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2011-12-29 10:05:39

エピタフ/キング・クリムゾン

テーマ:音楽

The wall on which the prophets wrote
予言者たちが書きつけた壁の
Is cracking at the seams
割れ目にヒビが入っている
Upon the instruments if death
殺戮の道具の上に
The sunlight brightly gleams
太陽の光が燦然と輝く

When every man is torn apart
すべての人が引き裂かれる
With nightmares and with dreams
悪夢とも夢想とも
Will no one lay the laurel wreath
その時,栄光などはどこにもない
As silence drowns the screams
静寂が叫び声を飲み込んでしまう

Between the iron gates of fate
破滅の定めの鉄の扉の間で
The seeds of time were sown
時間の種子はまかれ
And watered by the deeds of those
育てられた
Who know and who are known
聡明かつ著名な偉人らの行為によって

Knowledge is a deadly friend
知識は死を招く友人にもなる
When no one sets the rules
掟を決める者がいなければ
The fate of all mankind I see
人類の破滅の定めは
Is in the hands of fools
愚者どもの手に握られているもののように思える

Confusion will be my epitaph
「混乱」こそ我が墓碑銘
As I crawl a cracked and broken path
ひび割れ荒廃した道をはって進む
If we make it we can all sit back and laugh
どうにか間に合うのなら、座って笑っていることもできるが
But I fear tomorrow I'll be crying
私は明日が怖い 私は叫び続ける
Yes I fear tomorrow I'll be crying
私は明日が怖い 私は叫び続ける

2011-12-25 21:42:06

キングクリムゾンの宮殿

テーマ:音楽

 言わずとしれたプログレの金字塔です。


 「21世紀の精神異常者」「風に語りて」「エピタフ」「ムーン・チャイルド」「クリムゾンキングの宮殿」。


 この5曲の中でも,「風に語りて」と「エピタフ」の歌詞は実に優れています。


 「混乱」こそ我が墓碑銘。


 これは深かった。最初に聞いたのが15歳の時ですが,何だか好きだとか嫌いだとか…そういうラブソングが稚拙に思えてしまった一瞬でした。


 今もどちらかというと,ラブソングは好きではありません。考えてみれば,この時の印象が強いのかもしれません。

2011-12-18 17:29:40

17年前に書いたノート

テーマ:雑文

 君は突然いなくなった。


 すべてをわかりあえる,そんな友だった。


 君のいない日常など考えられなかった。


 亡骸にすがって我に返り,一晩悲しみに暮れたあと,少しずつ平静さを取り戻していた。


 食事,電車,授業,入試…そんなスケジュールに自分を当てていくと,感情が薄くなっていくような気がした。


 住んでいる街を出た。都会に自分を馴染ませるために,新宿あたりをうろついていた。


 新しくできた友人たちとふつうに食事をし,部屋に戻っては眠り,時には笑いさえした。


 時は経ち,僕は君と作ったメロディーに別の歌詞をあてていた。


 意図的ではなく,発作的だった。


 身体の一部だとさえ思っていた君も,ちょっと親しい友人と同じだったのか?


 そんな風に思えた瞬間,悲しかった。


 結局,僕には僕が死ぬこと以上に悲しいことなんてなかったのか…。


 僕は世界で自分を一番愛している,卑しい自分を責めた。


 自分からは好んで飲まない酒をあおり,色に溺れた。


 どうしても自分以外の人の心に入っていく気になれない。


 人に心を許すことができない。


 人の気持ちがわからない。


 そんな冷徹さが嫌だった。


 君の笑顔,泪…輝いていた。


 夏は,もう来ない…。

2011-12-18 16:28:05

BOWとか

テーマ:雑文

 あり得ない誤植に目がありません。


 ワープロ誤植以前の誤植では,「4」と「チ」と「千」の誤植がとても目立ちました。


 私の知っている人が好きだったバンドは,ある音楽情報誌で「4年コメッツ」になっていました。正解は「千年コメッツ」です。いつの間に996年経ったのかと一瞬考えてしまいましたが,ただの誤植だったようです。


 考えてみれば,昔は学校の定期考査とか…手書きのものもあれば,業者に出していたものもありました。


 私は英語の筆記体というのが苦手で,筆記体で書けと書いていないかぎり,ブロック体で書いていました。この時代,筆記体はもう教えていないと思うのですが,どうなんでしょう。


 そういえば,友人で非常に字の汚い人がいました。


 確か英語の熟語テストだったと思います。


 as a matter of course→「当然のこととして」なのですが,友人は×をうたれ,ひどく教師に怒られていました。


 友人は「当然のこととして」と書いたつもりだと言い張っていたのですが,その文字を見せてもらった僕には「当然のカリフラワー」にしか見えませんでした。当然のように「カリフラワー」というニックネームがつきました。それは当然のように短縮され,「カリ」となりました。あまり性的な言葉を知らないない女子に「カリ」と呼ばれる違和感も大変なものでしたが,「こととして」が「カリフラワー」にしか読めなかった大変貴重な体験でした。


 その後司法試験に合格した彼でしたが,今はどこの事務所にいるのでしょうか,少しだけですが,気になります。

2011-12-18 14:33:25

迷惑メール

テーマ:ブログ

 ヤフーのフリーアドレスにたくさんのメールが届くようになりました。多分業者に拾われて売られていったのだと思いますが,目を引いたのが出会い系サイトの, 「弥生様から964万円入金希望あり」というものでした。


 念のために,プロキシサーバー経由で開いてみたのですが,ご主人に先立たれ,72歳で余命半年。延命治療を断りながらのメールだとか…。「サイトに口座情報を送ると,964万円振り込まれます。ここをクリック↑」みたいなのが書いてありました。


 たぶんこう言うのは,振り込め詐欺の一種なんですが,騙される人がいるのかと思うくらい,しっかりした72歳の方の文章…。とてもウケました。

2011-12-17 14:24:40

百科事典のこととか

テーマ:雑文

 今は何でもネットで調べられる時代ですが,本から得る知識というのも捨てがたいものがあります。


 私は小学生のころ,読書家だった父に与えられた百科事典を読むのが大好きで,意味もなくケプラーの法則とかを覚えていたり,ハチの生態に詳しかったりしました。何故文系に行ったのかよくわからないくらい,当時の私は,物理・科学・生物・地学などの分野に興味をもっていました。


 今はもう捨ててしまいましたが,その百科事典には変なところもあって,「シンバル」とか「カスタネット」とかの楽器を調べると何故か同じおじさんがまったく同じ笑顔で別の楽器を構えた写真が載っていました。ピアノやオルガンはお姉さんだったのですが,それ以外はみんな同じおじさん(多分編集者)という写真に,子ども心にウケていました。


 百科事典は確かジャポニカとかいう名前だったと思います。当然国語辞典のようにアイウエオ順で事象が羅列されているだけなので,「あ~え」的な乱暴な巻を30冊近く読んでいました。


 国語辞典を読む人がいないのと同じように,百科事典もまた同様なのでしょうが,小学生の私には写真や図解入りで説明される見たこともない訊いたこともない知識が新鮮でした。


 この頃から,私はちょっと変わったところがあって,書いて覚えるということが苦手になっていました。漢字練習帳とか確かに書かされましたが,百科事典を読んでいた私にとっては,小学校で習うような漢字は書く前に視覚で覚えているようなものだったので,書けるとわかっているものを書くことが非常に面倒くさく,苦痛な作業でした。


 このことは今も別の形で自分の特徴になっていて,メモをとったりすることができません。相手を不安がらせるくらいにメモをとらない人になってしまったのです。逆に書くと忘れるような,そんなことの連続でした。


 チラシの裏が黒くなるまで書いて覚えろとか,そんなことを言われていた時代です。マーカーペンを使うと書かなくなるからダメだとか,よくわからないことも言われていました。確かに最初から太字で書いてあるものをなぞったところで意味があるとは思えませんが…。


 英単語の発音とかも,確か百科事典で覚えた記憶があります。


 「magic-e」という項目があって,その延長線上で全部発音の法則性が説明されていました。


 昔,学習参考書の編集業務をやっていた時も,私は全部著者の原稿を読み,それを自分の言葉で咀嚼再合成して書き下すという方法をとっていました。著者の原稿はほぼ無視して,自分の理解を書き下ろすとか,例文を書き換えるとか,非常に乱暴な手法だったと思います。


 私が編集を担当した単語集・参考書は,今も合計で年間に100万部以上売れているらしいですが,その例文はほとんどが私の趣味趣向から書かれたものでした。


 確か,英語の第五文型を説明する例文で,「Mick painted it black.」とか書いた記憶がありますし,付帯状況のwithの和訳問題にも「In his song, the famous musician said "Living is easy with eyes closed."」とか,現在完了相の「We havn't had the spirits here (since/ till / by) 1969.」とか,60~70年代の古い洋楽の歌詞を載せてみたり,好き勝手やっていました。日本人が主語になる場合は,「拓郎」とか,「晴臣」,「真理」などの固有名詞を連発していたと思います。「中島君が『よう,カツオ』と言いながら,私に話しかけてきた」とか,そんなのも多かったですかね…。


 あの頃は文科省のガイドラインとかにも目を通していましたが,基準がよくわからなくて,苦労しました。


・差別を助長する表現は避ける。

・差別感があるものの,現在音として使われている日本語は全部ひらがなにする。


 これ,何の意味だかよくわからないと思うのですが。


 「…が不自由な人」のような無難な表現をしろというのではなく,最初からそういうものはないものだと想定しろということが暗黙に書かれています。


 beggar「乞食,物乞い」とか,うかつに書けないんです。こういう言葉を避けるのは簡単なのですが,madとか,foolishとか,crazyもだめ…となると「It is+形容詞+of 人+to不定詞」の表現はどうすればいいのか,とか真剣に悩みました。


 私の手を離れてずいぶん改訂されてはいますが,本としてのコンセプトは失っていないようなので安心しています。


 今百科事典を買う人はいないでしょうが,ああいうものを編集していた人は,さぞ博学な方だったのだろうと思います。文字原稿を拾う写植の人とかも,今よりずっと大変だったと思います。今はテキストデータの流し込みですから,日本語入力の段階で誤植がないかぎり,ほぼスルーですからね。


 そんな背景から,今は時間つぶしにwikipediaとかを読むのが好きになりました。

2011-11-24 00:28:03

生きることとか

テーマ:雑文

 かなり面倒くさく思える時があります。人間は五欲を満たすために生きていると言われていますが、そのどれもが達成した瞬間にどうでもよくなる欲望だったりします。


 五欲とは仏教用語です。ふつうの言葉で書くと、


・財産を殖やしたいという欲望

・性欲

・飲食の欲望

・名誉を得たいという欲望

・眠りたいという欲望


 ということになります。これは仏教であれば宗派を問わず説かれる話です。これらの欲望は満たされることなく肥大し続けるものだと言われています。


 例えば、年収が200万の人は400万ほしく、それを達成したら800万ほしく、さらにそれを達成したら1600万ほしく…。という具合に欲望が肥大するということらしいです。


 自分の場合もうそういった欲望はかなり薄れてきていて、すべての欲望に対してあまり貪欲ではなくなっているような気がします。


 会社も車も楽器も必要最低限のものを残し、他はすべて手放してもいいかと思いつつあります。


 性欲に関しても昔のような漁色家ではなくなりました。愛する人が一人いれば他に目移りしなくなりました。数年前までは機会あれば誰とでもというところがありましたが、不思議にそういう雑念が沸かなくなったのです。


 飲食も質素です。


 名誉とかそういうものも別に求めません。権力もいりません。普通に電車に乗れる人の目線で生き続けていきたいと思っています。


 睡眠欲だけは睡眠導入剤でコントロールしていますが…


 欲望というものは達成した瞬間に虚しくなるものだと感じるようになってしまったのです。この虚無感は一体何なのかと日々考えていますが、その答えは見つかりません。


 哲学書を読んでもそんなことは書いていないし、自己啓発本にも書いていない。宗教を始めたからどうにかなるとかそういう問題にも思えません。では何のために生きるのか? 「死ぬ理由が見つからないから」という身も蓋もない答えしか今の私からは出てこないのです。「自分が死ぬと悲しむ人がいるから」というのも一見正当な理由があるように思えますが、決してそうとは言い切れません。生きる目的がなければそこに主体的な意味を感じないからです。私のそんな疑問に「答えがないのが人生さ」といって笑いかけてくる友人がいましたが、そう言い飛ばせるほど私は楽天家ではないので、憮然とした表情をしていました。


 自己の内面、人生を深く掘り下げすぎた哲学者には悲惨な末路を遂げている人が多いです。私は人生という言葉が実は嫌いです。語るほど生きていないし、語るほどの知識もなく、また語る資格などないごくふつうの人間だからです。


 そんな私がこの頃、自分が今生きている意味をようやく探り当てたような気になっています。私は結局、少年のころ好きだったことをやり続けているに過ぎないのだと。音楽も美術も言語学も、すべて中2の時に自分が好んで選んだ道でした。どの道においても平凡な能力しかなかった私が、それらの面で一定の成果を上げられたのは運でしかありませんでした。実は経験値というものはどんどん上がってきているのですが、閃きとかそういうものは10代から20代のころの方がずっとあったように思います。例えば音楽ですが、その頃の自分には稚拙だけどエネルギーだけで押し切るだけの何かがありました。今は理論的に音楽を構築するようになっていて、楽曲としてのクオリティーは高いけど、それは過去に浮かんだフレーズを持ち出してきて、誰にもわからないようにそのへんにあるものと咀嚼再合成しているだけなんです。どんな音楽家もある一定のピークを迎えた後はこういう状態になるのだと私は考えていますが、私は旬を越えた音楽家なのだと思います。


 私が手がけてきたことのすべてにおいて、今私は自分の潮時を考えています。また、後進の指導にあたることも同様に考えています。これは、隠居生活を決め込んでいるという意味ではありません。経験というかけがえのないものを通して言える重みを伝えてあげたいということなのです。


 自分が生きる意味は見いだせないままですが、自分が生きた証が何か人に伝わってくれればと漠然と考えています。とりとめのない話になりました。

2011-11-12 18:33:16

チャリティライブ

テーマ:N2 Unitのライブ

 今日名東区役所講堂で,チャリティライブをやってきました。


 名東ウインドオーケストラさん,名東高校吹奏楽部さん,愛知高校吹奏楽団さん,江口晶さんとの合同企画です。


 この入場料はすべて,東日本大震災の被災者の方々の支援金として使われます。ごち会(アジアの子どもたちにおいしいものをごちそうする会)という組織があり,もともとはアフガンの農業支援とか,カンボジアの井戸の掘削,学校の建設などを応援していた会ですが,東日本大震災以降,とりあえず今は東日本大震災の被災者の方々の支援をしようということになり,地道に活動しています。


 これから冬に向かって寒くなるだろうから,被災者の方々にコタツを送ろうということで,これまでに66個のコタツを送ってきました。今回の収益金もコタツになると思います。


 入場して下さった方,演奏して下さった方,本当にありがとうございました。この場を借りてお礼を申し上げます。

2011-11-04 07:21:34

偏差値が極端に低く,定員割れしている大学の入学式での学長の言葉

テーマ:雑文
「人間力」をしっかりと身に付けて、実社会で立派に活躍できるように

sikiji2010.jpg

 本日、ここに平成22年度の入学式を挙行するにあたり、公務ご多忙の中を特に本学のために時間を割いていただきご臨席を賜りました秋山浩保・柏市長を始め、数多くのご来賓の方々に対しまして、学長として心から厚くお礼を申し上げます。
 また、本日の入学式にわざわざご出席くださいました保護者の皆様方に対しましても、この席をお借りしてご子息・ご息女のご入学を私ども教職員は心から歓迎しておりますことを、先ずは、申し上げておきたいと存じます。

 さて、新入生の皆さん、本日は日本橋学館大学へのご入学本当におめでとうございます。私は本学の教職員を代表して入学生の皆さんに対して、心よりお祝いを申し上げたいと思います。先に、入学予定者の皆さんには「合格通知書」と同時に私からのメッセージとして、「歓迎の言葉」を私の署名入りでお届けしております。その中で「私は、教職員並びに在学生とともに、皆さんの入学を心待ちにしております。」と認めました。そして、その締めくくりに「それでは、入学式でお会いしましょう。」という言葉で結びました。

 本日、まさにその「入学式」を迎え、こうして実際に皆さんとお会いできましたことを、何にも増して私は、うれしく思っております。これから4年間、皆さんの一人ひとりが本学で学生生活を送れて本当によかったと思えるように、私ども教職員は在学生の諸君とともに皆さんを我々の仲間として、文字通り、心の底から歓迎する次第であります。

 本日の入学者は合計169名です。その内訳を申しますと、「リベラルアーツ学部」の総合経営学科73名、人間心理学科47名、総合文化学科47名であり、「人文経営学部」への編入生が2名含まれております。出身校別では、本学の併設校である日本橋女学館高等学校から9名、中国・遼寧省の遼寧華瀾学校から10名、四国・高知県の明徳義塾高校から8名、などとなっております。また、硬式野球部に入部を希望している入学生は22名にも上りますし、パワーリフティングの世界選手権ジュニアの部で3位に入賞した入学生も2名おります。地域的にも、北は東北・青森県から南は九州・福岡県からも入学者がありました。全体として、数の上では昨年の2倍近く、また、近隣地区からの入学者も近年になく増えており、文字通り本学は地域に根ざす大学、地域とともにある大学として、今後ともに貢献したいと思っております。
 こうして入学してこられた新入生の皆さんに対して、私は、まず最初に申し上げておきたいことがあります。

 それは、本学の歴史と伝統を知っていただきたいということです。入学生の皆さんはこれから学内の至るところで、「質実穏健」という掛け軸や掲示を目にすることかと思いますが、これは本学の<建学の精神>を示す言葉です。本日は折角の機会ですから、そのことから説明することにいたしましょう。

 本学は平成12年の4月に開学いたしましたので、今回11回目の入学式を迎えたことになります。従いまして、皆さんは本学の11期生ということになります。共学の4年制大学としてはまだ新しい大学で、歴史は浅いのですが、本学の前身は12年の歴史を持つ「日本橋女学館短期大学」であり、更に遡りますと「日本橋高等女学校」、そして古くは明治38年、西暦で申しますと1905年に創設された「日本橋女学校」が、その母体となっているのであります。

 「日本橋女学校」の初代校長である浦田治平という方は、創設に当たり当時の時代風潮を踏まえ、女子の教育には「質実穏健」の気風が大切であると判断して「質実穏健」を、<建学の精神>と定めたのでありました。以来105年の長きにわたって、この言葉は大切に伝えられてきたのであります。本学はそうした長い伝統を受け継いでいるということを、先ずはご理解いただきたいと思います。

 そこで、「質実穏健」という言葉の意味から申し上げてみますと、初めの「質実」は、人の暮らしや行動に派手さがなく内容が堅実であること、すなわち、「質実」な生活を支えるための実学の伝承、及び社会人としての基礎力の育成を目指しています。「穏」は、心の有り様が「穏」やか、安らかなことです。「穏」やかな精神を育む、バランスの取れた幅広い教養と感性の教育を目指しています。「健」は、体が伸びて元気なこと、すなわち、身体が丈夫なことです。「健」やかな肉体、及び活力ある個性を育てることを目指しています。

 従って、「質実穏健」であるということは、「心技体」が揃って優れた状態にあることを指します。社会に適応できる技能と豊かな精神を持った人材、すなわち、「人間力」を備えた人材の育成を本学が目指しているということを、先ずは申し上げておきます。

 本日、日本橋学館大学に入学された169名の皆さんには、この「質実穏健」という言葉を<建学の精神>として、今後、しっかりと胸に刻んでいただけるようにと、ここで特にお願いしておきます。

 ところで、本学は昨年開学して10周年を迎えたことを一つの契機とし、更なる飛躍と発展を目指して、学部の名称を「人文経営学部」から「リベラルアーツ学部」へと変更いたしました。皆さんは、「リベラルアーツ」の意味を、大学の「入学案内」や「ホームページ」などで、もう既に理解されていることでしょうから、ここで、詳しく申し上げるつもりはありませんけれども、簡潔に言えば何よりも「学問の基礎」を大切にするということであります。「リベラル」とは「自由な」、また「アーツ」とは「学芸」という意味ですが、その起源を遡れば、古代ギリシアにまで至ります。当時の自由市民階級が必要とする知識や技能のことを「リベラルアーツ」と呼んでいたことに因むわけであります。より具体的には、文法や修辞学を含む「自由基礎7科目」のことを指しております。アメリカにおいては「リベラルアーツ・カレッジ」が、大変に高い評価を得ておりますことは、皆さんもご承知のことかと思います。

 この「リベラルアーツ」という言葉は、一般的には「総合的教養教育」と訳されておりますが、本学ではこれを「基礎教養」という言葉で捉えることにいたしました。と申しますのも、本学はその「教育目標」として「基礎を固めて、専門性を身に付けつつ、幅広い教養を培うこと」を掲げております。本学では、何よりも「基礎」や「基本」を大切にしたいと思っております。その上で「専門」を学び、最終的には幅の広い「教養」を身に付けた人間を育成するというのが本学の目指す「人間教育」であります。

 そこで、「リベラルアーツ学部」のキーワードとして、「人間力」を育むことを基本的な概念として掲げたわけであります。「人間力」とは、一般的には「社会で生きる力」とか「社会人基礎力」などと説明されておりますが、本学においては設置している3学科において、それぞれ「教育目標」を設定し、それに則した「人間力」の定義がなされております。従って、入学後はより具体的な形でその中身をしっかりと身に付けることができるように、各自で努めていただきたいと思っております。

 そもそも、大学は昔から「最高学府」と呼ばれ、若者が社会に出る最後の「教育機関」でありました。従って、大学では学生諸君が社会で必要とされる知識や技能を学ぶことが最大の「目標」であり、また、最高の「課題」でもあります。皆さんは、本学で「リベラルアーツ」の理念の下にそのキーワードとして掲げる「人間力」をしっかりと身に付けて、実社会で立派に活躍できるように、これからの4年間を有意義に過ごして「学問」の研鑽と「人間力」の涵養に努めていただきたいと思う次第であります。

 最近、「学士課程教育」という言葉を耳にすることが多くなりました。これまでは、「学士号」という言葉は単なる「称号」に過ぎませんでしたが、しばらく前に「学位」に昇格いたしました。それに伴い「学士課程」という言葉が定着したのであります。「学士課程教育」とは、要するに4年間で完結する教育のことを言っております。本学には大学院が併設されておりませんが、「リベラルアーツ教育」はまさに「4年完結教育」でありますから、皆さんにはこの4年間で、本学において幅広い教養と専門的知識をしっかりと身に付けていただきたいと思っております。

 この数年、本学の卒業生は就職だけではなく、大学院への進学も増えてまいりました。アメリカの優れた「リベラルアーツ・カレッジ」は、就職もさることながら、超一流の大学院への進学実績が売り物になっております。皆さんが、本学においてしっかりとした「基礎教養」を身に付けることができれば、就職は勿論のこと他大学の大学院に進学して、更に「専門教育」を深めることも可能であると申し上げておきましょう。そうした基礎的・基本的な能力を、是非とも本学で身に付けて、更なる成長・発展への基盤を確固として築いていただきたいと思う次第であります。

 本学は、小規模ではありますが様々なことが学べる「ミニ総合大学」であります。また、周辺は、緑に囲まれ静かで理想的な学習環境の中にあります。
 どうぞ、4年間の学生生活を伸び伸びと過ごしていただきたいと存じます。本日は、折から咲き始めた桜の花が皆さんを出迎えてくれましたし、私ども教職員も皆さんを心待ちにしていたところであります。どうぞ、これからの4年間が皆さんの人生にとって最も意義深い、そして、充実した期間となりますようにと祈念して、私の「式辞」といたします。

平成22年4月1日   
日本橋学館大学   
学長 横 山 幸 三  

 この大学では,中学レベルからの復習が行われているようです。英語はアルファベットの書き方から,be動詞,否定文…そんなことをやるようなカリキュラムのようです。


 数学は整数,分数,小数なので,小学校レベルからの再スタートということになります。


 Fランクというのはこんなものなのでしょうか? 「基礎教養」のレベルが義務教育以下からスタートするというのはひどすぎると思いますが。

2011-11-03 18:48:01

ドラフト騒動の焦点

テーマ:野球

 東海大の投手を日本ハムが強行指名したことで,問題になっています。


 考えてみれば,ドラフトは戦力の均衡化を狙って導入された制度なので,指定枠とかなくなった今の方が,本来の趣旨に沿っているわけですが,指名の挨拶がなかったとか,そんなことを原監督のお父さんが怒っていて,大学院に進学させるとか,そんな話になりつつあります。


 指名した日本ハム側が会ってももらえないというのはある意味異常といえる反応です。


 ただ,私は競争なしで獲得できると思い込んでいた原監督が,くじを引かなかったことに不可解な印象を受けました。


 自分の甥が自分の母校でプレーしている。自分も父に指導を受けた母校だった。当然相思相愛と思うでしょうし,他球団も横やりを入れにくいでしょう。


 でも,このまさかの状況で,自分が引いてやると思わなかったのでしょうか?


 想定していなかったとか,そんなこととは別に,指名される選手の気持ちから言えば,おじさんが引いてくれた。


 おじさんが引いてくれたのに外れた…。こういう方が割り切れると思うのです。


 ふつうの世界の常識で考えたら,そう考える人の方が多いはずなのに,何故指名してけしからんとか,巨人ざまあみろとか,大学院がどうのとかそんな話になっているのか,わかりません。


 自分の親戚の進路に関わる場面で,なぜ球団代表に行かせたのか…私なら,立場が下でも。「僕が引いて外したら彼も納得すると思います。行かせてください」と言うところですが,なぜ涙目で呆然としていたのか…。


 挨拶がとか,進路がとか,そういうことではなく,一人の悩める人間の親戚として,なぜ自分が矢面に立つ覚悟がもてなかったのか…。


 原監督は引退時「巨人軍の四番には聖域というものがある」という趣旨の発言をしていましたが,そんな時代でもなくなっているのだから,制度の枠の中でしてあげられることは,自分が引いてやるという姿勢を見せることではなかったのでしょうか?

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