繋プロジェクト-TSUNAGI PROJECT-

復興プロジェクトマッチングサイト


テーマ:
皆様同じ状況でしたが通信インフラが途絶え幹線道路は寸断され安否確認が出来ずにいたころ、家族を探すためトンネルを恐る恐る進むと昨夜には津波で水没していた道路が膝付近まで水が引いており兄と二人で「とにかく行ける所まで行ってみよう」となり、先にある歪んだ橋を全速力で通過し北上川を渡った先の光景にまた驚きました。

一瞬目を疑いましたが街が水没しており、まさかこんな所まで津波が来たとは…普段は水が入らない地域のため水の抜けも悪く一面海の様になっていてこれ以上は行けないかと話し引き返そうかと思った時、ふと見ると土手の上にあるサイクリングロードが微かに顔を出していて人が歩いているのに気が付き行って見ると唯一そこの道だけ通る事が可能でした。

そのすぐ先には嫁さんの実家がありましたが水没していて大声で叫びましたが応答がありまはせん、しかし車が無い事に気が付き避難した可能性もあるのではと考えていた時に偶然親戚の叔父と叔母に遭遇「みんな山に避難したみたいよ」聞きましたが当然会う事は出来ません、叔父家族はみんな無事だとの確認後に弟家族の安否確認をするため、また行ける所まで行って見ると事になり前え進みました。
photo:01


http://www.27p.jp
最近の画像つき記事 画像一覧へ ]

テーマ:
3/12震災翌日からまずは辺りの状況把握、安否確認、救助と避難してきた方々が動き始め救助要請をするため瓦礫やヘドロの中を駆けずり回り橋は落ちていないかトンネルは通れるかなど情報をかき集めながら普段使わない山道を歩きましたが当時は雪や凍結のため思うように進めず、また海水も引いていない場所も多く、当時私がいた地域の情報では幹線道路が全て寸断され陸の孤島とかしていました。
その当時はすれ違う見知らぬ人同士が話をし情報を交換する姿がよくあり、この方法か自分自身で見に行くかしか地域の情報を把握する手段はなく様々な未確認の情報が錯綜し混乱した事を覚えています。
事の重大さから震災当日には水、燃料など数日分の確保はしましたが、避難者の数も500人を超え食糧に関してはほぼ無い状態で津波で流されてきた冷凍の魚介類などを焼いて飢えをしのぐなど、かなりの不安を抱えておりました。

photo:01



http://www.27p.jp

テーマ:
3/11日、震災当日は宮城県石巻市で仕事をしていて地震が発生しました。
海の近くを車で走行していたため海面の様子を見る事ができ引潮を確認、直ちに高台へ避難し津波から逃げる事ができました。
避難先では着の身着のままで大勢の人々が集まり何が起きているのか分からない状態で混乱していました。

津波が押し寄せしばらくすると怪我をした方や津波で流されて低体温症の方などか続々とやってきて避難先の現場ではその方々の対応や救助、水や食糧、ストーブや木の確保に追われあっという間に日がくれてしまいました。

夜になると事態は悪化し近くの病院から寝たきりの患者さんなどが運びこばれ現場の皆さんが力を合わせ協力し合い過ごしていました。

翌日夜明けとともに辺りの様子を見て愕然としました。

その時唯一何枚か携帯で撮った写真ですが、これ以降あまりの状況にしばらく写真は撮れませんでした。

photo:01


photo:02



これらの画像は震災翌日に山から行ける場所を撮影したものです。

http://www.27p.jp

Amebaおすすめキーワード