びっくりです。(-。-;)
基本条例案を読むと、「本気でこんなことやろうとしているの?」
「冗談でしょう」という気持ち。
これを考えた人って、教育に関して、ど素人か確信犯かなと思います。たぶん、後者なんでしょう。
子ども、先生、親、(校長先生や教育委員もかな)がどれだけ苦しもうとも、OKなんでしょう。
ハリー・ポッターの「不死鳥の騎士団」で、魔法省の役人がホグワーツに乗り込み、勝手に学校を変えていくという話がありましたが、あれ以上に学校は、大変なことになるでしょう。
子どもには、競争と自己責任ということが、書かれていました。それが条例になるんです!
子どもは、それぞれちがう、多様な能力、個性を持っていると思います。
それを仲間との関わり合いのなかで自発性を大事にし、伸ばしていく、学ぶことに意味を感じながら。というのが教育では?
ひとつのものさしで、競い合わせることの弊害は、大きいです。いつも負け組の子は、意欲を失い、そのことに自分の問題として、自己肯定感を低めていく。勝ち組の子は、学ぶことに意味を感じていればいいのですが、点数や偏差値の高い学校に入ることのみが目的化していくと、やがて意欲を失っていく可能性もあります。
発達障害や学習障害を持った子は、一つのものさしで優劣がきまるなかでは、子どもたちの中でスポイルされていく存在になるのではという危惧もあります。
個々の競い合いではなく、協力しあうことで、子どもたちは大きく力をのばします。その喜びも感じると思います。
先生には、評価と処分が書かれています。先生同士、助け合ってはいけないのです。(うそみたい!)
職員室には、疑心暗鬼と恐怖がうずまくのでしょうか?
教師の良心として、子どものために、管理職に意見すれば、評価はDで、続けばクビになるのでしょうか。
いま、学校に不満や問題を感じている人たちの矢面にたっているのが、先生です。実際、現場で子どもと接するのは先生なので、どうしても、先生に批判がいきます。しかし、今のシステムや教育環境が、問題を生み出していたり、悪化させているのに、それをもっと悪くさせるのかという感じです。
先生を評価せず、立場を尊重し、教えることの最大限の権限をあたえ、職員室に閉じ込めるのではなく、いろいろ学びながら、遊びながら、引き出しをふやし、心の余裕を持ちながら、生き生きと子どもたちに接していけたらいいのでは?と思います。
保護者には、部活の面倒を見てほしい。条例化です。これが。
忙しい中で、そんなことができる人がいたとしても負担が偏り、保護者間の関係も難しそうだし、部活は、教育的な観点を持った人が子どもたちに公平に心身の成長と技術的な成長を考えながら見てほしいというのは、苦い経験から導き出した私の答えです。
ほかにも、保護者の義務として、社会常識や生活習慣を身につけさせる教育を行わなければならない。
保護者会で、先生から聞く程度のものであれば、まだ許容範囲内ですが、条例です。
親一人の教育力は、たかがしれています。その親自身も核家族化のなかで育ってきた世代です。地域の関係も弱い中で育ってきた人が多いと思います。昔は、兄弟が多かったり、共同体があったりと、親が一人で子育てを抱え込むことは少なかったと思いますし、知恵や教育力があったと思います。今の人は、何も知らないかのような嘆きを受けることはあるけれど、当然でしょうと開き直りたい。
親に自己責任を押し付けるのは、さらに親を追い詰めたり、こどもに良い子を求めたりと、ろくなことには、ならないでしょう。そして、世の中、しつけの難しい特性を持った子もいるのです。親や先生が特性に気付けば、専門の機関にお世話になったり、免罪符になるかもしれませんが、気付かれない場合も多々あり、その場合は、親は、学校からしつけもできない義務違反の親と認定されるのでしょうか?
こんな条例が本当に通ったら、
怖いです。