にはできない。

かつての日本人は欧米で勤勉な人種と勇名を馳せたのに、
その欧米人から日本人は働き過ぎだといわれて
土日を完全休暇にしてしまった。

私の考えから言えば、あり得ないことですよ。
ヨーロッパ人は休むため、遊ぶために働いているから
そもそもの考えが違うんです。

私が三井記念病院にいた時も、
24時間患者さんのために働きなさいと
皆に言ってきましたから。

1年365日あるうち土日を休んだら104日休みで、
その上、日本は国民の祝日が世界一多い。

ざっと数えてみたら15日もある。
土日と合わせれば年間約120日休みで、
1年のうち3分の1は遊んでいるんです。

アメリカにはナショナルホリデーは6日しかない。
つくりもつくったりだ。
かつての勤勉な日本人は一体どこへ行ったんだと言いたい。

大体、過労死なんてものはあり得ないんですよ。
私よりも働いて倒れたのなら過労死は認めます。

私は1日4、5時間の睡眠時間で、
1週間8日働くわけですからね。

昔は月月火水木金金といわれましたが、
私の場合は月月火水木木金金(笑)。

大抵の場合は過労死ではなく、ストレス死なんです。


          『致知』2012年3月号 特集「常に前進」より

テーマ:
「熊本の名校長・最後の授業」 大畑誠也(九州ルーテル学院大学客員教授)

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私が考える教育の究極の目的は
「親に感謝、親を大切にする」です。

高校生の多くはいままで自分一人の力で
生きてきたように思っている。
親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。

これは天草東高時代から継続して行ったことですが、
このことを教えるのに一番ふさわしい機会として、
私は卒業式の日を選びました。

式の後、三年生と保護者を全員視聴覚室に集めて、
私が最後の授業をするんです。


そのためにはまず形から整えなくちゃいかんということで、
後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、
生徒をその横に正座させる。
そして全員に目を瞑らせてからこう話を切り出します。


「いままで、お父さん、お母さんに
 いろんなことをしてもらったり、
 心配をかけたりしただろう。
 それを思い出してみろ。
 
 交通事故に遭って入院した者もいれば、
 親子喧嘩をしたり、こんな飯は食えんと
 お母さんの弁当に文句を言った者もおる……」
 

そういう話をしているうちに涙を流す者が出てきます。



「おまえたちを高校へ行かせるために、
 ご両親は一所懸命働いて、
 その金ばたくさん使いなさったぞ。
 
 そういうことを考えたことがあったか。
 学校の先生にお世話になりましたと言う前に、
 まず親に感謝しろ」


そして


「心の底から親に迷惑を掛けた、苦労を掛けたと思う者は、
 いま、お父さんお母さんが隣におられるから、
 その手ば握ってみろ」
 
 
と言うわけです。

すると一人、二人と繋いでいって、
最後には全員が手を繋ぐ。
私はそれを確認した上で、こう声を張り上げます。


「その手がねぇ! 十八年間おまえたちを育ててきた手だ。
 分かるか。……親の手をね、これまで握ったことがあったか?
 おまえたちが生まれた頃は、柔らかい手をしておられた。
 
 いま、ゴツゴツとした手をしておられるのは、
 おまえたちを育てるために
 大変な苦労してこられたからたい。それを忘れるな」


その上でさらに


「十八年間振り返って、親に本当にすまんかった、
 心から感謝すると思う者は、いま一度強く手を握れ」
 

と言うと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。

私は


「よし、目を開けろ。分かったや?
 私が教えたかったのはここたい。
 親に感謝、親を大切にする授業、終わり」
 
 
と言って部屋を出ていく。
振り返ると親と子が抱き合って涙を流しているんです。



            著書『一流たちの金言2』より


迫力の音声でも聴けます → http://www.chichi.co.jp/book/7_news/kingen2.html

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