翔ちゃんは自立は出来ない。
そんな断言するものじゃないと思うだろうか?
いや 絶対無理だと分かっている。
「何故? わかんないじゃない?」
違う 私が言うのは 世間的に言う「自立」だ
職場に向かい 仕事をする
一人で(もしくは数人で)自活をする
そういう意味での「自立」だ。
それは どんなに望んでも
どんなに訓練したとしても
翔ちゃんには 不可能だ。
では 私の望む 翔ちゃんの自立とは?
一人でお着替えができること
一人でトイレに行けること
一人でお風呂に入れること
寒かったら 窓を閉めること
暑かったら扇風機を回すこと
お腹がすいたら お菓子の袋を開けて
食べられるようになること
喉が渇いたら 冷蔵庫から麦茶を出して
コップに入れて 飲むこと
車が来たら よけること
そういうことなんです。
翔ちゃんは 一人では生きていけません。
ダウン症児は ただ単に遅れているだけではありません。
少なくとも翔ちゃんにとって
これ以上 知的能力が上がることは
もう 年齢的にありえない
だから 生活する上で最低限必要な知恵を
与えてやらなければならない
私は そう思うのです。
寒くて震えているなら もう一枚上に羽織るとか
布団に潜り込むとか
そういう 「知恵」を 教え込まなきゃならない という事です。
笑えますよね。
教え込まなきゃならないんですよ。
何度も 何度も繰り返し 覚えさせなきゃならない。
翔ちゃんは 勝手に
いつの間にかできるようにはならないんです。
できないことを並べたら それはもう ずらずらあります。
翔ちゃんを一般的精神年齢でいうなら
3才以下です。
幼稚園に通い出す年齢 それが3才
言葉に関しては 2才以下です。
でも生活年齢は もう少し高いです。
それは 10年も訓練してきた証明でもあり
翔ちゃんの記憶でもある。
翔ちゃんに 物事を教え込むには
非常に時間がかかる。
だが 一度覚えたことは まず忘れない。
それが翔ちゃんの不思議な魅力でもある。
ここは「翔ちゃんのお家」
最近 原点に帰りたがっている私
そうなんだ
改めて 翔ちゃんのすべてを見てもらいたくなったんだね。
だから 今度 長々と
翔ちゃんの生まれた頃からのお話をしていこうと思う。
誰に聞かすわけではない。
私が 記憶だけでなく書き留めておきたいだけ
昨日より 今日
翔ちゃんは一歩一歩 大きくなっていった。
出来なかったことが出来るようになっていった。
そんななか 時々 翔ちゃんの背中に耳を当てる。
くすぐったくて 笑う翔ちゃん。
私は翔ちゃんの心音を聞く。
そして また明日 翔ちゃんの笑顔を見ることになる。


