加藤久仁明Blog:経営コンサルタントのブログ

「読書メモ」として、ビジネス書から江上剛、城山三郎など経済小説、司馬遼太郎などの歴史物、高坂正堯などの学術的なものなど幅広く、書評を書いています。


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加藤久仁明Blog:経営コンサルタントのブログ 人生を狂わせかねない恐ろしい本

 大御所、山崎豊子氏の異色の作品を集めた中・短編集である。30代前半の頃、表題作の『ムッシュ・クラタ』
に、衝撃と多大な影響を受けた。下手をすると人生を狂わせかねない恐ろしい魅力を持った本であり、「自己責任」を前提にお読みいただきたいと思い、紹介させていただく。

 文芸評論家権田萬治氏による「あとがき」によって、この作品の紹介をしたい。

◆表題作の中編「ムッシュ・クラタ」(新潮・昭和40年2月号)は、フランスとフランス文化をこよなく愛した一人の新聞記者の個性的な肖像を鮮やかに浮き彫りにした作品である。
 この作品が、初期の大阪商人ものや後期の社会派的な作品と大きく異なるのは、作者の新聞記者時代の私小説的な体験が色濃く投影されている点にある。
 よく知られているように、山崎豊子は、昭和19年に京都女子大学国文科を卒業して毎日新聞大阪本社に入社、最初は調査部で仕事をしていたが、翌年には学芸部の記者となった。・・・・・・
 作者の新聞記者としての生活は、作家専業になる昭和33年12月までの十数年間だが、「ムッシュ・クラタ」の主人公の倉田は、明らかにその間に出会った実在の新聞記者がモデルになっているものと思われる。・・・・・・
 いつもフランス紳士の盛装をして、静かにパイプをくゆらせていた倉田氏は、皮肉交じりに社内では、「ムッシュ・クラタ」と呼ばれていた。そういう表面的な倉田だけでは、うかがい知れない毅然としたダンディな倉田の本質を、山崎豊子は、多角的な手法で、鮮やかに浮き彫りにすることに成功している。・・・・・・
 どうやら、山崎豊子の心の中には、独特の男の美学が生きているように思える。それはどのような困難があっても、一つの生き方を毅然として貫く男への共感であり、賛美の念でもある。
 それがたくましい船場商人であろうが、国際商戦を戦い抜く男であろうが、孤独な新聞人であろうが、そういう確固たるものを秘めた男たちへの作者の共感は変わらないのだ。

⇒山崎豊子氏に、この『ムッシュ・クラタ』という作品がある以上、彼女は尊敬すべき大作家であると確信している。ぜひ、この本を読んでいただきたい。そして、自分の人生を狂わせる恐ろしくも甘美な思いを共有してほしい。

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加藤久仁明Blog:経営コンサルタントのブログ 囲碁・歴史・人間ドラマの傑作

 著者の田村竜騎兵氏は、1990年に58歳の若さで亡くなった朝日新聞の囲碁・将棋観戦記者。将棋においては本名「田村孝雄」として記事を観戦記を書いていた。
 早稲田大学商学部で村上文祥氏と同期であった。村上氏は、囲碁アマ強豪で、サラリーマンとしても荏原製作所の副社長まで上りつめた人である。

 テレビ囲碁番組で見ることも多く、豪快かつ教養深く、囲碁の強さのにじみ出た姿に魅了されたことを覚えている。


 この『物語り囲碁史』は、幕末本因坊秀策の時代までの23の物語を集めている。いずれも田村竜輝兵氏の名調子で綴られている。

 その中の一つ、「血闘『本因坊丈和と赤星因徹』」は、全286ページ中35ページを費やした最大の物語である。「血闘」は決して大げさな形容ではないことが読むと分かる。

◆はなやかな糸で織りなされ、豊富な話題を提供してくれる囲碁史の世界にあって、最大の悲劇の主人公といえば、まず赤星因徹があげられるであろう。文化7年(1810年)、肥後国(熊本)菊池郡に生れ、井上門に投じた因徹は、天保6年、師の幻庵因碩の身代わりとして、時の名人本因坊丈和と対決し、棋運つたなく一敗地にまみれる。吐血して盤側に倒れ、ついにたたず。あたら25年の生涯を終わるのである。

⇒囲碁の歴史を知るものであれば、誰でも知っている「吐血の一局」に至る経緯の書き出しである。登場人物は、本因坊丈和、幻庵因碩(井上因碩)、赤星因徹をはじめとして、いずれも個性豊かで小説的魅力に富む人物である。

 この一局は、天保6年7月19日から27日まで4日間打ち継がれた。そのラストシーンをあえて紹介したい。序盤、井上門の秘手を繰り出して、優位に打ち進めた因徹であったが、丈和が3つの妙手を打ち、逆転。3日目は、もはや丈和必勝の形勢となり、白が172手目を打ったところで打ち掛け(中断)となった。碁において打ち掛けは、黒番が打たれたところで白が打ち掛けを決めるのが通例で、白はその後いくらでも考えることができた。
 丈和はあえて、因徹および井上一門に手を預けた。「一門でいくらでも考えるかよい」という意味である。

◆この日は朝から厚い雲がたれこめ、蒸すような暑さであった。師の忠言も聞かなかったように、うつろな目で因徹は打ち続けた。仮借ない丈和の強手の前に、盤上の黒はズタズタになっている。それでもなお、因徹は投げようとしない。
 夕刻――。たまりかねた因碩が、声をかけようとしたときであった。因徹はガクッと首を折ると、つんのめって倒れた。
 別室に横たえられた因徹は、二度、多量の血を吐いた。名医のほまれ高い佐々井康庵が招かれ、労咳(肺結核)だと診断した。それもひどく進んでおり、手のうちようがないという。
 「この体で、しかも風までひいて、よく4日間も盤に向えたものじゃ。人間のできる業ではございませぬ」
 因徹はこんこんと眠り続け、ついに再び立たなかった。
 天保6年8月18日、没。眠ったままの因徹を、松平邸から井上家に移し、住みなれた居間で往生させたのは、因碩のせめてもの想いやりであったろう。

⇒江戸時代の囲碁界は、4つの家元が対立、技を競って、技術を発展させた。タイトルがいくつもある現代とは違い、名人碁所、すなわち将軍の指南役というたった一つの座をめぐって、暗闘を繰り返したのである。しかし、碁・将棋は、明らかに勝負のつくゲームである。基本的には強い者が高い地位を占める、しかし政治的な駆け引き、だましあいも伴ったのである。

 著者はいう。

◆・・・・・・ここに至るまでの家元たちのかけひきは、奇にして怪、くだらん時代小説より、よほどおもしろいのである。

⇒まさにそのとおり。さらにいえば、この本は、おもしろい時代小説ということもできるだろう。

 ぜひこの本を手にとっていただき、碁への興味をもっていただければ幸いである。



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加藤久仁明Blog:経営コンサルタントのブログ 1994年って遠い昔なんですね

 本を読むときには、いつ書かれたかを気にしている。また、本について語るときに再度発行年月日を確認している。
 この本は、1990年代を代表する経営書の名著だと言われている。内容については多くの人が書いているので、私はこの本に載っている事例を取り上げてみたい。
 1994年と今とでは、日本あるいは外国の企業に対する評価がいかに変わってしまったのか、そして、バブル崩壊後、あるいは失われた20年とひとくくりに考えるものの、やはり18年前は今とは大きく異なっていることを感じていただければと思う。

 まず、アメリカの企業、イーストマン・コダックである。

◆イーストマン・コダックがビジネスチャンスの限界を広げたのは、伝統的な事業部単位の目隠しをとり払って、化学造影(フィルム)と電子造影(コピー機など)というお家芸のちょうど間のマーケット、正確にいえば部門をまたぐマーケットを探した時だった。・・・・・・コダックの化学技術者と電子技術者はこう考えた。写真をもって簡単に、しかも安心して保全する方法はないだろうか、普通のテレビでそれを見たり、自由に並べ替えたり、編集できる方法はないだろうかと。・・・・・・こうした夢がフォトCDという新しい写真サービスを生んだのである・・・・・・別々のビジネスに属するように見える技術を融合すると、いかに新しい競争の場がつくり出されるかということをコダックの管理職が学んだことに比べれば、この製品のビジネスとしての成功そのものはさほど重要ではない。

⇒いい話であるし、参考になる。製品のビジネスとしての成功が、企業の存続を保証するものでないことも学ぶことができる。

 次は、2012年3月期決算など、いろいろと話題になっている日本を代表するエクセレントカンパニーの話である。

◆シャープやソニーのような会社は、空白エリアのビジネスチャンスを掘り起こすための非常に進んだシステムを持っているので、会社のビジネスチャンスの限界が着実に広がっている。エンジニアとマーケティング担当者の両方が自社の企業力の範囲を把握できるように、途方もない努力を会社は払っている。誰であれ、新しいビジネスのアイデア、たとえば、シャープの電子手帳やソニーの電子ブックのようなアイデアを持っている者は、それを説明する場が与えられ、企業力へのアクセスを申請することができる。もし経営陣が新製品の可能性を確信すればプロジェクトチームが結成され、このチームは、最高の資源つまり人材を、社内中どこからでも調達することが許されるのである。

⇒立派な話である。すばらしいポテンシャルをもつ会社には本当にがんばっていただきたい。

 最後に、読んでため息をついた話を。

◆未来に一番乗りできなかった企業は、一番乗りした企業に依存せざるを得なくなる。・・・・・・未来に最初に到達できなかった企業は、自分の運命をコントロールできなくなるかもしれない。たとえなんとか追いつくことができたとしても、完全に肩を並べることはできないだろう。韓国の三星電子と金星社は、日本の先駆的企業と技術移転契約を結んでVTR事業に参入したが、松下と比べればほんのわずかの利益しか手にすることができなかった。同様に、ラップトップコンピューター事業に参入したのが東芝やコンパックよりも5年以上遅れたために、IBMは実質的にライバルの手に何百万ドルもの利益を譲り渡してしまったのである。

⇒2012年に書かれた本を読んで18年後すなわち、2030年に「あんな苦しい時期もあったね」を笑えるようになりたい、そのためにはどうしたらよいのか考えていきたい。

 それにしても、「三星電子」という字づらと「サムスン電子」という印象がまったく違って感じられるのは、なぜだろうか? 「三星電子」という書かれているのを久しぶりに見て、「そういえばそう書いていたな!」と感じた。三星、サムスン、あるいはSAMSUNGがこれから数十年どのように事業を展開し、業績を上げていくのか、これも注目に値する。

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