2012-01-30 08:07:47
月刊 村上龍
Theme: ブログ
わたしはiPadを買うべきなのかも知れない
これはずっと前から自分の中でもやもやと頭の中を漂っていた考えだったけど
それが最近になって少しずつはっきりとした形になってきた
そりゃあ本当はパソコンが欲しい
それもアップルの
でも考えてみて
そんな金があるがずがない
一ヶ月一度の月例の遠征
生活がそれを中心に回っている
諸々のチケ代だけじゃない
滞在そのものにも莫大な金がかかる
というかお金をかけなくては
有意義な滞在にはならない
楽しいことにはなにをするにもお金がかかるのだ
そこで考えた
iPadなら今すぐに金がなくても手に入れることができると
なぜなら分割だからだ
月の携帯代の支払いが少しだけ増えるだけだ
面倒な回線工事もいらない
手にしたその瞬間から使える
と思っているんだけど
本当のところは知らない
分割なのかも
料金の仕組みも
そしてそもそも在庫というものが
最寄りのソフトバンクショップに存在しているのかどうかも
だけど
だけどもし手にすることができたなら
幸せで快適なネットライフが待っている気がする
そう仕事中に考えていると
ここでは常時圏外の電波が
なぜか一瞬だけ理由もなくびよーんと五本に伸びた
これは、と思う
サインかも
いいよっていう
クチバシの真栄田の声がリフレインする
作曲は野爆 川島
小杉と吉田のときだけ
指先の反応が悪い気がするのは
わたしだけかな
なす術もなく赤ちゃんの口の中に
小杉と吉田が落ちていくのを眺める
うーん、実に体に悪そう
わたしがiPadを買ってもいいと思うのは
パソコンを開く時間がないのと
このアプリのせい
このアプリって
くぅちゃんのことじゃない
だけど
落食を大きな画面でやったら
どんなに面白いかな
小杉が出たら
大声出しちゃいそう
鳥居、カッコイイ
紅いから、カッコイイ
思わず最大音量で歌っちゃいそう
個人的にはくぅちゃんのプロフィールが載ってたのが嬉しかったな
くぅちゃん、学ラン着てた
何度も言うけど
あの日の放送を見たひとで
落食を落とさないひとなんているのかな
アプリの話し
このアメーバのアプリ
画面が横にならない
それだけは納得できない
それと
Facebookと連動できない
更新した記事を見ますか?
そんなことをたずねている暇があるなら
キーボードを横で使えるようにするプログラムのひとつでも書いて欲しい
この「プログラムを書く」
という表現
格好いいでしょう
大学でプログラミングを習ったことあるから分かるけど
プログラムは確かに「書く」ものなんだよね
わたしはプログラムもネットも
金融も経済も
週刊誌もジャーナリストも
それほど興味はないけど
それでもわたしにとって希望の国のエクソダスがこんなに面白い
思うのはどんな配役だったのかということ
一体誰の役で出演していたの
ベーシストで長髪でクオーターの君
世にも芸術的な横顔と
美しい手を持つわたしの大好きな君
書いた文章を
何度も読み返して
その場面に相応しくない表現がないかどうか
文章のリズムを妨げるようなフレーズがないかどうか
それを確かめる
これは村上龍さんのことで
わたしは彼のエッセイを読んでいてそれを知ったんだけど
なんて凄いひとなんだろうって思ったよね
読み手の読み心地の良さまで計算しているひとが
他にいるかな
ただ誰も考えない珍しいことをやればいいってもんじゃない
ただ変わった発想や表現をすればいいってもんじゃない
そういうこう書けばウケるだろうっていう作者の意図が
見え見えの文章を書くひとがわたしは一番嫌いだな
本屋大賞とかに選ばれるやつも
大体この手のパターンが多い
存在しないものを作ったらウケるのは当たり前で
それがウケるのは単純に珍しいからで
そしてそれがウケるのは最初だけなのも当たり前だ
顔芸がウケるのは芸歴三年目までだっていうのと同じ原理だ
井本の言っていることは正しいよ
既存のものをいかに組み合わせて
その中に憧れるような登場人物やそのひとをめぐる人間関係
真似して何度も呟きたくなるような
心地の良いフレーズや台詞を作り上げていく
これこそがその本が自分にとって忘れられないような
かけがえのないものとなるかどうかを決めるのだと思う
好きになれる登場人物がいるかどうかがその本を好きになるかどうかだ
そうわたしは何年も前にもどこかに書いたことがあるが
それはきっと司馬遼太郎の書く沖田総司のことだ
司馬遼太郎から始まったわたしの新撰組人生
初めに読んだのが司馬遼太郎じゃなかたら
きっとわたしは今戸神社にある
総司最後の土地の碑を前に
涙を流したりなんかしなかったと思う
あらすじを読んでいて
読みたいと思えないものばかりだ
いつか村上龍についてわたしはそう言ったが
村上龍がなんでこんなに面白いのか
言葉にしてみて今分かった気がする
そしてそれが分かった上でわたしが思うのは
それが小説でもエッセイでも
それが書かれた時代も
その物語の時代背景もテーマも関係なく
わたしは彼の書いたものを
ひとつ残らず全て読破するべきと思う
村上龍はなにかを更生させるような話が多い
高校のとき友人がそう教えてくれたが
悪かったものが良くなっていく
なにか悪い状況があって
それについて問題点を見つけ自覚し
そして解決策を考え実行していく
なるほど確かにそういう話がほとんどだ
そして実際にそれがそれが書かれた時代にリンクしている
村上龍を読むことは
単なる読書ではない
読んでいるといつも
自分もあらゆることについて
もっと考えなくてはいけない
という気持ちに苛まれ
読むことを続けていられなくなるぐらいだ
厳しいこともたくさん言うし
みんながふんわりと不快に思っているけど口の出さないようなことを
アッサリと指摘したりもする
これを聞くのが痛快で大好きというのも
わたしが彼のことが好きな理由のひとつでもあるんだけれど
文句ちゃう、世直しや
友近風に言うなら、こうかな
iPhoneからの投稿
これはずっと前から自分の中でもやもやと頭の中を漂っていた考えだったけど
それが最近になって少しずつはっきりとした形になってきた
そりゃあ本当はパソコンが欲しい
それもアップルの
でも考えてみて
そんな金があるがずがない
一ヶ月一度の月例の遠征
生活がそれを中心に回っている
諸々のチケ代だけじゃない
滞在そのものにも莫大な金がかかる
というかお金をかけなくては
有意義な滞在にはならない
楽しいことにはなにをするにもお金がかかるのだ
そこで考えた
iPadなら今すぐに金がなくても手に入れることができると
なぜなら分割だからだ
月の携帯代の支払いが少しだけ増えるだけだ
面倒な回線工事もいらない
手にしたその瞬間から使える
と思っているんだけど
本当のところは知らない
分割なのかも
料金の仕組みも
そしてそもそも在庫というものが
最寄りのソフトバンクショップに存在しているのかどうかも
だけど
だけどもし手にすることができたなら
幸せで快適なネットライフが待っている気がする
そう仕事中に考えていると
ここでは常時圏外の電波が
なぜか一瞬だけ理由もなくびよーんと五本に伸びた
これは、と思う
サインかも
いいよっていう
クチバシの真栄田の声がリフレインする
作曲は野爆 川島
小杉と吉田のときだけ
指先の反応が悪い気がするのは
わたしだけかな
なす術もなく赤ちゃんの口の中に
小杉と吉田が落ちていくのを眺める
うーん、実に体に悪そう
わたしがiPadを買ってもいいと思うのは
パソコンを開く時間がないのと
このアプリのせい
このアプリって
くぅちゃんのことじゃない
だけど
落食を大きな画面でやったら
どんなに面白いかな
小杉が出たら
大声出しちゃいそう
鳥居、カッコイイ
紅いから、カッコイイ
思わず最大音量で歌っちゃいそう
個人的にはくぅちゃんのプロフィールが載ってたのが嬉しかったな
くぅちゃん、学ラン着てた
何度も言うけど
あの日の放送を見たひとで
落食を落とさないひとなんているのかな
アプリの話し
このアメーバのアプリ
画面が横にならない
それだけは納得できない
それと
Facebookと連動できない
更新した記事を見ますか?
そんなことをたずねている暇があるなら
キーボードを横で使えるようにするプログラムのひとつでも書いて欲しい
この「プログラムを書く」
という表現
格好いいでしょう
大学でプログラミングを習ったことあるから分かるけど
プログラムは確かに「書く」ものなんだよね
わたしはプログラムもネットも
金融も経済も
週刊誌もジャーナリストも
それほど興味はないけど
それでもわたしにとって希望の国のエクソダスがこんなに面白い
思うのはどんな配役だったのかということ
一体誰の役で出演していたの
ベーシストで長髪でクオーターの君
世にも芸術的な横顔と
美しい手を持つわたしの大好きな君
書いた文章を
何度も読み返して
その場面に相応しくない表現がないかどうか
文章のリズムを妨げるようなフレーズがないかどうか
それを確かめる
これは村上龍さんのことで
わたしは彼のエッセイを読んでいてそれを知ったんだけど
なんて凄いひとなんだろうって思ったよね
読み手の読み心地の良さまで計算しているひとが
他にいるかな
ただ誰も考えない珍しいことをやればいいってもんじゃない
ただ変わった発想や表現をすればいいってもんじゃない
そういうこう書けばウケるだろうっていう作者の意図が
見え見えの文章を書くひとがわたしは一番嫌いだな
本屋大賞とかに選ばれるやつも
大体この手のパターンが多い
存在しないものを作ったらウケるのは当たり前で
それがウケるのは単純に珍しいからで
そしてそれがウケるのは最初だけなのも当たり前だ
顔芸がウケるのは芸歴三年目までだっていうのと同じ原理だ
井本の言っていることは正しいよ
既存のものをいかに組み合わせて
その中に憧れるような登場人物やそのひとをめぐる人間関係
真似して何度も呟きたくなるような
心地の良いフレーズや台詞を作り上げていく
これこそがその本が自分にとって忘れられないような
かけがえのないものとなるかどうかを決めるのだと思う
好きになれる登場人物がいるかどうかがその本を好きになるかどうかだ
そうわたしは何年も前にもどこかに書いたことがあるが
それはきっと司馬遼太郎の書く沖田総司のことだ
司馬遼太郎から始まったわたしの新撰組人生
初めに読んだのが司馬遼太郎じゃなかたら
きっとわたしは今戸神社にある
総司最後の土地の碑を前に
涙を流したりなんかしなかったと思う
あらすじを読んでいて
読みたいと思えないものばかりだ
いつか村上龍についてわたしはそう言ったが
村上龍がなんでこんなに面白いのか
言葉にしてみて今分かった気がする
そしてそれが分かった上でわたしが思うのは
それが小説でもエッセイでも
それが書かれた時代も
その物語の時代背景もテーマも関係なく
わたしは彼の書いたものを
ひとつ残らず全て読破するべきと思う
村上龍はなにかを更生させるような話が多い
高校のとき友人がそう教えてくれたが
悪かったものが良くなっていく
なにか悪い状況があって
それについて問題点を見つけ自覚し
そして解決策を考え実行していく
なるほど確かにそういう話がほとんどだ
そして実際にそれがそれが書かれた時代にリンクしている
村上龍を読むことは
単なる読書ではない
読んでいるといつも
自分もあらゆることについて
もっと考えなくてはいけない
という気持ちに苛まれ
読むことを続けていられなくなるぐらいだ
厳しいこともたくさん言うし
みんながふんわりと不快に思っているけど口の出さないようなことを
アッサリと指摘したりもする
これを聞くのが痛快で大好きというのも
わたしが彼のことが好きな理由のひとつでもあるんだけれど
文句ちゃう、世直しや
友近風に言うなら、こうかな
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